[ 2 ]






「俺、横にいただけなのに緊張しちまいましたー!」

まだ受付所に配属されて間も無い新人中忍が、休憩所で騒いでいた。
はたけカカシを間近で見たと、それだけで興奮しているのだ。

「だって、あのはたけカカシですよ!」
「コラ、上忍を呼び捨てにするんじゃない」
「でも、あれだけの有名人だったら、もう、テレビに出ているタレントと同じ感覚じゃないですかー!」

新人はイルカに叱られても怯まず、更にテンションが上がっている。

「そんなのと一緒にするな」
「あ〜あ、イルカさんはいいよな〜、あんな凄い人とお知り合いで。 さっきだって楽しそうに話してたし」
「ただの知り合いだ」
「それが凄いってんですよー」

イルカはやれやれといった調子で眉頭を上げると、軽く溜息をついた。

「おまえだって、アカデミーの教師になって卒業生を送り出せば可能性はあるぞ」
「えっ? 本当ですか?!」
「生徒たちの上忍師をカカシ先生が担当されれば、繋がりができるだろ。 立派なお知り合いだ」

それは、今のイルカとカカシとの関係でもあった。

「えー、でも、俺は教師には向いてないし、やっぱり、本人を前にしたら竦んじゃうと思うので…」
「竦む?」
「だって怖いでしょ? 写輪眼で見られたりなんかしたら……」

コピー忍者という異名を持つカカシは、左目に写輪眼を持っている。
それは、里の忍にとっては憧れの対象であると同時に、畏怖されてもいたのだ。

「普段は隠してらっしゃるから、何も怖がることは無いさ」
「でも、とっつきにくそうだし」

言われてみれば、はしゃいだりはしない人だから、そういう印象を持たれても仕方が無いのかもしれない。

「雰囲気からして、人を寄せ付けないというか」

猫背でポケットに手を突っ込んでいるのが基本姿勢で、歩きながらでも本を読んでいたりする。
そんな相手に声を掛けるのは、普通は躊躇するのだろう。

「何を喋っていいかわかんないですしねー」

確かに、自分も最初はそうだった。
と、イルカは今までを振り返った。

「でも、いい人だよ」

イルカからにっこりと笑みを向けられた後輩は思った。
この笑顔という武器があるから、あのはたけカカシと堂々と渡り合えるのだろう。
羨望と軽い嫉妬が混ざっている複雑な気分。
その二つともが、イルカにもカカシにもどちらにも向かっているようで、またまた混乱しかけた。

「うーん、やっぱ俺は遠くから見ているだけでいいですー」
「そうか? よければ今度、一緒に飲みに行くからおまえも誘ってやろうかと思ったんだが」
「いえっ!! 俺は遠慮しますっ! その、お気持ちだけで…」

イルカはただ好意で言ってくれたのだろうが、その感覚は既に一般人とはかけ離れている、と思えた。
酒の席で何も緊張せずにカカシと楽しめる中忍は、里中捜してもイルカくらいだろう。
だがそれは、「残念だなあ」 などと呟いている本人には言わないことにした。

「さ、休憩終わり。 残りも頑張ろう!」
「はいっ!」

イルカは少し興奮も鎮まった新人の肩をぽんと叩くと、二人揃って受付へと戻って行った。



 * * *



イルカとカカシが時々酒や食事を共に楽しむようになったのは、ナルトを介して接する機会ができてからだった。
それまでは受付所でたまに顔を合わせるくらいで、数えるほどの言葉しか交わしていない。
だが、ナルトの上忍師をカカシが任されてから状況は一変した。
ナルトの元教師という立場からイルカがカカシに挨拶した時、ゆっくり話しましょうと食事に誘われたのだ。

その時、最初のうちはどちらも様子を窺っていたせいもあってぎこちない雰囲気が漂っていた。
しかし、お互い年も近く、二人とも飲めるとわかり、酒が入ってからは、一気に砕けた調子になった。

「イルカ先生とのお酒って、楽しいです」
「俺も、今夜はご一緒できて嬉しかったです〜」

イルカは一人称が “俺” に変わっているのも自分で気にならないほど、カカシと打ち解けた。
皆が憧れる有名人とこんなに近付けたのは、純粋に嬉しい。
いや実際、カカシと一緒の場がこれほど心地良いものだとは想像もしなかった。
時が経つのも惜しいほど楽しみ、つい、次の機会を望んでしまう。

「また、誘ってもいいですか?」
「ええ、是非!」

お開きになって店を出た後、カカシの口から出た言葉に、イルカは思わず大声で返事していた。
どこか遠慮がちに言ったカカシの手を勢い良く取ると、イルカは両手で握手したまま上下にぶんぶんと振り続ける。

「俺達の関係は始まったばかりですからねー! 今度は飲み明かしましょう!!」

ぎゅっと握り締めている手は、まだカカシを離そうとしない。
かなり酔いが回って威勢のいいイルカを、カカシは微笑みながら見ていた。
イルカにとってはこれからが始まりなのだろうが、実際は違うのだ。

――― 今夜は、再会を祝した席でもあったんですよ

長期任務から戻り、受付所でその姿を見た時、心臓が止まるかと思うほど驚いた。

――― あのコだ………

もう、少年の面影を残していないほど立派な大人になっていたイルカ。
鼻梁を横切る一文字の傷と、あの時と変わらない髪型ですぐに気付いた。
いや、そんな目印が無くてもわかっただろう。
人を真っ直ぐに見つめる黒い瞳と明るい微笑みは、昔のままだったから。

森の中で助けた後、入院したと耳に入っていた。
けれど、見舞いになど行けやしない。
窓の外からでもそっと姿を見るだけにしようか、とも考えたが、足は動かなかった。
もう、これ以上深入りしない方がいいのかも、と思ってしまって。

だが、イルカに向かう衝動は止まるどころか、想いは膨らむ一方で。
退院してから後、慰霊碑の前で佇む姿を見守った。
中忍に昇格したのも知っている。
確実に自分に近付いてきていると感じて、喜びから身震いさえした。
少し成長した身体にベストがよく似合っている。
自分も持っている支給服を着込んだ姿を見て、お揃いだと思うと嬉しくて何故か照れたりもした。
遠くから眺めるだけで、身体中の血液が沸騰したのかと思うほど一気に体温が上昇し、顔と身体が火照った。

会いたい。
と、思った。
ちゃんと顔を合わせて、見つめ合って、言葉を交わしたい。
と、切実に願った。

だが、行動には移さなかった。
互いに見知っている間柄では無い。
自分が一方的に追いかけているだけだ。
そんな人物がいきなり目の前に現われても、困惑させてしまう。

もっと自然に出会ったりはできないものだろうか。
同年代の友達として語り合う場面は、夢の中の出来事でしかないのだろうか。
自分が暗部でいる限り、イルカとの邂逅は到底無理なことに思えた。
ならば……。

それからカカシは、既に決まっていたいくつかの任務を終えた後、火影に願い出た。
上忍になりたい、と。
それは同時に、暗部を辞めたいという希望でもある。
三代目は何も聞かずに承諾してくれた。
カカシは、頭を下げて礼を言った。

その後、見事上忍になってからというもの、忙しさはそれまでとさほど変わらなかった。
長期任務も度々入れられ、里に居る時間は前よりも少なくなったかもしれない。
そして、イルカも中忍となってからは、任務で忙しかったのだろう。
下忍の頃によく見かけた場所を探しても、イルカの姿はなかなか見つからなかった。

寂しかった。
近付きたいが為に上忍になるという道を選んだのに、返って会えなくなってしまったとは。
今の立場を利用してイルカの行動を把握するのは容易だ。
しかし、そこまではしたく無かった。

二人の進む道がいつか再び交わるのなら、その時を待とう。
再会の時に堂々としていられるように、優しく笑みを浮かべられるように、今はただ、日々を確実に過ごそう。

イルカのことは、いつも胸のどこかに存在していた。
しかし、激務に追われて、ゆっくりと物思いに耽る暇も無い。

そんな折り、カカシはまた長期任務を命ぜられた。
新しく興った国を、陰から支えるというもの。
その国はできたばかりで情勢がまだ不安定な為、暴動が後を絶たないらしい。
それが激しくなると、近隣諸国を巻き込んだ戦争になるかもしれない。
他国は、領土を広げるチャンスを虎視眈々と狙っているのだ。
火の国にとっても、その事態は見過ごせないものだった。
それで、木ノ葉隠れの里に依頼が来た。
鎮圧も任務に含まれている為、落ち着くまで解放されそうに無い。
終了の期限が切られていないのだ。
つまり、どれだけ掛かるかわからない。
数日か、数ヶ月か、数年か。

悩んだ末、カカシはその任務を受けた。
そして、全てが片付き戻って来られたのは、三年後だった。

里の大門をくぐった時、ようやく帰ってきたんだ、と感じられた。
一見したところ、里の様子はあまり変化が無いようだ。
それが、どこか嬉しい。
報告書を提出すれば、あとはしばらくの間、ゆっくり休める。
面倒な作業はさっさと済ませてしまおう。
そして疲れを取ったら、ぶらぶらと散歩でもしようか。
どこかでイルカに会えるかもしれないから。

そう思いつつ、帰ってきたその足で受付所に向かった。
そこで、久々に現われたカカシを出迎えたのは、思い掛けない人物だった。

――― イルカ……?

それは、カカシがかつて望んだ未来の姿の、二つのうちのひとつでもあった。
中忍で内勤のイルカと、上忍になったカカシ。
暗部を辞めて良かったと、心から思った。
まだ、まともな感情が残っているうちに、“人” に戻れたことに感謝さえした。

報告書を出す手は震えていなかっただろうか。
緊張が伝わってはいなかっただろうか。

言葉をほとんど交わさずにその場を離れてしまったのは、少々悔やまれた。
もっと、声を聞きたかった。
昔よりは幾分低くなったが、張りのある美しい声。
耳をくすぐる音色に、もっと酔い痴れたい。

またココに来れば会えるだろうか。
それからは、受付所に行くのが楽しみになった。
出勤してその日の任務内容を受け取れば、朗らかな声で送り出される。
任務が終わって戻って来れば、穏やかな声が労ってくれる。
それは、カカシにとっては至福の時にも似て……。

そのまま付かず離れずの関係であった二人だったが、突然変化が起こった。
イルカがアカデミーから送り出した生徒をカカシが受け持つことになったのだ。
近付きはしたもののずっと平行線のままだと思っていた二本の線が、ここで交差した。
これでようやく、イルカと対等に向き合える……。

カカシは、酔いで頬や目元をほんのりと赤く染めているイルカをじっと見つめた。
さきほどのイルカの言葉が唐突に甦ってくる。

 『俺達の関係は始まったばかり』

イルカは正しかった。
そう、ここからがスタートなのだ。

少し図々しかったかと、慌てて手を離してあたふたとし始めたイルカの肩に、カカシがそっと腕を回す。
友達同士がよくやる、自然な仕草で。
こちらも同じくらいスキンシップしたいのだと、それとなく伝わるように。
肩を抱かれた格好のイルカは一瞬驚いたものの、すぐに破顔して自分の腕もカカシの肩に回した。

「帰りましょうか」
「はいっ!」

傍から見れば、肩を組んで機嫌良さそうに歩いている、ただの酔っ払い二人組。
それから、二人の交流が始まった。



 * * *



「お茶、淹れますね」
「じゃあ、卓袱台を拭いておきます」

イルカの手料理をご馳走になるのが、もう当たり前になっている。
カカシは、少々強引かとも思ったものの、現状には非情に満足していた。

外食の時はいつも割り勘だったが、ある時、あまりに頻繁だと懐具合が辛い、と恥ずかしそうに言われた。
しかし、カカシにとってイルカと過ごす時間は何よりも貴重なものだ。
だから、イルカから出された 「料理するので自宅でどうか」 という案に、すぐに飛び付いた。
「材料費は俺が持ちます」 と条件を付けて。
それならば、どちらか一方にだけ負担が掛かるということにもならない。

だが、初めのうちイルカは、カカシが食費を全額負担しているという事実に恐縮していた。
カカシは夕食分だけでは食べ切れない量や内容の食材を、定期的にイルカの家へと運び込んでいたのだ。

「残すと勿体無いですから、イルカ先生がご自由に食べちゃってくださいね」

そう言って、朝食や昼の弁当の材料までいつの間にか冷蔵庫へと入れてゆく。
つまり、三食ともカカシが買って来た物で遣り繰りしているという事実。
調味料が切れそうになると、知らない間に買い足されている場合もあった。

カカシは夕食を食べたら帰ってしまうので、朝食はイルカひとりで食べている。
お昼も、内勤で定時に弁当の時間が取れるイルカと違って、カカシは任務により時間が左右される。
その為、せっかく弁当を用意してもらってもいつ食べられるかわからないので、カカシは最初から断っていた。

「イルカ先生のお気持ちだけ有り難くいただいておきます」

しかし、それではイルカの立場が無い。
「カカシ先生が食べたい物だけ買ってください」、と頼んでも無駄だった。

「どれも、イルカ先生が料理すると美味しくなるだろうな、と思うと、ついつい買ってしまうんですよ」

嬉しそうな笑顔で言われると、それ以上は強く断れなくなってしまったのだ。
任務後に時間があれば毎晩でも構わないので食べに来てください、と言うくらいしかできないのは心苦しい。
けれど、自炊が苦手だというカカシが、

「美味しいご飯が食べられて幸せです〜」

と、本当に嬉しそうな顔でイルカの作った料理を食べるのを見て、それでいいか、とも思った。
ならば、いつも満足してもらえるように、腕を奮おう。
材料の好き嫌いは無いらしい。
ただひとつ、てんぷらは苦手だと聞いたので、それは決して作らなかった。
もっと料理も勉強して、レパートリーを増やそう。
そうすれば、食材を少しずつでも全てカカシに食べてもらえるはずだ。
そう思うことで、自分を納得させた。
そして、酒は自分が用意すると押し切り、いつもとびきりの逸品を買い求めた。

誰かと一緒に、できたてのご飯をいただく。
旨い酒と肴もある。
それは、ある種の幸せの形だろう。

イルカも、カカシが自宅にやって来るようになってからというもの、夕食の時間が楽しみになった。
今までは、時々ナルトを誘って一楽へ繰り出したりするくらいで、ほとんどはひとりっきりの食事。
両親を失ってからもう長い年月を経てきたから、いい加減慣れたはずだった。
なのに、カカシに初めて誘われ、食事を共にした翌日、ひとりで食べる空しさを久々に感じてしまった。

味気ない。
寂しい。
誰かに側に居て欲しい。

その時、脳裏に浮かんだのは、銀髪の上忍の姿。
一緒に過ごした時間があまりにも楽しかったからだろうか。
だから、次に誘われた時も 「行きます」 と即答したし、自宅にカカシを上げることにも抵抗は無かった。

急激に親しくなり過ぎているかも、と考えたりもしたが、カカシと過ごす楽しい時間を諦めるつもりは毛頭無い。
階級の差を気にせず、個人対個人の付き合いができているのは奇跡に近いと思うから。
自分がカカシに憧れるのは当然だが、カカシほどの上忍がこんな中忍を相手にするのは不思議だったのだ。

どうして誘ってくれるのか、と尋ねたこともある。
するとカカシは穏やかに微笑んで、「イルカ先生と一緒の時間が楽しいから」 と答えた。

楽しい、というのは初めて飲みに行った時にも言われた。
そして、いつも言ってくれる。
今日だって……。

「遅くなって悪いなと思いましたけど、来て良かったです。 楽しかった」

酒が進み、料理も綺麗に平らげ、今は食後のお茶を用意しているところだ。

「はい、どうぞ」
「どうも」

卓袱台には、湯気の立つ湯呑みが二つ置かれた。
イルカがカカシの右隣に腰を下ろす。

初めてカカシを招き入れた時、二人でどう座ろうかとイルカは一瞬迷った。
一人暮らしを始めてからというもの、ここで誰かと食卓を囲んだことなど無かったのだ。
カカシはお客だから一番良い席に案内するのが礼儀だけれど、この部屋に上座なんて席は無い。
それで、取り敢えず、いつも自分が座っている位置を勧めた。
TVを真正面に見られるその場所なら、料理の出来あがりを待ってもらう間でも寛いでもらえるだろう。
そして、自分は台所に近い、カカシの右隣を選んだ。
距離が近いのはどうかとも思ったのだが、正面ではカカシの視界の邪魔になってしまうので。
そして、初めて座った場所が、その後二人の定位置となった。

「どんなに遅くても構いませんよ。 俺も、ひとりで食べるよりずっと楽しいですから」
「そう言ってもらえると助かります」

カカシは笑みを浮かべながら湯呑みを取った。
暫し、静かにお茶を啜る音だけが部屋を満たす。

二人は一緒に居て、何も話さなくても構わない、という段階にまで来ていた。
余計な気遣いはしない。
自分がリラックスすれば、相手もリラックスできる。
自然体でいればいいのだ。

実は、イルカはこの関係に慣れるまで少々時間が掛かった。
だが、のんびりと過ごすカカシに合わせるに連れ、やっと自分も気負わないでいられるようになった。
友達同士でこれほど理想的な関係が他にあるだろうか。

イルカが今日も心地良さに浸っていると、「ところで」 とカカシが切り出した。

「イルカ先生のファーストキスって、いつでした?」

今まで、様々な事柄について話してきたが、恋愛についての話題はあまり無かった。
彼女がいるのか、とか、好きな人はいるのか、と訊かれたくらいで。
イルカの答えはどちらもNO。
カカシはそれを聞いて、そうですか、と言ったきり、それ以上は何も詮索しなかった。
そんなカカシの恋愛事情について、イルカも知りたいと思ったが、止めた。
返答次第では、もしかすると嫌な気分になるかもしれない、という予感がしたから。
その後、この手の話題は食卓には上らなかったので、今の唐突な質問にイルカは少々動揺した。

「あ…あの…、えっと………」
「答え難ければ、答えなくて構わないです」

スミマセン変なこと訊いて、とカカシが恐縮している。
親しい相手の過去を知りたいと思うのは不自然では無い。
カカシが自分に興味を持ってくれるのをどことなく嬉しく感じたイルカは、答える気がある旨を先に伝えた。

「俺の場合は……」

興味津々といった様子で、テーブルに片肘を付き、掌に顔の半分を乗せたカカシがイルカを見つめている。
先ずイルカが思い出したのは、初めて付き合った女性の顔だった。
しかし、そのことを口にしようとした時、何か別の物が視界を過った気がした。

(あ…そうだ、あの時……)

「……恋愛の場面に限らず…」

イルカは、懐かしい記憶を手繰り寄せながら、ゆっくりと話し始める。

「誰かの口と自分の唇が触れ合ったのも数に入れるなら、俺のファーストキスは任務中でした」
「!」

カカシの目が少し見開かれたが、自分の内部と向かい合っているイルカはそれに気付かない。

「多分そうだろう、というおぼろげな記憶でしかないんですけどね」

はにかみつつ、遠くに思いを馳せるような目で、イルカは続ける。

「まだ下忍の頃、怪我した俺を助けてくれた人がいて」
「……」
「気を失っている俺に水を飲ませてくれたんです、口移しで。 はっきりと覚えてるわけじゃないんですが…」
「……」
「誰だかわからないままですが、それが俺のファーストキス……なのだろうと思っています」

最初は、自分を助けてくれたのは、気が付いた時に側にいた中忍かと思った。
でも、中忍はもう成人した大人だったが、記憶の中の恩人はもっと子供だ。
後ろから抱えこまれた時、同じくらいの体躯だと思ったし、頭を撫でてくれた手も大人のものでは無かった。
多分、自分とそう年は変わらないくらいの少年。
だとすると、今は、自分やカカシくらいの大人に成長しているということか。

――― カカシ先生……くらい……?

ふと、脳裏を何かが掠めた。
時々視界の隅をちらつく銀の残像。
それはまさに、この人の髪と同じ色では無いのか。

「カカシ先生……、あの―――」

暗部時代に子供を助けたことはありますか?

そう訊こうとして、止めた。
カカシが暗部に属していたというのは噂で聞いただけで、本人に確かめてはいない。
肩に名残の刺青でもあれば判断できるが、肌を目にする機会も無かった。
だが、一度思えば思うほど、あの時の少年が目の前の人物と重なってゆく。

「カカシ先生のファーストキスは?」

途中で途切れたままの言葉を無理やり繋いだ。

「俺は……、いつだとか相手が誰かは内緒ですが、初恋のコです」
「そう…ですか……」

心のどこかで期待していた答えとは違っていた。
もしかすると、あの相手がカカシだったとして、あの行為はカカシにとっても初めての経験だったのでは無いか。
そう、勝手に思っていたのだ。

だが、奥手の自分と一緒にしては失礼かと、即座に思い直した。
あの頃、暗部に属していたなら、自分より早くから世間に揉まれ、大人社会の中で過ごした時間が長いはずだ。
色恋沙汰に巻き込まれたり、といった場面もあったかもしれない。

イルカは、カカシが初恋の相手だと言う人物を羨ましく思った。
初めて、というのは、それ以降とは違う意味を含んでいるから。
カカシの表情からして、その出来事はより印象深く、より大切な思い出として心の中に仕舞われているのだろう。

――― 貴方の一番最初で無くてもいいから、自分に触れたのがその唇なら良かったのに……

はっきりと開かれていたイルカの目が少し細められ、潤んでいるようにも見える。
その瞳が見つめているのは、カカシの唇。
口布に覆われていない、無防備な唇。

触れてみたい。

そう思った時、無意識のうちに手が伸びていた。
指先が下唇に触れる。
その瞬間、はっと我に返って咄嗟に戻そうとした手を、カカシが掴んだ。

「遠慮しないでいいですよ」

そう言って、掴んだ手を自分の頬に当てた。
許しが出たので気が大きくなったのか、それとも、少し過ぎた酒のせいだろうか。
イルカは導かれるままにカカシの顔に手を這わせた。

初めて触れる、カカシの肌。
化粧などしていないのに、色白で美しい。
初めて素顔を見た時には、見惚れてしまったほどだ。
今も、見る度にドキドキしてしまうくらい、大好きな、この顔……。

「もっと触って……」

自分の唇に誘導する。
イルカの指が、再びカカシの唇を辿った。
輪郭をなぞり、弾力を確かめる。
薄いけれど柔らかな唇。

吸い付きたい……。
と思ったのは、どちらの心なのか。

カカシがうっとりとイルカを見つめたまま、口を開いた。
イルカの視線は、自分の指先とカカシの顔とを行ったり来たりしている。
その瞳が、カカシの眼差しとぶつかって止まった。

「あ……」

イルカは緊張して、身体が強張っていた。

「カ…カシ先生……何を……」

カカシがイルカの人差し指を咥えていたのだ。
窄めた唇で包み込み、舌を指先に這わせる。
ざらついた舌が指の腹を舐め上げるのがわかる。
先端から伝わる刺激に、イルカは漏れそうになる声を必死で我慢した。

恥ずかしくて堪らないのに、視線を外せない。
指も、振り払えばいいだけなのに、それができない。
カカシが何故こんなことをするのかわからないから。
いや、自分がその唇を望んでいたから……。

カカシは満足したのか、やっとイルカの指を解放した。
が、次はイルカが意外な行動に出た。

「!」

さっきまでカカシが舐めていた指を、イルカが自分の口に含んだ。
目を閉じ、隅々まで味わうように舐めているのが、外から見てもわかる。
カカシは思わず、その頬に手を添えた。

「イルカ先生………」

愛しげに頬を撫で擦る。
黒髪にも触れ、束ねていた紐に手を掛けた。
するりと解かれ、一括りにしていた髪がしなやかに落ちる。
イルカはまだ目を伏せたまま、舐め終えた指を胸の辺りできつく握っている。
その胸が、大きく上下していた。

(欲しい……)

初めて見るイルカの姿に、カカシは欲情した。
二人の間の卓袱台を、そっと横へ移動させる。
項に手を回し、抱き寄せる為にその手に力を込めた。
その時、されるがままに任せていたイルカが、ふと目を開けてカカシを見た。

「あの…カカシ先生……」
「はい、何ですか」
「俺、どうなっちゃったのか……どうしていいかわかりません……」

みるみるうちに呼吸が荒くなり、肩で息をしだした。
身体ががくがくと震え、何度も唾を飲み込んでいる。

「大丈夫」

カカシは穏やかに微笑を向けると、怖がらせないようにそっとイルカを引き寄せた。
後ろ抱きにし、自分の胸の中にその身体を収める。
耳元に唇を寄せ、優しく話し掛けた。

「大丈夫だよ」

その声を聞いたイルカの震えが、突然、ぴたりと止まった。
一瞬、硬直した身体が、カカシに身を委ねるように脱力している。

――― この人だ……あの時、俺を助けてくれたのは、やっぱりこの………

天を仰ぐが如く上を向いたイルカの眼から、涙が一筋零れた。
それに気付いたカカシが、慌てて顔を覗き込む。

「どうしたんですか?」

心配そうなカカシを見て、イルカは泣き出したいのを我慢すると、そのまま首に抱き付いた。

「ごめんなさい、もうしませんから、あんなこと……」

おずおずとイルカの背に手を回しながら、カカシが謝罪した。
押さえが効かなかった自分の行動でイルカが悲しんでいるのかと思ったのだ。
しかし、謝るカカシをぎゅっと力強く抱き締めながら、イルカはぶんぶんと首を横に振った。

「…違うの? ……じゃあ、何で……」
「……ありがとう」

その声はあまりにも小さく、カカシも聞き取れないほどだった。

「え?」
「やっと言えた……」

イルカは、カカシから上半身を離して向き合うと、照れくさそうににっこりと笑った。

「何でもありません」
「何でも、って……」

――― あの時の暗部が自分だと、この人が名乗ることはできない、させてもいけない……

ひとり納得している様子のイルカを見て、カカシはそれ以上問い質さなかった。
気付いたのだ、とわかったから。

そのままじっと自分を見つめるイルカを抱き寄せ、畳に横たわらせた。
髪を梳き、頬を撫で、唇に触れる。
イルカがそっと目を閉じた。
二人の唇が重なる。
舌と舌を絡め合い、もっと、と求める。

もっと貴方を。
もっと感じたい……。

「俺の」

くちづけの合間に、

「初恋の相手は」

カカシがイルカに吐息で伝える。

「ひとつに括った髪も、つぶらな目も黒くて」
「んっ……」

イルカは夢中でカカシのくちづけを受けていた。

「鼻に傷のある」
「……?」

はあはあと息を乱しながら、イルカが動きを止めた。

「忍者を目指していた可愛いコでした」
「!」

イルカの顔がみるみる真っ赤になった。

「そ……、それって……」
「誰か、ってのは内緒ね。 忍は口が固いから」
「んっ!!………」

タイミングは同時だった。
どちらもが互いを貪るように求める。
イルカの眦から、また涙が零れ落ちた。
その雫をカカシの舌が掬う。

「今夜は、泊まってもいいですか?」

イルカかは恥ずかしそうな表情のまま、こくんと肯いた。

「初めて朝食を食べてもらえますね」
「楽しみです」
「腕に縒りをかけて用意します!」
「でも」
「え?」
「その前に頂くのは……」
「あ……っ」

上衣の裾からカカシの手が忍び込み、捲りあげて腹部を晒す。
古傷を探し当て、唇を寄せた。

「……ああっ!………」

くちづけられた箇所が熱い。
また、しくりと痛みを感じた気がした。
しかしそれも、今は甘い痛みとなるだけで…。

二人は、時を越えた想いと共に、身体を重ねた。
そして、いつまでも求め続けた。


もっと奥まで
もっと、もっと

もっと深く……
貴方だけを………
















少年の頃に出会った、境遇の違う二人が、わずかな接点を手繰り寄せるようにして
触れあうようになるまでのドラマ(〃∇〃) 幼馴染み萌えも入って存分に味合わせていただきました〜///
イルカ先生の子供&下忍時代も激しく萌えでっっ
皆の畏怖と憧れの的のカカシ上忍の存在はカッコ良いのです///
遊亜さんの長篇カカイル小説は、オフでもお楽しみいただけますv
『僕達の課外授業』もどうぞ宜しくです〜//
忍術の使い方が巧みで、ドラマチック仕立てにお届けです!


←イルカ先生コーナーへ

←SHURAN目次へ