■第9話 「孤者異」
先生が京で貰ったという手紙、引っ掛かると思っていたら、やはり京極亭が出した偽物でやした
奴(やつがれ)が先生と離れようとしたことも京極亭には見抜かれていたようで
「あの先生は、闇に住めるお人じゃぁ御座んせん」
そう言ってはみたものの、今まで通り役に立つ時は立ってもらう、と念を押されてしまいやした
おぎんの親の仇でもある、稲荷坂の祇右衛門の名を騙った北町の与力・笹森欣蔵を御行する仕掛け
それに、また先生の手を貸してもらうことになっちまって
本当は……、もう関わらせたくなかったんで御座いやす
京極亭に指示された時は胸が痛みやした
…が、逆らうことはできやせん
まずは、長耳やおぎんを使ってそれとなく先生が今回の件に興味を持つように仕向けやした
真っ直ぐな先生のこと、おぎんの過去が関わっているとあっちゃぁ、じっとはしていられないのも読みのうち
過去を探ろうとなさいましたが、詳しくはわからなかったようで
ですが、更に深入りしそうになったところで、奴(やつがれ)が釘を刺しやした
「人には知られたく無い過去ってものもあるんでやすよ」 と
おぎんに限ったことじゃねぇ、奴(やつがれ)とて同じ事
先生には、知って欲しく無い事が御座いやす
この身体が現世に残っているのは京極亭の力によるもの
けれど、別に未練があって居る訳じゃねえ
先生と出逢えたことについては、ちぃとくらいは感謝してもいいかもしれやせんがね
そのせいで、余計な苦しみまで背負っちまうことになりやしたが……
その後、本格的に先生に仕掛けに加わってもらう段取りに入りやした
説明の最中は、折角、横に並んでいたというのに、先生のお顔を見ることができやせんでした
川の水面を見つめ、孤者異(こわい)という化け物について、必要なことだけをただ淡々と伝えたんでやす
話しながら奴(やつがれ)の手は、勝手に笹舟なんてものを作っていて
出来上がりは川に浮かべやしたが、表に出しちゃいけねぇ本心も、一緒に乗せて流したのかもしれやせん……
そして、先生が上手く働いてくれたおかげで、仕掛けは無事に片付きやした
けれど、御行した者を最後には殺してしまうというのは、まだ先生には受け入れられないようでやすね
死人が生き返るという今回のからくりについては理解した
だが、それでも、例え悪人に対してでも、奴(やつがれ)共のした事には難しい顔をなさっていやした
納得がいかないが、自分が口を出せることではないと思われたのか
積極的なところもお持ちなのに、どこか引いてしまう部分もおありなんで御座いやすね
先生は大店のご隠居という身分でありながら、江戸の町を歩く時は肩身の狭い思いをなさっているようで
町の人々が皆な一所懸命にその日を生きている中で、自分はどうなのだと後ろめたさを感じていたのか
先生ほど、純粋で情熱的なお人はいないというのに
汗水流して働き日々の糧を得る、それだけが人間の生きる姿じゃぁねえ
消えてしまう言葉を拾い集め、後世に残すことも大事な仕事のひとつだ
先生はまだ、ご自分の存在の大切さをわかってらっしゃらないようで御座いやすがね
その先生、全てが終わってから、おぎんの過去を知るという老婆に改めて会いに行かれてやした
しかし、老婆は呆けてしまっていたのか、要領を得ない答えしか返って来ず、お困りだったようで
「娘は死んだ」 と衝撃的なことを聞き、さらに詳しく訊こうとされやしたが、それ以上のことは収穫無し
そこではもう知りたい事は手に入らない、と諦められたようでやすね
ただ、この老婆、何故か引っ掛かるものがあるんでやすが
京極亭の遣い魔の婆ぁに似ていなくもなく……
『この世に不思議なことなど何も無い』
京極亭が時々口にする台詞でやす
どこまであの手が伸びているかわかりやせん
「闇と光が住み分けるのもそろそろ限界かと 人は誰でも心に闇を持っております
それを無理に押し込めるから、玄妙不思議が世にはびこる」
そう話していた京極亭の言葉を思い出しやした
一体、何を企んでいるのやら
何をしようと勝手だが、先生まで巻き込むことの無いように、そう祈るばかりで御座いやした
涎を垂らしながら転寝ができる、そんな平和な日々が乱されぬように、と……