『 Pain Control 』

八戒×三蔵

小説遊亜様
イラスト見国かや



《 おまえは俺を裏切らない、そうだな 》

――― その時、既に僕は、貴方に心を奪われていた。



* * *



「八戒、大丈夫か?」
「おい、しっかりしろ!」

妖怪に襲われて傷ついた少女を助けようと気功を使い過ぎて、自分が倒れてしまった。
情けない姿を仲間に晒すのはこれが初めてではないが…。
もうちょっと加減ができなかったかと、我ながら呆れてしまう。

「他人を治しておいて、てめぇが倒れてりゃ世話ねーな」

三蔵は僕の方を見ようともせず、イライラとした不機嫌な顔で煙草を吸っている。
横で、悟浄がまあまあと宥めているのが目に入った。

「すみません、大丈夫ですから」

何とか上半身を起こして言ってみたが、力が入らないので弱々しい声しか出ない。
それでも聞き取ってくれた悟浄と悟空が、僕を庇うかのように三蔵との間に立った。

「たまにはゆっくり休めよ、八戒」
「そうだよ、ちょっとぐらいいーだろ、なあ三蔵」
「勝手にしろ」

お許しが出たということで、その日は助けた少女の父親が用意してくれた宿に泊まる事になった。
食事も付けてくれたらしく、隣からは悟空の無邪気に喜んでいる声が聞こえている。
僕はというと、宿屋に運ばれるや否やベッドに放り込まれていた。

「おとなしく寝てろよ」

悟浄から安静を言い渡されたが、その判断は正解だっただろう。
すぐに回復すると思っていたのに、夜になって熱が出てしまった。

「んっ…はあっ、はあっ……」

高熱のせいで、起きているのか夢の中なのかもわからない。
身体の節々が痛くて痛くて堪らない。
熱い……痛い……誰か、助けて………。

苦しさにもがいていると、不意に、顔にかかっていた髪が払われた。
誰か付いてくれている…?
微かに意識は残っているはずだったが、瞼は重く、その姿を確かめることはできない。
けれど、ひんやりとした手が額にそっと置かれたのは薄っすらと記憶に残っていた。

(気持ちいい……)

柔らかな部分の中で、一箇所、金属が当たったような感触。
あれは、リング……?
だとしたら、あの手は……。

朝になって目が覚めると、額には熱を取る為のシートが貼られていて、体温は平熱に戻っていた。
上体を起こして部屋を見回してみるが誰もいない。
ただ、灰皿に吸殻だけが何本か残っていた。
夢の中で嗅いだような気がしていた煙草の香りは、やっぱり僕の知っているものだった。

―― 看病のお礼を言っても、素直には受けてはくれないでしょうね、あの人は……

足止めしてしまったことのお詫びだけ言って、いつものような小言を貰おう。
その方が、僕のことで三蔵の気を患わせなくて済みそうだし。

起き上がってもふらつかず、歩いても大丈夫なのを確認して、支度を整えた。
そして、どうにかするとにやけそうになる頬を無理に宥めながら、三人が待っている部屋へと向かった。



それからなのだろうか。
貴方を見る度に、胸の奥で感じる小さな痛みを自覚するようになったのは。



* * *



店が立ち並ぶ通りに出ると、賑やかなざわめきが迎えてくれた。
人々は威勢が良く、町全体に活気がある。
面白そうな店もいくつかあったが、先に一通りの買い物を済ませることにした。
両手にいっぱいの紙袋を抱えた頃になって、ようやくあとは帰るだけ。
今日はそれぞれ別行動となり一人だったので、宿屋に着くまでの時間は自由に使える。
ゆっくりでいいかと思いながら露店を眺めつつのんびり歩いていると、お兄さんお兄さんと呼ぶ声が聞こえた。

「そこのお兄さん、ちょっと見ていってよ」
「僕…ですか?」

振り返った先で、アクセサリーを売っているおばさんが僕に向かって手招きしていた。

「そうそう、あんたあんた。 男前だから安くしとくよ。 恋人にひとつどう?」
「恋人……」

懐かしい顔を思い出した。
思い出すのが久しぶりのような気がしたのが不思議だった。
彼女のことは、忘れようも無いはずなのに……。

何故だろう…。
彼女が僕の心の全てを占めていたはずでは無かったのか?
いつの間にか、違っていたということか…?

黙って俯いてしまった僕を見て、おばさんが下から覗き込んできた。

「おやおや、いないのかい? こんな色男が勿体無いね〜。 でも、好きな人くらいはいるんだろ?」

人の良さそうな顔が笑いながら探りを入れてくる。

―― それなら……

今、真っ先に思い浮かぶのは、あの人の顔。

「ええ、います」

僕は気付かぬうちに極上の微笑を浮かべていたようだ。

「さぞかし、可愛いんだろうね」
「可愛いと言うよりも、美人ですね」
「はっきり言うねー」
「ええ、とても美しい人です。 姿も、心も、生き方も」
「ほお」
「いつも毅然として、強くて、ひとりでしっかりと地面に足を着けて立っている、そんな人です」
「あらあら、それじゃあ何かあっても、あんたの出る幕は無さそうじゃないか」

少し同情するかのように、おばさんが眉頭を上げて言った。

「あ……まあ、そこが、いいんです」

僕も同感だったが、その場では笑みを崩さずに答えた。

―― そこが……辛くもあるんですが……

何でもひとりでやってしまおうとするあの人だから。
僕が手を出せるのは、日常の細々した世話とジープの運転くらいしか無い。
そのポジションを死守しようと必死な様は、我ながら可笑しくなる。

本当は、闘いの場など望んでいないだろうに、そこから逃れることができなくて。
あの人はいつも、張り詰めた気で全身を覆っている。
そんな三蔵の隣にいるのが相応しいのは、多分、僕ではないだろう……。

浮き立った気分が一気に下がってしまうと、それ以上喧騒の中に身を置いているのが辛くなった。
おばさんには 「すみません」 とだけ言い残し、僕は足早にそこから離れた。



* * *



貴方への思いに自分で気付いても、そこから先へは進めない。

僕から貴方には何もできない。
してはいけないと思っているから。
自戒の意味も込めて、貴方には手を出せない。

だから…僕にできるのは、貴方を見つめることだけ。


新聞を読みながら、無愛想な表情のままに、煙草を1本取り出す。
薄く開いた口がそれを咥える。
ライターで火が点けられ、ゆっくりと紫煙が立ち上る。

煙を吐き出す唇。
ややすぼめられたその厚い唇は、触れればきっと柔らかいはず。
赤く色付いた果実のように、口に含むと甘いのだろうか。

灰皿に灰を落とす時にトントンと動く長い指。
その指が何かに触れると、視覚からの情報は自分が触られているような錯覚に摩り替わる。

三蔵の細い指には小銃がよく似合う。
硬く冷たいバレルに添えられる白くてしなやかな指。
弾を装填し、狙いを定めて構える。
トリガーに人差し指を掛ける。
親指で撃鉄を上げる。
両手で、しっかりと握り締める。
僕自身までもが握られているように、身体の中心がきゅっと反応する……。

妄想している間に、三蔵は煙草を吸い終わっていた。
吸殻を灰皿に押しつけると、置いてあったコーヒーカップに手が伸びる。
一口、ごくりと飲みこむ。
喉仏が上下に動くのがアンダーシャツ越しにわかる。
続けて、ごくりごくりと一気に飲み干していく。

カップが離れると、唇に付いた雫を舌が舐め取っていった。
チラッと覗いた赤い色にぞくりとする。
僕の舌を絡ませれば、その舌はどんな風に応えるのだろう。
別の生き物のように、それだけが見えないところで淫らに蠢くのか。

「三蔵、コーヒーのお代わりは?」

まるで、今はじめて僕がいる事に気付いたとでもいうように、三蔵が顔を上げた。

「ああ」

言ってすぐに、視線は新聞へと戻ってしまう。
眼鏡の向こうの瞳は、僕を見てくれない。

だから、僕は2杯目をたっぷりと用意する。
三蔵の指が煙草に伸びた。
その次はコーヒーを求め、飲み終わるとあの舌が現われるだろう。
また、同じ光景の繰り返し。
でもそれは、官能に満たされる、僕のささやかなひととき。

そして今日も、僕は貴方を視姦することしかできないでいた。

それで……それでいいと思っていた。
貴方への欲望は内部で処理し、自己完結することで……それで済んだと思っていた。

貴方の心までは求めないつもりだった。
手に入らないと決めつけていたから。



* * *



あれは確か、旅に出てから初めて、相部屋で泊まることになった夜。
宿では二部屋しか取れなくて、どういう組み合わせにしようかともめた時のこと……。

「俺は八戒と寝る」

唐突な三蔵の声に、ドキッとした。
これはただの部屋決めだというのに。

『俺は八戒と寝る……俺は八戒と……八戒と寝る………』

頭の中でその声が繰り返されるに連れ、何故だか恥ずかしさと、そして段々と嬉しさが込み上げてきた。

「本当に、僕で良かったんですか」

部屋で落ち着いてから、改めて訊いてみた。
旅に出るまではずっと悟空と寝食を共にしていたのだろうから、旅先でもそうだろうと漠然と思っていた。
自分が指名されるとは予想外で、信じられない思いが消えずにいたのが、つい声に出てしまったようだ。

「おまえは不満なのか?」
「とんでもない!」

むしろ、大歓迎です!
…というはしゃいだ気持ちは胸の奥に仕舞って、ただ、にこやかな笑みを浮かべるだけに留めた。

「なら、これでいいだろ」

ええ、いいです、このままで……。


「どうした?」
「はっ…!」

今夜も三蔵と同じ部屋になったことで、つい、物思いに耽ってしまっていた。

「いえ……急に、初めて貴方と泊まった夜のことを思い出したもので」
「その言い方は誤解を招くからやめろ」
「あ……スミマセン、そういうつもりじゃなくて……」

思わず、頬がかーっと熱くなった。
耳まで赤くなったのを感じながら、

(あの時の貴方の台詞だって、とんでもなかった!!)

などと思ったが、それは口には出せない。

「で、何を思い出したって?」
「初めての相部屋の相手に、どうして三蔵は僕を選んだのかという疑問が残ったままだったなあ、と」
「何を言うかと思えば」

ふんっ、と三蔵は鼻で笑った。

「あいつらは煩くて敵わん、静かに眠りたいからおまえにした、それだけだ」
「やっぱり……そんなことだろうと思ってました」

僕は苦笑してみせる。
でも、消去法での結果であろうと構わない。
僕を選んでくれたことに変わりは無いのだから。
僕といると、静かに眠れると言ってもらえたようなものだから。

「おまえとならば、静かに過ごせる」
「!!」

まさに、今、考えていたことを言われ、僕は驚きで声を上げそうになった。

―― そんなことを言われると、勘違いしてしまいますよ……

僕は、貴方と共にいてもいいのだと。
僕が、貴方に選ばれたのだと。

「もう寝る」
「はい、おやすみなさい」

会話を切り上げると、三蔵はさっさとベットに入ってしまった。

せっかくの二人きりの時間。
もっと貴方の顔を見て、もっと貴方の声を聞きたかったけれど……。
欲張ってはいけない。
例え束の間でも、確かに貴方と共有できた時間を、少しずつ心に貯めていけばいいことだから。
思いがけず三蔵と心が触れ合った気がして、僕は眠れそうに無かった。

また、貴方に選んでもらえるように。
また、貴方の瞳が僕の姿だけを映す夜が来ますように。

ああ、想いは募る一方で…。
それは、知らない間に膨れ上がっていく予兆を孕んでいる。
このままだと、いつか、自分では手がつけられないほどにまでなってしまうかもしれない。

何とかしなければ。
自分の中だけで押さえていられるように。
貴方に、気付かれないように。



* * *



不意に、何かの映像が脳裏を掠めた。
目を閉じるとフラッシュバックの如く、瞼の裏に一瞬、三蔵の姿が映った。
法衣をずたずたに切り裂かれ、下から覗く肌には何本もの赤い筋が刻まれている。
両手で自分を抱えている三蔵の、こめかみから流れた血の行方を追うと、その先の口元は笑っていて…。

思わず目を開けると、僕の前にいる三蔵にもうひとりの三蔵の姿が重なった。
その三蔵は無傷で、いつの間にか僕の腕の中にいた。

よかった…。
さっきの傷付いた三蔵ではない…。

安堵で、後ろからきつく抱き締めた。
んっ……と、三蔵が肩を竦ませる。
襟の合わせ目が少し緩んだ。
胸の前で重なっていた僕の手がそこへ伸びていき、中へと吸い込まれる。

胸元の突起を探り当てる。
あ……と、三蔵が小さく声を漏らした。
そのまま呼吸が段々と荒くなり、次第に顎が上がっていく。
僕の肩に頭を載せるように三蔵が仰け反った。

片手で細いウエストを抱え直し、胸を探っていた手を上へと這わせる。
三蔵の左肩を撫でるようにしながら、片方の法衣をずらせた。

ぎゅ、と抱き締めて、露わになった肌を唇で辿る。
ちゅ、と軽い音を立てる度に、三蔵が息を詰める。

片袖を引き抜いた腕に指を滑らせながら、手甲を手繰っていった。
最後の砦とばかりに握っていた拳を開かせ、中指のリングごと脱がせる。
露わになった手の甲を撫でるように移動しながら、指と指を絡ませる。
三蔵の指も、僕の指の付け根を締め付けたまま握り込んできた。
一度離し、掌を合わせる形でもう一度握り合う。
指の谷間に隙間が無いほど、しっかりと組み合わさった10本の指。
これ以上は無理だというのに、それでももっと奥を求めるかのように結合を深くする。

僕の中心が目を覚ましていた。
三蔵の腰を引き寄せ、僕の存在を押し付けてアピールする。
んっ、と息を吸いこんだ三蔵の身体が強張った。

今、どんな表情をしているのだろう…。
僕を感じてる?
僕が欲しい?

見たい、と思って三蔵の身体を反転させた。
こちらを向いた三蔵は……、

「何だ?」

一歩離れたところから腕組みしたまま振り返った三蔵が、怪訝そうな顔でこちらを見ている。
目が合った瞬間、胸の奥がキュッと痛んだ。

今までのことは一体……?
僕の身体にはまだ、こんなにも感触が残っているのに……。
あれは……白昼夢だったのだろうか。

「いえ、何でもありません」

僕は咄嗟に、けれどそうとは思わせないような微笑みを返す。
三蔵はまだ訝しげな表情のままだったが、視線はすぐに離れていった。

――― 三蔵っ………

さっきまで絡み合っていたはずの左手を胸の前で固く握り締める。
凛と立つ後姿に、名残惜しさを感じたまま。



* * *



何故、あんなことが起きたのか。
三蔵の幻が見えて、まるで生きているあの人を手にしたように感じたのはどうしてなのだろうか。

気付かぬうちに暴走してしまいそうな自己の存在を自覚しても、自分ではどうしようもできない。
止めなければ、という思いよりも、更なる展開を期待している自分がいるのも本当だ。

現実の世界で貴方に触れられるのは、貴方が傷ついた時だけ……。
手当てをしている間は、もちろん三蔵を治すことしか考えていない。
けれど、後から思い返し、傷口から血を流していた貴方を脳裏に甦らせてみると、興奮で身体が震えてしまう。
決して、貴方が傷つくのを望んでいる訳ではないのに。
誓って、そうではないのに。
でも、ゾクゾクした快感が後から追いかけてきて、それに浸ってしまったのは否定できない。
傷の具合を見る為に衣服を切り裂いた時。
塞ぎ終わった傷口を撫でて確かめた時。
僕の手は、確かに貴方に触れていた。
ただ、それだけのことが、とてつもなく特別に思え……。

実際、何も起こらなければ触れることは叶わぬ、近くにいるのに遠い人なのだ。
せめてそう思うくらいは、少々歪んだ想いくらいは、密かに隠しておいても構わないじゃないか。

だが、内包している黒い闇がいつか爆発してしまったら……。
自分では押さえきれなくなったら……。

思い詰めた思考は、下降する一方だった。
これではいけないと、気持ちを切り替える為に頭から水を被ってみた。
流れ落ちる雫を拭きもせずに顔を上げると、鏡がある。
そこに映っていたのは、覇気の無い沈んだ顔。

―― 何て顔……

次第に、しっかりと前を見ている力も乏しくなっていく。
視界がぼんやりしかけると同時に、顔の前に垂れていた前髪を雫が伝うのが目に入った。
髪の先で水滴が大きくなり、髪を弾いてポトンと落ちる。
ひとつ落ちるとすぐに、また次の珠ができる。
次々と落ちていく水滴の向こうでは、自分の顔らしきものがぼやけて見えていた。
焦点を合わせ直して鏡を見つめると、今度は髪の雫が見えなくなる。
二つを同時にくっきりと見ることはできない。
どちらをも放棄するなら話は別だが、しっかりこの目で見る為にどちらか一つを選ばなければならないとしたら。

―― 今の僕は、何に焦点を合わせればいいのか……

同じ彼方を見定めていたはずなのに、無意識のうちにあの人の事しか目に映らなくなっている現状。
共に旅する一員としての立場を取るか、一個人として、欲望の赴くままに行動するか。
いつか、どちらかに決めなければいけない時がくるかもしれない。
それは、ずっと先かもしれないし、明日かもしれない………。


「おーい、何してんの?」

ノックと共に、悟浄の声が聞こえてきた。

「あ、すぐに行きます」

第三者の声を聞いた途端に、「いつもの愛想のいい八戒」 になって返事をしていたと気付いた。
そうだ、できるじゃないか。
それでいい、それでいいんだ。

あの人の前でもそうやって、仮面を被って振る舞えれば、それで……。



* * *



野宿の夜。
僕以外の三人は既に寝入っているようだった。
ジープの後部座席からは、時折寝言も聞こえてくる。

そっと、隣の顔を覗ってみた。
腕を組んで頭をやや前に傾けている三蔵。
顔を隠してしまっている髪を払い除けて、その横顔をじっくりと眺めたい衝動にかられる。

僅かに覗いて見えるのは、まっすぐに通った鼻筋とやや開かれた口元。
呼吸する度に、三蔵の身体が微かに揺れる。

ハンドルに凭れるようにして、もう少し前方から見つめ直す。
前髪で隠されていた長い睫毛がふるふると震えているのが見えた。
その下には、今は無防備な唇が僕の前に存在している。

――― キスしたい……

そう思っただけで、胸の痛みが生じた。
身体が芯から熱くなった。
いつの間にか僕の脳は勝手に、三蔵の寝顔に自分の唇を重ねる瞬間を想像していた。

近付いていくと、零れてくる熱い吐息が感じられるだろう。
そのふっくらとした唇に僕の唇が触れる。
柔らかくて弾力のある唇を舌先で辿る。
目が覚めてしまった三蔵は、くすぐったくて離れようとするかもしれない。
けれど、そんなこと僕は許さない。
抗う三蔵を抱え込み、また顔を寄せる。
存分にその唇を味わい、歯列をなぞって隙間を作り、舌を差し入れる。
逃げ場など無いのに儚い抵抗を見せる舌を捕まえ、あっけなく絡めとる。
蕩けるような熱いくちづけを与え続ける。
その頃には、三蔵の舌も僕に応えていることだろう。
角度を変えて、くちづけを更に深いものとする。
お互いの口腔内から溢れ出る蜜を混ぜ合い、分かち合う。
境界がわからなくなり、溶け合うほどに、何度も何度も互いを求める……。

「う…ん、三蔵……」
「!!」

突然耳に飛び込んで来た悟空の声に驚いた。
ぞわぞわと鳥肌が立ち、身体中の血液が逆流したかと思った。

「メシ……」

悟空……。
あなたの夢はきっと、好きなものでいっぱいなんでしょうね。
そこは、僕の抱いているような仄暗い欲望などとは無縁の世界で。
光が溢れて、全てが明るく輝いていて。
ありがとうございます、悟空。
今夜は助かりました。
あのままだと、僕は想像するだけでは済まなかったかもしれません……。

寝込みを襲うというのは、或る種、魅惑的な設定でもあるけれど、漏れなく銃殺されるという特典付きだろう。
僕はまだ、この席を確保していたい。
まだ、貴方の隣にいたい。
それが許される限り……。



* * *



幾度と無く、昨夜のことを思い出していた。
貴方と向き合う度、貴方の唇が動く度。

叶うはずもない淡い期待を持ち続けるのは罪だろうか。
想うだけでも、それは背徳行為なのだろうか。

急に、ふわっと浮いたような感覚に包まれた。
するとまた、三蔵が僕の腕の中にいた。

壁に背を預けている三蔵を僕が両手で囲っている。
貴方は何も言わずに、僕を見上げていた。
紫暗の瞳がうるうると潤み、ゆらりと揺れて。
頬にそっと手をやると、睫毛を震わせて瞼を閉じる。
それと同時に、形の良い唇が僅かに開かれた。
ああ、この唇……。
誘われるように、僕の顔が近付く。
このままいくと、触れてしまう……。
本当にいいのか? 
禁断だったはずの、三蔵の唇。
待ち焦がれた、この瞬間。
ゆっくりと目を閉じた、その時、

「ぼやぼやしてんじゃねえよ」

三蔵の声で、意識が引き戻された。
そうだ…。
敵の攻撃をかわそうと、咄嗟に三蔵を庇うようにして廃屋の陰に隠れたんだった。

「どけ」

間近で見つめられて、

(っ!………)

胸の奥に痛みを覚えた。
まただ……またこんな………。

「あ……はいっ」

一拍遅れて返事をした僕の手を押し退け、三蔵は一目散に敵に向かって駆け出して行った。
僕は翻った袂を呆然と見送ることしかできず、暫しの間、その場を動けなかった。



――― 僕は、三蔵をどうしたいのだろう?



* * *



「気のせいだ」

昼間はどうしたのかと三蔵に訊かれた。
時々意識が飛ぶ事がある、と話したところ、返ってきたのは素気無い回答で…。

「気のせい…ですか?」
「そうだ」
「……」

僕はそれ以上、三蔵の前に心の闇を吐露できずにいた。
もともと、こんな気持ちを打ち明けるつもりなど無かったのだ。
言ったところでどうしようも無いことなのだから。
無言のままに、しばらく我慢していた。
それなのに、もやもやしたものが胸の中に巣食ってきて、どうにも居た堪れなくなった。

「三蔵……」
「ん?」
「……わざわざ言わなくてもいい事なのかもしれませんが」
「なら言うな」
「…そうですね」

間髪入れない物言いに、僕は思わず苦笑してしまう。
けれど、今はとにかく、この胸の内を吐き出してしまいたかった。
それが、エゴでしかないとしても。

「聞いてくれなくてもいいので、言わせてください」

黙っている三蔵の意識が自分に向けられているのを感じた。

「僕はいつか……貴方が思っているのとは違う裏切りをしてしまうかもしれません」

三蔵は、深く吸い込んだ煙草の煙を、長く時間を掛けて吐いた。

「俺には関係ない」
「……」

わかってるんですね、僕の気持ちが。
その上で、想いを寄せるのはこちらの勝手だと言うんですね。
僕をここまで追い詰めたのは、貴方だというのに……!

「この気持ちが、気のせいなんですか?」
「何が言いたい?」
「……いえ、別に」

―― 貴方がそう言うのなら、そう思わないといけないということなんですか……

「それでも…」

吸殻を灰皿で押し潰しながら出てきた言葉が途切れた。
そのまま袂に手を入れると、三蔵は腕組みしたまま開いている窓に目をやった。
僕は続きを沈黙で促す。

「おまえは俺を本当に裏切ることはできない、そうだろ」

窓枠で切り取られた空に向かって淡々と語る三蔵。
その声は穏やかで、放たれた言の葉はそよそよと吹いた風と共に、僕を撫でていった。

僕は緊張で息をするのも忘れていたようだ。
止まっていた呼吸が再開される。
大きく吸った息は、密かに溜め息となって吐き出された。

いっそ、拒絶して欲しかった…。
いや、それではこの先、絶望の淵に立たされたまま旅を続けなければいけなくなる。
できないわけではないが、それはとても辛いものだろう、今の僕にとっては。
もしかすると、貴方も……。

「やっぱり……狡い人ですね、貴方は」

聞こえているのかいないのか、三蔵はまた新しい1本に火を点けると、ゆっくりと燻らせている。
そして、外を見たまま、いつものようにコーヒーを要求してきた。
僕は、「はい」 と短く返事をして、席を立った。

その後、二人分のコーヒーを用意して席に戻った僕は、三蔵が見ているのと同じ方向に視線を向けていた。
特に意識した訳ではなく、自然と、気付かぬうちに。
それは、自分でも信じられないくらいの、ただひたすらに穏やかだったひととき。

僕は静かにコーヒーを味わった。
紫煙が風と共に踊っていた。



* * *



唐突に始まり、少々手間のかかった闘いがやっと終わった。
こちらに被害は無かったが、向かってくる数の多さには閉口した。

「お疲れさまでした」

ジープの後部座席に座って一服している三蔵を見つけたので、近付いて労った。
邪魔だと怒られるかと思ったが、何も言われないので横に並んで腰掛けた。

「今日はこのまま、ここで野宿ですね」
「そいつらを起こすのも面倒だしな」

そう言って、三蔵は吸殻を指で弾き飛ばした。

昨晩、徹夜で騒いでいたらしい悟空と悟浄は、疲れたと言って地面に寝転がっていた。
そのまま、いつの間にか寝息を立てている。
日が暮れてきたが、次の町まではまだ遠い。
自分たちも疲労感を覚えていた。
しばらくは何もしたくない。
二人が空腹で目覚めるまでこのままにしておこう、という考えはどちらも同じだった。

西の空では、沈みかけた太陽が断末魔のように、最後に一際赤さを増している。
ふと、肩に重みを感じてそちらに目をやれば、三蔵が瞼を閉じて僕に凭れ掛かって来ていた。
規則正しく上下する胸元。
眠ってしまった三蔵の顔を、夕日が赤く染める。
長い睫毛の影ができ、美しい顔はいつもよりも儚げに見えた。


キュッ……

やっぱり、胸の奥が痛い。
これは、癒えることはないのだろう。
貴方のそばにいる限り。


―― ちょっとでも動くと…起きちゃいますね……

束の間の神聖な眠りを妨げないように、息をするのにも気を遣う。

例え試されているのだとしても構わない。
どうしたって、僕は貴方に敵わないのだから。
貴方が僕に寄せる信頼は、それを裏切ってまで手にする官能よりも、僕を切なく酔わせるのだから。

手で触れられなくても、唇を寄せることが叶わなくとも、僕の横に貴方がいるという事実だけで。
その上こうやって、貴方を見つめる事だけは許されている。
一番近くで独占して。
それで、充分じゃないのか……。

他人からの接触は極端に嫌がるのに、貴方は無意識にでもそうやって僕を翻弄するんですね。
でも、嬉しいです。
僕を利用してくれて。
こんな安らかな様子の三蔵は滅多にお目にかかれないから。
起きてからの不機嫌さは、いつもの倍増しでしょうけど。

僕は、左肩に伝わる三蔵の温もりが身体に沁み渡っていくのを、思う存分堪能した。
このまま永遠に続けばいいのに、とちょっぴり思いながら。


―― この身体も心も、今は貴方の為にあると思うことで、僕は……


心の中で貴方の名を呼ぶだけで、胸郭の内部が引き攣ったように痛くなる。
この痛みだけは紛れも無い真実。
貴方と共に僕がいるという現実においての、それは大事な証(あかし)。

寝転がっていた二人が起きると、いつもの時間に戻ってしまう。
それまでの貴重なひとときを、僕は愛しい人の顔を斜め上から眺めることに費やした。
頭上で星が瞬いて辺りが暗くなっても、ずっと……。




熱冷まシー○を貼る三ちゃんが、白衣の天使に見えたのはオレだけでしょうか(〃T∇T〃)
以前遊亜さんに、誰かに三蔵の事をノロけまくる八戒vというのをリクエストしていたんですが
すごい切なく素敵に入れていただいて!感動しまくってしまいました///ウウ(∋_∈)//
傷つく三ちゃんの妄想が色っぽくて…///毎日楽しい怪我三ちゃん妄想(照)
って、切ないお話にヘンなコメントでスミマセン!(∋_∈)次の展開がまたワクワクなものでつい…


←三蔵サマCONTENTSへ

←SHURAN目次へ