『夜に願うは』
小説 玖琥ちゃこ 様





抱きしめてもいいですか?

優しく 強く しっかりと


掻き抱くように激しく求めても構わないでしょうか?

余すことなく

“貴方”という存在をこの腕の中に感じたいのです

例え貴方が何かに涙しても

その流された雫さえ地面に触れる事がないように

そして…
そして…――――








夜中の忍術学園の宿舎で半助は1人、本日行われたばかりのテストの採点をしていた。
自分の教え子達のあまりな点数に自然と眉間に皺がよる。
シャッという心地好い円を描く筆の音はもう随分と聞いていない。

だんだんとイライラし始めた自分に叱咤するように頬を軽く叩き、立ちあがった。
目の前の建付けの悪い障子の引き戸を少しだけ苦労しながら開けると風が入り込んでくる。

半助は教師陣の中では若いせいもあってか、部屋が宿舎の一番外側に接するところにある。
障子を開ければすぐに縁側、そして庭へと続いているこの部屋を半助は気に入っていた。

本来ならば、敵が攻めてきた時に危険な場所なのだが、幸いこの忍術学園でそのような物騒な事は今まで一度もなかった。
涼しい夜風に無造作に束ねた髪をさらわれて、その心地好さに半助は目を瞑る。

そして、意を決したように、先ほどから気配を消すつもりがあるのかないのか、暗い闇に紛れて庭に佇んでいるその人に声をかけた。

「利吉くん、こんな夜中に何かようかい?」

「………」

「利吉くん?」

一向に返事を返さない利吉に半助の声にも溜息が混じる。
半助とて今まで利吉の気配に気づかなかったわけではなかった。
だが、いつものように入室して来ない利吉に何らかの理由があるのだろうと、敢えて無視していたのだ。

「利吉君…何かあったのかい?」

闇のせいで利吉の表情は窺えない。
あまりに全てにおいて無言のその様子に本当に利吉なのかと流石に不安になってくる。
ぎしりと縁側を一歩踏みつけたところで、ようやく利吉は口を開いた。

「………か…?」

「え?」

ようやく聞き取れた声は僅かで、とても何を言っているのか分からない。
利吉の声は喉元だけで喋った様に掠れていた。
もう一度、と促そうとして半助が紡ごうとした言葉に被せるようにして利吉は先ほども言ったであろう言葉を繰り返した。

「抱きしめてもいいですか?」

「利吉君…?」

「抱きしめても、いいですか?」

今度は声は掠れてはいなかった。震えてもいなかった。
それは全くいつもと同じで、天才と称されるに相応しい、自信のある声。
だからこそ余計に違和感を覚えた。
あまりに無表情な“気配”なのに、いつもと変わらない事が不思議でたまらない。
しかし、一歩二歩と歩み寄ってくる度に部屋から洩れた灯かりに照らし出される利吉の顔が、今にも泣きそうで――――。
伸ばされた手を拒む事などできるはずもなかった。
否、拒む理由など半助にはなかった。

「抱きしめてもいいですか?」

身体に手が触れる直前に利吉はまるで何か悪い事をして、
母親に許しを乞うように再度確認してきた。
その様子がなんだか歳相応に可愛く思えて、半助は優しく微笑んだ。
先ほどまでのぎこちない雰囲気はもうなかった。

「抱きしめても、構わないよ」

小さく肯いた半助の言葉が終わる前に利吉はその腕で半助の身体を抱き寄せた。
ありがとうございます、と小さくつぶやかれる様にして囁かれた礼の言葉は半助の耳に僅かに入った。
抱きしめられてから気づいた事。
それは利吉が身に纏っている僅かな血の匂いだった。
その後にふんわりと石鹸の清潔そうなそれが追いかけるようにして鼻先で香った。

ああ、この子は―――…

「先生、匂いが落ちないんです」

耳元で利吉が苦痛の言葉を紡ぐ。
小さな小さな声であったのに、それはどれほどの大きな悲鳴よりも大きな悲痛の叫びだった。

「血の匂いが…いくら石鹸で洗っても消えない。いつもはこんな事ないのに」


今回の仕事は比較的簡単な事。
ある城から抜け出した裏切り者の忍びを追えばいい事だ。
それと闘う必要もなければ、ましてや殺す必要などないのだから。
手際良く、逃げ出した忍びを捕らえたところまでは順調だったのだ。
しかし、捕らえられて身動きのできないはずのその忍びは、
それこそ恥じも外聞もなしに利吉の足元で縄で括られたままの手足を必死に動かして、
なんとか逃げ出そうとした。

まさか逃げられるはずもないと思った。
なのに、あろう事かその忍びは縄を引き千切り利吉に襲い掛かって来たのである。
咄嗟に利吉は恐怖を覚え、次の瞬間には装備していた長刀で切り捨てていた。
利吉の雇い主はもともと裏切り者の忍びは処刑と決まっていたため、その事に関して
は処刑する手間が省けたとさえ言っていた。
だが、利吉は忘れられなかった。

あの背筋が凍るような瞬間を
気がついたら自分の頬を紅く染めていた血の香りを
そして、“死にたくない”ではなく、“生きたい”と強く『生』に執着する目を



「先生…、いや半助さん。わたしはまだ未熟者です。だから本来なら貴方をこうやって抱きしめる事すら許されないのかもしれない…。貴方の“恋人”として居ることも」

「利吉くん、それは違うよ。わたしだってまだまだ未熟だ」

抱きしめられたまま半助が発した言葉は、利吉の肩に埋もれていて、少しだけ曇っていた。

「わたしは初めて“死にたくない”ではなく、“死んではならない”、“生きたい”
と思ったのです」

あの忍びが思ったように、利吉も襲われた瞬間に確かに思ったのだ。
自分が死んでは半助が悲しむと、悲しませてはならない、だから生きたいと―…。
だからこそ自分はあの忍びが忘れられないのかも知れなかった。
同じように『生』に執着するあの忍びにも同じように悲しませたくない“恋人”が居たのかも知れない。

そう思うと、なんだか遣る瀬無くなるのだ。自分の仕事自体に疑問や不信を覚えてしまう。
妙に虚しくなって、とにかく半助の温もりを腕に感じたかった。

「半助さん…わたしは……」

「利吉君…私は君を愛しているよ」

「……半助さん…もちろんわたしだってそうです。愛しています…だけど…」

半助の声を耳元で聞きながら、利吉はいつのまにか無意識に抱きしめる腕に力が入っていた事に気がついた。
愛している、愛しているからこそ、いつだって危険な仕事を生業にしている自分が半助の恋人である事が、半助自身を不幸にしてしまいそうで、利吉はそれがたまらなく恐かった。
だが、離れた方がいいと思いながら強く抱きしめたまま放さない自分の腕。
その矛盾に利吉は困惑した。いくら腕を放そうとしても上手くいかないのである。

「利吉君?」

「わたしは…あなたを愛しています。でも、貴方はほんとうにこんなわたしでいいん
ですか?」

抱きしめたまま言うセリフではないと、利吉は内心思った。
だけど、勝手に声に出してしまうのだから仕方がない。

「利吉君、私は君を愛しているから抱きしめて欲しいと思うし、
抱きしめてあげたいとも思うよ」

君自身、利吉自身を好いているのだから。

「私を…不幸にしたくないというのなら………この腕を放さないで欲しい…」

「…!!」

どうやったって
この“愛する”という気持ちを消せないのだから
せめて、離さないように、離れないように
抱きしめて欲しいのだ。


願わずにいられない
闇に生きる忍びだからこそ
この静かな夜に願う




抱きしめてくれませんか?

優しく 強く しっかりと

掻き抱かれるように激しく求めて欲しいのです

余すことなく

“貴方”という存在をこの腕の中で感じたいのです

例え貴方が何かに涙しても

その流された雫さえ地面に触れる事がないように

そして…

そして二人の体温が別々の所で朽ちる事がないように――――…



<終>




抱き締めたい人がいてくれて、
抱き締めたいと願った時、その人を抱き締めることができて
そして抱き締めたその人の腕が、暖かく抱き返してくれること…
もうそれって最高の幸せです///
厳しい忍びの世界で、愛なんて命を削る邪魔なものでしか
ないのかも知れないけれど、それでも、互いにそれを
求めていく…(〃∇〃) (しっとりとコメントしてみました(照))
素敵な小説を読ませていただけて嬉しいです!///
オリジナルバージョンはちゃこさんのサイトにもありますv(^∇^)
関さんキャラ受け作品をどうかもっと(∋▽∈)!

←忍たま目次へ

←SHURAN目次へ