I WILL GET THERE  

第1部

第1回

 「ウキ」
 「ウキッキ」
 なにかの声がする。動物?
 ……なんだか、よく寝て寝足りた朝のような気がする。
 「ふあーあ」
 のびをしながら、准一は目を開けた。だが、
 「まぶしい!」
 准一はすぐまた目を閉じる。
 「ウキウキウキ!」
 「キキ!」
 あわてたような声がして、なにかが体の近くをささっと動いた。
 准一は、急にはっとした。まぶしいなんて言っていられない。目を開ける。燦々とした陽光が目に飛び込んできた。
 准一は身を起こすと、あたりを見回した。目の前には青い海。足もとは白い砂。そして振り向くと、そこには深い緑のジャングル……。
 ……ここ、どこだろう。
 准一はよろよろと立ち上がった。
 まだ夢の中にいるような気持ちで、首を傾げる。
 「……?」
 俺、どうしたんだっけ。
 そのとき、突然、ふたつの叫び声が聞こえた。
 「准一くん!」
 「坊主!」
 長野と坂本だった。どういうわけか、ふたりともボロボロの服を着ている。驚く准一のもとへ、長野が駆け寄って来た。
 「よかった、准一くん! 生きてたんだね!」
 そう言いながら、長野はしっかりと准一を抱きしめた。
 「……俺……?」
 「准一くん、わたしたちは助かったんですよ」
 「助かる……?」
 「覚えてないんですか。嵐で船が難破しそうになったことを」
 「嵐……」
 ぼんやりと覚えていた。そう、確か、自分は嵐に揺れる甲板からボートに乗り移ろうとしたとき足を滑らせて。
 准一は自分の姿を見た。
 さっき、長野と坂本が、なんでボロボロの格好をしているのだろうと思ったが、それは自分も同じだった。服もズボンもかぎ裂きだらけ。しかも、今のいままで濡れた砂の上に寝ていたので、体中砂だらけだった。
 「あのとき、坂本さんとわたしですぐにボートに飛び乗って、ずっと准一くんを探したんですよ。一時は准一くんとは二度と会えないかと思いました。それが、こうして無事にまた会えるなんて……」
 「長野さん。ところでここはどこなんや?」
 准一が尋ねる。うれしそうだった長野が、急に顔を曇らせた。
 「それが、わたしにも坂本さんにも見当がつかないんです。島なのか、大陸の一部なのかさえ。なにしろあの嵐の中を流されたんですから」
 「……」
 「なあ准一。おまえは航海の間中、冒険がしたい冒険がしたいって騒いでたな。どうやらおまえの望みがかなったようだぜ。俺と長野でずいぶん捜したが、ここには人っこひとりいねえようだ」
 坂本が皮肉な調子で言った。むろん、いくら准一でも自分たちの置かれたこの状況に泣き言を言いだすと思ったのである。だが、准一は、辺りを見回すと、目を輝かせて、
 「うれしいで!」
 と答えた。
 「青い海! 緑のジャングル! 俺、こういうところで冒険したかったんや! まさかほんとに夢がかなうなんて思わへんかった!」
 「……おいおい」
 坂本があきれかえった声を上げた。しかし准一は興奮して、坂本に尋ねた。
 「坂本さんだってここに来られてよかったやろう!? だって坂本さんは、俺はいつかすごい発見をしてやるって言ってたやん。ここならそれができるかも……」
 だが坂本は苦虫をかみつぶしたような声で怒鳴った。
 「……言ったさ。俺はいつかすごい発見をしてやる。そして俺をバカにした連中をあっと言わせてやるさ。だがそれは、イギリスに帰れなくっちゃ意味がねえんだ。こんなとこでのたれ死にしたらどんなすごい発見も意味がねえんだよ。わかったか、ガキ!」
 「そんなあ……」
 准一の肩に、長野が手を置いた。
 「准一くん、今坂本さんは気が立ってるんです。あたりまえですよ、遭難して喜ぶ人間なんかどこにもいませんよ」
 「うん……」
 「ほんとうに、喜んでる場合ではありませんよ。准一くんが行方不明になったと知ったら、ロンドンのお父さんがどれだけ心配すると思ってるんですか?」
 「それはわかってるけど」
 長野にさとされて、准一はしばしは神妙な顔になったが、すぐに持ち前の楽天さで元気になり、
 「でも、もう、ここに着いてしまったんやもん、今さらくよくよしても始まらんやろ? 大丈夫や、俺たちは嵐に流されてもこうやって三人揃って助かったくらい運がいいんやもん、そのうちロンドンにだってちゃんと帰れるって!」
 と言った。
 「親父だって懸命に俺たちを探すやろうし。そうやろ? 長野さん」
 「それはまあ……」
 「な!? そのときのために、ロンドン中の人たちを驚かすようなすごいもんを発見しておこうや、坂本さん! せっかくこんなところに来られたんやもん!」
 全く……、という顔で長野と坂本は顔を見合わせたが、考えれば准一が言うことにももっともなことがあった。くよくよしても始まらない。長野はまた微笑みを取り戻し、
 「准一くんの元気なのにはあきれましたよ。じゃあとにかく、わたしと坂本さんで作ったキャンプに行きましょう。ボートに乗せてあった食料やテントは幸い無事だったんですよ。火をおこしてから、なにか口にしましょう」
 と言った。

☆   ☆   ☆

 准一は、ロンドンで手広く商売している実業家のひとり息子だった。母親を小さな頃に亡くしていたものの、父親にかわいがられて育った准一は、明るく元気な少年だった。
 先日、准一の父親は、もうすぐ来る15才の誕生日のプレゼントにはなにが欲しいかと息子に尋ねた。父親は、15才というのは切りもいい数字だし、いよいよ大人になり始める年齢だし、なにか特別なものを息子に贈りたいと思ったのだった。
 さてその質問の答えは(それはとびきり大きな声でなされたのだったが)、「俺を冒険の旅に行かせて欲しい!」というものであった。
 父親は驚いたが、准一が子どもの頃から人一倍冒険心のある少年であることを知っていたし、常日頃そういう息子を好もしく思っていたので、ぜひ息子の願いを聞き届けてやりたいと思った。
 ちょうど、父親の貨物船が、喜望峰周りでインドに行くことになっていた。父親は、その船に准一を乗せてやることにした。
 むろん准一ひとりではなかった。准一の旅には、父親のやっている商会で働いている長野が、仕事がてら同行することになった。また、若い頃にどこぞの探検隊に加わったこともあるという坂本という男もよそから紹介されて来て、このふたりが准一のお守りということになった。
 こうしてふたりのお守り役のついた旅は、准一の最初の願いの冒険の旅とはだいぶ違ったものになってしまったが、それでも准一にははじめての船旅だったので、准一はこの旅の計画に満足し、元気に父親に手を振りながら船に乗り込んだ。
 さて、いざ船旅がはじまってみると、ふたりのお守り役の性格が全く違うことがはっきりしてきた。
 長野は若いがおだやかで落ち着いていて、准一の話し相手として申し分のない人柄だったが、もうひとりの坂本の方は、どうも少年のお守り役としていい人材であるとは言えない男だった。
 坂本は、准一が探検隊だったときの話をせがむとさも嫌そうな顔をして、その話はいっさいしなかった。そうでなくてもいつも苦虫をかみつぶしたような顔をして、誰としゃべるのも億劫そうだった。
 だが坂本は夜酒を飲むと、人が変わった。そばにいる准一に、
 「俺はこれで終わらないぞ。いつか、すごい発見をしてやるんだ」
 と言ったりした。そしてときどきは、
 「ロンドン中の新聞のトップ記事になるようなものを見つけてやるぞ。あいつを思い切り後悔させてやるんだ」
 と言ったりもした。
 准一の方はもともと、探検隊に入っていたことがあるという坂本を尊敬しているので、そんな酒飲みの戯言も、いつもまじめに頷きながら聞いていた。自分だけにそんな野心を話してくれていると思うと、うれしくもあった。それで准一は、どんなにうるさがられても坂本が好きで、長野に、「坂本さんはいつか大きな発見をするんやって」と自分のことのように自慢したりした。
 こうして船は准一と長野と坂本を乗せ、イギリスを出航してから二週間ほどは快適な航海を続けていた。しかし、喜望峰まであと数日となったとき、突然の大嵐が船を襲っ。
 船は三日三晩の嵐を耐えたが、とうとう四日目に浸水が始まった。
 船が傾きだしたとき、船長は大切な三人の乗客を助けるため、ボートで脱出させようとした。だがそのときに准一だけが、ロープから手を滑らせ、嵐の海に落ちてしまったのだった。
 それから先はさきほど長野が語ったとおりだった。准一が海に落ちたのを見ていそぎ自分たちもボートに飛び乗った長野と坂本だったが、とてもボートを操れる天候ではなかった。准一を捜そうとしても荒波に流されるに任せるより他はなく、ふたりともいつか気を失い、気がつくとボートごと見知らぬ浜辺に投げ出されていた。
 ふたりはもしや准一が流れ着いていないかと近辺の浜辺を探し歩いた。そしてさきほどとうとう、無事に准一をみつけることができたのだった。
 これからどうすればいいのかは、長野にも坂本にもわからなかったが、准一が、長野と坂本とほど近い浜辺に流れ着いていてくれたことは奇跡と呼んでもいい幸運だった。

☆   ☆   ☆

 浜辺について一週間ほどが経つと、三人にも、この辺りのことがだいたいわかってきた。
 遭難した場所や背後に広がるジャングルの様相から見て、ここがアフリカ西海岸のどこかの浜辺であるらしいことは確かだろうと、坂本は言った。
 坂本は一度、ジャングルに入ろうと試みたが、ジャングルの中は沼地でうかつに踏み込むとずぶずぶと足元が沈み、装備がなければとても入れるものではなかった。見たところ特に珍しいものはなかったということで、坂本はジャングルの探索を中止した。
 幸い、浜辺近くにはバナナや椰子の木が立ち並び、たわわに実を付けていた。ジャングルに入らなければならない必要性はなかった。坂本と長野は准一に、ジャングルには足を踏み込むなと固く言いつけた。
 また、長野は坂本と話し合い、大人ふたりで常にたき火が消えないようにし、ベットをこしらえ、のろしを上げる計画を立て、魚を釣った。水は、朝早いうちに、バナナの葉にたまる露を集めた。
 准一にはバナナや椰子の実やたき火の燃料を集める仕事が与えられた。とは言っても、それは仕事と言うよりも、准一には半ば遊びのような楽しい作業だった。
 ある朝、准一がひとりでバナナを取っていると、猿らしい影がささっと樹から下りてジャングルに隠れるのが見えた。ジャングルには猿がいるのだろうかと思うと、准一は、長野と坂本に禁じられたジャングルに行ってみたくてたまらなくなった。
 それから、山ほどある暇な時間に准一は、ジャングルの周りをうろうろしだした。
 そして毎日毎日探るうちにとうとう准一は、ジャングルの中へ入るための格好な場所をみつけたのだった。
 そこは、ちょっと見にはわからないが、くねくね曲がった樹と樹が絡まってちょうど通路みたいになっていて、そこを身をかがめて通ると、湿ってずぶずぶした沼に入らずに、ジャングルを少し入ったところまで行くことができた。しかも、どこもかしこも似たような風景ですぐ迷子になってしまいそうなジャングルでも、その通路を往復するだけなら、准一でも全く迷わずに行って戻ることができた。
 ここなら入ってもいいだろうと准一は考えた。だが、准一はそのことを長野にも坂本にも黙っていた。言ったらやっぱり、ふたりにそこもだめだと言われそうなことは、さすがの准一もうすうす感じ取っていたのである。
 ようするに准一は、長野や坂本の目を盗んでは、ひとりきりでそのトンネルの奥に入り込むようになった。

 そのトンネルの行き止まりは、沼の上に突き出た太い木の根っこだった。そこからは、ジャングルの樹々と、その下のなめらかな鏡のような緑の水面を眺めることができた。
 准一はそこに行くといつも、木の根っこに腰を下ろし、顎に手を添えては、ジャングルの奥を眺めた。
 静かなときそこは、まるで緑色だけでできた大聖堂みたいだった。ステンドグラスの天井から射すみたいな光が幾筋も降りそそぐ、おごそかで不思議な世界だった。
 だがときどきはそこに、見たことのない華やかな鳥たちが、ギャーギャーとうるさい声をたてて飛び回った。
 そしてほんとうにときどきは、猿らしい姿が、遠くシルエットになって木々を飛び移るのが見えた。
 ジャングルのずっと奥には、猿たちの楽園があるんだろうなと准一は思った。
 あの猿たちみたいに樹々の枝を軽々と飛び移れれば、ジャングルはどこもかしこも自分の家の庭みたいなものに違いない。自分も猿になってジャングル中を飛び回ってみたいとも准一は思った。
 あるときそうやってジャングルをながめていた准一は、上から木の葉が落ちてきたのに気づいて顔を上げた。見ると、頭の上の枝が揺れて、急いで隠れた小さな影が見えた。小猿だった。
 バナナを取りに行ったときも猿を見かけたし、もしかしたら自分が猿を見ているように自分を見ている猿もいるのかもしれない。そう思うと准一は急にうれしくなった。
 その夜准一は、暗い顔の長野と坂本が今後のことを話し合っているかたわらで、ふといいことを思いついた。そしてひとりでにこにこしながら明日のことを考えた。


 「I WILL GET THERE」第1話をお読みいただきましてありがとうございます。
 ええっと、お話を読んだだけではわからないと思うので、ここで説明をいたします。
 このお話の中の准くんは、日本人みたいな名前ですが日本人ではありません。いえ、准くんだけではなく、ヒロシもまーくんもみんな、日本人の名前のままだけど、日本人じゃなくてイギリス人なんです。って言うか、そう思って読んでください(^^;
 時代は……、1800年代後半かな……。

  

(2001.1.13 hirune)

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