第6回
今日は坂本がせっせと焚き付けをくべたので、久しぶりに盛大なのろしが上がった。
「これから毎日これくらいは燃やしましょう」
のろしを見ながら長野が言うと、坂本は疲れた顔で、
「毎日こんだけ焚き付けを集めるのか……」
とつぶやいたが、反対はしなかった。
暑さ真っ盛りの昼間、坂本はもちろん、長野も午睡を取って休む時間が、准一がいつもジャングルに出かけている時間だった。
その時刻になると、准一は、坂本に見つからないように長野にそっと近寄って、
「ゴーが来る時間だけど、そろそろ行ってみようか?」
と声をかけた。
だが、坂本はめざとくそれを見つけ、
「お、チンパンジーのところに行くのか」
と近づいて来た。
「坂本さんは船が来ないかどうか見張ってたほうがええんやないの!」
准一は邪険に言った。
「朝、絶対ロンドンに帰ってやるって言ってたやん!」
「ああ、帰るけどさ」
坂本はしれしれと返事をした。
「ロンドンにはチンパンジーを連れて帰らないとなあ」
坂本を苦々しく思いながら、准一は、長野といっしょに歩き出した。坂本は、なにも言われなくてもあとをついて来た。
准一は、いつものトンネルの前に立った。
「ここをくぐるとちょうどいい場所に出るんや」
「こりゃあいいや。こんなとこがあったんだなあ」
うしろで坂本が、感心したような声をあげた。
まず准一、次が長野、最後に坂本がトンネルをくぐった。
准一は振り返ってふたりに、
「ゴー達を絶対驚かせんといてよ」
と念を押した。
「わかった」
長野はすぐに頷いた。
「……わかっとんの、坂本さん!」
坂本の返事がないので准一が怖い声を出すと、うしろから坂本の、
「わかってるよ」
という面倒そうな声が聞こえた。
やがて、准一はいつもの場所に出た。
准一は、長野達を待たせて、ひとりだけトンネルを出た。いきなりふたりも知らない人間を見たら、ゴーもケンもアンジーも驚くだろうから。
だが、准一が木の根っこの上に立ち上がっても、誰の姿も見えなかった。
「これから来るのかな」
准一はしばらく待った。
「おい、まだかよ」
トンネルの中で待たせられている坂本がいらいらした声で尋ねてきた。
「待ってて」
そう言いながら准一はあたりを見回した。
「……まさかゴー、昨日は来てくれたのに、やっぱり俺と会うのはやめることにしたんやろか……」
准一は急に情けない気持ちになった。
ゴーは昨日やっと会いに来てくれたというのに、俺はなんですぐ浮かれてしまったんだろう……。
准一がうなだれてじっとしているので、やがて長野と坂本もトンネルから出てきた。
「准一くん?」
長野が声をかけた。
「長野さん」
准一は肩を落とした。
「もしかしたら、ゴー、来ないかもしれん」
「なんだと」
トンネルを出てすぐに、坂本は准一に詰め寄った。
「おまえ、俺達に嘘言ったんじゃねえだろうな」
「……嘘やないよ」
准一は元気のない声で言い返した。
「俺が長野さんや坂本さんにそんな嘘言ってどないすんねん……」
坂本は長野を見た。長野は坂本に、
「昨日言ったでしょう? その少年のことは、わたしも見たんですよ」
と言った。
「でもよ……」
そう言って坂本が面白くなさそうな顔をしたとき、長野が、「あ」と小さな叫び声をあげた。
「准一くん、あそこ」
長野が指さす。准一は顔を上げた。向こうに見えたのは、ゴーとケンとアンジーだった。
「ゴー!」
准一は手を振って叫び声を上げた。
ゴーも手を振ったが、用心するようにこちらを伺っている。准一は大声を出した。
「怖がらんでも大丈夫、この人たちは俺の友達や!」
そう言われてもひとりと二匹は、すぐにはこちらに来なかった。
「ゴー! 平気やから!」
准一は必死で怒鳴った。
やがて、アンジーを肩に乗せたゴーは准一たちのそばに降りてきた。だがケンだけは、こっちに来ないでささっと葉っぱのなかに隠れてしまった。
「……ゴー」
ほっと安心して、准一は言った。
「ごめんな、驚いたか」
「……」
「この人達、俺の友達。ゴーに会いたいって言うから連れて来たんや。……こっちが長野さんで、こっちが坂本さん……」
ゴーは長野と坂本を見た。それまでじっとゴーを見ていた長野は、ゴーが自分を見ると笑顔になって見せた。坂本の方は、ゴーが自分を見ても、好奇の目で無遠慮にゴーをじろじろと眺めた。
「ごめんな、突然」
准一はもう一度ゴーに謝った。
「……いい」
と、ゴーは、ちょっと我慢した声で言った。
「ジュンチの友達なら、ゴーはいいよ」
「……ありがとうな」
准一は言ったが、やっぱり長野と坂本を連れてくるのは、せめてゴーによく話をしてからにすればよかったと後悔した。准一が、今日のところはもうふたりに帰ってもらおうと思ったとき、長野が、
「あれ?」
と声を出した。
「君、手を怪我してるね」
長野は、ゴーが返事をする前にゴーの手を取った。准一が見ると、確かにゴーの手のひらから血が出ていた。
「これ、どうしたの?」
長野は、准一に言うのと同じように、やさしくゴーに尋ねた。ゴーはとまどったようにちらっと准一を見たが、すぐうつむいて、
「枝で……」
とだけ言った。
「枝をつかんだときに刺さっちゃったんだね」
そう言うと長野は、ちろっと舌を出してゴーの傷をなめた。ゴーはあわてて手を引っ込めた。
「ごめん、棘でも刺さってないかと思って」
長野は笑った。
「薬でも塗ってあげたいけど、なにもないからね」
「……」
それから、ゴーは人慣れない動物みたいに黙ってしまった。
「ゴー、怪我したんか」
准一がゴーの手を取ろうとすると、ゴーは、
「平気」
と手を引っ込めた。
准一のそばにいても、ゴーは長野から目が離せないようすで、長野のことを目で追った。
「どうかした?」
おかしそうに長野は尋ねた。
「……」
言われてやっとゴーは自分が長野を見ていたことに気がついたらしく、恥ずかしそうに長野から視線を外した。
「チンパンジーに育てられたと言うからどんな子かと思ったけど、ずいぶんかわいい男の子なんだね」
長野がそっと准一に言った。
「う、うん」
准一は頷いた。
ゴーはどうしたらいいかわからないようすで離れたところに行ってしまった。
「今日はもう、長野さんと坂本さんは帰ってて」
准一はふたりに言った。
「なんだよ、俺はちっとも話してないぞ」
坂本はそう言い返しかけたが、とりあえずゴーを見たので満足したらしく、
「まあ、今日のところはいいか。嘘じゃねえってことはわかったし」
と引き下がった。
「わかりました。わたしももう帰りますが、准一くん、くれぐれも危ないことはしないでくださいよ」
長野も言った。
「わかった」
長野と坂本が去ると、准一はいつものようにゴーとアンジーと高い枝まで上って遊んだ。
だが准一はなんとなく面白くなかった。自分が長野より先にゴーの怪我に気がついたらよかったと思った。
ジャングルへのトンネルは、准一ひとりだけのものではなくなった。
准一たちの遊び場には、長野と坂本がかわりばんこに顔を出すようになった。
危ないことはよせと言っていた長野も、ゴーや准一が蔦をつたってジャングルの中を移動するのを見るうちに、自分もやってみるようになった。長野はしっかりした大人だが、そういうことを楽しむ少年めいたところもあるのだった。
長野は工夫して、枝の上に気持ちいい休憩所を作った。長野はそこで、小さな頃母親が歌ったという歌をゴーと准一に聞かせてくれた。また長野はゴーと准一を生徒にして、小さな子どもにするような寓話を話してくれたり、指遊びを教えたりもした。そういうことをすべて、ゴーは目を輝かせて楽しんだ。
ゴーの中には、言葉を知り始めた幼児みたいに、いろんなことを知りたいという欲求があふれんばかりに満ちているようだった。長野はそんなゴーの気持ちを上手につかんだ。
坂本の方は、長野と全く反対だった。高所恐怖症があると言うことで、樹から樹に飛ぶなんて、坂本はやってみようともしなかった。
ときおり坂本がとってつけたような愛想笑いをしておいでおいでしてみせても、そんなことにはアンジーすら引っかからなかった。ケンは坂本になつくと見せて、髪を引っ張って逃げて行った。アンジーはわざと坂本の顔の上に木の葉を落とした。
だがむろん、高いところが怖い坂本には、枝から枝に逃げるケンやアンジーを捕まえるなんてことはできっこなかった。坂本は結局いつも、不機嫌極まりない顔で木の根っこの上に寝転がって、准一たちが遊び回っているのを見ているだけだった。
坂本がいても特別楽しいことはなかったが、ほんとうのことを言えば准一は、長野がゴーを楽しませているときより、坂本がつまらなそうにしている前で自分だけゴー達と遊んでいるほうが、ずっと気分がよかった。
実はゴーが長野と仲良くなってから、准一はふとした折に、それまでにない寂しさを感じるようになっていた。ゴーのことも長野のことも大好きなのに、どうしてふたり両方といっしょにいて寂しくなんて感じるのだろうと、准一は自分で自分が不思議だった。
やがて准一は、それまですっかり忘れきっていたロンドンのことをよく思い出すようになった。
「……長野さん」
ある夜、准一は、寝ながら長野に話しかけた。
「俺たち、ロンドンに帰れるのかな」
「どうしたんですか」
長野は尋ねた。
「今まで一度もホームシックにならなかった准一くんが。やっぱりおうちが恋しいですか?」
「……うん……」
准一は言葉を濁した。父親の顔がどんどんなつかしく思い出されて来た。
楽天家の父のことだから、今も准一の生存を信じて、いつか帰ってくると思っているに違いない。准一がロンドンに帰ったら、父親はどんなに喜ぶことだろう。なんと言っても准一と父は、たったふたりきりの家族で、父親にとって准一代わりなんてどこにもいないのだから……。
すると長野は、
「帰りましょう」
と言った。
「ロンドンに帰りましょう、准一くん……」
そう言って、寝ながら腕を伸ばし、長野は准一の髪を撫でた。
「ロンドンに帰る」。その言葉は、このまえ坂本も言った言葉だった。髪をなでられながら准一は、やはり自分は長野が好きだと思った。
それから2、3日後のことだった。准一と長野が遊び終わってジャングルからのトンネルを抜け出ると、そこには興奮した面もちの坂本がふたりを待っていた。
「見えたぞ、船が!」
坂本が怒鳴った。
「見えた!」
「ほんまか!?」
「ほんとうですか!?」
准一と長野は夢中で坂本に駆け寄った。
「ああ、ほんとうだ。前に見たときよりも近くに見えた。しかも、船は途中から速度を落としたんだ」
「わたしたちののろしが見えたんですね!」
「たぶんそうだ」
「まだいるんですか?」
「船はもう見えなくなってる。だが、もしかすると戻ってくるかも知れないぞ」
「すぐ行ってみましょう!」
坂本と長野は駆けだした。
准一は、なんだか呆然として、しばらくその場を動けなかった。
ようやく准一が坂本と長野が海を眺めている場所にたどり着くと、坂本が振り向いて怒鳴った。
「見ろ、准一! あそこだ!」
「……」
「見えるだろ、船だ!」
准一は坂本の指さす水平線を眺めた。確かに船のような黒い粒が見えた。
「一度見えて、それから見えなくなって、そしてまた見えたんだ。間違いない、俺たちののろしに気がついて、俺たちを捜してるんだ!」
そう言いながらも、坂本は船に向かって飛んだり跳ねたりしながら手を振った。
「おーい! ここだ! 見つけてくれ!」
准一がぼうっとそれを見ていると、坂本はそんな准一を見てまた怒鳴った。
「なにしてんだ! お前も叫ぶんだ! おまえはロンドンに帰りたくねえのか!」
あさっては剛くんの22歳のお誕生日です。もう22歳という気もするし、まだ22歳という気もするな……。
(2001.2.18 hirune)
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