「小さな羽、降るとき」
後日談
−太正16年3月−
大神一郎は昨日起こった事件に関しての報告書を書いていた。
一息ついたとき大神はふと、ヤフキエル事件について思い起こす。
−2ヶ月ほど前−
ラチェットの紐育への帰還命令が出たその日、米田は支配人室に大神とラチェットを呼び出し、あることを話した。
「ブレントのヤツが俺達と敵対したのは売り込みだけじゃねぇ。俺達が倒したヤツの恋人の敵討ちもあるんだ、・・・・その恋人ってぇのは黒鬼会の火車。まったく、不思議な偶然だぜ。」
それを裏付けるように米田はいくつかの品を机の上に出した。
一冊の日記帳と数枚の写真である。
ヤフキエル事件の後、ブレントに関する資料のほとんどは米国の諜報機関が押収してしまった。これらの品は運よく、それを免れたものである。
大神は悪いと思いながらも日記を読んでみる。最初は火車が書いており、彼の死後はブレントが書いていた。
ブレントに始めて会ったときから、何か特別な感情を抱いていたこと、
それが愛情だと気付いたのは向こうから想いを告げられたのがきっかけであること、
日記をブレントに見せたら、半分照れ交じりでキスをしてきて、その夜はそのまま過したこと、
火車が死んで心の中に大きな穴が開いたこと、
「いつか、紐育で二人だけで暮らそう」と話す直前であったこと、
火車の意見を取り入れた会社のキッチンは全く使っていないこと、
悲しみ、
自分達に対する恨み、
憎しみ、
二人の心の変化が記されていた。
一方、ラチェットは写真を手にした。
二人で写っているもの、一人だけのもの、
背景も銀座周辺、上野公園の桜並木、紐育のブロードウェイ・・・・、
どの写真も本当に幸せそうな表情の二人が写っていた。
日記と写真、これだけでも二人が互いをどれだけ愛していたかが手に取るようにわかった。
大神は、ブレントと火車のことについて花組の隊員に話すことはなかった。
火車の身体が炎に包まれた際、大神は心のどこかに迷いがあった。
―これで本当に良かったのか―
しかしそのときは、織姫が父親や自分と和解できたことと、危険にさらされていた帝都の人々を救うことができた喜びからすぐに忘れてしまった。
それが一人の男を復讐に走らせてしまっていたとは。
―良かれと思ってやったことで、誰かを悲しませてしまう―
自分は今後もこのような行いをしてしまうのか。
その時、劇場に事件発生を告げる非常警報が鳴り響く。
現在、帝都各地で蒸気機械が謎の暴走をするという怪事件が多発しており、帝国華撃団・花組は連日その事態収拾に当たっていた。
帝都の人々の笑顔を守るために、自分にできることをしよう。迷ってなどいられない。
いつかまた、自分達のしたことで誰かを悲しませ、その誰かに責められることがあるかもしれない。花組の少女達にそれを背負わせるには重すぎる。彼女達に代わって自分がその責めを引き受けなければならない。それが自分に課せられた義務だと。
大神はそう言い聞かせ、部屋を後にした。
「紐育にブレントと火車の墓を建ててくれないか?」
大神はラチェットに別れ際、そう頼んだ。
いくらなんでも離れ離れにしたままなのは不憫であるからだ。
ラチェットは快くそれを引き受けた。
紐育の郊外にある小さな墓地。ここは小高い丘にあり、紐育の街全体を見渡すことができる。そんな場所にブレントと火車の墓は建っている。
墓には英語でこのような文が刻まれている、これを日本語に訳すと、
―ブレント=ファーロングと火車、永遠の愛を誓い、この地に眠る。
もう二度と、二人が離れることはない―
そこからもわかるように、二人は一つの墓に葬られている。
隣同士でも離れていることに変わりはない、それなら一緒の方がいいだろうというラチェットの配慮からであった。
墓の中には遺体も遺骨もない、その代わりあの日記と写真が入っている。
ラチェットはブロードウェイで女優として活躍する傍ら、紐育華撃団の設立準備に追われていた。
指令として迎える予定のサニーサイドや賢人機関との会議、隊員探し、新型霊子甲冑・スターの調整・・・・、やることは山積みである。
そんな合間を縫って二人の墓参りに訪れていた。
ラチェットは墓に花を手向ける。最初の頃はどんな花を手向ければいいか悩んだが、先輩の女優が結婚式のときに持っていたブーケと同じものがいいと思い付いた。
そのブーケは種類にかかわらず、淡いピンク色の花が多く使われていた。
桜満開の上野公園で写した写真を見て、この二人にはこんな感じの色が似合うと思ったからだ。
―ブレント・・・。貴方は私に、『一緒に世界の王にならないか』と言った。
でも、貴方が一緒に王になりたい人は違っていたのね―
ブレントはラチェットに、『亜米利加人としての誇り、亜米利加の未来のために真の王になろう』と言っていた。今にして思えば、あれは自分を懐柔するための口実であり、火車を失った後の彼にとってはどうでもよかったのかもしれない。
ラチェットは火車の存在を資料でしか知らない。
それには、『炎の妖力であらゆるものを燃やす、卑劣で残忍な男』と書かれていた。
しかし、それはブレントにとっては間違いであり、人となりもまったく逆のものである。おそらく、ブレントの前での姿こそが彼の本当の姿であったのだろう。
「それじゃ、もう戻ります。また来ますから、それまでは二人きりでゆっくりして下さい・・・・・。」
ラチェットは帰っていった。
小さな教会の中には、ブレントと火車の二人しかいない。
二人は祭壇の前に立ち、火車の手にはラチェットが贈ったブーケがある。
神の前で永遠の愛を誓い、改めて指輪を交換し、誓いのキスを交わす。
おそらく、二人は今頃こんなことをしているのだろう、大神とラチェットは違う場所で同じことを考えていた。
おわり