暫くして、体の痛みと重みに意識を戻したクルーゼではあったが、まだ後ろ手に縛られたままで、パトリックの身体を動かせず、ただ呻いただけだった。
顔をひたすら動かし、布を吐き出しパトリックの名前を呼んだ。
「パトリック!パトリック!起きて下さい、パトリック!!」
あの初めての自爆テロの時の出会いから、名前をワザと呼ばないようにして来た。
命令なら呼んだが、彼がいつも私の声で名前を呼ばれたがっているのを知っているから、ワザとだ。
あの時よりもがさがさの酷い声しか出なかった。
こんなに手酷い有様は初めてだった。
アスランを月面都市に留学と言う形で、妻共々この屋敷から出発させた、あの夜は、本人が言うように、教え込むように、快楽を味合せてくれたのは確かだった。
初めて尽くしの行為ではあったが、優しく接してくれ、かえって、嫌われるのを恐れているように感じたほどだった。
それが、今夜、嫉妬の炎が彼を狂わせた。
クルーゼは、ふと面白そうだと頭の端でほくそえんだ。
まだ、クルーゼはシーゲルと、パトリックの確執を知らなかった。
「お願い、起きて下さい、パトリック、パトリック!!」
「・・・パトリック!苦しい・・・お願い・・・パトリック!!」
「はあぁ・・・助けて、苦しい・・・」
確かに腕が縛り上げられているので、たぶん痕が残っているのだろう、ひりひりと痛む。
埋め込まれたままのところは、悲鳴を上げ続けている。今日の仕事に差支えがありそうだった。
「う、うんん・・・」
「パトリック!苦しい!・・・助けて・・・パトリック!!!」
「ク・クルーゼ!?」
気が付き急いで身体をどけようと動く、更に、クルーゼの中に留まっていたモノを抜き出す際に傷が開き、又血を流した。
抜かれたモノと共に溢れ出た白濁したパトリックのもの、赤い血のコントラストは凄惨さしか感じられなかった。
「くううぅぅ・・・」
「立てるか?動けそうか?」
と、自分のしたことの酷さにおろおろしながら声を掛けるが、クルーゼは声もなくただ首を振るだけだった。
パトリックは、急いで壁に設置されている室内端末で、執事を呼びつけた。
「パトリック、お願い、ほどいて・・・」
と力無く頼んだ。
背中の方に回されていた腕のネクタイをほどくのに手間どっているうちに走って来たのだろう、息を弾ませて執事が到着した。
「湯を張ってくれ。」
一目見て執事はバスルームに飛び込んだ。
ほどけずに苛付いたパトリックは、隣の部屋の小さなキッチンからペティナイフを取り出してきた。
ふと目線を上げたクルーゼはそれを見るなり小さく悲鳴を上げた。
怯える様子にパトリックは謝った。
「パトリック、優しくして下さい。」
と、久しぶりに彼の瞳を見つめた。
「クルーゼ、すまなかった。」
と、くちづけてきた。
「駄目、痛いんです、唇の中も外も・・・許して下さい。」
「ご、ご主人様!そのナイフは!!」
初めてと思うほどの執事の切羽詰った悲鳴を聞いた。
「い、いや、ほどけなくて・・・」
「私がしますから、先に湯を使って来て下さいませ。」
ナイフを受け取り、執事が、落ちていたシーツを拾い上げ、クルーゼの汚れている身体に足元から掛けてくれた。そして、そっと、ネクタイを切り始めた。
「すぐに薬を塗りましょう、それから汚れを洗って、もう一度塗りましょう・・・本当に申し訳ありません。」
手首や、顔など薬を塗っているところへパトリックがシャワーから出て来た。
人の手を借りるのが嫌いなクルーゼだったが、今夜はどうしようもなく、執事一人では支えきれず、パトリックと二人がかりでクルーゼの身体を湯船に沈めた。
パトリックが、クルーゼが沈みこまないように後ろから支えながら髪や顔の汚れを拭い去った。そして、自分が傷つけたところへ指を差込み動かして、中に留まっている自分が打ち込んだモノをかき出した。
痛みで呻き声を上げるクルーゼの肩を、後ろから前へ腕を回し支えた。
意識が朦朧としていたようだが、中で蠢く指と痛みに意識がはっきりとして来たクルーゼは、身体を離そうともがき出した。
パトリックと、執事は彼を湯船から抱き起こして、シャワーでさっぱりさせると浴室から連れ出した。
「もう一度薬を塗ります。それから、痛み止めを飲んでもらいますから、手首は消炎冷却シートを両手首にします。口元は消炎剤をスプレーします。シートにしたほうが良いでしょうか?」
てきぱきと処置する様子に、クルーゼは自分も医師なのに無様だ・・・とぼんやりと考えていた。
粉末の薬を口に入れられ、すぐに、口を塞がれた。
パトリックがきつい酒らしきものを飲ませた。数回口移しで飲まされた。
喉が焼ける・・・
「ご主人様!それはウォッカですよ!カクテルのベース用に冷やしていた物です、度数を見て下さい!!こんな若い方に無茶な酒を!!」
執事がパトリックを叱り飛ばしているのを頭の隅で笑ってしまったがそこまで、粉末の薬は即効性があるのか最後まで意識を保っていたかったが、すぐに眠りに落ちてしまった。
ひんやりとした空気と、ああ、薔薇の香か?と思った途端に意識が浮上した
「おはようございます、クルーゼ様、あまり眠れなかったでしょう?頭痛くないですか?」
窓を開け、クルーゼの様子を聞いて来た。
あまりの自然な様子に睡眠不足の頭はぼんやりしていた。
ああ仕事だ、と思い身体を起こした途端に身体を突き抜けるような痛みに、昨夜の凶行が思い出された。昨夜じゃない、ほんの少し前だ。
ベッドからゆっくりと起き出す。痛んだが歩けないほどではない体調に、ほっとする。
心配そうにこちらを見ている執事に大丈夫と微笑みかけた。
彼は近寄り何かを手渡した。
スクリーングラスだった。
「有難うございます、パトリックは?」
「ご主人様は、職場までお送りすると申されていましたが、目立ちますから、と、お止めしました。今はご自分のお部屋かと・・・」
「今でしたら、出勤時間に間に合いますが、大丈夫ですか?朝食のご用意もしてあります。」
「何とかなりそうです、あの痛み止めの薬をもらえるかな?よく効きそうです。」
「地球産の、昔からの・・・劇薬で、あまりお勧めは・・・常用されるのも・・・」
「わかった、私も医師の端くれだから、どんなものかはわかる。まだ存在しているのだな、さすが地球だ。」
差し出された、下着ワイシャツと着替えて行く。もう、何着も私の知らない間に揃えてあるようだ、確かに昨日のシャツ類はもうボロにしかならないだろう。
溜め息をついてしまった。
「朝食をお持ちしましょうか?」
「良いです、食堂に行きます、貴方の用事をこれ以上増やすのもね、申し訳ないですし、
結局貴方も眠ってないでしょう?あのご主人様のせいで・・・」
ゆっくりと歩く自分の後ろを付いて来る執事に、ふと、自然に話せたのが不思議だと思った。
食堂に入ると、先にニュース画面を見ているパトリックを見つけた。
いつもの椅子に座るが互いに挨拶もしなかった。
クルーゼの様子を見詰めていた彼はおもむろに名前を呼んだ。
「クルーゼ・・・」
「申し訳ございません、お早うございます。パトリック、遅くなりました。」
「ああ、お早う、クルーゼ。」
クルーゼの前に果物と野菜ジュースが出される。ここでは朝はこれだけ食べれれば良い方だ。
吐き気で駄目なときもあった。
ひとくち飲み、果物を一つ口に入れた。
「・・・さて、クルーゼ、次期の会合はアプリリウス市だ、どうするかな?」
わかりきった答えを今更求めるのか?と、苛ついたが、聞きたがっている答えを告げた。
「仕事の後では帰りのシャトルもないでしょうし、遠いですね、今回はお休みにします。
そう、断ってきましたから。」
小さい声で少し俯き加減で答える。
俯くと、手首の消炎冷却シートが目に入った。いつもの手袋をはめれば大丈夫だろう・・・と
ぼんやりと見ていた。
両手首をじっと見詰めたのをパトリックに知られた。
「悪かったな、辛い目に合せた。時間が取れたら、私がアプリリウス市を案内するよ。
最高評議会の議会場も見せてやろう、お前と歩きたいものだ。」
「ありがとうございます。」
と軽く礼をして、席を立つ。
執事がパトリックにクルーゼを送って来る事を告げた。
玄関先に車を寄せてきた。
乗り込む前に、クルーゼは、見送りに出てきたパトリックの肩に手を置き、少し背伸びをしてパトリックの唇に軽く啄ばむように口付けをした。
「行って参ります」
「ああ、またな」
車はクルーゼの勤務先へと急いだ。
『茶番だ、偽りの口付けで、自分を哀れむな、クルーゼ。
こんなこと・・・こんな身体を守らなくていい、手段を選ばないことに決めたんだろう?
パトリックのことだ、無理やり休暇を取ってくれるだろう、いい、チャンスじゃないかアプリリウス・ワン、コーディネーターの本拠地をね
貴方の力を存分に見せてもらいますよ。
奴の好みの人物になれば楽だ。そう、奴は、自分の思い通りになる者がいればイイのだろう?
!!!
自分はナニモノなんだ? じぶん?
今更、何を、弱気になっている?
自分などない ただのモノ、復讐するモノだ・・・』
ぐっと胸が詰まる、思わず口元を押さえ、前かがみになる。
唇を食い縛る・・・出なければ、眼から溢れるものに負けそうだったのだ。
「お辛いでしょう、我慢なさらずに、今なら、車の中ならご自分を出されて宜しいですよ。
後ろのシールドは、遮光すれば良いのですから。」
と、執事は声を掛け、遮光シールドのスイッチを入れ、更に、小さく音楽をかけた。
思い掛けない、今まで誰からも掛けられたことのない言葉がクルーゼをふわりと覆った。
「だ、だいじょう・・・!!・・・・」
口元を覆ったまま、彼は暫く身をかがめたまま、シートに横になって、身を震わせていた。
微かに零れる嗚咽を車内に流れるクラシック曲が消してくれた。
到着しますよ、と声を掛けられるまで。
「ありがとう・・・」
と、言って車を降りて歩き出したのは、スクリーングラスと手袋をはめ、感情を窺わせないようにした、姿勢の良い、歩幅を広く取り颯爽と歩いて行く青年医師だった。
柔らかそうな生地で仕立てられた上着を風に翻させて歩いて行く。風に柔らかく揺れている金髪が朝日に煌いていた。
たった今まで、車内で守っていた青年の後姿が、建物の中に吸い込まれるまで、車はそこにあった。
終