「イルカ先生、開けますよ」
「は、はい!」
なかなか戻らないイルカを心配して様子を見に行ったカカシは、浴室から気配を感じて扉を開けた。
中には、備え付けの浴衣を羽織って鏡の前に立っているイルカがいた。
一瞬、目が合ったのに、イルカはすぐに視線を鏡へと戻してしまう。
まだ頬も目元も薄っすらと赤味を帯びている。
些かの動揺を自分でも感じているようだ。
洗面台に付いている手は硬く握られ、僅かに震えているのが見て取れる。
カカシは音も立てずにイルカの背後に回ると、鏡に映っているイルカの顔を壁に凭れながら見つめた。
「大丈夫ですか?」
「はい、すみません…」
やや俯き加減で答えたイルカの声は、消え入りそうなほど小さい。
その後姿に、カカシは先ほどまでのイルカの姿態を重ね合わせていた。
任務が早めに終わったので帰りに飲みに誘ったのは、旨いという評判を聞いていた一軒の飲み屋。
少し遠い場所にあるのだが、初めて暖簾をくぐってみた。
二人とも翌日は休日だということもあって、時間を気にすることなくのんびりと楽しめる夜になるはずだった。
実際、出される料理はどれも美味しく、酒の種類も豊富な店で、二人はどんどん杯を重ねていった。
いつもは自制心の強いイルカが、勧められるままに次々と強い酒に口を付けていく。
その頬がみるみるうちに桃色に染まった。
真っ黒で大きな瞳を潤ませつつカカシを見つめるイルカの姿は、端から見ても悩ましい。
だが、すぐに平静よりも荒い呼吸を繰り返すようになった。
楽しげに喋っていたのが段々と言葉数が少なくなり、やがてそわそわとし始め、どうも落ち着かないでいる。
もうお開きにしようとカカシが判断して店を出たものの、イルカはふらふらになり足取りも覚束ないようだ。
カカシなら家まで連れて帰るのは造作も無いが、イルカの状態を見てこの町で宿を取ることにした。
こんな外泊の機会は滅多に無いし、せっかくの二人の時間を有効に使いたい、と思ったから。
二人の仲が人の口に上るのを嫌うイルカの為に、周りの者達には別人に見えるようにという細工も抜かりない。
そのイルカは、部屋に入ってから水を飲んで一息ついた後、すぐに 「ちょっと」 と言って立ちあがった。
そして、いくら待っても戻ってこなかったのだ。
「しゃきっとせねばと、シャワーを浴びてました」
イルカが鏡越しにふわっと微笑んだ。
下した髪から、雫がぽたりと落ちる。
まだ酔いは覚めていない、とカカシは冷静に分析した。
「遅いから心配しました」
穏やかな声に、イルカの心はカカシの次の行動を予測し、身体は自然とその事態に備えた。
いつもなら、二人っきりになればカカシはすぐにイルカを求めてくる。
優しく触れて、抱き締めて、キスを落とし、そして……。
イルカは待っていた。
その長い腕が伸ばされるのを。
後ろから包み込まれ、うなじに熱い吐息が掛かるのを。
けれど、カカシは動かない。
鏡の中を窺うように見ているイルカから、カカシが視線を外した。
そして、まだ距離を置いたまま、その目がイルカの背面をゆっくりとなぞりだす。
「カカシさん……?」
「動かないで」
いつもと違う雰囲気に訝しんだイルカが振り向こうとすると、低い声に制止された。
ポケットに入れていた手がゆっくりと動く軌跡が、鏡に映ったような気がした。
(来るっ・・・)
カカシの一挙一動を見つめていたイルカが微かに反応する。
だが、左腕に右肘を乗せ、頬杖をつくようなポーズになっただけで、カカシはまだ何もしようとしない。
「どうしたんですか…?」
まともに視線を合わせていないせいもあって、イルカの声に不安の色が混じる。
「どうもしませんよ」
「……何………してるんですか?」
「イルカ先生を見てます」
「え?」
「あなたの身体を眺めてます……」
「……!!」
ゾクッとイルカの身体が震えた。
カカシの口元に少しだけ笑みが浮かぶ。
「どうしたんですか?」
「どうも……しません」
さっき自分がしたのと同じ問いに、無理やり同じ答えを返す。
「恥ずかしい?」
(そんなの………っ!)
咄嗟に声が出そうになったが、そう口にすること自体も恥ずかしく感じられる。
カカシはわかっていて、こちらを困らせるような言葉を並べるのだ。
そう思っても、「いいえ」 と言えるほど、しっかり向き合える状態では無い。
沈黙のあと迷うように揺れていた頭が、肯定の意味で小さく縦に振られた。
イルカは店で酔った時から、心も身体もむずむずして居た堪れなくなっていた。
カカシと一緒だというだけで気持ちが高揚してしまうのに、酒が入ったものだから始末に負えない。
こうなると薄々わかっていたので、今までは嗜む程度にしか酒は飲まなかった。
一人で飲んでいても、過ぎると悶々としてしまって収拾がつかなくなる時があったのだ。
気を付けなければと思っていたのに、今夜は少々どころかかなり酔っ払ってしまっている。
宿に連れて来られてからも、興奮と戸惑いが交じり合い、どうしていいかわからなかった。
二人きりだという、ただそれだけで身体の芯が疼いてしまう。
自分から求めてしまいそうで、でも恥ずかしくて、けれどこのままではどうしようもなくて。
火照った身体を鎮めようと冷たいシャワーを浴び、少しは落ち着いたかと思った。
なのに、カカシの声を聞き、口布を外した姿を見ただけで、体温は上昇し動悸が早まる。
更なる火照りは羞恥心のせいだと思っていた。
そんな、ほんのりと色付いて震えているイルカに、カカシはたちまち欲情した。
本当は酔った姿をもっと見ていたかった。
酒が入ると、普段からは想像も付かないほどに色気を増し、妖艶さを醸し出す不思議な男。
でも、そんなイルカは他人には見せなくない。
イルカが酔ってしまってからは早く店を出たくて仕方が無かった、というのは本音だ。
宿で更に飲ませても良かったのだが、今夜はこれ以上の勧めには応じなかっただろう。
が、乱れるイルカをもっと見てみたい。
抗い難い力に翻弄されるイルカを、もっと………。
だから。
「じゃあ……」
言いかけたカカシは、そこでしばらく間を置いた。
止まってしまった続きが気になったイルカが顔を上げると、鏡の中のカカシと目が合った。
「目隠ししましょう」
「?!」
自分でもわからないゾクゾクした感覚に、イルカは拒絶も容認もできないまま立ち竦む。
カカシが微笑みながら、洗面台に用意されていた手拭を手に取った。
そして、極力身体に触れないようにしつつ、イルカの視界を奪ってしまった。
「イルカ先生」
聴覚が鋭敏になったイルカにとっては、囁くような声でも身体の中心まで一気に届く。
背後から掛けられた言葉が、身体全体を包み込んでいくような錯覚を覚えた。
「カカシさん……」
イルカの声音が変化した。
不安に掠れ、知らずに膨れ出した期待に戦慄く。
落ち着いていた呼吸も、再び荒くなってきた。
息遣いが聞こえるほどに、肩が上下し始めている。
「俺の言う通りに想像して」
困惑したままのイルカには構わず、カカシがぎりぎり触れないくらいに腕を伸ばした。
「俺の指が、あなたの身体をなぞってます……」
イルカの身体がびくっと強張った。
「髪を撫で、首筋から肩……俺の手にしっくりと馴染む滑らかな肌……」
カカシの手が、まるで触っているかのように動く。
チャクラが放出されているわけでもないのに、イルカは言葉で示された部分に熱さを感じた。
ゾクゾクと肌が粟立ち、じっとしているのが困難なほどに身体が反応してしまう。
「綺麗に筋肉がついた背中、引き締まった腰……俺を包み込む、その秘密の場所………」
「っ…!」
思わず声が上がり、見られていた恥ずかしい場所を隠したい一心で、イルカは身体を反転させた。
その突然の動きを軽くかわして、カカシはまた気付かれないように手を伸ばし、胸の辺りをなぞる真似をする。
「前がいいの?」
「!!」
イルカは慌てて浴衣の合わせ目を掻き合わすと、その場にしゃがみ込んでしまった。
ガクガクと震えが止まらない身体を、カカシが静かに見下ろしている。
いつものように優しく包むような愛を与えるのは簡単だ。
けれど、今はもっと追い詰めたいと思っている自分がいた。
そして、イルカもまた、いつものような愛撫は望んでいないような気もした。
本人が気付いているかどうかはともかく、その身体は……。
そこで、カカシはひとつ、賭けをした。
「イルカ先生」
カカシがいつも通り、いや、それ以上に穏やかな声を出すと、イルカの震えが止まった。
見えないままだったが、声のした方へ顔を向ける。
その顎をいきなり持ち上げられた途端、再び全身が緊張した。
「ごめんね」
カカシが手拭の上から瞼にそっとキスを落とす。
いつもの仕草に、イルカの肩からようやく力が抜けていった。
「それは外してください。 向こうで待ってますから」
カカシはそう言い残すと静かに浴室から出て行き、ドアを閉めた。
しゃがんだままのイルカはまだ動けない。
早鐘のようだった鼓動はやや落ち着きを取り戻した。
しかし、今までに感じたことの無い昂揚感に支配された身体は、治まらない熱を持て余している。
目隠しをそっと触ってみた。
(外してって言われても……)
それをただの手拭に戻すのは容易だ。
けれど、今はこれが自分とカカシとの絆のようにも思え、手を掛けようかどうしようかと躊躇われた。
(何で、こんなこと……?)
考えたってわからない。
そういう時は、本能に従って動いた方がいい。
答えが出ないまま、イルカはゆらりと立ち上がった。
* * *
バタンと音を立てて浴室のドアが開いた。
身体を半分だけ覗かせた姿を見たカカシの口元に、薄い笑みが浮かぶ。
「気に入ったんですか、それ」
イルカは、まだそのままなのだと確かめるように、目隠しに手をやった。
「あなたがこんな風にしたんですから、あなたが外してください」
どこか挑発的な口調は、追い詰められた獲物が最後の抵抗を示しているようでもある。
「そうですね、じゃあ、外してあげます」
イルカが言外で望んでいることをわかっていながら、カカシはわざと素っ気無く言ってみた。
そして、ゆっくりとイルカに近付いていく。
返事を聞いたイルカは、身体に残っていた緊張が無くなったのか、壁に力無く凭れかかってしまった。
カカシが近付いてきた時、本当はまだこのままでいたいと心のどこかで願っていたのだと気付いた。
けれど、自分が言い出したことだから、今更 「止めて」 などとは言えない。
いつもと違う状態に置かれたからと言って何かを期待するなど、卑しく浅ましかったのでは…。
手拭の下の表情は、落胆とほんの少しの安堵が混ざり合ったような、何ともいえないものだった。
カカシがイルカの前に立つ。
されるがままに任せようと待っていると、カカシの手がイルカの頬を包み込んだ。
「ねえ……もしもイルカ先生が嫌じゃ無ければ……」
耳元に声が近付いてくる。
「しばらくこのままっていうのはどう?」
思いが通じたのだろうか?
その喜びは懸命に堪えつつイルカはぎこちなく肯き、「構いませんよ」 と、努めて平静を装って声を出す。
思惑通りに行ったと思ったのは、イルカだけでは無かった。
カカシも、賭けに勝っていたのだ。
「じゃあ、せっかくだから、目隠ししてないとできない事をしましょうか」
「何ですか?」
涌き上がって来る興奮を押さえ切れないようにイルカが尋ねる。
「イルカ先生は恥ずかしがり屋さんだから、いつもはしてくれないようなコト」
「え?」
カカシがイルカの手を引いて導き、ソファに座らせた。
何が始まるのだろう、と思ったイルカの唇に冷たいものが触れる。
「?!」
「舐めて」
それは、氷だった。
イルカは唇を開くと舌を出して、その氷を舐め始めた。
口に当たるとひんやりして気持ちいい。
夢中でしゃぶっているうちに、掴んでいたカカシの指にまで舌先が当たった。
氷を舐め尽くしても、まだ名残惜しそうに舌を使っていると、カカシが笑いながら指を引き抜いた。
「ふやけちゃう」
「もっと……」
こんな言葉は、普段は決して口にしないだろう。
自分の体勢を思えば、顔から火が出るくらい恥ずかしさを感じるはずだ。
いつものイルカなら。
けれど、今は違っていた。
視界を奪われたことにより興奮が増し、何が起こるかわからない期待と不安で満ち満ちている。
少々恥ずかしい言動でもやってしまいそうだ。
カカシに求められるままに、今夜なら…。
カカシも指が舐められているのを見ていた時から、イルカの唇に貪り付くのを我慢するのが大変なほどだった。
冷たさでやや赤みを増した唇が、今また切なく 「欲しい」 と訴えている。
カカシはグラスに口を付けてから、イルカの頭を掴んで乱暴に引き寄せた。
唇をこじ開けて、含んだ水を一気に流し込む。
「んっ……」
ごくんと喉を鳴らして水を飲み込んだ後、無理矢理口を離したイルカは、はあはあと呼吸を整えた。
「もう一度、口開けて」
言われるままに従ったイルカの口の中に、小さな固形物が入ってきた。
「?!」
甘味を感じる。
それが何か確かめようとイルカが舌を動かす前に、再びカカシが口を覆い、液体を流し込む。
注ぎ込まれた水と共に、それは喉を通りイルカの内部へと吸収されていった。
「な、何ですかっ、今の?」
「媚薬です。 里に伝わる、限られたものしか知らない、秘密のね」
上忍以上でないと知ることを許されない事柄は数多く存在する。
中忍である自分が知らないのも無理は無い、とイルカは納得した。
しかし、媚薬???
「何でそんなもの…?」
「大丈夫、毒ではありませんから。 いつもとは違う夜になったようなので、もっと愉しみたいと思いまして」
「そんな…!」
だからと言って、薬を使われるのはたまったものではない。
抗議しようとイルカが口を開いたが、すぐにカカシに塞がれてしまった。
いきなり呼吸ごと奪われたイルカは懸命にもがくものの、押さえつけられて身動きができない。
カカシの唇や舌が口腔内を犯していく。
くちづけはあまりにも激しいものとなった。
逃げようとする舌はすぐに捕らえられ、先ほどまでの冷たさはすぐに熱さへと変わっていった。
一度感じてしまうともう止められない。
イルカの舌も、積極的にカカシを求めた。
やがて、頭の芯がくらくらとし始めた頃、ようやく長いくちづけから開放された。
イルカは肩で息をしながらぐったりとなっている。
すると突然、どこからか女性の声が聞こえてきた。
『あ……そんな……』
驚いたイルカがふと横を探ると、そばにカカシの気配は無い。
「カカシさん…?」
「ここにいますよ」
声は正面から聞こえた。
「何? 誰ですか?」
「AVのビデオらしいです。 誰かは知りません」
「…何でそんな物が……?」
「イチャパラのビデオでも無いかなと思っていろいろスイッチを触ってたら、いきなり始まってしまいまして」
「……そうですか」
自分は目隠しのせいで見られないイルカは、ひとり取り残されたような気分になっていた。
喘ぎ声はまだ続いている。
それに反応したと思いたくは無いが、イルカの身体がまた火照り始めていた。
熱い。
燻っていた火が、燃え盛る炎になりつつある。
イルカはそれを、薬のせいだと思い込んだ。
「イルカ先生、勝負しませんか?」
「え?」
唐突な申し出に、イルカはぽかんと口を開けた。
「イルカ先生が勝ったら、何かひとつ言う事を聞いてあげますよ」
「本当に? ……で、何の勝負ですか?」
「AV女優とイルカ先生、どっちが俺を感じさせられるか」
「ええっ?!」
「術は無しでね。 できませんか?」
「いや……その、このままで?」
「ええ、もちろん」
「判定はどうやって? 俺、見えませんし」
「イルカ先生の方に感じたら、ビデオは消す。 プロの方が良ければそのまま見続ける。 ってのでどうですか?」
敢えて “男vs女” の戦いと表現しなかったところはカカシの恋人に対する最低限の礼儀だった。
そして、“プロ” というところにイルカは対抗心を燃やし始めていた。
一応は恋人と呼べる関係にある自分が、赤の他人に負けるわけが無い。
「受けて立ちます」
「あ、もしもイルカ先生が負けた時ですが」
「……え?」
その結果は考えてもいなかったので、イルカは何を言い出されるのかと急に不安になった。
「俺の言う事をひとつ聞いてもらいます、それでいいですか?」
「…いい…です……よ…」
内容としては同等だから、文句は言えない。
負けなければいいだけのことであるし。
(絶対に負けるものかっ!)
イルカは腹を括って自分に気合いを入れた。
「いつでも始めてください」
「では」
カカシの声を聞いて、イルカが呼吸を整える。
「どうぞ」
会話が止むと、ビデオの音声がやたらと部屋に響いているように聞こえた。
『そんな…できませんっ!』
『なら、自分でやりな』
イルカは耳をそばだてながら、自分もビデオの登場人物になってみた。
同じ仕草をして見せれば、負けたりはしないだろうと思ったのだ。
「相手を感じさせる」 という方法が、他に思い付かなかったというせいでもあるのだが。
『足を開け』
おずおずと開いてみる。
『もっとだっ!』
一瞬、自分が言われたのかと思ってビクッとしたが、更に太腿を外へと広げていく。
『自分で胸を揉め』
浴衣を片方、肩からずらせた。
露わになった胸の突起を刺激し、固くさせる。
『気持ちいいか?』
『あ……あんっ……』
「っ……はあっ…あっ……」
ビデオに負けないくらい、イルカは自分でも感じ始めていた。
空いていた手が、そろそろと股間へ下りていく。
『ちゃんと触るんだ』
『やっ…』
『やれっ!』
『(パシッ!)』
『きゃっ!! や…やります……』
叩かれたような音が聞こえた時、イルカは一瞬動きが止まり、身震いした。
けれど、すぐにまた自慰行為に没頭していく。
『もっとよく見えるようにしろ』
『はい……』
股間を弄りながら、更に足を開く。
『膝を立てて、奥まで見せろ』
片足をソファに上げ、膝を立てると、腰を突き出す。
カカシがごくんと唾を飲み込んだ。
本当は、ビデオなんて見てはいなかった。
音声さえも耳に入っていないくらいだ。
最初から、カカシの目も耳もイルカに釘付けだった。
初めて見る恋人の自慰行為。
夢中で耽っている姿は、今までにないほど己を興奮させた。
「……カカシさん……俺を見て………」
見られているという事実が余計にイルカを刺激しているのか。
扱いている手は擦り切れそうなくらい激しく動き、扱かれているモノも既に限界まで張り詰めている。
「あっ…も……もう……っ」
ビデオの音声はとっくにカカシによって消されてあった。
しかし、もしもまだ聞こえたままであっても、イルカの耳には届いていなかっただろう。
既に、その存在すらも忘れているようだったから。
今はただ、高みに登り詰めることしか頭に無かったのだ。
「イ……イク……」
つま先に力が入り、身体がビクンと痙攣した。
その時、弾けそうになっていた “イルカ” を何かが包み込んだ。
「ぃやあっ!!!」
悲鳴にも近い絶叫を上げ、イルカが果てた。
その飛沫は、カカシがすべて口で受け留めていた。
ごくんと飲み込み、放出し終わった後もまだ、貪るように舐め上げている。
「カカシ…さん、だめ……です、感じ……過ぎ…る……」
イルカはカカシの肩を強く掴んで、軽く痙攣したままの下半身から引き剥がすようにした。
「キスして」
「まだ、口ん中にあなたのが残ってますよ」
「いいから!」
絡ませた舌には苦味を感じた。
けれど、そんなことには構っていられないくらい、今はカカシの唇が欲しい。
キスをしながら、カカシがイルカの目隠しを外した。
自慰を見せつけられていた時、どれだけその目を見たいと思ったか。
瞼がゆっくりと持ち上がり、黒い瞳がカカシを捕えた。
お互い久しぶりに見るようで、その表情には愛しさと若干の照れが混ざっている。
「イルカ先生の勝ちですね」
「本当ですか?!」
「ええ、俺、あなたを見てて我慢できなかった……ほら」
イルカの手が導かれたのは、布越しでもはっきりとわかるほど張り詰めた欲望の塊。
「欲しい……」
「俺も、すぐにでもあなたにぶち込みたい」
「カカシさん……」
想いを、熱を、相手に伝えたくて、強く抱き締め合った。
「でも、その前に、ちゃんと勝敗を決めておかないと、と思いましてね」
「俺の希望、ひとつ聞いてくれるんですよね」
カカシがイルカの身体を離した。
「……無理難題は勘弁してくださいね」
「ふふ……どうかなあ」
「頼みますよ〜、イルカせんせ〜」
「あの…」
「はい」
「……また、こういうのやりましょ」
「!!」
内緒話を打ち明けるような小声でイルカがカカシの耳に囁くと、カカシは思いがけない言葉に息を呑んだ。
「それと」
「え? ひとつでしょ…?」
「いいじゃないですか」
そう言ったイルカの視線が、チラッとカカシの背後に流れた。
「それと……機会があれば、あんなのも試してみたいかなあ、なんて」
「えっ?!」
何かと思ったカカシが後ろを振り向くと、女が椅子に縛り付けられて喘いでいる場面が流れていた。
音声は消したものの画面はそのままだったので、次のプログラムが始まっていたらしい。
「……随分と積極的ですね」
「カカシさんのせいですよ、変な薬を飲ませるから。 こんなことを言うのは、今だけですからね…」
うるうると見つめる瞳の奥には、燃え滾る炎のゆらめきが見えるようだ。
カカシはイルカを抱き締めると、「わかりました」 と囁いた。
その、声と共に出された吐息が肌にかかるだけで、イルカの分身がまた固さを増していく。
「あ、日付が変わりましたね」
「そう…ですね」
こんな時に何を言うのかと、イルカはやや素っ気無く返事した。
「今夜、一緒にいられて良かった」
「え?」
「お誕生日、おめでとうございます」
「あ……ホントだ……」
イルカは驚きと喜びが入り交じった声を上げた。
忙しさに紛れて、自分でもすっかり忘れていたのだ。
「本当は、当日の夜に食事にでも誘おうと思ってたんですけど」
カカシが更にイルカを抱き寄せる。
「逢えるチャンスは無駄にしたくなかったから」
今日これからや明日でさえ、いつ何が起こるかわからない。
不測の事態に備え、いつも構えておかなければいけないこの世界。
未来の約束はなかなかできないし、したとしても守られなかったりする場合が往往にしてある。
だから、今を大切にしなければならないのだ。
一緒に過ごせた夜、それが大事な人の大切な日であったことに、カカシは感謝した。
「ありがとう…嬉しいです」
イルカも、しがみつく手に力を込めた。
「今は何も用意してないんですけど……」
「あなたをください。 俺の中に刻み付けて…」
少しだけ身体を離して向き合うと、イルカが熱い視線でカカシを見つめた。
「こんな身体にした責任、取ってください」
そう言って、自ら唇を寄せてくる。
普段はほとんど受動的なイルカがここまで積極的になっている様子に、カカシは “薬” の効き目を実感した。
(イルカ先生、素直過ぎです……)
そこがいいんだけど、とカカシは心の中で微笑み、くちづけを受けながらイルカをベッドへと誘(いざな)った。
清潔なシーツにイルカを横たわらせ、身体を重ねる。
唇が、指先が、髪が、その肌に触れる度に、イルカが敏感に反応する。
「イルカ先生、いきますよ」
「あっ…カカシさんっ…!!」
イルカの上半身が仰け反り、弓のようにしなる。
炎が身体中を焼き尽くすようだ。
二人は、熱く、激しく、互いを求め合った。
* * *
「もひとつあったっけ」
カカシはベッドの下に脱ぎ捨てたままのベストのポケットを探った。
取り出したのは、飲み屋で会計を済ませた際に貰った飴玉。
「こんなに “効き目” があるとは」
横で安らかな寝息を立てているイルカをしみじみと見つめながら、包み紙を剥いてぽいっと口に入れる。
「甘い」
それは、イルカが飲み込まされた “媚薬” と同じもの。
里にそんな薬は無いとイルカが知るのは、いつのことになるのか。