激情
――後編――
安曇野 木綿子様
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「土井半助と申します」
刀を差しだし、張りのある声で告げた若者には、もう先ほどまでの乱れた気配はない。
ただ静かに伝蔵を見ていた。
「甲賀の方とお見受けしました」
「いかにも。」
「標的は城主と私の首でございましょう」
そう言うと、半助は伝蔵の前に跪き、白い項を曝した。
「訳を聞かせてはもらえぬのか」
静かに問いかける伝蔵を、印象的な黒い双眸が見上げる。
「父も母も妹も、家に仕えていた者達も・・・全てあの男に殺されました。奇跡的に私だけ助かり忍びの者に育てられたのです。あの男だけはこの手でと願っていました。
これで、安心して皆の元へ行けます。お急ぎ下さい。火薬を仕掛けました。もうすぐこの城は崩れ落ちます」
まさか・・・。
警護の忍びを眠らせたのも、城に住む人々を追い出したのも全て計画通りだった
というのか。
たった一人で、この城を崩す火薬を仕掛けたというのか。
伝蔵の問いにただ半助は小さく微笑んで答えることはなかった。
伝蔵は素早く身を翻すと、廊下に転がっている侍の死体から着物を剥ぎ取った。
それを半助に渡すとその肩を掴んで叫ぶように言った。
「貴殿は土井半助と名のった。ならば揚羽はもう死んだのだろう。
これを着てすぐに城を抜けなさい。そして東を目指して走れ。杭瀬村を抜けたらじきに忍術学園に着く。
私の職場だ。山田伝蔵の名前を出すといい。そこには、貴殿のように身寄りのない子供も大勢いる。貴殿ならその道標となれるはずだ。さあ、行けっ」
最後は命令口調になったが気にしている時間はない。
半助の黒い瞳に力が宿ったのを確認すると、伝蔵は城主の首を切るために半助に背を向けた。
そして二度と振り返らなかった。
半助が伝蔵の良いなりになる保証はなかった。
そのまま自害することもできただろうし、どこかへ逃げることも可能なはずだ。
だが、伝蔵は確信していた。
あの瞳にもう一度会えることを。
伝蔵には、子供達に囲まれて笑っているあの若者の顔がはっきりと想像できたのだ。
若さ故の甘い判断だったのかもしれない。
それでも、その未来予想図はなぜか甘美な色に伝蔵の心を染め上げ、捉えて放さなかった。
「山田先生、山田先生・・・」
「・・・・あ、ああ・・・・これは失礼。ちょっと昔を思い出しておりました」
「確かに見事でしたからな、あれは」
「いえ、あれは失敗したのです」
ん?・・・・と戸部の手が止まる。
「火薬の量を仕掛け間違えました。おかげで時間がなくて城主一人の首しか取れませんでした」
「ああ、そう言えば美しい情人がいるとずいぶん噂になっておりましたな。あれは・・・・なんといったかな・・・ええと・・・」
「揚羽」
「そう、そうでした。噂通りの美しさでしたか」
「さあ・・・どうでしたかな。もう忘れました」
「そうですか」
さてと・・・そう言って戸部は立ち上がり自室へ帰ると告げた。
障子を開けると、おや、月がきれいだとなどと言い、ふらりふらりと歩き始める。
そして、ふと忘れ物でもしたかのように立ち止まった。
「美しき蝶ならば、生まれ変わって、案外似合いの花の側で舞っているかもしれませんな」
汗が躰の熱を奪って急速に冷えていく。
互いの躰の冷たさを感じながら、利吉は半助の長い髪をくるくると指先で弄んだ。
「何も・・・・聞かないのですね」
「うん?何のことだい」
「・・・わかってて言ってるでしょう」
「聞いて欲しいの?」
「仕事で女を抱きました」
「そう・・・」
利吉は大きくため息をついて、指先に絡む髪の毛を引っ張った。
「痛っ、痛いよ、利吉くん」
「ほんとに憎らしい」
そう言うと、くるりと躰を反転させ半助の上に覆い被さった。
「嘘ですよ。抱いてなどいません。あなた以外の人など・・・。くのいちと恋人のふりをしていただけです」
「そう・・・」
「これがあなたならいいのにと、ずっと思っていました。ずいぶんと我慢したんですよ。だからね・・・」
「だから・・・?」
うっそりと微笑むと、半助はその手をさしのべ利吉の頬を撫でた。
「・・・おいで」
戸部が部屋へと帰ったあと、山田は水を飲みに井戸へと向かった。そして人影に気付く。
「利吉か」
「あ・・・父上」
決まり悪げに立ち上がった利吉は、水を張った桶に手ぬぐいを浸して持っていた。
「半助は?」
我ながら無粋なことを聞いたものだと思った。
少し酔ったか。
「・・・もう・・・休んでおられます」
そうか。そういうことか。
あの半助が、自分の躰の後始末もできないほどに、お前は無体を働いたと。
仕事で何があったかは知らぬが、溜まりに溜まった感情をぶつけたのだろう。
だがな、利吉よ。
そんな想いを受け止めるということは、それ以上の激情を内に秘めていないとできないことだと、わかっているか。
お前が生涯の伴侶に選んだのはそういう男なのだ。
まあ、要らぬ世話だ。馬に蹴られて死にたくはない。
「大事にな」
そう言うと、山田は背を向けた。
利吉が無言で頭を下げる気配を感じたが、山田はただ面倒くさそうに片手を上げただけだった。
蝶と花。どちらが捕らわれたのだろう。
『蝶と花ならば、共にあるのが当たり前でしょうに』
あの愛しき妻なら、そう言ってからからと笑うだろうか。
「今度の休みには帰るとするか」
山田の小さな呟きは、ただ優しく闇に溶けていった。
おわり
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半助の過去は原作で謎につつまれたまま
火薬と兵法に一流の腕を持ちながら、
現役を退いて教師をしている所も謎で素敵な土井先生に
こんなカッコ良い過去を望みますv
揚羽の色っぽさに眩しさを覚えました///
素敵な小説をありがとうございますv次回作も楽しみにしていますv