悟浄×三蔵
小説 スフィア様
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右手首に深く刻まれた。致命傷かもしれないんだ。
『今日という日の退屈』
遊びには大して困らないらしい。馬鹿だからだと罵れば発想力だとのたまった。
今日一日の退屈を、どうやって噛み潰すんだ。
そんなことも知らないのかと奴が笑っている、わずか数秒の出来事。
目が覚めてからまだ数分の場所。
「例えばねえ」
間延びした声を上げながら、周囲を見回す。
その様子を俺はただ訝しげに見ていた。
「ああ、これとか」
さも思いついたという声だ。そうやって取り出したのは一枚の、布。
「これをね」
短い前置きの後に。
「・・・ッ」
手首を引かれた。結構強い力だったし、何より咄嗟だったものだから、反抗もままならない。
そして。
「できあがりー」
抑揚もない、相変わらず間延びしたいい加減な声がそう言った。
「なんだこれは」
気が付けば。
奴の左手と、俺の右手とを繋ぐように。布でもってキツく結んである。
「ここでひとつ、退屈しのぎのゲームなんぞ」
「・・・」
「この布を外そうとした方の負け、という」
「・・・馬鹿馬鹿しい」
心底呆れた。
「第一、勝ったから何だってんだ」
「さあ?」
馬鹿にしたようなその口ぶりに、今度は心底腹が立ち、俺はこの不快な布を外そうと試みた。
・・・が。
「・・・ッ」
左手ではうまくいかない。というか、何なんだ、この念の入った固結びは。
「やーい。ぶきっちょ」
「う、うるさい!いいから外せ!付き合ってられるか!」
「まあまあまあまあ」
どうどう、とまでつけるから、こっちの神経を余計に逆なでするんだ。
・・・わざと逆なでしているのだろうが。
「まあ、勝ち負けなんて、だから何だ、って言っちゃったらおしまいなわけだし」
退屈しのぎのおまけみたいなもんよ、と笑う。
「要は、発・想・力!」
「貧困な発想だな」
「うるさいよ」
じゃあ今からスタートってことで。
その声を遠くで聞きながら、俺はすでに思案を始めていた。
要は、こいつの嫌がることをすればいいわけだ。
さっさとこんな茶番終わらせてやる・・・ッ!
・・・と、まあ。
こういう決意で始まった、このショボイ暇つぶしだが。
さて。
そこで俺はふと気付いた。考えるまでもなかった、ということに。
嫌がること?
知るわけない。
奴のことなんて、まるで興味が無い。
知るわけがないのだ。
・・・でも、待て。
こんなにも無駄に長い時間、不本意にも共に旅しているのだ。
興味がなくとも、ひとつぐらい思いついてもいいはず。
俺は躍起になって記憶を掘り起こした。でも見つからないものは見つからない。
「このゲームはさ、俺が圧倒的に有利なわけよ」
その時、奴が言った。
「・・・・・どうしてだ」
憮然として問うと、奴は笑い、それからぽつりとこぼした。
「・・・さんちゃん、隙だらけだからなー」
聞き捨てなら無いセリフを耳にした瞬間にはもう足が動いていた。
「・・・ッ!」
思いっきり蹴飛ばしてやったから、そこそこ痛かろう。
本当は撃ち殺しても良かったのだが、利き手がこの状態では残念だが無理だ。
「図星だからって怒るなよな。ガキかお前は」
「・・・ッ」
言うに事欠いてこいつは、ともう一発かます前に。
繋がった手でもって思い切り引き寄せられた。
奴の顔が近づく。こいつ何する気だ。不覚にもびくついた俺は思わず目をつぶる。
だが、それから静寂。
ややあって、俺はゆっくり目を開けた。すると目前数センチの所で奴が嫌な笑みを浮かべている。
「ほら」
「・・・ほら?」
「隙だらけ」
その後で、軽いキスをされた。
何してんだ。こいつ。
そう、呆然としていたら。
「俺、お前の嫌がることならそれこそたーっくさんできるから」
ギブアップするなら今のうちよ?
そう言ってのけたその顔の憎たらしさといったら。
・・・だからこそ。
「誰がするか!!」
俺のこういう反応さえ奴の予想の範囲内に収まっていることは、俺にだって分かる。
でもここでギブアップ、はない。
理由も特に思い浮かばないが、とにかくない。ないんだから仕方ない。
「その言葉は命取りかもよ?」
「うるせーな。俺にとっててめーなんざ空気だ。いてもいなくても同じだ」
わけの分からない理屈をとりあえず並べたら、案の定、というか。大爆笑を買ってしまった。
・・・何でこうなる。
「お前って時々とんでもなくアホだよなー」
今の発言が相当くだらないという自覚がある分、少し反論に戸惑う。
・・・くそったれ。気にくわなすぎる。
そんなむかっ腹最高潮で。
「とにかく!さっさとギブアップしやがれ!じゃねえと一生このままだからな!」
俺は断言しきったわけだ。
「おーてぇーてぇーつーないでー」
「繋いでるじゃねえ。繋がってるだ。間違えるな」
「・・・お前さ、本当にずっとこのままのつもり?」
「嫌ならさっさとギブアップしやがれ」
「俺がそんなことするわけないじゃん。そんなこともわかんないの」
「何でだ」
「何でも」
「・・・負けず嫌い」
「お前だろ、それ」
気がつけば日は傾いて、今日という日の退屈を不本意な形ながらも消化したらしい。
赤い空が見える。部屋の壁に凭れて二人で見てる。
合わさる手首から伝わる脈が、時計が刻む秒針の音の様に、時の流れを告げる。
今、この時に、となりにいるのは、間違いないだろう。
繋がったまま、となりにいる人物は他には。
「ずっとこのままでもいいかも、とか一瞬でも思ったりなんか?」
「してない」
「ですよねー」
ふざけた調子でカラカラ笑う異生物。
何がそんなに愉しい。憮然とする。俺は愉しくなんかない。
奴はというと、さっきからあれこれ俺にちょっかいを出しては、俺の反応を見て楽しんでいる。
いちいち反応してしまう自分のアホさ加減にもがっかりだが、それ以上に。
・・・いいかげん、飽きろよ、と言いたい。
本当につくづく異生物だ。
「へーきへーき」
すると、奴が言った。
「ずっとこのままなんてありえないから」
俺は、不意に顔を上げる。奴を見た。
「この布だって、やがてはボロボロに擦れて破れて、朽ちるだろ」
「・・・・・・」
「ずっと、なんてありえない」
そう言って軽く笑った。
・・・何でだ。
こいつ今すっごいくだらないこと言ったんだぞ。
俺は憤るか呆れるかするべきだろう。
何だこれは。
「・・・お前」
奴が俺の方を見て何やら驚いた顔をしている。
「おいおいおいおい」
その後で焦ったような声を上げて。途端。
「・・・ッ」
抱きしめられた。
「・・・てめー何しやがる!離せエロ河童!!」
「黙れ!・・お前なんつー顔を・・・」
「離せと言っている!」
精一杯の力でもがいた。
しばしの攻防。
やがて、もつれ合い、バタンと音をたてて床の上に倒れた。・・・痛い。
あーもう。これは茶番でしかないな。・・・というか最初からまんま茶番を繰り広げて来た訳だが。
まったく散々だ。
最低レベルの暇つぶしだ。
そんなことを考えながら目の前に広がった天井を見ていた。
呆然と見ていた。
そしたら。
何だか急に笑いたくなったんだ。
喉から込み上げてくるそれを抑えることが出来なくて。
「三蔵?」
奴は、案の定、不思議そうな声を上げた。
俺はひとしきり笑った後で、小さく呟く。
「・・・お前のこと、やっぱり全然分からないな」
分からない。不可解な生物だ。
「分からない?」
横で俺と同じく仰向けに横たわっている男は、鸚鵡返しのような問いかけをした。
「・・・分からない」
どこまでも遠くにいる。そう思う。
「分からないのは、分かろうとしてるから」
「・・・何?」
「だろ」
また、不可解なことを言い出した。
「俺もお前のこと分からねーもん。も、全然」
そう言った後で。
「・・・というわけで、このゲームはそろそろ終わり」
布を外した。
「確かに、このままだと色々不便ではあるからなー」
しみじみと奴が洩らす。
「何よりあれだ、寝る前のひと仕事に支障が」
「黙れバカエロ」
上体を起こして、息をついた。
あ、そういえば。
「・・・お前、言ってないぞ」
「・・・?」
「ギブアップって言ってない」
「・・・お前って・・・・・・」
つくづく、みたいにため息つかれると、俺がバカみたいじゃないか。腹立たしい限りだ。
「ま、何にせよ」
いいざま、手に持っていた布をヒラヒラ翳しながら、
「こんなもんは不要なわけですよ」
「は」
「そこんとこは、これから解らせてやるから」
「・・・何言ってんだお前」
本当に、理解できる言葉をたまには吐いたらどうだ。
「つまりはね」
くいっと手を引かれ、布を取り外した下の少し赤くなっている手首に。
くちづけ。
「乞うご期待ってこと」
・・・何にどう期待しろってんだ、このバカエロ河童は。
眉を潜める。不敵に笑う。本当にこいつはどこまでも意味不明だ。
「さーて、腹減ったよな。てきとーに食いに行こうぜー」
伸びをしながら、ふらふら部屋を出て行ったその後姿を見送って、俺は首を傾げる。
手首の赤くなったところが、ヒリヒリした。
けれど、それが別に不快ではなかったから、俺の不可解は益々深まるのだった。
おしまい