数日前から、どうもあたりが騒々しい。道端のベンチに座り込み、アリオスは真上に目を向けた。
旅の途中で立ち寄った町には、初夏の明るい空気が満ちている。『仲間』たちが最近やたらと賑やかなのも、そのせいだろうか。自分には関係のないことではあるが、少しは気になっていた。
「あ、ダメだよチュピ!! まだ我慢しなきゃ!!」
「……?」
はしゃぎ声の出所に顔を向けると、紙袋を抱えたマルセルが、小鳥とじゃれあっている。同じ顔をした部下と性格が五百四十度違う少年が、アリオスに気付き、駆け寄ってきた。
「アリオス!! どうしたの? こんなところで」
「それはこっちが聞きたいんだがな……その紙袋はどうした」
「あ、これ? ほら!!」
覗いてみた袋の中では、近所の店で買ったらしい、色とりどりの袋や紙箱がひしめき合っている。試しに一つ引きずり出すと、マルセルの肩に止まったチュピが、いきなり暴れだした。
「小麦粉に、バター、卵と……粉砂糖、ドライフルーツ。それに……製菓用ブランデー……!?」
「うん。ケーキの材料なんだ……こらチュピ!! 干しぶどうなら、後であげるから、もう少し待ってよ!!」「で、何がどうなってケーキ作りなんて話になるんだ?」
「あれ、アリオス聞いてなかった? 明日のこと」
「はぁ……?」
「あ、やっぱり知らなかったんだ。明日ね、ルヴァ様の誕生日なんだよ!!」
「誕生、日ぃ!?」
よほどすっ頓狂な声をしていたのか、あたりを歩いていた人々が、訝しげにこちらを振り返る。慌てたマルセルが、人さし指を口元に当てた。どうやら、それなりに秘密の計画らしい。
「じゃあ僕、これから宿の台所借りてくるから、後でね!!」
一つに括られた金髪をなびかせながら、元気良く駈けていく少年を見送り、改めてアリオスは真上に顔を上げた。
木漏れ日が眩しい。木陰を吹き抜ける風はひんやりしていて心地よいが、太陽の下はからりとした暑さの支配下に置かれている。
似合わねえ……
地の守護聖ルヴァを一言で表すと、良く言って善良。悪く言ってお人好しと言ったところだろう。
アンジェリークを火事から救出したことで仲間に加わった自分を、うさん臭い目で見る人間も多かった。それが当然だろうし、第一正論だから文句は言えそうにない。もともとその気もさらさらなかった。
ルヴァは、そんな自分に初対面から笑顔を向けた、数少ない人間だった。
「よろしくお願いしますねー」と言って向けてきた、のほほんとした笑顔に、思わず拍子抜けしてしまったのをまだ覚えている。
よほど平和ボケしていたのか、とも思ったが、どうやら生まれ持った性格らしい。
年中春めいた思考回路は、記憶の中に残る少女と、どこか似通っていた。
そういや、あいつの誕生日……十月だっけか、確か。
あくまでも現在形で考えてしまうのが、自分の苦笑を誘う。いくらエリスの復活を狙いはしても、今の彼女は過去の存在だというのに。
いや、むしろ過去形にするのが怖いと言ってもいいだろう。彼女を過去の思い出と見なせば、今自分がここにいる意義が薄れてしまうかもしれない。あの時も、そして今も、そんなことはできやしなかった。
ふわ、と一陣の風が吹き渡る。すっきり晴れ渡った空も、青々と茂る緑も、すべてが自分とはそぐわない。
似合わねえ……
また、同じ言葉を心で繰り返した。
様々な生物が精力的に動き回り、暑い空気をものともせずに走り回る。希望に満ち、『生命の輝き』があふれている、そんな季節だ。自分には、とことん似合わない。
「誕生日、か……」
楽しい思い出が見当たらない日の名称を小さく呟き、ベンチから立ち上がった。
「……アリオス……アリオス!!」
月が照らす夜の森に、自分を呼ぶ小さな声が響く。軽く息を弾ませたルヴァが、木の影から姿を表した。
「良かった。ここに、いたんですね」
どうにもいたたまれなくなり、賑やかな空気に背を向け、宿を抜け出した矢先のことだった。主役が自ら探しに来てどうする、とも言いたくはなるが、とりあえず黙っておく。
「で、何か用か?」
「ああ、忘れるところでしたよー。はい、これ」
手にした紙ナプキンの包みには、マルセルのケーキが一切れ入っていた。
「さっき、何も食べてなかったでしょう? だから……」
お腹が空いたままだと体に毒ですよー、と言いながら微笑んだ顔に毒気を抜かれ、礼を言いつつケーキをつまみ上げた。素朴で程よい、ドライフルーツの甘みが口に広がる。
「一応、おめでとうとは言っておくぜ。」
「あー、ありがとうございます。けっこう、複雑ではあるんですけどねー……」
訝しげに見つめた顔が、少し拗ねたように歪んだ。
「ゼフェルから言われたんですよー。これ以上、じじむさくなるなって……私って、そんなに年寄りに見えます?」
「ルヴァ……あんた、自覚なしかよ」
「……やっぱり、見えちゃうんですか……」
はあぁぁぁ、と大きな溜め息をつき、俯いたルヴァの姿がアリオスの笑いを誘う。
小さく漏らした笑い声に向けられる少し怒ったルヴァの視線も、しまいには笑いだしていた。
「あ、そういえば……アリオスの誕生日って、いつなんですか?」
「十一月の……二十二」
特に思い入れもへったくれもない日だ。強いて言うなら、楽しいよりは恨みがましい、最悪な人生の幕開けだった日とも言える。
これでも一応、皇族と呼ばれても文句が言えない立場だったので、当日はそれなりの物が届けられてはいた。けれど、添えられた祝いの言葉が偽りの物だとはすぐに気付いたし、暖かな愛情なんて、はなから期待してはいない。
無駄な人生が、また一年重なることを見せつけられる、ただそれだけの日だった。いつか一緒に祝おう、と約束した恋人も、それを果たす前に命を絶ってしまい、結局のところ、苦い思い出しか残っていない。
「十一月の二十二日、ですね? ……じゃあ、その時はみんなでお祝いしましょうか」
「ん……」
そんなことは単なる夢物語だと、二人とも知っている。しかも自分の場合、その頃には自分かルヴァがこの世に存在しないだろうことも分かっている。
果たされなかった約束と、果たされないことを承知で結ぶ約束と、どちらが精神的な負荷は少ないのだろう。一般的には、後者の方が、まだ気が楽だと言えるのかもしれない。
……けれどなぜ、その『気が楽な方』を選んだというのに、こんなに胸が苦しい?
「さてと……そろそろ戻ります?」
「ああ……そうだな」
何はともあれ、今日くらいは、何も考えずにいたい。彼の知らない、自分の正体も、過去も、もう一人の自分のことも……
初夏の木漏れ日のようにやわらかい、その微笑みが向けられている、今だけは。
fin.