第1回
みずみずしい緑の山中。
鳥の声、渓谷の流れ。初夏の気配が美しい。
が、突然、鳥の囀りが止む。
風景は美しいままだが、どこかに不吉な気配。
ざあっと音を立てて小鳥の群が木々から飛び立つ。
突然、木立の根方を走る人影が見える。速い。敏捷そうなその脚。
だが、彼の前にすでに道はない。目の前には渓谷の崖。
だが、躊躇せず、その脚は崖っぷちの岩を蹴る。
蹴った瞬間、その岩に二本のくないが飛ぶ。が、もう遅い。渓谷に飛び込んだのか、もう先程の人影は見えない。硬い岩にくないがはじけ飛ぶ。
新たな二つの影が、岩に飛び降りる。探るように辺りを見回すが、すでに気配ひとつない。
辺りは緑の静寂の中だ。
(くない……忍者の持つ短剣のような物)
埃っぽい街道を歩く編み笠をかぶった小柄な侍。全体に薄汚れているが、若さは隠せない。
「喜多川の宿(しゅく)が見えてきたぜ」
若侍のすぐ前を歩く二人連れの旅人の一人が言う。
「喜多川か……」
もう一人が嫌そうな声を上げる。
「喜多川には近頃、がらの悪いのが集まってるっていう話だな。気をつけた方がいいぜ」
相方は肩をすくめて頷く。
「素通りとするか」
二人連れはそのまま歩いていく。
侍、立ち止まってその宿(しゅく)の入り口を眺める。編み笠をあげると、彼の顔が見える。若いというにもまだ早いかもしれない。ほつれた髪の下には、まだ少年めいた鋭い瞳。(もちろん、彼は森田剛)
雑然とした宿場町の中に入っていく侍・剛。その姿にかぶさって……
タイトル「ぶいろく党伝」
薄汚い人々でごった返す狭い往来。その中を歩く剛。(脇に名前が出る。「森田剛」)
崩れそうに古い小屋と小屋の間。そこに座り込む、乞食かと見まごうように汚い少年。哀しい、寂しげな瞳をしている。その隣には、茶毛の賢そうな犬が座っている。(名前。「三宅健」)
客引きの女達。その女達を振り切りながら、人の流れに逆らうようにやってくる若いちんぴら。(名前。「岡田准一」)
汚い一膳めしや。その一番奥で酒を飲む、やさぐれた浪人。(名前。坂本昌行)
往来で飴やが口上を言いながらべっこう飴を売っている。群がる子供達。それをほほえましそうに見る、優しげな風貌の旅の侍。(名前。「長野博」)
女郎屋の二階。手摺りにもたれ往来を見おろしている、襦袢姿の不良侍。(名前。「井ノ原快彦」)顎から下にべったりと白粉を塗った安女郎が、後ろから彼にしなだれかかる。
そして、雑踏の中を人にぶつかってぺこぺこ頭を下げながらも、検分するように人々の顔を見上げたり振り返ったりしている旅姿の百姓。(せんだ光雄とかかなあ。名前は出ない)その隣に、彼の息子とおぼしき、若い百姓(小橋賢児……あたりか?名前は出ない)。父親の後ろにいるが、どことなく不満そうな様子。
岡田、どこで手に入れたか、握り飯を食いながら、往来の脇に並ぶ、むしろ一枚の商いを冷やかして歩いている。
町のはずれまで来て、岡田は半ば死んだようにうずくまっている健に気がつく。岡田、しばらく眺めてから、健の脚を蹴飛ばしてみる。健は動かない。隣の犬が岡田に吠える。犬の吠え声を聞いて、健、やっとうつろな目を上げ、犬の方に手を伸ばす。犬、くうーんと鳴いて健に寄り添う。
「ちぇえ、てっきり死んどるんかと思ったやんか」
健が動いたのにちょっぴりびびった岡田、それをごまかすように大声で言う。
「おまえ、初めて見る顔やな。いつからここにおるんや」
健は答えない。岡田の方を見上げもしない。
「この場所で物乞いをするならな、この准様に挨拶せなあかんのやで!」
健、無表情。
「聞いてんのか、こら」
声を荒げた岡田を、健は呆けたように見上げる。一瞬二人の目が合うが、健の視線はすぐに岡田の持っている握り飯の方へ。岡田、気が抜けて。
「まあ、ええわ。……おまえ、腹減ってんのか」
健、無言で頷く。岡田は握り飯をちらっと惜しそうに見るが、今にも崩れ落ちそうな健の様子を見て取りそれを差し出す。
「これはおまえにやる」
健、黙って受け取る。
「食ったら、どこにでも行った方がええで。ここは頭のいかれた物乞いなんぞの来るような町じゃあないからな」
そう言うと、岡田は左右を用心深そうに見回してから、小走りに立ち去る。健は手に残された握り飯を見つめると半分に割り、自分と犬で分けて食い始める。
人混みの中を歩く剛。餅屋の親父が餅を突き出しながら、剛に声をかける。
「そこの兄ちゃん、餅はいらんかい」
剛、目の前の餅を見て、つばを飲み込む。
「朝からなにも食ってないって顔してるじゃねえか。どうでえ、たったの銭三枚だぜ」 剛、そっと懐に手を入れ、銭入れに触れてみる。軽い。剛、目の前の親父の手を振り払って答える。
「いらん。腹はいっぱいじゃ」
その答を聞くと、親父の表情が急に憎々しげに変わる。
「なんでえ、文無しかよ」
親父はさっさと餅をもとの場所に戻す。その餅を、思わず目で追ってしまう剛。その時、後ろの雑踏から大声が聞こえてくる。
「おい、泥棒だ!! そいつを捕まえてくれ!!」
剛が振り向くと同時に、走ってきた岡田が剛にぶつかる。
「あ、すまん!」
岡田はそう言ってまた走り去る。
そのすぐあとを、岡田を追うやくざ者(安岡力也)。
「ちきしょう、逃げ足の早い奴だ」
息を弾ませて足を止め、辺りを見回す。
「今度見かけたらただじゃあおかねえ!」
剛、はっと気づいて自分の懐を確かめる。さっきまであったはずの銭入れがない。
「……やられた! ……さっきぶつかったやつだ!」
町外れ。
「へへっ」
岡田、得意そうにすり取った銭入れを二つ、宙に投げる。と、それが落ちてこない。
「?」
振り向くと、そこにいるのは、襦袢一枚を着流した姿のままの井ノ原。(彼はこのあともずっとこの格好である。つまり、この格好は、無頼者のいきがりなのである)
「あの安岡の懐から盗むたあ、おまえもなかなかやるじゃねえか」
その手の中には、岡田の取った銭入れが。
「なにするん! 返せ、こら!」
岡田、懸命に取り返そうとするが、井ノ原、いい加減にあしらって返さない。
「こりゃあさすがに重いぜ。……こっちはほとんど空っぽだがな。ほら、これは返すぜ」
井ノ原、剛の銭入れだけを岡田に放る。
「これやない! そっちや!」
「こっちもすっかんぴんなんだ。……山分けといこうぜ」
「何でや! それはもともと俺のもんやないか!」
「もともとだあ? ……なに言ってんだよ、ひとの懐から盗んだくせに。このままおまえを安岡に引き渡してやってもいいんだぜ?」
「……」
岡田、ふくれて黙り込む。井ノ原は岡田の隣によって、機嫌を取るように、
「なあ? だから、山分けだって言ってんだろう?」
二人は誰もいない河原に座り込む。
「だけどよ、どうする気だ、おまえ。もうこの宿場(しゅくば)にゃあいられねえぜ」
「ああ」
岡田頷く。
「こんなけちくさいとことはおさらばするつもりで、最後に山をはったんや。……あいつらにはずいぶん泣かされたからなあ。……おかげでせいせいしたわ」
「……へーえ」
井ノ原、少し感心したようである。安岡の銭入れを岡田に渡す。岡田、その中から金を出して一握りを井ノ原に渡す。
「これでええやろ」
「まあな」
井ノ原、その金を懐にしまいながら、
「俺もだいぶん店のつけがたまっちまったし、そろそろずらかり時かもなあ……」
そう言って立ち上がる。
井ノ原が歩き始めたとき、河原にがなり声が響く。
「あの野郎!! こんなところにいやがりましたぜ、兄貴!」
土手の上には、五六人の手下ども、そして岡田をにらみつける安岡。
薄暗い店の隅で酒を飲み続けている坂本。店主らしい爺さんと婆さんが心配そうに店の奥からこちらをのぞく。爺さんの方が声をかけてくる。
「……旦那あ。それくらいにしといたらどうです」
坂本、ぎろっと親父をにらみ、怒鳴る。
「うるせえ! ……もっと酒、持ってこい!」
爺さんと婆さんは顔を見合わせる。
そんな店に、ずいっと入ってきた新しい客がいる。
それは、手足に脚絆をつけ、編み笠を抱えた長野。
長野は飲んだくれている坂本を見はしたものの、なにも言わずに手前に座り、にこやかに爺さんに言う。
「親父、飯をくれ」
「へい」
爺さん、店の奥に入る。
そこへ、小橋賢児の若い方の百姓がぬっと入ってくる。
長野のところに飯と汁の椀を持ってきた爺さん、立ったままの小橋に尋ねる。
「なんにいたしやしょう」
「……客じゃないんだ。これに水を分けてくれ」
小橋、爺さんに竹筒を見せる。
親父は小橋を胡散臭そうに見るが、黙って頷き、竹筒を受け取る。そこに、どやどやとやくざ者達が入ってくる。
「親父! 酒だ!!」
もうだいぶ酒が入っているらしい。
坂本は、うるさい奴らが入ってきたと言いたげな顔。長野も飯を食っていた顔を上げる。
「……へい」
親父は一応そう言ったものの、
「安岡の旦那のとこからは、ずいぶんお代をいただいておりませんがねえ……」
不平たらしく、聞こえよがしに言う。それを聞きとがめたやくざ者の一人、
「なんだと!」
声をあらげる。
「てめえ、誰に向かってものを言ってんだ!!」
やくざ者、思いきり店の卓をひっくり返す。やくざ者達も爺さんも気がつかないが、おかげで後ろの坂本の徳利が倒れそうになる。あわてて徳利を押さえる坂本。
「じじい、てめえ、陰でずいぶん安岡組の悪口を言ってるようだな。……前の親分はよかっただの、安岡組は金に汚ねえだの……」
「め、滅相もございません!!」
爺さん、酒に酔って目のすわったやくざ者の剣幕に、ぎょっとして後じさりする。
「少し痛い目を見せてやった方がいいようだな。……腕の一本でも斬ってやるか?」
酔ったやくざ者、刃物を抜く。他のやくざ者は、おもしろそうに見ていたり、やはり憎々しげに爺さんをにらんでいたりする。止めようとする者はいない。
「ひいい……」
爺さん、腰を抜かす。
やくざ者、そのまま爺さんの肩口からばっさりと刃物を振り下ろそうとするが……。
その時なにかが起こり、
「あちちち!!」
そう言って体を曲げ、自分の手を押さえたのは、当のやくざ者である。
「やあ、すまん、手が滑った」
そう言って、長野が悠然と床に落ちた自分の椀を拾う。どうやら彼が、熱い汁の入った椀をやくざ者の手元に放ったらしい。
「ふ、ふざけやがって!!」
やくざ者、まだ手を押さえながら長野をにらみつける。さっきまでと違い、彼の仲間達からも、ふざけ半分の表情が消え、全員が長野に対して身構えている。が、長野は全く気にせず、そのまままた飯を食おうとする。
「野郎!!」
汁を投げつけられたやくざ者が、長野に斬りかかる。長野は軽くよけただけで、勢い余ったやくざ者の背中をぽんと押す。
「わっとっと」
やくざ者はそのままつんのめり、坂本の卓にぶつかってしまう。卓が倒れ、並んでいた徳利が音を立てて割れる。全員が見守る中、坂本はしばらく惜しそうにこぼれた酒を見ているが、やがてゆらりと立ち上がる。
「……この酒をどうしてくれるんだよ」
坂本、自分の足許に倒れているやくざ者の首根っこをつかむと、そいつの顎をはり倒す。見ていたやくざ者達は、一気に色めき立つ。
「こいつ!!」
「さんぴんどもめ! ……やっちまえ!!」
やくざ者達は、手に手に刃物を抜いて長野と坂本に斬りかかる。それを鮮やかにあしらう長野、坂本。細かく言うならば、長野の剣は流麗、坂本の剣は殺気立っている。
「あわわわ……」
爺さんは這うようにして店の奥に入り、婆さんと抱き合って斬り合いを見ている。小橋賢児の百姓はといえば、逃げ出すかと思いきや、逃げ出しもせず、片隅でことの成り行きをじっと眺めている。
(つづく)
剛くんお誕生日おめでとう! (1日遅れたけど) (hirune 98.2.21)
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