「うっわあー、すっげー!!」
その景色を見た途端、一目散に駆け出して行った悟空の後に、悟浄と三蔵が続く。
「皆さん、こっちに来てたんですか…っ、これはまた……」
少し遅れて、八戒とジープも追い付いた。
「見渡す限り一面とは、これまた絶景っつーか何つーか…」
「本当に、見事な光景ですね」
「……」
悟浄と八戒はそれぞれに感動しているようだが、三蔵はひとり、特に反応することも無く、ただ淡々と歩いている。
さあっと風が渡り、金糸の髪を揺らせた。
顔に纏わり付く前髪を鬱陶しそうにかき上げる三蔵を、八戒はそれとなく見遣って満足げな笑みを浮かべる。
「猿は喜び庭駆け回り、ってか?」
「ふんっ」
悟浄のからかいを、三蔵は鼻を鳴らして受け流す。
横では、八戒がいつもの微笑みを見せていた。
六月の風が爽やかで、とても心地良い。
西に向かう途中、三蔵が休憩だとジープを停めさせたのは丘の頂上付近。
それまで延々と走り続けていたので、運転手の休憩も兼ねてゆっくり煙草を吸おうとの考えだ。
ジープを降りてみると、付近にはまばらに建物が見えるものの人影は無い。
適当な店も無さそうで、仕方なく辺りで腰を落ち着けそうな場所を探すことになった。
その時、そこから少し下った平原にシロツメクサが咲いているのを見付けたのだ。
見渡す限り一面に三つ葉が生い茂り、白い可憐な花が溢れている。
空の青さと草の緑、そして白いアクセントが目に眩しく、心まで澄み渡るようだった。
「なあなあ、ここで一休みしようぜ!」
「それは名案ですね。 いいですよね、三蔵」
「一服したらすぐに出るぞ」
「はいはい」
急かしているような口調だが、三蔵の表情は穏やかで、腕は法衣の袖の中で組んだまま、まだ煙草に手を出していない。
この景色を楽しむとはいかないまでも、嫌がっていないのがわかる。
少しなら寄り道を黙認してくれるということだろう。
三蔵の了承を得たので、一行は思いがけず出くわした素晴らしい景色をしばし楽しむことにした。
「はい、どうぞ」
緩く円を描くようにして草の上に直に座ると、八戒がぶら下げていた袋からペットボトルを取り出して順に渡して行く。
「わーい、ジュース♪ ジュース♪♪」
「悟浄も」
「おうっ、サンキュ」
両側に座った二人に手渡し終えた八戒は、左隣の悟空の背後からその向こうの三蔵へと手を伸ばした。
「はい、三蔵」
「…ん」
受け取る時、三蔵の小指が八戒の人差し指に触れた。
途端に、八戒の意識が指先に集中する。
――― 離したく無い…
不意に、そう思った。
「八戒…?」
ペットボトルを離さない八戒を、三蔵が訝しげに見ている。
「冷たいうちにどうぞ」
「…ああ」
名残惜しさは心の内に留めて、八戒はいつもの笑みを見せるとするりと手を引いた。
何も無かったかのように身体を戻した三蔵は、視線を宙に漂わせたまま、渡された飲み物に口を付けている。
「ぷっはー!!」
悟空は早速、美味しそうにごくごくと喉を鳴らして飲み干していた。
「オヤジか、てめぇは」
「美味かったんだから別にいーだろっ!」
「俺はどっちかって言うと、こういうソフトドリンクよりはもっと泡立つ…」
「すみません、ビールの自販機は見当たらなかったので」
「んじゃ、晩メシの楽しみに取っとくかー」
「飲まねーんならちょーだい!」
悟浄が八戒と話している隙に、悟空の手が伸びて来た。
「触んじゃねーよ、バカ猿がっ!! 誰も飲まねーとは言ってねぇだろ!」
「何だよ、ケチ河童ー!!」
「っンだよ、この脳味噌胃袋猿っ!」
「てめぇら、うるせぇーーーっ!!」
三蔵の声が、一番大きく響き渡った。
◆
「はあっ、今日もいい天気ですね〜」
喉も潤い一息ついた四人がそのままごろんと寝転ぶと、八戒が心から気持ち良さそうな声を出した。
ジープも一緒になって羽を休めている。
「眩しー……」
悟空が日差しを遮るようにして上空を眺めた。
「たまにはいいモンだよな〜、こんなのんびりした時間も…」
悟浄の声が空中に消えてゆく。
そして、そのまま会話は途切れた。
風の流れる音に混じって、時折、鳥の鳴き声が聞こえるくらいで、とても静かだ。
四人とも瞼を閉じ、全身で日の光を浴びている。
鼻をくすぐるのは、自然の生命力に溢れている青い匂い。
背中に当たる草の感触は包み込まれているような安堵感をもたらし、地面の冷たさも適度に伝わってきて心地良い。
戦いの続く殺伐とした日常にあっては、これほど穏やかな時間はとても貴重なものだ。
気が緩んだわけでは無いが、しばしの休息くらいは許されるだろう。
手足を投げ出して脱力すると、身体がじわっと沈み込むような感覚。
そのまま四人は、すぐに眠りに誘われた。
…と、全員寝入ったと思われたが、ひとりだけそっと起き上がった者がいる。
彼は、他の三人を起こしてしまわないように注意を払って、息を顰めた。
深緑の瞳が見つめているのは、金糸の髪を持つ男。
眇められていることが多い紫暗の瞳は今は瞼の下に隠され、長いまつげが顔に影を落としている。
通った鼻筋は凛々しさを表すが、美しさの要因でもある。
厳しい言葉を繰り出す少し厚めの唇も、閉じていれば艶っぽいばかりで。
規則正しく上下する胸元には、軽く曲げた腕が経文を守るかのようにその端に添えられていた。
ほっそりとした指先。
ついさっき触れた時のことを思い出す。
三蔵に触れるのは、傷の手当てやこまごまとした世話を焼いている八戒にとっては、それほど特別なことでは無いはずだ。
それなのに、さっきは触れた瞬間、電流が走ったような気がしてそのまま動けなくなっていた。
そのまま手を握り締めて…
細い身体を引き寄せて…
髪に顔を埋めて…
唇を奪っ……
(……って? ええっ??!!)
顔がかーっと火照ったのが自分でもわかった。
勝手に進んでしまった妄想に、自分自身が慌てている。
(今日は、このくらいで止めておきましょう…)
でないと、行動に移してしまいそうだから。
苦笑しながらもまだ眺めていると、三蔵の肩のあたりに四つ葉を見つけた。
(おや、これは三蔵にとって何か良いことでもある兆しでしょうか)
ひとり静かに微笑みつつ悟空の身体を超えて手を伸ばし、三蔵に寄り添うようにしていたクローバーを摘んだ。
(きっと、三蔵に教えても聞き流してしまうでしょうから、これは僕が大事に取っておきますね)
きちんと折り畳んであるハンカチを取り出して、間に四つ葉を挟み込む。
ふと視線を落とすと、自分と悟浄の間にもひとつ、幸運の印を見つけた。
(これは、僕にも良いことが? それとも、悟浄…?)
悟浄に教えると、悟空に自慢してまた騒動になりそうだ。
賑やかなのは構わないのだけれど、静かなままに過ごしたい時だってある。
今は、心も身体も休めるひととき。
できればこのまま、淡々と時を楽しみたい。
だから。
(これも、僕が預かっておきますね)
そう心の中で呟いて、八戒は二本目の四つ葉も先ほどのハンカチに丁寧に挟んだ。
そのハンカチを仕舞い込んだ時、悟空がうーんと伸びをして目を覚ました。
「うー!」
「あ、起きましたか、悟空」
「…腹減った……」
「あはははは、睡眠欲が満たされたら、やっぱり次は食欲なんですね」
そう言って笑い出した八戒の声で、悟浄と三蔵も起き出した。
目覚めた瞬間はまだぼんやりしていたようだが、適度な仮眠が取れたのか、二人とも表情はどことなくすっきりしているように見える。
と、八戒がじっとしたまま動かない悟空に気付き、おや、という顔をした。
「悟空、花を見つめたりして、どうしたんですか?」
「いくら腹が減ったからって、そんな草なんか食うなよ」
「ちげーよ! そうじゃなくて…」
「はい?」
「なんか、この花と喋れそうな気がして…」
「はあ?!」
悟浄が素っ頓狂な声を上げた。
しかし悟空は真剣な面持ちのまま、シロツメクサを一輪、指先で大事そうに摘んでいる。
「そう言えば、この間はマイクの気持ちを代弁してましたっけ…」
八戒がくすくすと笑いながら呟いた。
「そんなこともあったな…」
三蔵も、何か思い出したような顔付きになった。
「マイクの気持ち?!」
「見てたら、なんかマイクと喋れそうっていうか、マイクの気持ちがわかるっていうか、そんな感じになって」
「あれは大爆笑でした」
「笑い過ぎて、腹が痛かった」
わけがわからん、といった悟浄はほったらかしのまま、三蔵と八戒と悟空が話を進める。
「そういう三蔵だって、変な人だったじゃんか!」
「俺が何だと言うんだ」
紫暗の瞳が睨みを効かせるが、悟空は怯む様子も無く、ただ、八戒にスリ寄った。
「いっつも人の話を真面目に聞いてないもんね」
「ええ、…まあ」
小声での訴えを受けて、八戒が苦笑している。
「あの時のインタビューだって、司会の人が2つ続けて答えてって言ってんのに、ルーイったら初めて聞いたみたいにびっくりして…」
「ルーイ?」
「あ、違った、三蔵が……あれ? あのインタビューに答えてたのって誰だっけ?」
悟空が視線を宙に漂わせながら思い出そうとしている。
しかし、肝心の部分が出てこないらしく、うーんと唸り声を上げた。
「ふんっ、あんなもの、何を言おうが面白ければいいんだろ?」
「え、三蔵、答えた覚えがあんの?」
やはり三蔵だったか、という思いと、だがどこか引っ掛かるというすっきりしない思いとで、悟空はまだ微妙な表情を貼り付かせている。
「印象に残ったシーンと、好きな物だろうが。 覚えているに決まって…ん?…」
三蔵は、“三蔵” としての記憶を辿ろうとしたが、途中で曖昧になってきた。
そのまま黙り込んだ三蔵を、八戒は 「まあ、混同するのは僕らにはよくあることで…」 とまたもや苦笑しつつ慰めた。
「僕が一緒の時は、“貴方” の言動は僕が覚えていますから、心配しなくても大丈夫ですよ」
「八戒…?」
訝しげに向けられた眼差しを、八戒は柔らかな微笑で受け止める。
「俺も、わかんなくなることがよくあんだけど…」
「三蔵と悟空と僕が一緒という現場はよくありますからね」
「“現場” ?」
「なあ、おめーらさっきから何の話してんの?」
悟空が首を傾げたところで、それ以上に首を傾げている悟浄が会話に加わった。
「あ、悟浄、いたんですか?」
「いたよっ! っつーか、最初っから参加してただろーがっ!!」
「すみません、全く視界に入ってませんでした」
爽やかな笑顔で吐かれた毒舌に、悟浄は脱力しつつも不貞腐れるのを抑えられない。
「どうせそーだろうよー、いっつもおまえらばっか三人一緒でよー」
「悟浄も仲間に入ってくればいいじゃんか」
何の問題があるんだ、という顔で悟空が当然のように言う。
「一緒になれねぇのには、色々と大人の事情ってヤツがあんだよ…」
「そればっかりは僕たちではどうしようも無いですからね〜」
八戒が肩を竦めて、どこか割り切ったような表情を浮かべている。
「今は、四人一緒だからいいだろ?」
慰めにも聞こえる優しい声を出した悟空に、八戒は 「いいえ」 と鋭く切り込んだ。
「残念ながら、またもや三対一です」
「え?」
「あ?」
ややトーンを落とした八戒の真面目な声に、悟浄と悟空は不安を覚えた。
「な…何? 八戒、なんか怖ぇよ、一体、どうしたってんだよ」
「俺、何かしたのか…?」
八戒が真剣な眼差しでじっと悟浄を見つめている。
深緑の瞳から目を逸らせずにいた悟浄は、あまりの緊張感にごくりと生唾を飲み込んだ。
「だってほら、見てくださいコレとコレとコレ、そして、コレ」
そう言って指差した先には、さっきまで飲んでいたペットボトルが転がっていた。
「僕と三蔵と悟空のは同じですが、悟浄のは…」
「あっ…、―――違う」
結論は悟空の口から零れた。
「あ…ああ………うわーーーっ!!」
事実を突き付けられた悟浄が、頭を抱えて叫び出す。
「何で…何でだよ……何でいつも、俺だけがこんな目に……」
「それは」
神妙な声で、八戒が再び悟浄に視線を戻す。
「それは…?」
悟浄の中では、この緊張から早く開放して欲しいという思いと、真実を知るのが怖いという思いが交じり合っていた。
「それは、僕達が飲んでいるコレが、三本買ったところで売り切れてしまったからなんですね〜」
わなわなと震えている悟浄に向かって、八戒がいきなりにこやかな笑みを浮かべ、いつものように人差し指を立てて説明する。
「え…?」
「なーんだ、そんだけのことかー」
飲み物の調達をしたのは八戒だった。
その経緯はこうだ。
休憩だと三蔵から告げられた八戒がジープを停車させると、悟浄と悟空は真っ先に降りて身体を伸ばした。
長時間乗っていたものだから、狭い車内に閉じ込められたままの身体が悲鳴を上げそうになっていたのだ。
八戒も降りて首や肩を回していたのだが、道端に自販機を見付けたので利用することにした。
三人とも 「冷たければ何でもいい」 というリクエストだったものの、【冷】 の飲み物は1種類しか残ってなく、しかも、三本で売り切れとなってしまった。
キンキンに冷えたビールが美味いだろうなというくらいの気温だったので、【温】 のボタンを押すのは躊躇われる。
困った八戒が辺りを見回すと、少し離れた場所にもう一台の自販機を見付けた。
違うメーカーだったのは気にせず、その自販機で残りを買い足したので、一本だけ種類が違っていたのだ。
ジープに戻ると、そこには誰も居ず、三人は丘を下りようと歩いているところだった。
その為、八戒がどのように調達したか、その経緯は誰も見ていなかった。
買ってきた四本を配る時、八戒は深く考えずに適当に渡していった。
その結果、偶然、悟浄に違うモノが当たってしまった……。
八戒の謎解きを聞いて一瞬呆然とした悟浄は、やがてがっくりと肩を落としていた。
それとは対照的に、悟空は謎が解けて、後は何も気にならないといった陽気な明るさを振り撒いている。
「三本しか残って無かったんなら、しょーがねぇじゃんな」
「問題は、何故それが俺んトコに来んのか、だよ…」
「三人一緒〜、悟浄は仲間外れ〜♪」
悟空が、適当に節をつけて歌うようにからかった。
悟浄は大人気無いと思いながらも、そんな悟空を追い掛け回している。
その時、八戒が何か考えこむような表情になった。
「ん?……」
「どしたんだ、八戒?」
悟浄の手を逃れて戻ってきた悟空の問い掛けも耳に入らなかったのか、八戒はぶつぶつと独り言のように同じ数字を繰り返している。
「三人…三本……三……三………」
「?」
「あ!」
「おわっ!」
突然の大声に、顔を覗き込んでいた悟空がひっくり返った。
「三蔵! 三周年です!」
「はあ?」
ひとり動じなかった三蔵が、名を呼ばれて面倒臭そうに振り向いた。
「貴方にとっても、大事なことなんですよ」
「わかるように言え」
「僕たちがお世話になっているサイトが、この六月で三周年を迎えるんです」
「さい…と? 何それ、食えんの?!」
「文脈を考えろっつーの、バカ猿…が……って、なんか、どっかで既にやったような会話だな、コレ……」
いつの間にか話に加わっていた悟浄が、何か引っ掛かったような顔付きになっている。
「まあ、詳しい話はいずれまたということで…、で、三蔵、貴方も無関係では無いんです」
「何故だ」
「その記念日は、貴方にとても縁の深い方のお誕生日でもあるので」
「誕生日? めでてーじゃん! じゃあさ、じゃあさ、ご馳走食わなきゃ!」
「この展開もなんか覚えがあるぞ……」
悟空が騒いでいる横で、悟浄が更に難しい顔をした。
「まあ、お目出度いことではありますね。 年に一度のことですし、ここはぱあっと」
「ぱあっと?!」
「お祝いしますかー!」
「やったー!!」
美味いものが食えると、悟空は無邪気に喜んだ。
「てめぇは食えりゃ何でもいいんだろうがよ」
「いいじゃんか、お祝い♪おっ祝いっ♪」
その様子を見ていた悟浄の眉間に、くっきりと皺が寄った。
「嬉しいことが起こりそうな予感と、悪いことが起こりそうな気配の両方を感じんのはなんでだ?」
「さあ、何故でしょうかね〜」
全てを知っているのか、それとも何も知らないのか、判断がつきかねるような笑みを浮かべた八戒を、悟浄は難しい顔付きで見ている。
しかし、すぐに肩から力を抜いて、いつものお気楽な調子に戻った。
「ま、一緒に騒げるってんなら何でもいいか」
「では、町まで急ぎましょうか。 三蔵、行きますよ〜」
悟空が騒ぎ出したせいで八戒との会話は中断された形になっていたが、三蔵は敢えて蒸し返そうとはしなかった。
自分に縁があるという人間がどんな人物なのか気にならないわけでは無いけれど、八戒の様子から見て、悪い方の縁では無さそうだ。
ならば、急いで知る必要も無い。
今は直接関係が無くとも、縁が深いというのならば、いつかどこかで二人の人生が交差する機会があるだろう。
その時をどこか心待ちにしている自分を、三蔵は不思議に感じながら、それでも素直に肯定した。
そんなどこか達観したような三蔵を、八戒が少し離れた場所から見つめる。
(貴方とあの方が出会ったのは何かの縁。 そのことを、僕は感謝したい…)
隊長な貴方も、若君な貴方も、忍者の先生をしている貴方も、未来の使長たる貴方も、店長な貴方も、どんな貴方も素敵なのだけれど。
やはり、“三” と言えば、
(三蔵、僕は貴方が……貴方と過ごす時が、一番……)
続きは胸の奥に仕舞って。
一番にジープに乗り込んだ八戒はバックミラーを直す振りをしながら、そこに映る三蔵の歩いている姿を見て目を細めた。
四人が勢揃いしたジープは、また西を目指してひた走る。
今日ばかりは、途中、美味そうな店が無いかと探しながら。