先程の騒がしさと打って変わって静かな深夜の傭兵所。時折聞こえる音といえば、寝所からの傭兵のいびきや寝言、それぐらいであった。
そして、それに紛れて不意に何処かのドアの軋む音がした。
それは救護室のドア。そこに入ったのは男。
ドアを静かに閉めると、男は足音一つ立てずに気配を殺して青年の横たわっているベッドに向かった。
そこで、青年は静かに眠っていた。だが、頭に巻かれている包帯がどことなく、男に痛痛しさを感じさせた。
話によれば、あの少年は最下層まで到達したらしい。そこで、男が感じ取った強い者、それと戦ったと聞いた。
そして、そこで青年はあの少年を庇ってこの怪我を負った。しかし、それでも青年は戦い続け、その者を倒したと同時に倒れたと。
「……………」
男はこの青年がした事を何となく理解は出来た。恐らく、あの場に青年ではなく己がいたら、同じようなことを少年にしていただろうと。
しかし、それでもあの血が凍りつくような感覚はわからなかった。もし、あれが青年ではなく、少年であったら同じような感覚に陥っていたであろうか。
そんな事を考えていると、ふと、青年が僅かに身じろぎをし、その目蓋がゆっくりと開かれた。
久しぶりに見る緑色の瞳。今までの不安が全て消えたように感じた。
やがて、青年はその焦点のずれた目を近くの物陰へ持っていった。そして、青年の血の気のない顔が更に一層青ざめると、何やら口を動かし始めた。
魔力が青年に集中し始めるのを感じ取り、男は咄嗟に青年の口を手で塞いだ。魔法を詠唱されるような謂れなど男にはない。
口を塞がれて暴れ始めた青年だったが、少しして、大人しくなって首を何回か縦に振った。目の前の人物が何者なのかようやくわかったようである。男はその動作を見て手を放し、青年は深く息を吐いた。
そして、横になったまま悪びれた様子もなく笑った。
「あー、悪ぃ悪ぃ。てっきり、モンスターかと思ったもんでさ。」
その言葉に男は心の中で深くうなだれたが、待ち望んだ笑顔を見て少し安堵した。
「ったくさ、ヤツらに怒られちまった。後衛のヤツが前衛のヤツを庇ってどうするって。その通りだよな。オレなんかより、王子さんの方がずっと強ぇのにな。」
「……………」
青年はここにいる。今は己だけを見ている。何処にも行かない。
「ん? どーした?」
男は、持っていた疑問をようやく口にした。
「……何故……私が傭兵を……と……当然そうに……?」
その言葉に、青年はきょとんとした。それを見て、男は言葉が至らなかったのかと思った。だが、これでも、男がかなり精一杯紡いだ言葉だったのだが。
そして、一方の青年は暫し考え込むような様子を見せると、「ああ」と言って男を見た。
「だって、アンタ、王子さんに会ってて、おまけに強いんだろ? なって当然じゃねえか。」
己の言いたい事が伝わった事に安堵したが、改めて同じことを青年に言われてもそれがわからない。
考え込む男を見て、青年は息を一つ吐いた。
「だからさ、王子さんにはそーゆーのがあんだよ。コイツの力になりたいって思わせるのがな。」
男は、心の中で「ああ」と呟いた。
「……成る程……。」
だから、男はあの少年に「礼」をしたかったのだ。
「だろ? なった理由は様様だけどよ、みんな後で王子さんに惚れこむんだ。オレらみんな王子さんが好きなんだよ。」
ようやくわかったような気がした。
男は仮面の下で目を閉じ、言葉でしか知らなかった「好意」というものを理解した。己はそれをあの少年に持ったのだ。
その「好意」を持って彼等はこの場に集い、少年から声を掛けられるのを待っているのだと。いつでも力になれるように。そして、己もその一人なのだ。
しかし、男はまだわからなかった。
確かに、少年に「好意」という感情を持っているのはわかった。そして、恐らく青年に対して持っている感情も「好意」だということを。少年に対して持っているものと、青年に対して持っているものは似ているのだから。
だが、この二者は似ているだけで、全く異質な存在のように男は感じた。
少年に対しては何処かこう、一線を引くようなものがある。だが、青年に対してのものは違った。線を引きたいなどと思わず、逆にその距離を縮めて傍らにいたい。そう思わせるものがあった。
ふと、男は仮面に何かが触れたような感覚がした。閉じていた目を開けると、仮面越しに見えるのは伸ばされた青年の手。
「重くねえのか?」
そして離れる青年の手を何処か名残惜しく思いながら、男は「いつもの事だ」と、再び言いそうになったのをこらえた。また、背を向けられるような気がしたのだ。しかし、思い付く言葉がない。
「う、うむ、……た、確かに重そうには、……見えて……しれない……のだが……」
言葉を羅列してみても、良い物は見つからない。
だが、そんな男を見て、青年はクスクス笑った。
「何、どもってんだよ。」
確かに、何をしているのだろうか。男は己に呆れたが、目の前で青年が笑っているのを見て、どうでも良く感じた。そして、再び温かいもので満たされいくのがわかった。
「な、嫌じゃなかったら、それ、外してみねえか?」
その言葉に、男は少し目を丸くした。もっとも、それも仮面越しで、青年にはわからなかったが。
「む……、……何故。」
今まで誰にも言われた事がなかった。言われる程までに、男は他人の近くに身を寄せるということすらしなかったのだから。
「あ、やっぱ、嫌か?」
その内容と僅かに落ち込んだかのような声に、男は慌てて首を横に振った。
「そ、そうではなく……、……『何故』と。」
己は拒絶を言ったのではない。あくまでただの疑問だと。
「……ん?ああ。単にどんな顔なのか見てみたいだけ。」
「…………」
顔を見たいから。男は予想だに出来なかった。
そしてまた、顔を見たから、見せたからどうなるのか。そんな考えが頭をよぎった。だが、そんな考え方などこの青年の前では必要のない事であるように感じた。
ただ、この青年が己に何か求めている。それだけで充分のような気がした。
「……見たいか?」
仮面を外しても構わない。この者が望むのであれば。
そして青年は、その男の言葉に顔を明るくした。だが、その緑色の瞳は何処となくまどろみを見せ、焦点は合っていなかった。
どうしたのかと、男は思った。
すると、青年が僅かに笑ったと同時に、その目蓋がゆっくりと落ちていった。眠ったようだ。
そもそも、この青年は血流して戦い続けていた。本来ならば、今起きていられるような体力などなかったはずである。
「……起こしてしまったのか。」
恐らく、殺していた気配が逆に不自然さを感じさせたのだろう。だから起きてしまったのだ。
心の中で青年に侘びながらも、男は安らかに眠るその寝顔を見てタメ息をついた。
何かを、男は初めて美しいと感じた。
今までの己の生の中では、何を見ても単なる視覚の情報としか捉えなかった。だが、目の前にある存在は、その情報という枠で括れるものではなかった。いや、括りたくなかった。
ふと、男は手を伸ばして触れようとしたが、途中で思いとどまった。果たして、己が触れても良い存在なのだろうかと、触れても傷つかせないだろうかと。
しかし、その躊躇いも「触れてみたい」という衝動には敵わなかった。手袋を邪魔に感じ、半ば乱暴に取り外す。そして、そっとその頬に触れてみた。
予想以上に温かかった。
「…………っ」
何故か男は無性に感動した。近くにこの存在を直に感じとることが、こんなにも感動する事などと露にも思わなかった。
男はそのままその頬を包み込んで、掌全体でその温もりを感じ取ろうとした。が、露になった己の手を凝視してうな垂れた。
改めて見たその手は、厳しい修行を重ねたために、幾重にもひび割れて硬い皮で覆われていた。このような手で包み込んでは、本当にこの存在を傷つけてしまいそうな気がした。それだけは、あってはならないことように思われた。
だが、それでも感じ取ってみたかった。
「…………」
やがて、男は先程取り外した手袋を再び填め、その頬を包み込んだ。
掌全体から伝わる温もりに、男は先程以上の感動を覚えると同時に、この手袋を忌忌しく思った。もし、この手袋を外せたらどれほど温かく感じられるのだろうか。それが歯がゆかった。
そして、男はふと考えた。
もし、この仮面を外したら、何も介さずに見るならば、この存在はどれほど美しくこの目に映るのだろうか。この寝顔も、あの笑顔も、あの瞳も、どれほど鮮やかなのだろうか。
すぐにでも取ってこの青年を見てみようかとも男は考えたが、今はまだ勿体無いような気がした。
この青年が起きて、再び「見たい」と言った時。その時でも遅くないだろう。
その時にこの仮面を外す。青年はどんな顔をするのだろうか。
それを想像してみる、今はそれだけで充分のような気がした。
「――――」
そして、男は初めてこの青年の名を口にした。手袋越しにその温もりを感じ、不可解で温かな感情を噛み締めながら。
◆ ◆ ◆
朝が来て、男は自分の名を呼ぶ声で意識が覚醒していった。
「おい、いい加減に起きろよ! 朝だぞ!!」
「……………、………!!」
男はバッと顔を上げた。すると、目の前には呆れたような顔の青年が。
どうやら、男はあのまま寝てしまったようである。
「ったく、どーりで重ぇかと思ったぜ。」
口を尖らせる青年。
慌てて謝る男。
「す、すまない。」
すると、青年は小さな声で笑った。
「アンタって、案外普通なんだな。」
男はその言葉の意味がわからなかった。そのまま男が青年を見ると、続いて青年は何やら悪戯っぽく笑った。
「じゃあさ、侘びってことでそれ……」
だが、青年が最後まで言葉を言い終える前に、廊下から男を呼ぶ声が聞こえてきた。
その声主は、傭兵所の主人である。その呼び声が何を意味しているのかわからない二人ではない。
「……外してくれないか、だったんだけどな。」
そして、ワザとらしくタメ息をついてみせる青年。
「…………。」
男は、己の名を呼ぶ声がしたとき、一瞬青年の顔が強張ったかのように見えた。だが、それは見間違いだろうと思った。確信するにはあまりにもその一瞬が短く、何よりも青年が顔を強張らせるような理由など思い当たらなかった。
「王子さんもすげえよな。一晩しか経ってねえのに、また行くんだぜ。」
そう言うと青年は「ま、頑張ってくれ」と男に言った。
その青年の言葉に男は一回頷き、必死に言葉を紡いだ。
「……必ず……戻る……から……その時に……。」
しかし、それを掻き消すかのように呼び声が大きくなる。
「おい! いつまで待たせる気だ!?」
だが、それでも言葉の意は通じたようだ。青年は「本当か?」と言うと嬉しそうに笑った。それを見て、男は言って良かったと痛感した。
笑う青年。その度に、己の中に自ずと満たされていくこの温かい感情を何と呼べば良いのだろうか。再び戻ってきた時、あの時のように青年に聞けば教えてくれるのだろうか。
「……では。」
そう言って、男は青年に背を向けて離れていった。
そして、ドアノブに手をかけて部屋から出た瞬間。
「―――――」
青年が何か言ったような気がした。
男はその声に振り返ったが、そこで見たのは閉まる瞬間のドアだけ。バタン、という音がイヤに耳についた。
「……………」
男は、青年が何を言ったのか知りたかった。
だが、それだけで再び戻るわけにもいかなかった。それに、何を言ったのかなどと、戻ってきた時に聞けば良いことだ。
「……行ってくる。」
今は、あの少年に力を貸そうと心に決めて。
そして、男は廊下を一人歩いていった。
◆ ◆ ◆
一行は最下層まで辿りつき、そこにいた存在と対峙した。
男はその存在から計り知れない力を感じ取り、胸が踊った。今すぐにでも戦い始めたかったが、何やら少年はその存在に近付いていった。その存在も、少年に危害を加えるような素振りを見せなかった。
男は訝しげに感じた。一体、何をするつもりなのだろうかと。
少年は何やらその存在に話し掛けた。しかし、男は少年の話している内容が全くわからなかった。少年がその存在に何を「思い出して欲しい」のか、そして「それから戦いたい」と何故今ではいけないのか、「本当に解放されない」とはどういう意味なのか。
「……お願いです。」
すると、少年は懐から何かを取り出した。どうやらペンダントのようである。
そのペンダントを一瞥して、男はそれから古の強大な力を感じた。ペンダント自体は真新しい物ではあったが、その原型は恐らく、何百年前、いや、千年ほど前にまで遡るだろうと考えた。新しい魔力も混じってはいたが、今でも魔力が残るまでにあの原型を作ったほどの者。叶うならば、男はその者と戦ってみたかった。
よくよく見てみると、そのトップは鏡で出来ているようである。キラリキラリと僅かな光を受け、その身に反射させては少年とその存在を交互に映し出した。
不意に、洞窟内に闇が広がっていった。いや、闇が広がっているのではない。周りの景色が、あたかも古い壁紙のように剥がれ落ち始めて、そこから闇が生じているのだ。
何もかもが闇と化していく中で、男は少年の姿を捜した。己があの青年の、いや、残った傭兵全ての代わりに守らねばならない。
そして、男が少年を見つけると、少年は剣を抜いて既に身構えていた。同時に、その場を凄まじい重圧感が襲った。
次の瞬間三人の目の前に現れたのは、人とほど同じ大きさの石で出来たような手が二つと、家ほどの大きさの失敗作の人形のような顔が一つ。
これが先程のあの存在か。先程と桁違いの力を感じ取り、男も槍を出して身構えた。
必ず勝つ。勝って、あの青年のところまで戻る。
戦いが始まった。
◆ ◆ ◆
今のこの感覚を何と呼べば良いのだろうか。男は得も知れぬ世界に一人漂っていた。ここには己以外何もない。あの少年も、あの存在も……あの青年も。
「……………」
そして、あの少年の戦う意義を、男はここでようやく解した。
己が迷い込んだあの世界はあの存在が造った世界であり、そこから解放するために少年は戦っていたのだと。だが、倒しても何らかの理由で解放出来ず、再び降りていったのだろう。もっとも、少年の「思い出して欲しい」の意味、そして、その言葉とあのペンダントとの因果関係、そこまではわからないが。
ふと、男は思った。あの青年は、こうなる事をわかっていたのではないのだろうか。己の名が呼ばれたあの時、少年が「本当に解放する」ための手段を得て、そのために動くことを。そして、この世界が崩壊することも。
「……………」
そして、青年のことを考えていると、ふと、男は虚無感に襲われた。今、自分の近くにはあの青年がいない。その事実が、何処か男に虚しさを感じさせた。共にいた時間はあまりにも短かったにもかかわらず。
だが、その短かった時間が男にとっては一番だった。どんな強力な魔法や技を覚えた時よりも、紙一重で強い何かをを倒した時よりも、比べ物にならないくらい尊いものだった。
出来るならば、もう少しその時間を得たかった。もう少し近くにいて、あの笑顔を見たかった。この仮面を外してやりたかった。
だが、あの時に己を呼び寄せて戦力にした少年に対して恨みの念など、男は微塵も持っていない。寧ろその逆で、力を貸せたことへの満足感があった。強い者と戦えたという喜びではなく、少年の役に立てたことに。そして、青年もあの世界から解放してくれたことに。
ただ、男の胸にあるのは青年がいないという虚無感。それだけでしかなかった
「……………」
だが、叶うのであれば、男はもう一度あの青年に会いたかった。
会って、約束通りこの仮面を外してやりたい。その時、どんな表情を己に見せてくれるのだろうか。また、仮面を介さずに見る青年はどれほど美しいのか。そして、己にある少年と青年の「好意」の違いを、青年に対してだけの不可解でいてそれでも温かなこの感情が何なのかを、教えてくれるだろうか。
再び会える日がいつになるのかわからない。会えたとしても、己のことなど既に忘れてしまっているかもしれない。共にいた時間が短すぎるために。そして、この「夢幻」の戦いが後に何も残さないとしたら。それでも会いたいというのは、己の我侭でしかないのだろうか。それ以前に、再会できる日が本当に到来してくるのかどうかすら見当が付かない、一生の時間ですら足りないかもしれないというのに。
全てそれを解した上で、それでもなお、願ってしまう己は間違っているのだろうか。
だが、間違っていようがいまいが男には最早構わないことである。そこを進んでいくこと。それにはかわり無いのだから。
それが男のこれからの道標。例え「夢幻」で得たそれがどんなに儚くとも、その存在はこの胸から決して消えることはない。あの笑顔も、共にいた時間も、くれた温かい感情も、全て己の中にあるのだから。
やがて、何もない空間から別の光景が見えてきた。それは、あの世界に迷い込む前に男がいた場。どうやら、本当に戻れたようである。
その空間に、男は一歩踏み入れようとした。
その瞬間だった。去り際に青年が己に最後に言った言葉を、はっきりと思い出したのは。
「……ああ、……そうなのか……。」
ひょっとしたら、あの青年も頭の片隅で待ってくれているのかもしれない。もし、青年があの時にこうなる事を解したのであれば、それを承知の上でこの言葉を言ったのであれば。
憶測ですらない単なる願望だが、それでもそう考えるとどこか嬉しさを感じた。
もう、すぐそこに現実世界がある。だが、この世界に未練などない。少年に、強い者に出会え、戦い、そして何よりも青年がいることを教えてくれたのだから。
現実へ一歩踏み出す。それと同時に、男はあの時の青年が言った最後の言葉をそのまま口にした。
「『また、会おうな』」
―fin―
仮面の傭兵タモタモは、ただひたすら強さだけを求めていた存在。
その彼にとって、生命の魅力そのものに溢れたロビンがどんなに眩しく映っていたか…
仮面越しにしか捉えることのできないもどかしさが切なかったです(T◇T)//
夢の世界から現実の世界へ…
どうか二人がまた再び出会うことができますように///
素敵なお話ありがとうございました(*^∇^*)//