男がいた。
男は力を欲し、修行に明け暮れ、強い相手を捜しては戦ってきた。そして、その魔力と槍の腕は他の追随を許さないまでになった。しかし、それでも男は満足できず、更に上を目指した。
男は奇妙な格好をしており、常に頭全体を兜のような仮面で覆っていた。しかし、男自身は奇妙だと感じていなかった。この格好こそが、魔導師のあるべき姿だと男は思っていたからだった。
そして、その奇妙な格好故に気味悪がれる事も多々あったが、男はそんな事を気に留めなかった。気味悪がられるからどうしたというのか、それが何だというのか。男はそう考えていた。そんな事は気に留めるほどの価値もないと、判断して。
男にとって価値のあるもの。それは力と、それを試せる強い相手。その二つだけであった。
だから男は喜んだ。この世界に迷い込んだことを。今まで倒してきた中で、群を抜いてずば抜けた力を持った何かが、この洞窟の最下層にいることを。
男はその「何か」を目指した。付いていきたいと願う、二人の青年とともに。
しかし、その青年二人は男よりも弱かった。だが、男は気にかけなかった。価値の無いものが、途中で助けを請おうが倒れようが、そんな事は男の知った事ではなかったからだ。
気がつけば、男は一人になっていたが、それでも奥へと進んでいった。
暗い洞窟の中では時間の感覚が麻痺し、今が昼なのか夜なのか知ることなど出来ない。この場を照らすのは照明魔法のみ。襲いかかる数多の魔物と戦い、休めそうなところを見繕っては仮眠を取る。そして、魔法の効果が切れれば新たに唱える。
そんな事をどれほど繰り返してきただろうか。
やがて、男はついに力尽きた。だが、それでも男は進もうとした。
しかし、そこで男は一人の少年に出会った。その少年、見た目はごくごく普通の育ちの良さそうな子供ではあった。だが、男は感じ取った。この少年には計り知れない力があるという事、己以上の力を持っているという事を。そしてまた、その少年の後ろにいる二人も相当な力量を持っているという事も。
少年は男に引き返すことを勧め、男は少年のその言葉に素直に従った。だが、少年が己より強いから従った、というわけではない。この少年は、男にとって新鮮だったからだ。
己以上の力量を持ちながらも、この少年は蔑む事無くただ純粋に心配をしていた。今までにこんなことは無かった。他人にされることも、することも。
しかし、この少年はただ「新鮮」だった、だけではないように感じた。それが何なのか男はわからなかったが、特に気には留めなかった。
そして、男はこんな事を言ってその場を後にした。
「ありがとう……この礼は……いつかする。」
初めて感謝の言葉を吐いた。男がそう気付いたのは、洞窟から出て空を見上げた時のことだった。今までに感じたことのない、不思議な感情を抱いて。
◆ ◆ ◆
湖に囲まれた城下町を歩きながら、男は傭兵所を目指した。
男は傭兵になろうと決めていた。
少年が傭兵を使っているのは、あの時にいた後ろの二人からわかった。少年もあの洞窟を進む気があるのならば、己の力を貸したほうが良いだろう。そう考えた。そうすれば、機会があれば己もあの洞窟の奥まで行けるのだから。
何より、礼に当たるような事など、他に男は思い付かなかったからだった。己にあるのは力。その力を貸す以外に何ができようか。今まで他人に対して礼などしたことがないのだから。
「……………」
そして、ふと立ち止まった。何故、己は「礼」などをするのだろうか。そこまでの事を、本当にあの少年はしたのであろうか。それとも、単にあの洞窟へ付いて行きたいだけなのだろうか。
アレコレ考えてみるが、どれも違うような気がして、時間の無駄だと男は再び歩き始めた。
傭兵所に着いて手続きを簡単に済ませると、奥の控え室のドアを開け、男が中へ入ると洞窟の中に置き去りにした二人の青年もそこにいた。
その青年二人は驚いたように男を見た。そして、同時に言われた。どうして強いのに傭兵になったのか、と。だが、男はその問いに答えず、奥へと進んだ。
何故、傭兵になったのか。それは男が聞きたかった。
この控え室には多種多様な人間がいた。
彼らも己と同じように、この世界に迷い込んだのだろう。そこまでは容易に想像がついた。しかし、同時に疑問も覚えた。ここにいる者達は、一部を除けば、皆かなりの力量を持っていることがわかった。だが、何故こんな人間達がここで傭兵をやっているのか。その気になれば、あの洞窟へ進むことも出来るだろうに、何故こんなところで燻っているのだろうか。男は不思議に感じた。
奥の壁に背を預けて立っていると、男はこちらを見る視線に気がついた。弓を持った青年で、緑色の髪と瞳、そして同色の服を纏っていた。
男はその青年の名を、知ってはいた。手続きの時に読み流していたから。
見ている事に気付いたのか、その青年は弓を置くと男の傍に来た。
「へえ、アンタが噂のヤツか。ホントに面白ぇ格好してんだな。」
この青年は何しに来たのだろうか。男がそんな事を考えたが、すぐにやめた。考える価値もないからだ。
「でもって、強ぇんだってな。けど、傭兵になったんだ。」
先程も聞いた言葉。男は今まで同様、この青年に対しても興味を持たなかった。
そう。
「やっぱりな。」
この言葉を聞き、その青年の笑った顔を見るまでは。
男は口を開こうとしたが、何を言ったら良いかわからずにそのままでいると、その青年はもといた場所に戻ってしまった。そして、先程のように再び弓をいじり始めた。
この青年は何を知っているのだろうか。何故、傭兵になったのが当たり前のように言ったのか。聞けずに、男はそんな事を考え始めた。しかし、どうしても男にはわからず、男は青年に聞こうとしたが、どうやって聞いたら良いのか、やはりわからなかった。
そうこうしていると、青年は弓をテーブルの上に置き、他の傭兵と雑談を始めた。
男は仮面越しでその会話を聞いていたが、会話の内容は何とも取り留めのないものだった。そもそも、男は他人と交流する事が全くなかった。だから、男は会話そのものにも興味が起きなかった。
だが、青年はずっと笑っていた。
仮面越しで見ている間に、男はその笑顔を見ているだけでも良くなってきた。今まで、外から何者の笑顔を見ても何も感じなかったのだが、この青年は何処と無く違っていた。
やがて、会話が終わったのか、青年は話していた者の傍から離れた。すると、もといた場に戻らず、男の傍に来て腰を降ろした。
「なーに、見てんだよ。」
男は忘れていた。この青年も傭兵だという事を。他者からの視線を感じ取るなど、この青年にとっては容易なのであろう。
男は再び何か言おうとしたが、その何かがわからずにまたもや言えず仕舞いになった。しかし、今度は青年はその場から離れず、ただ男の隣に腰を降ろした。そして、何も言わないままずっとそこにいた。それだけである。
だが、男はまたもや不思議な感情を覚えた。
それは、あの少年に持ったものと酷似していたが、どことなく違っていた。この青年に対して抱いてる方が心地良く、何処か温かさを感じた。
男は仮面の下で目を閉じ、その温かさをかみ締める。
どのくらい経ったであろうか。
外で日が落ち始める頃、控え室に全身を土やら体液やらで汚した二人の人間が入ってきた。それは、男が少年と出会った時に見た傭兵であった。どうやら、あの少年はつい先程まで洞窟を進んでいたようだった。
その場にいた傭兵達の関心が、一気にその二人に集中した。傭兵達は、戻ってきた二人に一斉に集まると、いろんな事を口々に聞いてきた。勿論、男の隣にいた青年も例外ではなかった。他の傭兵同様、身を乗り出して聞いていた。
何となく、男は面白くなかった。これも今までに感じたものではなかったが、先程と全く逆ものだった。
男はこれが何なのか考えた。質問攻めが続いている間も、食事の間もずっと考えていた。しかし、やはりわからなかった。
やがて就寝時間になって男は割り当てられたベッドにいくと、男は声を掛けられた。あの青年に。
「なあ。アンタって、それ、つけたまま寝んのか?」
それ、とは仮面のことだろう。男は首を縦に振った。
「……外す意味がない。」
「邪魔じゃねえのか?」
「……いつもの事だ。」
その返事に、青年は「ふうん」と言って自分のベッドに戻った。
「先、おやすみ。」
そして、青年は男に背を向けてそのまま眠ってしまった。
「……………」
男は僅かな悲しみを覚えた。
だが、何に対してどうして悲しいのか、男はわからなかった。そして、それがまた、何処となく悲しく感じられた。
与えられたベッドに入って男は思った。もし、己がもう少し他人と交わっていれば、何故今悲しいのか、二人に抱いた感情がそれぞれ何なのか、わかっていたのであろうか。だが、それは想像上のことでしかない。皆目、見当が付かなかった。
しかし、男は後悔はしていなかった。そのお陰で、今の力が手に入ったのだから。価値のないものに時間など割いていては、とても手に入らなかった力である。それ以上の価値など他に何があろうか。
己に一片の後悔などない。男はそう思いながら目を閉じた。
と。不意に、男は先程の青年の笑顔を思い出した。温かく知らなかった感情をくれた、あの笑顔を。
そして、ふと脳裏をよぎる考え。あの笑顔も、この温かい感情も、己には価値のないものでしかなのだろうか。
力と感情。どちらを否定すべきなのだろうか。
「…………っ。」
これも初めてのことだった。男が己の価値観を呪ったのは。
◆ ◆ ◆
朝を迎え、傭兵所が開かれた。
こんな世界で傭兵所を使うのはたった一人。その一人のために毎朝開かれ、控え室には傭兵達が準備をする。
ふと、カウンターの男が控え室に入ってきて、二人の名前を呼んだ。あの青年の名も含まれていた。そして、もう一人とその青年は返事をすると、二人控え室から出ていった。
出て行く間際。その後ろ姿を見て、男は手を伸ばしたい衝動に駆られた。
「…………?」
そして気付く。今、己は何をしようとしていたのか。
「……………」
考えてみたが、やはりどうしてもわからない。
と、不意にあの青年の笑顔が脳裏に浮かんできた。何故、浮かんだのかすらも男にはわからなかった。だが、その笑顔。わからないが、それだけで充分のような気がした。
そして、男はあの笑顔を再び見られるのを心待ちにした。そうすれば考える必要もなく、あの心地良さも得られるのだから。
だが、その日は戻ってこなかった。その次の日も。
男は、今まで言葉でしか知らなかった、「不安」というものを持ち始めた。時折見回してみても、物音のする方を見ても、どこにもいない。頭ではあの洞窟にいるという事などわかり切っている。それでも、あの存在を捜してしまう。
そして、あれから三日経った晩。
何やら、カウンターで小さな悲鳴が上がった。その声は控え室にも入り、同時に、何やら鉄の錆びたような匂いも入ってきた。
控え室にいた全員がその正体に気付いた。控え室がどよめく。
そして、次に控え室に入ってきたのは、何かを背負っている傭兵、少し泣いて付き添う少年、そして、頭から血を流して背負われている青年。
それを見て、男は血が凍りつくような感覚に襲われた。息が止まり、その場に立ち竦む。
他の傭兵達が一斉に騒ぎ始めた。
傭兵の何人が背負った傭兵と共に救護室に向かい、少年の近くにいた傭兵達は泣きながら謝る少年を宥めていた。
騒ぎ立つ傭兵所。その中で、男はそのどちらも出来なかった。男が出来たこと。それは、己の身体の震えをとめること。たった、それだけであった。
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