三蔵様総受け

小説 遊亜様

『0909 <旧暦Ver.>』








「なあ、中秋の名月ってヤツから何日か経ったよな?」

八戒の買い出しに付き合っていた悟浄が、世間話の調子で話し出した。
三蔵と悟空は、先に食堂で休憩している。
腹減ったと騒ぐ悟空を見かね、八戒が気を利かせてそうさせたのだ。

「そうですね。 あの日はお月様が拝めず、残念でしたね〜」
「おうよー、せっかく月を肴にって思ってた飲み会が流れちまったからなー」
「部屋で飲むだけだと、いつもと変わりませんからね」
「そうなんだよ、何もオモシロクねぇっての」
「その割には、楽しく騒いでいたようですが」
「あれは猿の相手をしてやってただけ」
「それはそれは、お疲れさまでした」
「……って、そうじゃ無くてだな………」
「は?」
「だーかーらー、悟空もそわそわし始めてるみたいだしぃ」

(そわそわと落ち着かないのはアナタもでしょ、悟浄)

悟空をダシに話を振ってくる悟浄を、八戒は内心面白がって見ていた。

(そういう僕も、実は楽しみにしてるんですけどね)

声には出さずに微笑みだけ見せ、そして、

「ええ、そろそろですね、旧暦の九月九日」

と、悟浄の待ち望む返答をした。

「だよなっ?」
「来週の金曜日です」
「うぉっ、もうすぐじゃねーか!」
「今度は三蔵も警戒するでしょうから、隠密に事を運んでも無駄なので、堂々と用意しましょう」
「そりゃ構わねーけど…、で、用意って前と同じにすりゃいいのか?」
「菊花酒は作りましょうね。 三蔵にも好評だったみたいですので」
「今なら菊もアチコチで咲いてるしな。 それは問題無いと」
「ただ、三蔵の髪を飾るのは、もう難しいでしょうね〜。 どんな飾りを作っても即座に却下されそうですし」
「んじゃ、どうすんだよ」
「実は、重陽の節句に行う風習がまだあるんです」
「何なに? 面白そうなヤツ?」
「それは―――」

八戒の言葉を聞いた悟浄の目尻が、だらーっと垂れ下がった。
そのまま、トリップしたかの如く、妄想の世界に入り込んでいる。
その隙に八戒がとある薬屋で済ませた買い物については気付かなかった。
戻りましょう、と声を掛けられるまでずっと、ほけーっと突っ立ったままだったので。

悟浄にとっては、その間が一番うっとりと過ごせた時間だったのかもしれない。
本当の重陽の節句を迎えた一連の出来事の中で。



 ◎ ◎ ◎



悟空が 「ちょーよー!」 だと騒いだあの日、宴会の終わりを待つまでも無く、三蔵は後悔の念に囚われていた。

(迂闊だった……)

赤い実を付けた蔦の輪を差し出された時、何故か少しの間だけなら構わないかと思ってしまった。
悟空の喜ぶ顔などはどうでも良かったが、初秋の気持ちの良い風がそうさせたのかもしれない。

頭に載せてみた次の瞬間からは全く気にならなかった。
存在そのものを忘れていたと言ってもいいくらいだ。
三蔵法師の正装として頭上に金冠を頂く場合がある為、頭部に何か載っている状態に違和感は無かったから。

だが、それが拙かった。

ずっとそのままで飲み続ける羽目になろうとは。
そんな自分の姿が酒の肴にされていたとは思いもしない。
けれど、三人の思惑に乗ってしまった形だったのが不本意なのだ。

もうすぐ、旧暦の九月九日がやってくる。
下僕たちはまた何か企んでいるのだろう。
飲むのは問題ない。
が、はっきり言って自分には構って欲しくない。
もう乗せられまいと決めた三蔵の眉間には、くっきりと皺が寄っていた。



 ◎ ◎ ◎


「ここを出発すると三・四日は野宿になりそうなのですが…」

新たな町に到着して宿に落ち着くとすぐ、八戒が三蔵に切り出した。
今夜もまた、四人部屋だ。

「何だ、いつものことだろうが」
「ええ、ただそうなると “例の日” が野宿とぶつかるので」

八戒が “例の日” と口にした時、悟浄と悟空が密かに目と目を見交わした。
そして二人して、三蔵がどんな反応をするのか、と息をひそめて成り行きを見守っている。
どこであろうと騒ぐのは変わらないが、三蔵が “例の日” を意識しているかどうか気になるのだ。

「それがどうした? その日までここで時間を潰したいなどとぬかすんじゃねぇだろうな」
「それもいいかな、とも思ったんですが」
「冗談じゃねぇ、残りたいヤツは勝手に残れ。 明日の出発は変わらんからな」
「そう言うと思ってました」

溜め息のような細い息を吐きながら、八戒は苦笑していた。
だが、モノクルの奥がキラリと光ったことには誰も気付いていない。

「では、今日のうちに買い出しを済ませておかなければいけませんね」

人差し指を立てて笑顔を向けた八戒はいつもと何も変わらない。

「余計なモンは買うなよ」
「旅に必要な物ですよ」
「ふんっ、どうだか」
「俺も手伝う!」
「ええ、荷物持ちお願いしますね、悟空」
「おうっ、任せとけ! 悟浄も行くだろ?」
「そうだな、ここで仏頂面と顔を突き合わせてんのもナンだしなー」

チッと舌打ちして三蔵が顔を背ける。
その後頭部を見ながら、三人は肯きあった。

「じゃあ、お願いしますね、三蔵」
「「「良い子はおウチで―――」」」
「とっとと行きやがれっ!!」

今回は、三蔵の方が反応が早かった。
最後まで言わせず、三人に向けて銃を構える。
しかし、怒りに任せて発砲したものの、既に人影は消えていた。
逃げるのに必死で閉める間も無かったのか、ドアが開きっぱなしだ。
その向こうでは、けたたましい笑い声と足音が段々と遠ざかって行くところだった。



 ◎ ◎ ◎



重陽の節句、前日。
今日はいくら進んでも次の町には辿り着けない為、適当な場所で野宿となった。

「…何だ、ここは……」
「野宿で構わないと仰ったのは、三蔵、貴方ですよ」
「それはそうだが…」

そこは、一面の菊の花畑。

「まさに、重陽の節句に打って付けの場所ですね」
「どうやって見付けたんだ?」

悟浄が期待に満ちた顔で訊いてくる。

「モバイルサイトで検索したエリアマップをダウンロードしておいたんです」

八戒の手の中には、小さな携帯端末が握られていた。

「……俺、おまえが何語喋ってんのか全っ然わかんねー」
「あはははは、まあ、それはいいとして、せっかくですから、ここで存分に楽しみましょう」
「すっげー匂い!」

悟空が花畑に近付き、鼻をひくひくさせて匂いを嗅いでいる。

「悟空、綺麗な花びらを集めてくれますか? それで菊花酒を作りますので」
「わかった!!」
「今から仕込めば明日には間に合うか」
「ええ、今夜でも飲めるかもしれませんね」
「そりゃいいなー、前夜祭ってな」

せっせと花を摘んでいる悟空を見ながら、悟浄が腕組みしたままニヤリと口端を上げた。

「ふんっ…」

盛り上がる二人を余所に、三蔵はひとり、少し離れた木の切り株に腰を下ろして煙草をふかしている。

「で、例のモノはいつ始めるんだ?」

悟浄が三蔵には聞こえないように八戒の耳元で囁いた。

「夜が更けてからにしましょう」
「了解、っと」
「なあなあ、こんくらいでいい?」

意味ありげに笑みを交したところへ、悟空が戻ってきた。
外したマントに包んできた菊は、十分過ぎるほどの量だ。

「ご苦労様でした、悟空」
「えへへ、三蔵にいっぱい飲んでもらうんだもんな」

純粋にこの日を待ち望んでいた悟空にとって、三蔵の為に働けるのは何よりも嬉しい。

「では、あと少しがんばってもらいましょうか。 口にするものなので、綺麗に洗ってきてください」
「了解! あっちに川が流れてたから行ってくる!」
「二度目ですから、もう大丈夫ですよね?」
「任せとけって!」

実は、前回、色々と苦労があったのだ。
手伝うと張り切った悟空が菊の花びらを洗おうとしたところ、大雑把に扱ったのでほとんど排水溝に流してしまった。
せっかく花屋で調達してきた菊だったが酒に漬けるには量が足りず、新たに買い足す羽目になったのだ。
その失敗を踏まえて、悟空も慎重になっているらしい。
例え同じ失敗を繰り返しても、今回はいくらでも近くで手に入るのだから神経質にならなくても構わない。
しかも、タダなのだから。
けれど悟空は、集めた花を無駄にしないようにと、丁寧に一枚ずつ洗うことにした。
ただひたすら、三蔵の幸せを願って。



 ◎ ◎ ◎



「なあなあ、ちょびっと飲もうぜ〜」
「俺も気になってんだ!」

焚き火を囲んでの賑やかな夕食が済み、あとは眠くなれば寝るだけとなった頃、悟浄と悟空が強請り始めた。
目的の品は、明日の為にと仕込んだ菊花酒。

「じゃあ、ちょっとだけですよ」
「おっしゃー!」
「わーい!!」

ジープの後部座席に転がせておいた何本もの酒瓶のうちから、八戒が一本を取り出してきた。

「どうですか?」

手渡された悟浄が栓を抜き、瓶から仄かに立ち上る香りを思いっきり吸い込む。

「うぉっ、前のよりいいんじゃないの〜!」
「どんなどんな?! 俺にもー!」
「未成年はダ〜メ」
「匂い嗅ぐだけだからー!」
「一番の功労者は悟空ですからね、香りだけなら構わないでしょう」
「飲むなよ、てめぇ」

悟浄が軽く睨みを効かせつつ、持っていた瓶を悟空の鼻先に近付ける。
すると、くんくんと香りを確かめていた悟空が、驚いた表情になった。

「すっげー! もうこんなに匂いするー!!」
「だろ〜? すげーよな、やっぱ野生はパワフルだわー」
「どれどれ」

悟浄から瓶を受け取った八戒は、目を閉じて、くん、と香りを吸い込んだ。

「なるほど、これは見事ですね。 もうすっかり完成の域に達していると言っても過言ではありませんね」
「だよなっ! なら、もう飲んでもいいんじゃねーの」
「でも、“ちょーよー” は明日だろ?」

悟浄に飲まれてしまっては大変と、瓶を持った八戒を守るかのように悟空がその前に立ちはだかる。

「細けーこと言うなっての。 三蔵も飲めば文句無ぇんだろ?」
「そりゃ…そうだけど…」

実のところ、予想以上の見事な出来映えを、すぐに三蔵にも知って欲しい気がしていた。
飲み続けていれば、そのうち日付も変わるだろう。
ならば、当日に飲んだのも一緒だ。
そう思った悟空は、「三蔵が飲むなら」 と悟浄に念を押して、渋々ながら承諾した。

「決まりだな」

親指を立ててニヤッと笑みを浮かべた悟浄が三蔵の側へと歩み寄った。

「三蔵様〜。 ……って、あれ、もう寝てんの?」

騒がしさも耳に入っていなかったのか、三蔵は火の前でこっくりと舟を漕ぎ出している。

「おーい、三蔵ぉ〜〜〜。 三ちゃ〜〜〜ん♪」
「!」

揺り起こそうと肩に手を掛けた瞬間、銃口が悟浄の額に当てられた。

「おわっ!!」
「…何か用か?」

慌てて飛び退いた悟浄を睨みながら、三蔵が地の底を這うような低音を響かせる。

「三蔵、寝るならちゃんと寝ないと」

八戒が三蔵の横に腰を下ろして口を挟んだ。

「そんなところでうたた寝してたら風邪を引きますよ」
「ほっとけ…」

投げ遣りに返事して銃を懐に仕舞う三蔵に、八戒が猪口を差し出す。

「もう寒くなってきましたから、寝酒なんてのは如何ですか?」
「寝酒?」
「ええ、身体が温まりますよ。 今夜はとびきりのお酒もありますし」
「あ?」
「明日は本当の重陽の節句じゃないですか。 それで、悟空が頑張って菊花酒を作ったんです」

炎の向こうでは、悟空がキラキラと目を輝かせながら三蔵を見つめていた。

「なら、明日飲めばいいだろうが」
「できたてを貴方にも愉しんでもらいたいんです」

一杯くらいいいでしょ、と八戒が小声で三蔵にだけ聞こえるように言う。
チッと舌打ちして、三蔵は猪口を受け取った。

「一杯だけだぞ」
「待ってください、せっかくですから皆で乾杯しましょう」
「…早くしろっ」
「はいはい」

機嫌が悪いのを隠そうともしない三蔵を軽くあしらって、八戒は悟浄と自分用にも菊花酒を注いだ。

「悟空には、この特製菊花水を」
「うん!」
「何だそりゃ?」

三蔵が訝しげに見たのは、菊花酒が入っている酒瓶と同じ形の瓶。

「酒…じゃねーのか?」
「ええ、中身はお水です」
「はあ?」

悟空用には、別に飲料水が用意されていた。
ただの水でも、一応、菊の花びらを浸していたので、香りは同じだけ付いている。

三蔵が酒を飲む時、気分だけでも一緒の雰囲気を味わいたい。
そんな密かな願いを知った八戒は、悟空にも小道具を一揃い用意してやったのだ。
八戒から酒を勧めるかのような酌をしてもらった悟空が、大事そうに猪口を両手に載せている。

「準備はいいですか? では」
「「「乾杯〜!」」」

三人の声が揃った横では、三蔵がふんっと鼻を鳴らして肩を揺すらせていた。
だが、杯を口の近くに持って行った瞬間、動きが止まった。

この香しさは何だ。
前に菊花酒だと言われて呑んだ酒よりも数倍良い香りがしている。
一口、含んでみた。
味は元々の酒と変わらない。
だが、口いっぱいに、そして、鼻腔から抜ける菊の香りが、何とも言えぬ風情を感じさせる。

くいっと飲み干した。
喉元を通った後も、口の中でまだ香りが残っている。
ほお、と三蔵は声には出さず感心した。
そこへ、八戒が二杯目を注ぎ足そうと酒瓶を近付けてきた。

「どうです?」
「悪くねぇな」
「でしょ」

柔らかく微笑んで、再び杯を満たす。
中の菊花が溢れ出さないようにと、注ぐ時には割り箸で注ぎ口の一部を塞いでいた。
しかし、そこをすり抜けて花弁が一片(ひとひら)流れてきた。
猪口に浮かぶ、菊の花びら。
三蔵が手元を見つめていると、前方から視線を感じた。

(悟空……)

「俺も一緒。 三蔵と一緒」

伸ばした腕の先には、同じ猪口に同じように花弁が浮かんでいる。
悟空の頬が薄っすらと赤く染まって見えるのは、焚き火のせいばかりでは無いのだろう。

「水でいい気分になれるとは、安上がりだな」
「俺も早く大人になって、三蔵と飲みたい」
「飲んでんじゃねーかよ、今だって」
「えへへ、そうだな」

嬉しくて堪らないといった風に顔を綻ばせて、悟空がぐいっと猪口を空けた。
三蔵も同様に杯を傾ける。

「飲み比べなら負っけないよ〜ん」
「うわっ、ひっつくな悟浄!!」

今まで黙って大人しく飲んでいた悟浄も、気分が良くなってきたのか悟空を構い出した。

「まあまあ、お酒はまだまだありますから、秋の夜長をゆっくりと愉しみましょう」
「おめーも遠慮しないで飲めよ〜」

悟空にヘッドロックをかましつつ、悟浄が八戒を見遣る。

「ええ、頂いてますよ」

ニコニコと、いつもと変わらない笑顔の八戒の足元には、既に空の酒瓶が一本転がっていた。

(ペース早ぇっ!!)

ツッコミは心の中だけに留めた悟浄だった。



 ◎ ◎ ◎



少しの味見のつもりが、かなり飲みまくってしまった。
多目に用意していた酒も、残り少なくなっている。
皆、騒ぎ疲れたのか、会話が途切れて静かになった時、八戒がふと空を仰ぎ見た。

今宵は上弦。
これから半月が少しずつ満ちてゆく。

十三夜の月見はどうしようか。
中秋の名月に対し、この日の月見は “後の月見” と呼ばれている。
ところに拠ってはそんな風習もある、と教えれば、きっとまた飲み会だと大騒ぎになるだろう。
十五夜の月は見られなかったから、片見月は縁起が悪いと言っても聞くような人たちでは無し……。

「!!」

八戒が物思いに耽っている途中、突然、肌がざわついた。
そっと顔を戻すと、あとの三人と視線がぶつかる。

「(チッ、面倒だな)」
「(昼も夜も関係無いんですね)」
「(せっかくいい気分だったってのによー)」
「(さっさと片付けちまおうぜ!)」

「見付けたぞ、三蔵一行!!」
「っしゃー! かかって来やがれっ!!!」
「へ? うわ〜っ!!」

不意を突いて襲ったつもりの妖怪たちだったが、四人はとっくに気配に気付いていた。
次々と飛びかかって来る輩を、それぞれ薙ぎ倒していく。
酒が入っているのは不利にはならず、返ってハイテンションで敵を仕留めているようだ。
尤も、悟空が飲んでいたのは水だったので、彼だけは眠気との勝負の方が勝っているらしいのだが。

「これでラストー!」

悟空の雄叫びが響くと、辺りは急に静かになった。
が、

「あっ!!」

一瞬の静けさは、悟空の叫び声で再び破られた。

「どうしよ、花が…」
「あっちゃー、なんてこった…めちゃくちゃじゃねーかよ……」

妖怪も四人も辺り構わず暴れた為に、美しく咲き乱れていた菊の花畑が悲惨な状態へと姿を変えていた。

「せっかく…せっかく僕が苦労してこの場所を探してここまで来たというのに……」
「お、おい、八戒?」

温厚な八戒が、拳を震わせている。
身体全体から滲み出す怒りのオーラに、悟空と悟浄は思わず後退りした。

「目障りだ、ソレを何とかしろ」

三蔵が指示したのは、妖怪の残骸。

「言われるまでもありません」

そう呟いて、八戒は掌に気を溜め始めた。
そして、

「どいててくださいっ!」

と叫ぶと同時に、溜めていた気の塊を一気に放出して辺りを薙ぎ払った。
妖怪も菊の花も、何もかも全てを。

「あらら……」
「うわあ……」
「ふうっ、これですっきりしましたね」

呆然としている二人を余所に、八戒はどこか清々しくも見える顔をしている。

「すっきり……し過ぎなんじゃねーの?」
「なーんも無い……」

跡形も無く更地のようになった場所を見て、悟浄はガックリと肩を落とした。

「あ〜、せっかくの菊の節句が〜〜〜」
「しょーがねーじゃん、悟浄。 菊花酒は飲めたんだから、それでいいだろ?」
「そ…そうだな……」

(そっか、コイツは知らないんだった)

そう、重陽の節句の裏イベントを。
あの日、旧暦の九月九日がもうすぐだという話になった時、八戒は悟浄にこう言ったのだ。

『実は、重陽の節句に行う風習がまだあるんです』

思わせ振りな八戒の様子に、悟浄は心が浮き立つのを押さえられなかった。

『何なに? 面白そうなヤツ?』
『それは―――』

それは、「菊の着せ綿(わた)」という風習らしい。
前夜のうちに菊の花を真綿(まわた)で覆っておき、香りと花に溜まる露をその綿に移すのだ。

『菊の露で濡れた綿で肌を撫でると、若さを保つことができると言われています』

当日の朝、その綿で身体を拭う行為で、老を棄て長寿を保つと信じられていたのだろう。
菊には延年の功能があるとされたことから、菊花酒と共にそういった行事が行われたようだ。

(濡れた真綿で、三蔵の白い肌を……)

八戒の声を聞いていた悟浄は、しっとりと濡れた三蔵の肌を思い浮かべて脂下がっていた。
自分が手を出さなくても構わない。
いやもちろん、させてもらえるならこの上無い喜びだが、それは無理な話。
ならば、優雅な仕草で身を拭う三蔵を目にするだけも、こちらの寿命が延びるというもの。
飾り立てに未練が無いとは言えないが、一応前回、目の保養はできたので、今回は脱がせる方向で。

(…って、脱がせるって…そんな大胆な…って、いいのか…いや、俺がやるってんじゃ無し………)

勝手に赤くなって落ち着かない仕草の悟浄を、八戒は冷静な眼差しで見つめていた。
今の八戒がその時と同じ目の色になっている事実を、悟浄は知る由も無い。

「ま、ちょーよーは来年もやって来んだからさ」

残念なことに変わりは無いが、元気出せよ、と悟空に諭され、悟浄はしおしおと肯いた。

「動き回ったら喉が渇いたー」

そう言って悟空がジープに近付き、まだ何本か並んでいた瓶の一本に手を伸ばす。

「あっ、悟空、それは……」
「んぐっんぐっ…ん?! 何…これ、お酒〜?」
「あーもう、悟空用のお水はこっちの橙色でしょ。 それは赤です」

慌てて悟空の手から瓶を取り戻した八戒は、すぐに栓をし直した。

「なんれ〜、お酒は印がついれにゃい瓶らろ〜?」

三蔵と酒を愉しんでいる気分を味わいたいと言う悟空の願いに気付いた八戒は、同じ形の瓶を用意してやった。
それで、間違わないようにと、悟空用の水を入れた瓶には目印に栓を橙色に塗っていたのだ。
酒用と自分用しか無いと思っていた悟空は、赤い印の瓶の存在を知らなかった。

「その赤は、特別なんです」
「何だ、赤だの橙だのって…って、悟空、おまえ酔っ払ってんの?」

まだ怨めしそうに八戒を見ながら、溜め息をつきつつ会話に参加してきた悟浄が、驚いた顔で悟空を見た。

「何かふわふわしてるにょ〜」
「おい、何で猿に酒なんて飲ませたんだよ」
「飲ませたんじゃなくて、事故なんですよ」
「はぁ?」
「悟空が目印を間違ってしまって…」

こっちが水だったんですけどね、と掲げているのは橙色の栓の瓶。
もう片手に握っていたのは、赤い栓がされてある瓶。

「こんな炎の前じゃ、見分けつかねーって」
「言われてみればそうですね」

八戒が悪びれもせずに答える。

「で、こっちは?」

悟浄が赤い方の瓶を八戒から奪い取ると、しげしげと眺め回した。

「その赤は、最後の一本、って意味の印だったんです…」
「へ?」
「飲み始めたら際限が無いでしょ? だから、酔っ払ってしまってもこれが最後だとわかるように、と思って…」
「おまえはいっくら飲んでも酔わねーじゃねぇかよ。 いっつも平気な顔しやがって」
「だから、悟浄と三蔵用の目印、ってことで」

あはは、と頭を掻きながら渇いた笑い声を立てている八戒を、黙って聞いていた三蔵もじろりと睨んだ。

「おーい聞いたかー、三蔵様〜。 俺たちの為に用意してくれたんだとよー」
「そりゃあまた、過ぎた気遣い、痛み入るな」
「だろ〜、なら飲んで差し上げねーと悪ぃよなー」
「そうだな、コッチもやってられんな」

いい気持ちで酔いが回っていたところに突然邪魔が入った。
これで不機嫌になるなという方が無理だ。

「注げ」
「ご返杯♪…ってやってくれる?」
「コレでよければな」

杯を持った手と同時に小銃を握った腕が伸ばされた。

「いやっ、ソレは遠慮しときま〜す……」
「僕がお注ぎしましょう」

もたもたしていた悟浄の手から酒瓶を取り返した八戒が、淀み無い動作で三蔵の杯に酒を満たす。
菊花が溢れないように気遣いながら。
それも、もう慣れたもの。
続けて、悟浄にもその酒を勧めた。

促されるままに口をつける二人。
ごくん、と液体が喉を通ってゆく。

「あれ…なんかクラクラする……」
「そりゃ、散々飲んで、それから暴れたんですから、とっくに酔いが回っていたんでしょう?」

上半身がふらついている悟浄の杯に、八戒が再び酒を注いだ。

「あとは静かに過ごせると思いますので、気兼ね無くどうぞ」
「お、おう…貰うぜ…」

二杯目を飲み干し、おまえも、と言いかけた悟浄の手から杯が滑り落ちた。

「何だ、もう潰れたのか? 口ほどにもねぇヤツだな」
「これで本当に静かになりましたから、三蔵もゆっくり飲んでくださいね」
「ああ…………!?」

悟空は既に眠りこけている。
悟浄も、寝息を立て始めた。
その二人に毛布を掛けてやっている八戒の背中に、三蔵の声が突き刺さる。

「おまえ……っ」
「どうしました?」
「何……」

入れやがった、と最後まで言うことができず、三蔵の手からも力が抜けてゆく。
杯が斜めになり、中の酒が零れた。
ぐらっと傾いた身体は、地面に倒れ伏す寸前に八戒が差し出した腕で抱き止めた。

「幾分、段取りは変わってしまいましたが、思い描いた通りの展開になりましたね。 予定調和というべきか」

八戒の口元に妖しい笑みが浮かぶ。

「では、愉しみましょうか、重陽の節句を」

三蔵の身体を軽々と横抱きにすると、八戒は焚き火から離れて木立の向こうへと歩き出した。



 ◎ ◎ ◎



広げた脚の間に座らせ、立てた片膝に背を凭せ掛ける。
髪に触れても、頬を撫でても、三蔵は目を覚まさない。

「三蔵、貴方に触れられるのは、僕の特権だと思ってもいいですよね」

八戒がうっとりとした表情で三蔵の法衣をずらせてゆく。
細いが筋肉質の肩が露わになった。

「僕は臆病者なんです。 だから、理由が無ければ行動に移せない」

誰も見ていなくても、衝動的に事に及ぶのは己自身が許せない。
だから…。

「本当はこれって、主に高貴な女性が自分でやっていた風習らしいですが」

いいですよね、と囁いて、そばで咲いている菊に被せていた真綿をひとつ手にする。
そして、しっとりと露を含んだその綿で、三蔵の顔を優しく撫でた。

夜が明け始め、次第に周りの様子も見えてきた。
青白い色に覆われていた風景と三蔵の顔が、少しずつ本来の色味を取り戻していく。

「貴方の幸せを、僕も願っています」

悟空が抱いている想いと比べようとは思わない。
自分なりに三蔵を想う、それでいいではないか。

いつまでも気高く美しくあって欲しい、との願いも込めて、八戒は三蔵の肌を拭っていく。
取り敢えずは、晒されている部分だけ。
顔が終わると、肩を、ニの腕を、そして指先の一本一本を…。

二人のそばには、まだ何本か着せ綿をされた菊が存在していた。
ここは、ばたばたと野宿の準備をしていた時、八戒が密かに目を付けた場所。
ひっそりと咲いている花々を見付けたけれど皆には知らせず、自分だけの秘密にしておいた。
一面に咲き誇っていた花畑が無くなってしまい、近くで見られる菊はもうここだけだ。

夜更けになる前、酒の補充と称して席を立ったついでに、着せ綿も済ませておいた。
離れた処だったから、妖怪との戦いでも荒らされずに済んだ。
もちろん、自分が放った気功はここの菊には当たらないように気を付けた。
だから今、こうして真綿を通して三蔵の肌に触れられる。

相手の意識が無いからといって、無体な真似はできない。
キスくらい……と思わぬ訳でも無かったが、そこまでは行動に移さなかった。

「焦る必要はありませんからね」

まだまだ旅は続く。
三蔵に対する気持ちが今後どう変化していくかは、自分でもわからない。
冷めることは無いだろう。
ならば、どこまで膨れ上がるのか。

「僕も興味津々です」

それまで、お楽しみは取っておいて。

三蔵の肌をひとしきり堪能してから、法衣を元に戻すと、その身体を再び抱きかかえてジープへと連れ戻った。
助手席に座らせ、包み込むように毛布を掛ける。

まだ目覚めそうに無いのを確認して、金糸の髪にそっと唇を寄せた。
三蔵からは菊のいい香りがする。
離れ難い想いを無理矢理断ち切って、八戒は悟浄と悟空が寝ている方へ近付いた。

焚き火がもう消えそうだ。
夜明けの冷え込みを凌ぐ為、小枝をくべて火の勢いを取り戻させる。
そのまま火の番をしようと、八戒は座り込んだ自分の身体も毛布でくるんだ。

「徹夜明けで運転ですね、気を付けないと」

苦笑している八戒だったが、その瞳は満ち足りた色に彩られていた。



 ◎ ◎ ◎



「ちっくしょー」

思った通りになど、なかなか事は運ばないもの。
悟浄は今回もまた、それを身をもって知ることになった。
だが、裏イベントが流れてしまった事実を嘆くよりも、今は身体の不調を何とかしたい。

「俺って酒弱くなったんかな〜」
「ううう、頭痛ぇ……」
「二人とも二日酔いですね」

起きてからのろのろとジープの後部座席に乗り込んだ悟浄と悟空だったが、二人共かなりぐったりしていた。

「こういう時は、水分をたくさん摂って、アルコール分を出してしまうに限ります」
「喉乾いてる〜〜水欲し〜〜〜」
「はい、どうぞ。 二日酔いの薬も一緒に飲みますか?」

八戒が、常時携帯している薬用のポーチから錠剤を取り出す。
その時ちらっと見えた赤い薬包は、さり気なく奥へと押し込んだ。
“睡眠薬” と書かれていた文字は誰の目にも入っていない。

「それって効くのか?」
「さあ、生憎、僕は経験が無いので、その質問には答えられませんね」
「………一応、もらっとく」
「俺もちょーだい……」
「はい♪」

いそいそと世話を焼く八戒をじっと見ていた三蔵だったが、ふと目が合った時、つい口が動いた。

「八戒…」
「はい?」
「……いや、何でもねぇ……」
「はあ…」

訊けない。
最後に飲んだあの酒には、何が入っていたのか。
あの後、自分はどうなったのか。
…などとは。

目が覚めたのはジープの上だ。
少し酒が残っているくらいで、他に変わったところも無い。
ならば、何も無かったのか…。

いや、いつもと違うことがひとつだけあった。
自分の周りで菊の香りが漂っているような気がするのだ。
もう、辺りに菊の花は咲いていない。
ならば、香りが運ばれて来ている、というわけでも無い。
けれど、確かに香っている。

(昨夜、菊花酒を飲み過ぎたからか?)

三蔵は無理にでもそう思い込もうとした。
それ以外の可能性は思いつかなかったから…。

「そろそろ出発して構いませんか?」
「元気だなあ、八戒さんよぉ」
「ううう、あんまり揺らすなよ…」
「ヤバイと思ったらすぐに言ってくださいー!」
「わかったから、大きな声は……」
「あはははは、スミマセン」

へばっている悟浄と悟空ほどでは無いものの、三蔵は自分も二日酔いだと認めざるを得なかった。
だが、そうとは態度に出さないようにして、ただじっと助手席に座っている。
甲斐甲斐しく構われるなど、真っ平御免だから。
しかし、後ろの二人と同じく、八戒の元気な声は頭にガンガンと響く。
どう強がっても、それは止めようが無い。

「おまえ、やっぱり性格悪くなってんな…」
「そうですか? ま、いいじゃないですか」
「……」
「トばしますから、気を付けてくださいねv」

青い顔の三人を少しだけ気に掛けながら、徹夜明けとは思えない元気さで八戒はジープのアクセルを踏んだ。
朝日を背にし、西を目指して。

天高く馬肥ゆる秋。
食欲の秋、とも意味が取れそうな長閑な言葉に聞こえるが、実際は違う。
本来は、
『秋になると夏の間に青草を食べて元気を回復した馬に跨り、強敵が攻めてくるから用心せよ』
という意味。

強敵は身近に居たりするモノでもある。
どんな状況でも、用心するに越したことは無い……。









うあああっ
今回もまたまためちゃ面白かったです〜!!
ありがとうございます遊亜さん(はあと)
悟空はあいかわらず可愛くて、そんなゴクをダシに使いまくる
大人気ない8さんと5ジョたんがやっぱり可愛くて(〃∇〃)
八戒さんはやっぱりモバイルとか最新機器は扱ってそうです!(笑)
流されまいと頑張ってる三ちゃんもうたた寝してる三ちゃんも
何もかもが可愛くて///
まだまだ世の中には素敵なイベントがいっぱい!
三蔵様は毎日が大ピンチなのです(≧∇≦)//
また続編楽しみにしています!!

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