『そんな、ある日の物語』
小説　吉野　様

ある日、ヴェサリウス艦長アデスは朝、目覚めるとくまさんになっていました。

あの、がおーって言って襲いかかってくるような黒い熊ではなく、フサフサとした茶色い毛並みの着ぐるみ・ぬいぐるみ仕様なくまさんです。

目は見えるし、耳も聞こえるし、体も動きますが、口だけはきけませんでした。

着ぐるみ・ぬいぐるみ仕様だからです。

ですが、彼の心は叫んでいました。

「（な、何故、こんなことに！？これでは…隊長とキスも何もできないではないかっ）」

こんな状況下でも彼にとって一番大事なことは変わりませんでした。

彼にはクルーゼ隊長という、それはそれは愛しい恋人が居るのです。

彼は悩みました。

元の彼と変わらないところと言えば、身長と心だけです。

この様でクルーゼ隊長は自分をアデスだと分かってくれるだろうか。愛してくれるだろうか。

どうやら”何故、くまさんになったのか”とか”どうやったら元に戻れるのか”とかは二の次のようです。

そして、試練の時はやって来ました。

時間になっても現れないアデスを心配して、クルーゼ隊長が部屋にやってきたのです。

クルーゼ隊長はいつも通り、ノックも無しにドアを開けて現れました。

「…アデス、何を遊んでいる？」

クルーゼ隊長のリアクションは恐らく、事前にクイズになっていたとしたらきっと誰も正解することができなかっただろうものでした。

いいえ。クルーゼ隊長をよく知る人なら見抜いたでしょうか。

とにかく、呼んだ名前こそ合っていますが、彼は遊んでるわけではないのです。

ですが、アデス艦長はクルーゼ隊長が名前を呼んでくれたことがとても嬉しいらしく、表情を変えられない顔で精一杯、喜びを表現しました。

「で、何事だ？」

アデスはクルーゼ隊長の問いに答えられない悲しみと申し訳なさを今度はジャスチャーで表現しました。

「口がきけないのか。参ったな」

本当に参っているのか？と問いたくなる程、冷静なクルーゼ隊長はどうやらフワフワの毛並みが気になるらしく、アデス艦長の腕を撫で出しました。

アデス艦長はそれが嬉しくて、思わず、もう片方の腕でクルーゼ隊長を抱きしめてしまいました。

「…これはこれで気持ちいいが、いくら私でも獣のモノは入らんぞ？」

それは飛躍しすぎです、クルーゼ隊長。

それでも、アデス艦長はショックを受けてしまいました。アデス艦長にとってクルーゼ隊長に拒絶されることは何よりも悲しく辛いことなのです。

アデス艦長は変えられないはずの表情で必死に悲しみを表します。

「無表情のくせにそんな悲しそうにするな。冗談だ」

何がどう冗談なのでしょう。分からないまま、話は進んで行きます。

「さて…どうしたものかな…」

そう言って、次第に２人はやっと人並みに不安を覚え始めました。

愛おしい人の言葉に答えることができないもどかしさ、愛おしい人の声を聞けない切なさ。

クルーゼ隊長はアデス艦長の身体にこれ以上ないくらいに身を寄せ、アデス艦長はそのクルーゼ隊長をしっかりと抱きしめました。

「どうしてかな…今、どうしようもなく、お前の声が聞きたい…」

クルーゼ隊長の言葉にどうにか応えたくてアデス艦長はクルーゼ隊長を抱きしめる腕に力を込めました。

「アデス…」

呟きの内にクルーゼ隊長はアデス艦長の閉ざされた口元にキスをしました。

すると、どうでしょう。ボンッという音と共にアデス艦長の身体は煙に包まれました。

そして、しばらくして煙が晴れるとアデス艦長は元の姿でクルーゼ隊長を抱いていたのです。

「ア、デス…？」

「は…も、元に…？隊長…っっ」

アデス艦長はひしっとクルーゼ隊長を抱きしめました。

それはお約束な展開ではありましたが、クルーゼ隊長が幸せそうに抱きしめられていたので良しとしましょう。

「アデス…ふふっ、お前だな…お前の顔だ…」

言いながら、クルーゼ隊長はアデス艦長の顔に手を伸ばしました。

その感覚を確かめるように、ゆっくりとその手でアデス艦長の頬に触れ続けました。

「隊長…」

アデス艦長もクルーゼ隊長の頬を手で包み込むようにして触れました。

そうして、２人はどちらからともなく口づけを交わしました。


その後、２人揃って遅刻した彼らを怒ることが出来る人物などいませんでしたが、クルーゼ隊長を愛してやまないクルー達は複雑でした。

クルーゼ隊長の幸せは自分の幸せですが、その原因がアデス艦長（他の男）というのは何とも言えないものがありました。

そんなクルー達は置いておいて、２人はいつまでも幸せに暮らすことは間違いありません。

めでたし、めでたし。


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