ドラマCD『神・風』
原作 士貴 智志 2枚組 ¥4800(税込)
講談社 アフタヌーンKCDX
販売元 キングレコード゛株式会社 ABCA5030-31
CAST
石神カムロ:石田 彰
(化外の民 地の民の長)
御子神みさを:雪野 五月
(化外の民 水の民の長)
比嘉 悠:関 俊彦
(化外の民 火の民の長)
かえで :折笠 愛
(化外の民 風の民の長)
幻の少年:皆川 純子
他
火焔隈(カエングマ):小西克之
(感想もどき)
時は人の悲しみを癒すもの?それとも・・・
長い時の果て神剣「神・風」は何故此処に在る?
遙か古代、全ては五原則(地・水・風・火・空)から成り立っていた。
人類の祖先、自然の五原則から受け取った特殊な力を持つ者達
「化外の民」と呼ばれ、原則から外れて生まれた八十八匹のケモノを封じて一千年。
その伝承は時が流れると共に二つに分かたれた。
地と水の民と火と風の民は何故別々の伝承を信じてしまったのか?
それは、時の流れの残酷さがもたらしたものなのか?
それとも、時に意思があるのだろうか?
そして、八十八匹のケモノが封印されて一千年目、ケモノは甦る。
時を同じくして、御子神みさをが水の民の長として覚醒した。
「私は本当の私に戻る。」
「貴方が共に在ると信じられるから・・・」
「人に必要とされる、其れは人を強くする。」
「地の民の長となった貴方と、水の民の長になった私・・・」
「ケモノを倒せる神剣「神・風」を持つ貴方と共に私は在るから・・・未来のために」
「化外の民同士、心を一つにして、ケモノと対峙しましょう。」
元は同じ化外の民ながら、別の伝承を信じて来た火の民と風の民の長は、
みさをの言葉と水の力に諭され膝を屈した。
そして、化外の民の長達は一千年前と同じように心を一つにした。
人の血を持つケモノが告げる。
誤った伝承はかつて火と風の民の長が幼かった時に、
なにものかが騙して信じ込ませたのだと。
ケモノに意思はない。ただ殺戮と破壊が全てと。
負の意思を持つ存在を示唆する。
八十八匹のケモノは次々と次元の裂け目から戻ってくる。
この大いなる災厄をまだ人間達は知らない。
人間は生き残れるのか?
化外の民達はケモノどもを屠れるのか?
化外の民達は人間を救えるのか?
未来は在るのか?
負の意思はどう出るのか?
願わくば・・・ 次巻を待つ!?
《関 俊彦様 : 比嘉 悠(ヒガ ユウ)様へ》
火の民の長 比嘉 悠は、自分の民が伝えてきた伝承に忠実だった。
石神カムロと御子神みさをが、各々の長であり祖父母であった者の
死を乗り越え若き長となり漸く四人が揃った。
その為に祖父母を死に至らしめたのは、この比嘉 悠とかえでだった。
一千年前の契約通り封印が開く、ケモノは人間社会で殺戮と破壊の限りを尽くし、
残るは選ばれた化外の民達。
「当然だ・・・」と悠は御子神みさをに告げる。
「決着をつけよう。どちらが正しい伝承か。」
悠は自らの力で山を噴火させようとする。
止めようとする、御子神。
「化外の民である苦渋を赤土(あかはに=人間)の奴らに味遭わされたのであろう?
我々だって赤土の民を殺すことが目的ではない。
化外の民は守るべき人と、物、自然、生命を選んできた。
その道程で不必要な物を除いて生きてきた。
日が昇れば活動を始め、日が落ちれば眠りに就く。
必要以上に求めも得もしない。
そんな生活に身を置いてきた我々を疎んじたのは、赤土の民どもだ!
ケモノの復活とて我々が望んだとでも思ったか!!
赤土は人が生きる必要以上のことを求めすぎた。
其れが自然との共存共生という調和を壊すのを承知でな!!
無駄な開発 戦争!
身勝手がたとえ僅かであっても、積み重ねれば重くなる。
誰もこうなるのを望まなかったと!!
考えもせずに求めるだけが一番罪深いわ!!!
山は既に何百年もの怒りを堪えて来た。
其れを止めて来たのは私だ!!
だから今許しを与えた・・・」
「貴方はそんなに偉いの?!」
「自然を支配しようとしているのが、貴方の共生なの?」
「赤土はただ忘れているだけ、何時か必ずわかる日が来ると信じて・・・」
「我々の祖先は一千年前、ケモノを倒すために集ったのではない?」
一千年前はなア!! しかし、もう赤土を救う義理はない!! 手遅れだ!!
「手遅れではないわ、間違いは正せばいい。」
「私がお願いしたのは、火山の溶岩の下深く眠る地下水に、火人の山の怒りを癒して欲しいと。」
そして、噴火を水は鎮めた。
は・はは・はは・・・ 俺達は、何処で間違えてしまったのだろう?
*このわざと会話部分を書いたのは、正論だと感じてしまったのです。
関様のお声だから、と、言えば簡単ですが。
現実に今、生まれた地が見る影もなく、変化するのを見続けていると、此処までしなくても・・・
と、思ってしまっている自分が此処に居るのです。
だから、自然に優しいと言われても懐疑的です。
必要以上に貪り、廃棄している、特に今の日本人。
慎みを忘れあれもこれもと欲しがり、人よりも更に先を望む。
もう少し謙虚に自分の分をわきまえるのも必要なのではないのか?
なんて・・・ほんの百年前まで夜は真の暗闇が在ったのです。
今でも、近くの古墳の闇や、鎮守の森は怖く感じます。
そして、水を直ぐに欲しても蛇口はありませんでした。
お湯は自分で火を点けて沸かさないと無かったのです。
勿論洗濯機は無く、蚊帳と団扇の世界です。
海のない土地に住むものは、川の魚か干物か塩漬けの海のものを食した。
それも特別の日のみ。
人は少しでもより良く生きたいと、向上心は素晴らしかったと思います。
此処まで不自由なく快適に生きられるようになりました。
何かが犠牲になって来たのかもと、思うようになりました。
そこまで考えなくても、楽しく作品を鑑賞出来れば良いと思いますが、
少し考えてみると、関様も喜んで下さるかも・・・ (^^;)
*石田彰様=石神役で長らしくあろうと女の子の手前、目一杯男の御声で頑張っていらっしゃいました。
関様を意識してでしょうか?
*関様の最凶な声で、凄味をきかせ、其れでも悪に為り切れていない御声。
長らしく責任感と苦悩と悲哀を含むクールビューティな御声。
御子神みさをに自分が信じてきた伝承が覆された時、
支えにして来た事が過ちだったと知った時の苦痛を思うと・・・
「は・はは・・俺達は何処で間違えたのだろう?・・・」
と、この御声に胸が疼きました。甘く、痛く、庇護欲でしょうか?
頑張ってきた人が、ある瞬間脆く崩れて行く、そこが好いのです。
*十二歳で初めて運命の人と出会って以来、「心を離した事がない。」
とかえでに告げる宿命に忠実な、悠。
そんな彼を守ってあげたい、可愛い、愛しいと思ってしまったのです。
**守るべき人、未来に向かって共に歩く人を見つけると、人は強くなれるのです。
この主人公みさをの様に・・・
ならば、背中で庇ってあげられる人を見つけよう!
なんて、久しぶりに思ってしまいましたね。(何かへン?)
原作を再構成した脚本とか、原作を全く知らない私にはこれが背一杯・・・でした。
関様と悠、受けって感じでしたよ。部下にも慕われていました。女王様です。
(クルーゼ隊長を思い出してしまいました)
しかし、セリフを聞く限り、愛する運命の女を守ろうとする男らしい攻めと、とる方が正常なのかも・・・
アフタヌーン的にはこんな聞き方を望んでいないと、言われそうですが。(笑)
以上 お粗末さまでした m(_ _)m 紫水