遥か天竺を目指す旅。
三蔵一行は途中立ち寄る町で物資の調達をしながら、ひたすらジープを西へと走らせていた。
「三蔵、今日はここで一泊しましょうか」
「ああ、そうだな」
訪れたのは、大都市とは言えないものの、そこそこ賑わっている町だった。
通りには大勢の人々が行き交い、店もびっしりと立ち並んでいる。
宿もすぐに見つかった。
しかし、確保できたのは四人相部屋のひとつだけだった。
「ちっ、今夜くらいはそのむさ苦しい面を拝まずに済むと思ったんだがな」
「そりゃこっちの台詞だってーの」
「まあまあ、ベッドで眠れるだけでも有り難いんですから」
「なあ、早く行こうぜっ!」
売り言葉に買い言葉で、睨み合い、牽制しあっている三蔵と悟浄を余所に、悟空は八戒を急かした。
この町を抜けると、また二・三日は野宿が続く予定だ。
だから、食糧や日用品などを買い足しておかなければいけない。
買い物。
それは悟空にとって楽しいひとときだった。
店先に漂う食べ物の匂いを嗅ぐだけで幸せになれる。
尤も、いつも匂いだけで我慢できているわけでは無かったが。
「三蔵は残るんだろ?」
当然、といった調子で悟空が訊く。
三蔵が荷物持ちなどするはずが無いのは十分承知している。
それは、買い食いを狙っている悟空にとっても好都合なのだ。
「このお偉いお坊様は、箸より重い物をお持ちになられたことなどございませんでしょうからね〜」
「今度、銃やハリセンの重さを計ってみましょうか」
「うひゃひゃひゃひゃ、羽みたいに軽い特別仕様だったりしてな」
悟浄のからかいに八戒までもが参加している横では、三蔵がふんっと鼻を鳴らしていた。
「じゃあ、お願いしますね、三蔵」
「「「良い子はおウチでお留守番♪」」」
「っ!………」
声を揃えて言うと同時に慌てて扉を閉めた三人は、ぎゃはははと笑い声を立てて騒がしく走り去る。
部屋の内側では、投げ付けようとした湯呑みを握ったままの三蔵の肩が、ぷるぷると震えていた。
◎ ◎ ◎
「あーはっはっはっはっ、何度やっても飽きないね〜、三ちゃんいじりは」
「ほどほどにしておかないと、そのうち命に関わりますよ」
「って、八戒だって結構ノッてたじゃねーか」
「まあ、お楽しみは全員参加ということで」
「言うねえ」
「あ、悟空! あんまり遠くへ行かないでくださいねー」
気楽な調子で話をしている悟浄と八戒から離れ、悟空はひとり屋台を物色している。
あちこち覗き込んでいたが、やがて美味しそうな匂いに釣られて立ち止まった。
「ねえ八戒〜、これ食いてー!!」
「三蔵にばれないように、少しだけですよ」
「う〜ん、あっちもウマそうだし、こっちも捨て難いし…」
「もうすぐ夕飯ですから、どれかひとつにしましょうね」
「どうしようかな………、あーっ! この桃まん、でっけー! すっげー!!」
頭よりも大きな桃饅頭を見付けた悟空は、その前から離れない。
「それはお祝い事に使われるお饅頭ですね」
「へえ、そうなんだ」
「この大きさは見事ですね、中に小さなお饅頭が九十九個も入っているみたいですよ」
「中も饅頭?」
「ええ、この大きな桃饅頭と同じ形のミニチュア版がごろごろと…」
「九十九…九……」
「どうしました?」
いきなり、悟空が何か考え込んだ表情になった。
「どした、お猿ちゃ〜ん、そんなに頭を使ったら熱が出んぞ〜」
「うっせーなー、悟浄もたまには頭を使えってんだ」
「本当にどうしたんですか?」
「あのさ、質問があんだけど」
「何でしょう」
八戒が穏やかな笑みを浮かべて悟空を促す。
「お正月は一月一日だろ、三月三日は雛祭り、五月五日は子供の日、七月七日は七夕で……」
「あ〜、どの日も酒盛りしたっけ、楽しかったな〜」
単調な旅にも変化をつけようと、八戒は時々悟空に 「今日は○○の日なんですよ」 と教えている。
季節の行事を楽しむ余裕は悟浄も大歓迎で、いつも決まってその日は、さながら宴会の如く盛り上がった。
その日の本来の意味やしきたりなどとは関係無く、ただ騒いでいるだけなのだが。
悟空が挙げた以外にも、大騒ぎになった日は数多い。
花祭りや誰かの誕生日、などなど…。
つまり、何やかやとかこつけて、飲み食いできるチャンスにはとにかく積極的なのである。
呑むだけならいつもと変わりない。
ただ、それだけのこと。
だから、三蔵も特に止めもせず、勝手にしろと言いながらもそれらの飲み会に付き合っていた。
「それで?」
逸れかけた話を八戒が元に戻した。
「九月九日ってもうすぐだけど、何も無いの?」
「そういや、そろそろ次の行事が欲しい頃だよな」
「いいところに気が付きましたね、悟空」
知的好奇心に溢れている悟空を見た八戒は、教え子の成長を見守る優しげな教師の顔になっている。
褒められた悟空は、「えへへ」 と照れくさそうにしながら次の言葉を待った。
「九月九日にも行事はあるんですよ」
「そうなの?」
「ええ、“重陽の節句” と言います」
「ちょーよー?」
八戒は久々に教壇に立った気分で説明を始めた。
「 “重陽の節句” には、野に出て丘に登り、そこで酒宴を催す風習があったそうです」
ぴくん、と悟浄の触覚が動いたかに見えた。
「その時、髪に赤い茱萸(しゅゆ)の実のついた枝を挿すんですよ」
紅い瞳が真剣味を帯びている。
「茱萸というのは春に花が咲き、その花は三蔵の金糸の髪のような美しい黄金色というか黄色もあるんです」
「へえ……」
「秋になって実を結び赤く色付いた枝を、この行事に使います」
(金色の三蔵が、赤く色付く…)
八戒の声を聞きながら、悟浄は花祭りの三蔵の姿を思い浮かべていた。
黄金で装飾された光り輝く三蔵が、自分の腕の中で頬染めてほんのりと赤くなっていたことを。
「そして、菊の花を浸して香りを移した菊花酒を飲み、邪気を祓(はら)い長命を願ったとか」
「それいいっ、いい行事じゃねーかー! やろ、俺らも是非やろっ!」
八戒の説明をどのくらい理解したのか、その喜び具合からすると疑わしい部分がある。
実際、悟浄の脳内では、耳から入った言葉は勝手な妄想に拠って彩られたものに変換されていた。
『それは、“髪に赤い実の枝を挿して綺麗に装飾された三蔵” を眺めながら酒を楽しむ宴』
どんな姿を想像しているのか、既に鼻の下は伸び、口元は緩みきっている。
(食い付きましたね、悟浄)
八戒の瞳がキラリと光ったような気がした。
いや、それは太陽がモノクルに反射していただけだったのだろうか。
「それやったら幸せになれんの?」
「え、…ええ、まあそういう意味合いが込められているんでしょうね」
「三蔵も付き合ってくれるかな……」
八戒の説明を聞いて悟空が思ったのは、 “ちょーよー” とやらで三蔵が幸せになるかどうかだった。
「悟空が心を込めてお願いすれば、きっと大丈夫ですよ」
「おー、俺も応援するぜー!」
悟浄が抱いている邪な思いなど頭に浮かびもしない悟空は、援軍の登場に顔を綻ばせた。
「僕も協力します」
八戒もそう悟空に言うと、にこにこと微笑んでいる。
「悟浄、八戒、ありがとー!」
「まあ、賑やかな場は大歓迎ですから」
「おうっ、楽しくなってきたな〜」
「当日までに、色々と準備しなくてはいけませんね」
「何でも言ってくれよな! 俺、手伝うから!!」
「よろしくお願いしますね。 あ、悟浄もお願いしますよ」
「任せとけっ!」
悟空の頭からは、既に買い食い願望などすっかり抜け落ちている。
今は食べ物よりも心が躍る出来事が目の前に現われたので、それに夢中だった。
思いがけず、オイシイ展開になろうとしている。
自分がこの二人を誘導して巧くもっていけば、望み通りの光景が目の前に繰り広げられるかもしれない。
悟浄は、ついついにやつく顔を引き締めるのに必死だった。
そして八戒は、心の奥底にあるものはしっかりと隠したまま、ただ、何の含みも見せない笑顔を浮かべていた。
◎ ◎ ◎
三人の様子がどこかおかしい。
表立ってどう、というわけでは無いものの、何かこそこそと動き回っているとしか思えないのだ。
ジープが山に立ち入れば度々休憩を要求して、悟浄と悟空が連れ立ってどこかへと消える。
花畑を見つけると、何かを探すかのようにじっと眺めては落胆の声を上げている。
だが、深刻な雰囲気では無く、すぐにいつもの陽気な後部座席に戻っていた。
とにかく、やけに楽しそうなのだ。
三蔵はいつもよりも余計に眉間に皺を寄せ、そんな三人の様子をじっと見ていた。
――― 何なんだ、一体……まあ、俺には関係無いがな
しかし、その思いとは裏腹に、三蔵は数日後、否が応でも巻き込まれてゆくことになる………。
◎ ◎ ◎
「天気がいいので、のんびり休憩しませんか」
ゆっくり走っても、今日中には次の町へ着けそうだった。
少々道草を食ったところで問題は無い。
三蔵は一服したかったせいもあり、深くは考えずに承諾した。
すると、まるでピクニックに行くかのような大荷物がジープから下された。
酒にジュースに料理に果物。
広げたシートに車座になると、それらが開いた中央に所狭しと並べられてゆく。
(てめぇら、いつの間に……)
軽く溜め息をついた三蔵だったが、喉も乾いていたので、勝手に始めるべく出された缶ビールに手を伸ばす。
その時、横に座っていた悟空がずいと近寄ってきた。
「三蔵、コレ、頭に付けて!」
「はあ?!」
悟空が差し出したのは、蔦で作った輪に赤い実が付いた枝を絡ませたモノ。
冠ほどで、丁度、頭に載る大きさだ。
「何の真似だ」
「あのさ、三蔵の髪に赤い実を付けたくて…、でも、三蔵の髪ってさらさらじゃん」
その言葉に、悟空の横に居た悟浄がぴくりと反応した。
(やっぱ、この猿がそれを知ってんのは腹立つ ……)
怒ったところで、悟空は悟浄よりも三蔵との付き合いが長いのだから仕方が無い。
眉頭が寄せられたのは僅かな間で、悟浄はすぐに納得したように肩の力を抜いた。
自分だって、三蔵の髪に触りたい。
許されるなら、存分に弄りたい。
けれど、それは命懸けの行為だ。
対面の三蔵を盗み見ながら、悟浄はそっと嘆息した。
隣のそんな様子を、八戒は見逃さなかった。
本人には気付かれ無いように視界の端で捉えると、いつもの微笑みが更に深くなる。
(僕だって知ってるんですよ、悟浄)
三蔵を介抱した際、手が髪に触れたのは一度や二度では無い。
だが、しっかりとその髪に手を差し入れたのは、三蔵の目に入ったゴミを取った、あの夜。
表情は変えないままうっとりとその場面を思い起こしている八戒の右耳に、三蔵の声が届いた。
「で、何だコレは」
一瞬、静かになった場に殴り込んだ声は、怒りを滲ませている。
「今日は九月九日だろ?」
「ああ、そうだが」
目を眇めながらも、三蔵が律儀に答えた。
「“ちょーよーのせっく” ってのをやる日なんだろ?」
「あ? そりゃまあそうだが、それは、きゅ―――」
「三蔵、いいんです」
何か言いかけた三蔵を遮って八戒が割り込んだ。
「悟空はこの日を覚えてから、とても楽しみにしてたんですよ」
「そんなことはどうでもいい」
「どうでもいいって何だよー」
「それより、コレは何なんだ」
三蔵は、まだ悟空の手にあるままの物を睨み付けるように見た。
「三蔵様を綺麗に飾り立てる為に、小猿ちゃんが頑張って作ったんじゃねーか」
「はあ?」
悟浄の軽口に、三蔵の眉間の皺が一層険しく寄せられた。
「何がしてぇんだ、てめぇら」
「ほら悟空、ちゃんと説明しな」
三蔵の抵抗は予想できていた。
だから、その対処についても、前もって練習済みだったのだ。
悟空は悟浄に向かってひとつ頷くと、三蔵に向き直って改めて手作りの輪を差し出した。
「俺! いや俺たち、三蔵に幸せになって欲しくてっ」
やや俯き加減でぎゅっと目を瞑ったまま、悟空が懸命に説明する。
「今日、赤い実を髪に付けてお酒を飲んだら幸せになれるって聞いたから、だから俺、…俺、三蔵に……」
練習通りとはいかなかったが、それでも三蔵を想う気持ちは伝わったのか。
紫暗の瞳が驚きで少し見開き、ぴりぴりしていた空気がどこか和らいだ。
「三蔵、悟空の気持ちを汲んでやってください。 彼は彼なりに一所懸命なんです」
学習意欲と努力を無駄にしないでください、とも言われ、三蔵は渋々といった様子でふっと息を吐いた。
「少しの間だけだぞ」
はっと顔を上げた悟空の頭にごつんと拳骨を入れてから、赤い実の輪を手に取る。
「すぐに捨てるからな」
「うん、それでもいい! それ頭に載せて、ちょっとでもお酒を飲んでくれたら、それで構わねー!」
取り合ってくれないかもしれない、という最悪の状況にはならずに済んだ。
それだけでも、悟空は苦労が報われ、幸せいっぱいだった。
悟浄はその遣り取りをじっと見守っていたが、三蔵が承諾した時は心の中でガッツポーズを作っていた。
望んでいた通りの展開。
これほど上手くいくとは。
(よっしゃーーーーっ!!)
三蔵がその輪を頭に戴いた時は、想像以上の美しさに感極まって思わず出そうになった言葉を飲み込んだ。
(あー、生きてて良かった〜〜〜!)
花祭りの時の華麗に装飾された三蔵は、いつもの姿からはかけ離れていたが、息を呑むほどに美しかった。
だが、今、目の前にいる三蔵は、慎ましやかなのにそれに匹敵するほどで。
ただ、頭に赤い実の冠が載っているだけ。
僅かに頬を紅潮させているだけ。
それだけなのに、この官能的な美しさはどうだ。
普段でも人目を惹く見事な金糸の髪に、素朴な赤がよく馴染んでいる。
いつものストイックな雰囲気にそぐわない赤い色が加わっただけで、これほど艶めかしくなるものなのか。
唇に赤いソースが付いただけで興奮したこともあった。
あの時は偶然の出来事に心を奪われたが、今回は最初から飾り立てるのを前提にしている。
思い通りの、いやそれ以上の成果に、悟浄は神でも仏でも何でもいいから感謝したい気持ちだった。
「では、始めましょうか」
「そ、そうだな、早く飲もうぜ!」
見入っていたのを誤魔化すように、悟浄は八戒の声に即座に反応して缶ビールを持ち上げた。
大人はビール、未成年はコーラを手にし、缶を開ける。
「用意はいいですか、じゃ」
「「「乾杯〜!」」」
三人の声が重なった。
三蔵は黙ったままだったが、軽く缶を持ち上げるのには参加していた。
ごくごくと液体が喉を通る音が、それぞれの耳に響く。
まだ暑さは残るものの、晴れ渡った初秋の空はどこまでも澄んでいて気持ちがいい。
その空に向かって 「ぷはー」 と息を吐き出すと、暫し旅の目的を忘れそうになる。
だが、長い長い旅の途中、戦いが日常となっている日々の中で、こんな一日があってもいいだろう。
悟空は目的が果たせたので安心したのか、あとは調達した惣菜を次から次へと頬張っていた。
時々、三蔵の頭に目をやっては得心した表情になっている。
それに気付いた三蔵と眼が合うと、満面の笑みを見せて、嬉しいのだと身体全部で表現した。
悟浄は、悟空と食べ物の取り合いもせずに、正面にチラチラと視線を送りながら酒を楽しんでいる。
今日ばかりは、目の前の “作品” だけでお腹がいっぱいなりそうだ。
三蔵が頭に載せている輪は、悟浄の提案によるもの。
赤い実の枝を三蔵の髪に挿すのは難しいかも、と八戒に言われて悩んでいた悟空に助け舟を出したのだ。
『王冠みたく輪っかにすりゃ、頭に載るだろ』
…と。
それは、取りも直さず自分自身が見たい姿でもあった。
三蔵を思う悟空の純粋な気持ちを利用したのかもしれない。
けれど、結果的には悟空自身が大満足らしいので、これで良かったのだと思い、終始、眦を下げていた。
そして八戒はいつものように、横の人物に対してまめに世話を焼いていた。
三蔵にビールのお代わりを手渡す。
三蔵が食べそうな料理を少し皿に取り分ける。
迷惑がられない程度のさり気ない気遣い。
それは、他の二人ではできないこと。
八戒は自分の役割を全うしながら、この状況を堪能していた。
横にいるのは、普段とは少し違った趣の三蔵。
ここまでは全てシナリオ通りだ、と内心ほくそ笑みながら。
◎ ◎ ◎
宴会も盛り上がり、それぞれかなり酔いが回って来たようだ。
と言っても、酔っているのは三蔵と悟浄のみ。
八戒はやはり、今日もまたいくら飲んでもケロリとしている。
「八戒〜、おめーもっと飲めよー!」
「十分、頂いてますよ。 悟浄もどんどん飲んでくださいね」
「おー、今日は無礼講ってな!!」
悟浄の今日の真の目的は、飾り付けて酔った三蔵を肴に酒を楽しむ、というものだった。
それは既に達成されたので、いつにも増して機嫌がいい。
蔦を使った為に、軽い仕上がりだったからなのか。
酔った三蔵は、頭上に飾りを載せている事実は忘れたかのように、ずっとそのままの姿で飲み続けていた。
「なあ三蔵、その酒って美味い?」
ビールは前座だと、宴も酣(たけなわ)になって勧められたのが徳利に入った酒。
三蔵は特に拘りも無いので、注がれるままに杯を重ねる。
何も言わなかったが、普段飲んでいるのとはどことなく香りが違っているようなのには気付いていた。
「何だ、特別な酒なのか?」
「うん、今日の為に前の夜から用意したから」
「前の…夜?」
「菊の花びらを漬けておいたんですよ、“菊花の宴” に欠かせない菊花酒ですからね」
「でもさあ、咲いてる菊を探してもまだほとんどつぼみだったから苦労したよなー」
「そうそう、散々探し回っても無かったから、結局花屋で買ったんだよ。 最初からそうすりゃ良かった」
悟空と悟浄は、準備の間の話で楽しそうに盛り上がっている。
「菊が咲くのはもう少し後ですからね」
「そうなのか? じゃあ何で、まだ咲いて無い菊の花じゃないといけないんだ?」
悟空が向かいの人物に質問を投げ掛けた。
「何故なら、“重陽の節句” は旧暦の九月九日に行われていたものだからです」
にこにこと笑ったまま、人差し指を立てて八戒が説明する。
「ってことは、本当は今日じゃねえの?!」
「ええっ?!」
「はあ?」
悟浄と悟空が上げた驚きの声に、三蔵が驚いた。
「てめーら、そんなことも知らずに騒いでたのか?」
「だって…九月九日としか聞いてないもん……」
「おい八戒、おまえ……」
「まあまあ、新暦で祝ってはいけない、って決まりは無いですから」
少しも悪びれない八戒は三蔵に最後まで言わせず、悪魔的な微笑みで制する。
計画的に進められた匂いを嗅ぎ取った三蔵は頭を抱えた。
そして、載せたままだった飾りに触れ、その存在を思い出した。
「やってられるか……」
そう言うと、無造作な手つきで頭の輪を外し、後ろへ放り投げてしまった。
「あー、何すんだよ!!」
「知るかっ」
「まあまあ悟空」
口を尖らせながら三蔵に抗議する悟空を、八戒がやんわりと止めた。
「今日は予行演習だったと思えばいいじゃないですか」
「え?」
「だって」
ギロ、と三蔵が睨むが、その視線を無視したまま八戒が続ける。
「旧暦の九月九日はまだ先ですから、その時が本番だと思えば。 ね」
「そっかー!」
「何っ?!」
悟空と三蔵が同時に声を上げた。
「やるやる! もっかいやるっ!!」
「俺は知らんぞ、もうおまえらには付き合わんからな」
ちっ、と舌打ちが聞こえたが、三人は取り合わない。
「じゃあさ、今度はもっと豪華な冠でも作ってやるかー」
「それいいっ! 俺、頑張るっ!!」
「楽しみですね〜」
「てめーら、聞こえなかったのか?」
「今度は、菊もすぐに手に入りそうだし、それで飾り付けてもいいんじゃねーか」
「おい」
「俺、咲いてるだけ全部集めてくる!」
「コラ」
「張り切ってますね〜」
「人の話を聞けっ!!!!!」
大声を出した三蔵が、身体をわなわなと震えさせて空の杯をシートに投げつけた。
そして、これ以上は無いほどの険悪な空気を纏わせたまま立ちあがろうとする。
その時、法衣の袖を悟空が引っ張った。
「三蔵……、俺が三蔵の幸せを願うのは迷惑?」
「はあ?」
「俺……」
上から睨(ね)め付けられても、悟空の瞳は揺るがない。
しかし、言葉に詰まると、がっくりと項垂れた。
「俺…俺……」
袖を掴んだままの悟空は、続けたいのだがその先が出て来ない。
すると、横から八戒が三蔵を呼んだ。
「もう一度座って、悟空の話をちゃんと聞いてあげてください」
「俺からも頼むぜ」
二人に頼まれても聞く耳を持つつもりなど無い三蔵だったが、袖を掴む悟空の手をじっと見ると動きを止めた。
自分よりも少しだけ小さな手が、力を入れすぎて白くなっている。
「……ふんっ」
三蔵は不機嫌さを顕わにしつつも、中途半端に起こしかけていた腰を再び下ろした。
それに気付いた悟空は弾かれるように顔を上げると、今度は身を乗り出して至近距離で三蔵を見つめた。
「俺、三蔵にはいっつも迷惑ばっか掛けてるから……」
「……」
「笑ってくれなんて言わないけど、怒らせずに済めばいいのにって、いつも思ってるのに……ゴメン……」
「……」
「ちょっとでも三蔵が楽しめて、それで三蔵が幸せになるようお願いできるなら、俺、何でもする!」
「………」
「三蔵のこと、大事だから……一番大事だから……こんな時くらい役に立ちたいと思っただけで……」
「………」
「だから……また、ちゃんとやってもいい?」
真摯な瞳に金髪の法衣姿が映っている。
それを見付けた三蔵は、悟空と初めて出会った日を思い出した。
あの時は、檻を挟んでの見つめ合い。
世界に三蔵しか存在していないかのように、悟空の瞳はただその法衣姿だけを映していた。
その後、連れ帰ってからは、叱り飛ばすばかりでこんな風に見つめ合う機会など無かったのだ。
「……勝手にしろ」
今、胸の奥に湧き上がっている思いを何と呼ぶのか、自分でもわからない。
ただ、引っ張り出してきた責任は取らねばならない。
保護者でも飼い主でも無いが、無関係とは言えないのだから。
「え…、それって……」
「多分、OKって意味でしょ」
途惑って手を離した悟空に、八戒がわざと小声で囁いた。
「ありがと!!」
「良かったなあ、悟空」
「うんっ!!」
自分のことのように喜んでくれている悟浄を見て、「いい奴だ〜」 と悟空は思った。
心の内側まで見えないのは、この場合、幸か不幸か…。
その悟浄は、一時はどうなるやらとやきもきしていた。
しかし、望み通りの展開に戻ったので、悟空と共にひたすら喜んでいる。
悟空の告白にも似た一途な思いを聞かされて胸の奥が痛んだのは否めない。
けれど、悟空と三蔵との関係は、自分が三蔵と望んでいる関係とは違う気がするのだ。
(関係って何だよ……)
自分の思考に思わずツッコミを入れ赤面しそうになった。
だが、それについてはまた追々考えればいいこと。
今は次に迫った行事が無事に遂行されるかどうかの方が問題だった。
けれどそれも、悟空の説得により、どうにかクリアされそうだ。
承諾を得てしまえば、こっちのモノ。
「楽しみだな〜、旧暦の九月九日」
浮かれた調子で口にしたその日だが、はたと疑問が涌き上がった。
「…で、それって、いつ?」
「旧暦は月の満ち欠けを基準にして作られているので、新暦の同じ日が旧暦では毎年違っていたりするんです」
「へえ、そうなの」
「重陽の節句が行われる日は晩秋には違いないですけどね。 また、その日が近付けば知らせますよ」
「準備があるから、早めにな」
「…おまえら、どこか間違った認識してねーか?」
「へ?」
いきなり会話に割り込んだ三蔵に、悟空と悟浄が疑問の声を上げた。
「茱萸の赤い実を髪に挿すという風習も、自分で自分にする行為だ」
「でもなあ、俺の髪はもともと紅いしー」
「そういうこっちゃねぇだろ…」
「俺は、自分はどうでもいいから、三蔵が赤い実を付けてくれたらそれでいいっ」
「そうじゃなくてだな…」
「僕も、裏方に徹しますから、メインは三蔵ということで」
「だから……」
「何なら、髪にだけじゃなくてさ、こう、全体を飾り付けてもいいよな」
「あー、悟浄ってばヤラシイ顔して、なんか変なコト考えてるだろー」
「何がだよ、俺は重陽の節句を盛り上げようとだな〜」
「まあまあ、まだ時間はありますから、ゆっくり考えましょう」
「だから、人の話を聞けーーーっ!!」
叫び声でありながら人々を魅了して止まない美声が、初秋の空気を突き抜けて辺りにこだました。
それぞれの思惑を余所に、気持ちの良い風が渡っていく。
本格的な秋は、まだこれから。