現代篇

声にならない叫び声をあげて半助は飛びおきた。呼吸は荒く心臓は今にも破裂しそう
な勢いで早鐘を打っている。脅えたような表情で辺りを見回し、香炉に目を止めると
飛びつくようにして香を消した。身体中の息を全部出すような溜息をつき、のろのろ
と布団にもどる。汗でぐっしょり濡れている夜着が無性に気持ち悪かった。

――あれが…あれが私の前世だって?冗談じゃないぞ。なにが悲しくて男に襲われな
くちゃならないんだ。そ…それも…あ…いや…石川の奴ろくなもんもってこないんだ
から――

思い出すと赤面しそうな夢の内容に半助は口を噤んだ。それにしても、今見た夢が本
当に己の前世だったとしたら。と考えて半助は情けなくなった。悲恋とはいえあんな
美女と恋仲にまでなったのに事の結末があれ、だなんてあまりにも悲しすぎる。単な
る夢だと割り切ってしまえばいいんだろうが、あんな夢をみるほど欲求不満だったと
いうのも情けない。どっちにしても虚しい慰めだ。

夜明けまでにはもう少し時間がある。だが、半助はとても寝直すような気分にはなれ
なかった。濡れて肌にはりつく夜着を脱いで着替えると、二度と使うもんか、とばか
りに石川からの土産である香を納戸の奥の片隅に押し込んだ。

結局いつもどおりきり丸のバイトの手伝いに追いまくられたまま長い夏休みも終り、
いつもどおりの学園生活が始まる。と思ったのも束の間。二学期が始まって十日とた
たないうちに押しかけてきた大木雅之助によって半助の束の間の平穏は打ち砕かれ
た。

「よお!元気だったか半助!わしはさみしかったぞ!!」
職員寮の伝蔵と半助の執務室に入ってくるなり雅之助は半助に逃げる暇を与えずにそ
のぶっとい腕で抱きしめてきた。不幸な事に伝蔵は出張している。

「は…離して…下さい。大木…先生…くる…しい……」
「おおっ?すまん、すまん。ちぃ〜と強すぎたか」
上機嫌でガハハ…と笑う雅之助を半助は涙目で睨みつける。もっとも、涙で潤んだ目
で睨み付けたところでこの男が反省するとも思えなかっが……。

「それで今日は何のご用でいらしたんです?」
言外に自分の方は用が無い。と強調しておく。雅之助の方もそれは先刻承知とみえて
その程度の嫌味は耳の中を素通りさせていく。

「お前に逢いにきたにきまっとるだろう」

「そうですか。失礼します」

障子を開けて、半助は自分の部屋から出て行こうとする。このまま大木と一緒に居た
ら何されるかわからないし、いままでのパターンからいっても、もたもたしてると野
村先生までやって来るにちがいない。新学期早々、胃炎を悪化させたくはない。人
間、平穏が一番だ。

「おい。どこいくんじゃ?」
「とりあえず、貴方に邪魔されずに仕事ができるところです」
それに雅之助は不審そうに首を傾げる。

「わしが何時、仕事の邪魔をした?お前に逢いに来てるだけだろ」
いつものあ・れが邪魔でないというのか?心底心外そうな顔をする雅之助に盛大な溜
息をつく。

「だったら、もう用は済んだんですから、早く杭瀬村にお帰り下さい。私はこれ以上
のごたごたは御免です」

「冷たいのぉ。野村だったらきやせんから大丈夫だって。まったく五百年前から人の
邪魔ばかりしおって…」

――えっ?――

最後の方は完璧に独り言になっていたが、半助にとってはそっちの方が気に掛かっ
た。
聞き返そうとした半助の後ろの扉が開き、文字通り黒煙たなびかせた野村雄三が仁王
立ちに立っていた。

「ま・さ・の・す・け〜!!」
「ちっ!もう来やがったか」

雅之助が忌々しげに舌打ちする。これでもう後の展開はきまったようなものだ。
「きさま、よくもあんな所に埋め火なんか仕掛けてくれたな!」
「よく、わしが仕掛けたとわかったな」
「わからいでか!だから昔っからお前とは反りが合わんのだ」
「そいつは、お互い様よ!いつもいつもわしが大事にしてるもんばかり横から掻っ攫
いやがって!」
「それは私の台詞だ。毎回、私の大事なものにばかり目をつけおって!」
「それも今日限りよ!今生は貴様には渡さん!!」

雅之助はいきなり半助の腕を掴むとぐいっと自分の方に引寄せた。それを見て今度は
野村が半助の反対側の腕を引っ張る。

「ふざけるな!お前みたいに権力をかさにきた奴に大事な弟は渡さん!」
「なにお!血の繋がった兄弟のくせに弟を手込めにした変態のくせしやがって!!」
「五百年前の恨み、今生で晴らしてやってもいいんだぞ。雅之助」
「望むところよ!」

もはや二人の言っている事は半助の理解の域を越えていた。おまけになんだか言い
争っている二人の顔が夢の中の兄と光栄の顔にダブってきて半助は本気で泣きたく
なってきた。

「いい加減にして下さい!兄弟だの、五百年前だの、訳の分からない事に巻き込まれ
るのは真っ平です!!やるなら他でやって下さい!」
半助の叫びに雅之助と野村の動きがピタリと止まる。互いに睨み合ったまま、ふんと
ばかりに掴んでいた半助の腕を静かに解放する。半助は腕組みしながら、じろりと大
迷惑二人組を睨みつける。

「これから私はテストの採点という仕事をしなければ為らないんです。喧嘩は他で
やって下さい」

暗に、さっさと出て行けと言わんばかりの半助の態度に、二人は話の接ぎ穂が見つか
らない。

「そう簡単には思い出さんもんなんだな。なんだって、すかした変態野郎の記憶が
戻って肝心の鷹久の記憶が戻らねぇんだよ」

「お互い様だ!」
ぎりっと睨んでくる眼鏡越しの視線は普通の人であれば寿命が縮まるほど怖いものだ
が…。

「お…おい、半助。どうした?」
目に見えて蒼ざめている半助に二人は慌てて駆け寄った。
「い…今……なんて…言ったんです?大木先生?」

「なんてって…鷹久って…」
瞬間、半助がびくりと身体を震わせた。見開かれた瞳が怯えの色を滲ませて揺らめい
た。角突き合わせていた二人が示し合わせたように顔を見合わせる。

「記憶が戻ったのか!?」
叫んだ声は見事にハモッていた。

「し…知らない!鷹久なんて…知らない!!」
期待に目を爛々と輝かせて顔を覗き込んでくる雅之助と野村に、半助は子供のように
首を振った。

―――あ・あれは夢だ。ただの夢だ!―――
縋るような思いで心の中で繰り返す。だが雅之助と野村の二人は半助が思い出したか
も知れないという方に気を取られて半助の動揺にまで気が回らない。傍から見たら、
逃げ道を無くして怯えている子兎を前にして涎を垂らしている腹を空かせた狼二匹の
図だ。

「思い出したか?鷹久!私だ。お前の兄だ」
「光栄だ。逢いたかったぞ!!」

その途端、半助の頭の中で何かが切れた。
「出ていけ!!そんなもんはただの夢だ!」

叫びざま殆ど驚異的な勢いで雅之助と野村の二人を部屋から叩き出す。ピシャっと派
手な音を立てて扉を閉めた。
「冗談じゃない…石川の馬鹿野郎。あの香、マジかよ…」
膝を抱えるようにして座り込み、半助は泣きそうな声で呟いた。マジで泣きたい気分
だった。

 予想に反して穏やかな日々が数日続いた。雅之助も学園に姿をみせず、野村もあの
日の事は忘れたとでも言うように、今まで通りただの同僚としての範囲を逸脱する事
無く半助に接してきた。そして週末の休みを明日に控えた日の朝、野村が言った。
今日の放課後自分と二人で雅之助の家に行ってほしい。とーーー。

「何故です?」
不快感も顕に半助が吐き捨てる。それに野村は苦笑を浮かべる。
「決着を着けることにした」
「決着?」

「私も雅之助もあんたを鷹久だと思ってる。あのときは確かに私もあいつも鷹久が可
愛かったし愛していた。その心に偽りはない。だから、それぞれ前世の記憶が甦り土
井先生が鷹久だとわかった時、なんとしてももう一度鷹久を手に入れたかった。だが
な・・・」
唇を自嘲の笑みが飾る。

「このままでは埒があかんし、あんたに愛想つかされるのも困る。それで一度じっく
り話し合って決めようと言う事になった」
「お二人で話し合えばいいんじゃないですか」
「冗談はやめてくれ。私とあいつの二人では纏まるものも纏まらん」

きっぱりと自信満万に言われては二の句が継げない。
しかし、半助としては三人というのも目一杯不安だ。だが、誰かに同席を頼むとした
ら信じたくもない前世の事を(それが事実であれ悪夢であれ)話さなくては公平さを
望めなくなる。そうしたらまた一悶着おきるだろう。否、公平さうんぬんより、他の
人には知られたくない。

「その結果が自分の意に染まなくても、それに従うという事で私も雅之助も同意し
た」
考え込んだ半助に野村が告げる。
三人というのは確かに不安だ。場所が雅之助の家というのも、それに拍車をかける。
しかし一日でも早くこんな馬鹿騒ぎから解放されたいし、学園では他人の目があるの
も事実。一から十まで完璧は望めない。

「わかりました」
このままでは埒があかない。半助にしてもそれは事実。この件に関しては問題の先送
りはマイナスにはなってもブラスにはならない。だとしたら不安はあっても動かなけ
ればならないのだ。
 

 朝のうちに学園長の許可をとり、伝蔵にことわりをいれて半助は野村と学園を後に
した。半助から野村と雅之助の家に行くときかされた伝蔵はひどく心配し、一緒に行
こうかとまで言ってくれたのだが半助は笑って首を横に振った。正直なところ気持ち
は動いたが、こんな事で伝蔵を煩わせたくなかったし、下手に第三者を連れて行って
事がこじれたら目もあてられなくなる。不安ではあるが当事者だけで解決するのが一
番だと半助はおもったのだ。
 途中わずかな休憩をとっただけで歩きとおし、野村と半助は夜明け前には杭瀬村の
大木の家に着いた。村はずれにポツンと建つ家の板戸を野村が力任せに叩いた。

「誰だ!」
不機嫌そうな怒鳴り声と共に戸がガラリとあけられる。
「おう。来たか。早かったな」
来客が二人と知ると、雅之助は身体をずらして二人を招きいれた。

「まあ、座れや」
促されるまま腰をおろす。それでも、一番、戸口に近い場所を選んだところに半助の
心情があらわれている。

「まず確認しておきたいのだが、土井先生。あんたに自分の前世が鷹久だという記憶
があるかな。安倍鷹久だという」
とりあえず、きちんと話し合おうというのは本当らしくいつもと変わらぬ冷静さで尋
ねてくる野村に半助は僅かな躊躇いの後、口を開いた。

「思い出した。というのとは違うとおもいます」
そして、石川から貰った香の話を二人にした。

「それで見た夢と同じ事をお二人が言っている。私からしたら、そういう事です」
半助の話に野村と雅之助が顔を見合わせた。

「どうも、話がしっくりいかないのはその所為みたいだな」
無精ひげを撫でつつ雅之助がいう。半助からしたら、なんで自分が見た夢の内容を
知ってるんだ。としか思えないのは仕方がないだろう。
変に気まずい沈黙。破ったのは大木だった。

「はっきりしてるのは、お前が貰って試してみた香の効能は正しかったという事だ。
お前がどんなに認めたくなくてもな」

半助が唇を噛む。
「正直なところ、わしも野村も最初からお前に惹かれてた。これが、一目惚れという
奴かと思った。思い出して、我ながら感動したもんじゃ。そんな昔から好きだったか
ら、まためぐりあう事ができたのかとな」
そこで、溜め息をつく。

「喜びも束の間、今生もお邪魔虫がいると色めきあったわけだが」
「この間の一件のあと二人で話をした。お互い諦める気も譲る気もない。と」
「そうなりゃ、後はわしと野村で殺しあうか、お前に選ばせるしか方法が無いけだ」

一瞬の静寂――

「「それで、お前はどっちを選ぶ」」
静かな威圧感を篭めた声が半助を竦ませる。

「選びません」

それでも半助は、きっぱりと言った。腹に力をこめ二人に向ける目に力を篭める。

「仮にお二人が言うように鷹久というのが私の前世だったとしても、今の私には何の
関係も無い事です。昔の夢を見た。ただそれだけの事。それにとらわれる気はありま
せん。私は土井半助です」
言い切る半助に大木と野村は視線を交わす。落胆した顔ではない。

「やはり、思っていた通りだな。そう言うと思った」
やけに静かな声で雅之助が言う。

「うんじゃ、しょうがねえな。野村あれで異存はないな」
「ない。おまえの方こそ屁理屈は言わんだろうな」

「当然じゃ」
言い切ると同時に2人が動く。半助の意識が分断される。

「なにをするんです!」
板張りの床に押さえつけられ、半助は射抜くようなきつい視線を雅之助にむける。

「惚れてる相手をこういう展開に持ち込めば、やることは決まってるだろ」
悪びれも無く笑う相手に半助の視線が険しくなる。

「お前が、選ばんからさ」

――えっ?――

「あんたが、どちらかを選べばこんな事をする気はなかったが、どちらも選ばんとい
うなら私達も諦められん」

戸に棒をかませて戸締りをしてきた野村が、押さえつけられている半助の頭の方に
回ってきて腰をおろす。

「・・・・・・・・」
「決めてたのさ。お前がどちらも選ばなかったら、こうしようとな」
シュッと課すかな音を立てて袴の紐が解かれる。抗議の声を上げようとした口は雅之
助に代わって肩を押さえていた野村の口に塞がれた。驚きに目をシロクロさせている
うちに雅之助が袴ごと下帯まではずしてしまう。外気に下肢をさらされたのを感じて
半助が一気に青ざめる。

――二人で嬲る気なのか――

半助の脳裡に3Pという文字が浮かんだかどうかは定かではないが、それに似た思い
が浮かんだ事は間違い無い。それにしても相手が悪い。どちらか1人ならなんとかで
きる自信はある。が、二人いっぺんというのは分が悪すぎる。

「や・・・やめて・・下さい。二人とも!!」
「選ばなかったお前が悪い」

「私達も諦める気も、これ以上待つ気もない。五百年は待ったからな」
二人掛かりで暴れる半助の身体を器用に押さえつけ、半助の両腕を後ろ手に括ってし
まう。年中いがみあっているくせにこんな時だけ協力態勢を整えてくる。睨みつける
半助に野村が苦笑を浮かべる。

「そんな顔をするな、半助。思い出させてやるよ。鷹久だった事を」
愛しげに頬を撫でてくる。頭を振って野村の愛撫から逃れると急に身体を引き起こさ
れた。そのまま雅之助の膝の上に座らせられる。

「なにを・・・!」
全てを野村の目に晒すような態勢を取らされて半助は上ずった声をあげた。

「ゆっくりと、思い出させてやるさ」
羽織ってるだけの上着を背中から引き降ろし雅之助が後ろから首筋に口づける。その
まま舌で舐め上げると柔らかい耳たぶに軽く歯をたてた。半助の身体がひくんと小さ
く跳ねる。雅之助はにやりと笑うと半助の顔を強引に捻じ曲げて唇を貪る。

「・・・う・・ん・・・・・・」
無理な態勢に半助はうめき、息苦しさに耐え切れず嚥下する喉の動きに雅之助がほく
そえむ。野村は野村で仰け反る半助の小さな胸の飾りに唇を近づけた。舌で軽く舐め
まわし軽く啄ばむように刺激する。片手でもう片方も摘んだり押し潰したりすると、
そこはすぐにぷつんと起立して確かな手応えを野村に与える。

 与えられる濡れた感触と、痛みとも快感ともつかない刺激。それと野村が動くたび
に口元に湛えられた髭がさわさわとただでさえ敏感になっている肌を刺激する。雅之
助に口を塞がれていて声を出すこともできず半助はただ、びくびくと身体を麻痺させ
る。

「ぁ・・・あふっ・・・」
満足に呼吸もできない苦しさに半助は震える手で雅之助の腕に爪をたて、ようやく唇
を解放された途端、己が口から漏れ出た甘い声に半助は真っ赤になって、やっと解放
された口を今度は自分の両手で塞ぐ。

「声を押さえる事はないぞ」
下の方から野村の声がして反射的に声のした方へ視線を向けた半助は、自分が取らさ
れている恥ずかしい態勢に一気に青ざめる。雅之助に大きく下肢を割り開かれ、今ま
で嬲られていた所為で硬く起ちあがっているものに野村の唇がいまにも触れようとし
ているところだった。

「や・・・・やめ・・て・・くださ・・い・・・あぅ!」
震える顎を必死に動かしての懇願もあっさりと黙殺される。熱い口腔に包まれて半助
の雄が存在を主張する。巧みな舌の動きに性感を煽られ、半助は唇を噛みしめてなん
とか襲いくる快楽の波を遣り過ごそうと足掻いた。どう見ても無駄な足掻きとしか見
れない意地をはる半助を雅之助は愛しげに見やり、しかし容赦なく半助の胸の飾りを
摘み上げる。電流のように走った快感に半助がヒュッと喉を鳴らす。

「野村、下の口の方も解してやれよ」
優しげな雅之助の言葉も半助には地獄の閻魔の判決と大差なかった。


 暗い部屋の中に淫猥な空気が漂っている。もう何度達したのかわからない。思考も
感情も麻痺してしまっているようだった。快楽だけが半助の全てを支配している。

「・・・・・うっ・・・・うん・・・」
半助の口から少し苦しげな甘い声が零れている。口いっぱいに雅之助のものを頬張
り、背後から野村に犯されている。さっきまでは反対に雅之助に貫かれ、野村のもの
を咥えさせられていたのだが、いまの半助にはどちらがどちらでもどうでもいいこと
だった。ただ、押し寄せる快楽に突き動かされているのにすぎない。半助の桜色に染
まった背中がひくりと蠢く。野村と雅之助の口から同時に獣のような低い唸り声が発
せられる。前後から男の熱い欲望の証を受け止め、自身もまた欲望を放ちながら半助
は今度こそ安息の闇の彼方へ と意識の全てを投げ出した。

 雅之助の家での狂気にも似た日から数日が過ぎた。翌日げっそりとやつれて帰って
きた半助に伝蔵はひどく驚き心配したが半助は気丈にも大丈夫だと笑って見せた。三
人の間でどんな話し合いがなされ、どういう決着をみせたのか定かでは無いが、野村
と雅之助の二人が今までのように半助を挟んでいがみ合っていないところをみると、
なんらかの妥協点を見出したのだろう。もっともそれは半助からは手放しで喜べるも
のではないらしい。としか、伝蔵にはわからなかった。

 明日は休日という日の午後、半助は二種類の小ぶりの壷を抱えて部屋に入ってき
た。どうしても抜けられない用事があり実家に帰らなければならない伝蔵は半助の事
を心配していたのだが、そんな伝蔵に半助は笑って首を横に振った。

「そ・・・そうか――」
とても、明るい笑顔――。だが、普段の半助の笑顔とはまるで違う、それ。

『怒っとる。半助の奴、本気で怒っとるぞ』

伝蔵は半助の怒りの対象が自分では無いと分かっていながら、顔が引きつるのを感じ
た。付き合いの長い伝蔵は知っていた。半助は笑顔のまま怒っている時が一番恐いと
いう事を。

「半助。気持ちは分かるが、くれぐれも殺さん程度にな」
「はい。無関係の者は巻き込ませんから」
返答の内容に微妙なズレを感じつつも伝蔵は指摘できなかった。ここまでキレてし
まった半助に対しては“触らぬ神に祟りなし”もしくは“君子危うきに近寄らず”を
決め込むのが最善策なのだ。

「では、行って来る」
「行ってらっしゃい。お気をつけて」

いつもの笑顔で返されて伝蔵はほっと息をつくが、部屋の戸を閉めきる瞬間に見てし
まったとても楽しそうな笑みに背筋を凍らせたのだった。

「うぎゃああああぁぁ!!」
「ぐわぁあああああああああ!!」

 翌日、満面に笑みを浮かべて半助の部屋の戸を開けた野村と雅之助の二人は一流の
忍びとも思えない叫び声をあげた。
野村と雅之助がなにより嫌いならっきょうと梅干に守られて半助が笑っていた。なに
より初めて目にする笑顔が恐い。それは二人が今まで見た事が無い半助の笑顔だっ
た。

「どうしたんです?お二人とも」
両手に一つづつ梅干とらっきょうを持ちながら半助が立ち上がった。幾ら嫌いでもい
ざとなれば梅干やらっきょうぐらい蹴散らしていくのはわけの無い二人だが苦手なも
のより、あれほど恋焦がれていた半助の笑顔が恐ろしくて足が前に進まない。廊下に
足が吸い付いたように動けない二人にむかって、半助が一歩近づく―――。雅之助と
野村の足がようやく一歩だけ動く、後ろに向かって・・・。

「どうぞ、せっかくおもてなしの準備を整えてたんですよ」
手の中の物体を見せ付けながら近づいていく。一歩ずつ。

「は・・・半助?」
「はい――」

――こ・・恐い・・・恐すぎる――

ライバルで天敵同士で共犯者にもなった野村と雅之助が哀れにも生け贄か人柱にされ
る乙女のように抱き合って後ずさっていく。
そして――。

ふと、二人は足元に違和感を感じた。

――まさか・・埋め火?!――

瞬間、耳を轟かす轟音とともに一流といわれる二人の忍びが仲良く抱き合いながら空
中を移動していった。

 「おかえりなさい、山田先生」
三人の事が気になって夜半に学園に帰ってきた伝蔵は上機嫌の半助に迎えられた。
が、部屋の入り口で目を眇めながら鼻を蠢かす。微かに妙な匂いがするのだ。さすが
に火薬の匂いが混じっているのにはすぐに気づいたが、後が分からない。鼻をぴくぴ
くさせている伝蔵に半助が頭を掻きながらぺこりと頭を下げた。

「すみません。まだ、らっきょうと梅干の匂いが抜けきらなくて」

らっきょうと梅干といえば野村と雅之助の苦手なものだ。それで二人を牽制したのか
と納得しかけて伝蔵はまた、首を捻った。

「なるほど、あの二人が苦手なものですな。しかし、火薬の匂いもするようだが・・
・」
「埋め火を踏まれたんですよ」
誰が――とは言わない。伝蔵の頬がぴくりと引きつる。

「それで、お二人とも医務室にいらっしゃるんです」
「それで、火薬の匂いか。誰なんでしょうかな、職員寮にそんな物騒なものを仕掛け
る命知らずは」
少しやりすぎだぞというニュアンスを篭めた伝蔵に半助はにっこりと笑ってのけた。

「ほんとうに誰なんでしょうね」


ちきしょう・・・半助の奴、いつの間にあんなに性格が螺子くれたんだ。昔はあんな
に可愛かったのによぉ」

「鷹久の時のままだと勝手に思い込んでた私達が馬鹿だったのさ」
「なんだと!」

「そうだろう。お貴族様だったお前だって、今生は忍びあがりの野蛮な百姓なんだ。
半助だけが変らないわけがあるまい」
「けっ。兄貴のすました性格は持ち越されてんのにな」

「なんだと!!」
「はい。そこ、静かに!」

「はい・・・」
「へ〜〜い」
始まりかけた舌戦は校医の新野のひと睨みで収束する。

 諦めきれない500年越しの恋。まだまだひと波乱もふた波乱もありそうな気配を
残して忍術学園の夜は更けていった。
 
                                      
                               終り


瀬戸なみ子さんの、3●モノをどうしても読みたかった見国には、たまんなくし幸せな作品でした(≧∇≦)
やはり皆に取り合われてる土井先生が大好きです!だって土井先生は素敵な人なんですもん///
なみ子さん これからも宜しくお願いいたします(*^∇^*)