第5回

 ジャングルに行こうか、行くまいか。
 その次の日、准一はずっと迷っていた。
 このところなにもかもさぼってばかりいたので、准一は、とりあえずバナナを取りに行った。木に登ってバナナをもぐと、ジャングルでゴーやケンやアンジーとバナナを食べたことを思い出した。
 そのあとも准一は、精一杯長野の手伝いをした。
 長野は先日からの准一の様子になにかを感じているようだった。長野はときどきなにか言いたそうに准一を見た。しかし長野は准一になにも言わなかった。
 久しぶりにのろしの燃料にする枝や葉がたくさん集まると、長野は准一に、
 「准一くん、もういいですよ。キャンプに戻って休んでください」
 と言った。
 「准一くんはこないだから元気がない。どこか具合が悪いんじゃないですか」
 長野は心配そうにそう言い足したが、准一は首を横に振った。
 「そうやないんやけど……」
 もうゴーと会えないなら、今さらなにを長野に相談しても無駄だと思った。
 今日も明け方まで寝付けなかったから、暑い浜辺でずっと働いた体はふらふらだった。准一は長野の言うとおりキャンプに戻って横になろうかと思ったが、緑の茂るジャングルを眺めると、足が止まった。
 やっぱり、どうしても、あの、不思議な光の射す場所に行きたくなった。
 ゴーが来なくってもいい。
 ゴーやケン達に会う前みたいに、あの太い木の根っこに座っているだけでいい。ゴーがオカーサン達と元気で暮らしてることを考えてみるだけで、それでいいんだ。……そうだよ俺、ゴー達がいなくっても、もともとジャングルが好きだったんだから。
 そう思うと、なんだか少し元気が出てきた。
 准一は、急ぎ足でジャングルへのトンネルに向かった。

 いつも来る時間はとっくに過ぎていたから、今日はケンもいないだろうと、准一は思った。
 だが、トンネルを抜け出ようとする准一の目に飛び込んできたのは、いつもは准一が座っている木の根っこにぽつねんと座ってジャングルを眺めているゴーの、痩せた小さな背中だった。ゴーの肩にはアンジーがいて、脇にはケンもいた。いつも一瞬たりともじっとしていないひとりと二匹なのに、今はジャングルに溶け込んだかのように静かに座って、准一に背中を見せていた。
 一番はじめに振り向いたのはアンジーだった。
 「キキッ」
 とアンジーが歯を見せると、ケンとゴーも振り向いた。
 アンジーが、ゴーから下りて准一のところにやって来た。
 しかし准一にはアンジーを見ている暇はなくて、
 「や、やあ……」
 まるではじめて会う人みたいに、准一はゴーに曖昧な挨拶をした。
 だってほんとうに今、ゴーは、はじめて会う人みたいに見えた。いつも笑ったり騒いだり准一に組み付いてきたり、まるでチンパンジーそっくりなゴーなのに、今突っ立ってこっちを見ているゴーは、准一の見たことのなかった表情をしていた。
 「……ジュンチ」
 ゴーが言った。
 「もう来ないと思った」
 それを聞くと准一は一瞬、ゴーとおんなじに泣きそうな顔になりかけたが、すぐに思いっきり元気に答えた。
 「来るよ!」
 ゴーは、准一の大声に驚いた顔をした。
 「俺! ここが好きだから!」
 そう言って准一が笑うと、ゴーも、やっとちょっと笑った。
 ふたりは、並んで木の根っこに座った。准一は、ゴーと別れた日に、やっぱりこうやって木の根っこに座っていたことを思い出した。
 ゴーがつぶやいた。
 「ゴー、ずっと来なかった。ごめん、ジュンチ」
 「……いいよ、別に謝らんで……」
 「白い雲に言われて、ゴー、考えた。ゴー、オカーサン、悲しませたくない」
 「うん」
 「だからゴー、ジュンチと会わないと思った」
 「うん」
 「でも気になって、ケンに、ジュンチ、どうしてるか、見ること頼んだ」
 「そうか……」
 「ケン、ジュンチ、元気ないって教えてくれた」
 「うん」
 うまい返事ができないので、ただうんうんと准一が頷いていると、ゴーはそんな准一を見て、
 「ゴーもおんなじ」
 と言った。
 「ゴーも元気なかったんか?」
 准一が訊くと、ゴーは頷いた。
 「それでオカーサン、ゴーを心配した。そして今日、オカーサン、ゴーに、ジュンチに会ってもよいと言った!」
 そう言うとゴーは、にこにこした。
 「ほんまか!」
 准一が大声を出すと、ゴーはまた頷いた。
 「だからゴー、今日ここに来たのに、ジュンチ、ずっと来なかった。ゴー、ジュンチもう来ないかと思った」
 「来ないことあるかい!」
 准一は大声で怒鳴った。
 「ジュンチ、ジャングルも、ゴーも好き! ジュンチ、ずっとここに来る!」
 准一は思わずゴーが言うみたいな口調でそう言うと、いつも遊ぶとき使っている太い蔓を手にして、
 「ア〜アア〜」
 と思い切り叫びながら、向こうの木の枝に飛び移った。
 ゴーもケンもアンジーも、一瞬はそれをびっくりして見て、それから大笑いをはじめた。
 「なにしてるんや!」
 准一は向こうの木の枝から手を振り回して怒鳴った。
 「こっち来いや!」
 ゴーは笑いながら、准一のマネをして大声を上げながら、蔦につかまって空中に飛び出した。アンジーを肩に乗せたケンもくっついて来る。
 ふたりと二匹はそれからちょっとの間、大騒ぎして遊びまくった。
 だが、今日は准一の来るのが遅かったので、ジャングルの中はすぐに翳ってきた。
 「今日はもう、帰らな」
 もとの木の根っこに戻ると、准一は残念そうにそう言った。暗くなればジャングルは昼間とは全く様相を変える。ゴーだって、明るいうちにチンパンジーたちの住処へ帰らなければならない。
 准一の言葉を聞くとすぐ、ゴーは素直に頷いて、なんでもなかったみたいに
 「さよなら」
 と言った。それからゴーは、前していたみたいに准一のほっぺたにさよならのキスをした。ひさしぶりだったので准一はなんとなくドキドキして、赤い顔になった。それを見るとまた、ゴーはおかしそうに笑った


 准一は満足してきびすを返し、枝のトンネルに入った。
 うれしくってふわふわした気持ちでトンネルを抜け出ると、准一は、目の前に立って自分を見ている人影に気がついて、驚きの声を上げた。
 「……長野さん!」
 長野はトンネルの出口で腕を組んで立ち、准一を見つめていた。
 「長野さん、どうしたんや、こんなところで……」
 准一は弱々しい声でそうしらばくれた。長野はそれを聞くと、視線を落として、
 「しばらく准一くんの様子がおかしかったから、気になってしまって」
 と言った。准一は黙った。
 「悪いと思ったけれど、今日は君の後をつけました」
 「……」
 「見ましたよ。准一くん、もしやと思っていたんですが、やっぱりわたしたちにウソをついてジャングルに遊びに行っていたんですね」
 「……ごめんなさい」
 准一はうつむいて謝った。長野はそんな准一を見て、ふと口調を変え、
 「さっきジャングルで君といっしょにいたのは、……チンパンジーですよね?」
 と尋ねた。准一は頷いて、正直に答えた。
 「チンパンジーのケンとアンジー。それから、ゴーや」
 「ゴー?」
 「うん!」
 今日ゴーが来てくれたことを思い出すと、准一はどうしても気持ちが浮き立って、怒られたことも忘れて大声で叫んだ。
 「ゴー。俺の大事な友達や!」
 「ゴーって言うのは……、遠目にはよくわからなかったんですが……、チンパンジーではない、なにか珍しいサルなのですか……?」
 長野が、なぜか自信なさそうな声でそう尋ねた。
 「他の二匹とはずいぶん違うように見えましたが……」
 准一はおかしくなって笑い出した。
 「なーに言ってるのん、長野さん! 今、俺たちのこと見たんやろ? ゴーは人間に決まってるやん!」
 「人間……?」
 「俺と同じくらいの歳の男の子やよ。見たのにわからんの?」
 准一が言うと、長野は信じられないと言うように准一の言葉を繰り返した。
 「人間の少年……?」
 「そうや!」
 「じゃあ、じゃあやっぱり、あれは私の見間違いなんかじゃなかったんですね……。人間に見えたけど、まさかそんなことがあるわけはないと思って……、人間の少年がジャングルにいて君と遊んでいた……」
 長野は呆けたようにそうつぶやいた。准一はもう止められなくなって、順序もかまわず話し出した。
 「そうなんや! ゴーは人間なんや! 俺、ゴーのこと長野さんに相談しようとずっと思ってて、でもウソついてジャングルに入ってたことを知られたら怒られると思ってずっと言えなかってん! でもな、俺、今日久しぶりにゴーと遊べて、今、俺うれしくってたまらんねん! なあ、ここのところ俺が元気がないって長野さん心配してくれたやろ? それってほんとはゴーと会えなかったからだったんや。じゃあなんで俺がゴーに会えなかったかって言うと、それは長い話になるんやけど、ゴーに聞いたら、会えなかった間、ゴーも俺とおなじに元気がなかったんやて! それでオカーサンが心配してまた俺と遊んでもいいって言ってくれたんや! ほんとにええお母さんやろ、オカーサンって!」
 「ちょ、ちょっと待って」
 そう言って長野は手で准一を制し、あたりの夕闇を見回した。
 「と、とにかくキャンプに戻りましょう。それからゆっくり話を聞かせてください。……その間にわたしも気を落ち着けます」

 キャンプに戻ると坂本は、いつものように退屈そうに寝っ転がっていた。
 長野と准一は、坂本のことは気にせずに、火の側に向かい合って座った。坂本は、その様子でなにかあったと気づいたらしく、身を起こした。
 「さあ、じゃあ准一くん、そこに座って、どういうことか話してください」
 そう言う長野は、今はどうにか冷静な表情に戻っていた。
 准一は、ゴーやケンやアンジーとの出会いから今までのすべてを語りだした。
 准一の話を聞くにつれ、長野の顔にも、脇で聞いていた坂本の顔にも、次第に驚愕の色が濃くなった。
 だいたいのことを話し終えると、准一はゴーがどんな少年なのかを、今度はこと細かに語りだした。ゴーのことになると、准一の話はとめどがなくなった。
 ゴーがどんなに身が軽いか、どんなふうに笑い、どんなふうにケンとケンカするか、どんないたずらをしてどんなに言葉を覚えるのが早いか、どんなにやさしくてオカーサン思いか……。
 「そんなことはどうでもいいから」
 と、いつのまにか長野より身を乗り出して准一の話を聞いていた坂本は、うるさそうに准一の言葉をさえぎった。
 「その、ゴーって言ったか、そいつは確かにチンパンジーに育てられたんだな」
 「そうや」
 准一は頷いた。
 「ゴーは、ケンやアンジーと兄弟みたいにして、チンパンジーのオカーサンに育てられたんや」
 ふうむ、と坂本は腕組みをして頷いた。
 「そいつはすげえ発見だな……」
 「発見!?」
 坂本の言葉を聞きとがめて、准一は言い返した。
 「発見ってなんや! ゴーをまるで珍しい動物みたいに」
 「そいつはチンパンジーに育てられた、チンパンジーそっくりのことが出来る人間なんだろ。じゅうぶん珍しい動物だよ」
 「坂本さん!」
 准一は立ち上がった。
 「もういっぺん言ってみい! いくら坂本さんでも、俺、許さへんで!」
 「許すも許さないもあるかよ。珍しい動物だから珍しい動物だと言ったんだ」
 「今、もう許さへんと言ったはずや!」
 「おおっと熱くなるなよ。嫌ならもう言わねえよ」
 准一がこぶしを握りしめると、坂本は面倒そうに謝った。
 「悪かったって。……それより、俺をそいつに会わせてくれねえかな」
 だが腹が立っている准一はふくれたまま、
 「もう一度ちゃんと謝って」
 と言った。
 「すまん、謝る」
 坂本は素直にそう言って、珍しく笑顔を見せ、もう一度、
 「今度そいつに会わせろよ」
 と言った。准一はそんな坂本を疑うように見る。
 長野のほうは、准一の話を聞き進むうちにだんだん黙り込んで、いつか相づちも打たなくなっていた。准一が坂本から視線を移して長野を見ると、長野は、たき火の炎を顔に映しながら、怖いような顔でなにかを考えていた。
 「……長野さん?」
 長野の様子に驚いた准一は声をかけた。
 「……どないしたん?」
 「……え?」
 長野ははっとしたように顔を上げた。
 「なんか今、すごい怖い顔してたで……」
 准一が言うと、長野は深い物思いから突然醒めた人の顔で准一を見、それから、いつもの静かな微笑を浮かべた長野に戻った。
 「……なんでもありません。准一くんの話にあんまり驚いてしまって……、つい考え込んでしまったんです」
 「そう……」
 やっぱり長野さんは坂本さんとは違う。
 長野の微笑を見て、准一はそう思った。
 ゴーのことをあんなふうに思うなんて、坂本さんは信用できへん。そう言えば坂本さんて、最初から新しい発見をして有名になることばかり考えてたもん。……気をつけないと、ゴーになにか変なことを言うかも……。
 でも長野さんは、違う。長野さんはいつもやさしいし、間違ったことを言ったことがないし……。
 「准一くん、わたしもその、ゴーという少年に会えるでしょうか」
 長野がやさしく尋ねた。准一は機嫌良く返事した。
 「ええよ。俺が長野さんのことゴーに紹介したる。長野さんもゴーの友達になってやって」
 「俺もだぞ、准一。忘れるなよ」
 後ろから坂本も声をかけてきたが、准一はそれを無視した。


 次の日は、このごろは滅多に早起きしない坂本が、准一より早く起きて待っていた。
 「なあ、准一」
 准一が起きたと見ると、坂本がなれなれしく話しかけて来た。
 「昨日の話だけど、今日、俺もそいつのいるところに連れてってくれるよな」
 「……」
 「いつ頃そいつのところに行くんだ。飯食ったらすぐ行くか」
 そこへ長野が帰ってきた。長野は、椰子の実の殻に夜露を集めた水を入れて来ていた。
 「おはよう」
 長野はいつもの朝と変わりなく准一に挨拶をした。
 「准一くん、今日は元気そうですね」
 「うん!」
 准一は長野には大声で返事を返し、それから改まって長野に頭を下げた。
 「長野さん、今まで黙ってジャングルに行っていたこと、ごめんなさい」
 長野はやさしく頷いた。
 「はい」
 「今日からはちゃんと言って行く。あのトンネルをくぐってゴーに会いに行くんや。ええやろ?」
 「今さらダメとも言えませんね。でも、昨日見ていたらなんだかすごく危ないことをしていたし、これからは危ないことはしないと言ってくれないと……」
 長野の言葉に、准一はあわてて言った。
 「危なくなんかない! 俺たち、ちゃんとどこが危なくってどこが大丈夫かわかってる。それと俺、長野さんをゴーに紹介したい。そのことはずっと考えてたんや。長野さん、今日、ゴーに会いにいっしょに行ってくれるか?」
 准一がそう言うと、長野も、
 「ええ。確かに、チンパンジーに育てられた少年には、わたしもすごく興味があります。ぜひ会わせてください」
 と頷いた。
 「おいおいおい」
 おもしろくなさそうに坂本が口を挟んだ。
 「准一。長野ばかり誘うなよ。ふたりだけで行くんじゃねえぞ。俺も連れてけって昨日から言ってるだろ」
 その返事の代わりに准一が坂本に口をとがらして見せると、それを見て長野は笑い、
 「さあさあ。とにかく今日の仕事をしてしまいましょう。まずはのろしとたき火の焚き付けを集めて」
 とふたりに言った。
 「ほんとうは、ジャングルに住む少年のことより、わたしたちがロンドンに帰れるかどうかのほうが大問題なんですよ。どうにかして船にわたしたちを見つけてもらわないと」
 「違いない」
 坂本は頷いた。
 「チンパンジーに育てられたガキをロンドンに連れて帰ったら、一躍俺はヒーローなんだ。新聞も研究者も、みんなが俺を追っかけ回すようになる。……こりゃ絶対ロンドンに帰らねえと」
 昨日から、坂本の言うことはいちいち准一の気に引っかかる。
 「坂本さん!」 
 准一は大声で言った。
 「忘れんといて。ゴーは俺の友達や。なんでゴーをロンドンに連れて帰って坂本さんがヒーローになるん! だいたい、ゴーをロンドンに連れて行くなんて勝手に決めんといて。ゴーはロンドンになんて行きたがらないかもしれない」
 「ああああ、わかってるよ」
 坂本はにやにやしながら返事をした。
 「そいつは准一のお友達だよ。俺だってそいつの友達になりたいだけだって」
 「……」
 「だけどな、そいつを連れてロンドンに行くって言うのは、悪くないんじゃないか?」
 「……」
 「そいつがチンパンジーじゃなくて人間なら、こんなところで一生を終えるより、俺たちとロンドンに行って、まともな人間の暮らしをするようになるのが幸せなんじゃないのかい?」
 「……」
 准一はすぐにはうまく言い返せずに、坂本の顔をどうにかにらみ返した。
 「さーて、じゃあまず仕事をかたづけちまおう」
 坂本は立ち上がった。そして、決意をこめてつぶやいた。
 「俺は帰る。……ロンドンに!」


 もう第5回です〜。どんどんストックがなくなります……。寒いし忙しいし(言い訳してるまに書けよ〜>自分)。

(2001.2.10 hirune)

「I WILL GET THERE」トップに戻る メインのページへ