「パズル ー探偵達の夜ー」 第2夜

六郎はカレーを作り

鉄郎はケーキを買い

藻名加はカップを割る

 その、あさって。6月2日の夜7時。
 藻名加はだいぶ前から六郎のアパートにやってきて、カレーを作る六郎のまわりをうろうろしていたが、鉄郎がなかなか来ない。
 7時半を過ぎ、しょうがない、六郎と藻名加だけで食事をはじめるかという時になって、やっと鉄郎はやってきた。
 「ごめんごめん」
 と、狭いアパートの玄関で靴を脱ぎながら、鉄郎は謝った。
 「友達につきあってたら、遅れた。でもほら、藻名加の好きなカワムラのチーズケーキだ」
 鉄郎にケーキの箱を差し出され、藻名加の機嫌はすぐに直った。
 鉄郎がテーブルにつくと、3人は、六郎が作った、タマネギを炒める時間に秘訣があるという特製カレーと、ドレッシングがきめてだと言う特製のグリーンサラダという、簡単だがうまい夕食をはじめた。六郎と藻名加はグラスに半分、鉄郎も一杯だけ、ワインも飲んだ。
 夕食が終わるとケーキとコーヒー。六郎はコーヒーもこだわる。そのコーヒーの後で、やっと藻名加が切り出した。
 「ねえ六郎おじいちゃん、お腹もいっぱいになったし、そろそろ」
 「ああ、そうじゃな」
 いよいよまた事件の話になる用意ができると、藻名加はまず、六郎と鉄郎にコピーの束を渡した。それを受け取りながら鉄郎がからかう。
 「なんだ藻名加、レジュメまで用意してあるのか。さすが、あまつのことになるとやる気まんまんだなあ」
 「レジュメじゃないわ、これ、こないだ使った資料よ。『ウワサの閃光!』と『リアル』、それと『トンデモ』の5月29日と30日、『スポーツ夕日』の29日。この記事全部、ひとりひとりの手元にあったほうが考えやすいでしょ。それと、今日発売の『PACHI』も付け足しといたわ」
 「『PACHI』か」
 「それが今日藻名加の持ってきた新情報じゃな」
 「うん」
 藻名加は、その日発売された写真週刊誌『PACHI』を取り出した。
 「これがコピーした『PACHI』の原本ね」
 「どれどれ、見せておくれ」
 六郎は、藻名加の持ってきた『PACHI』を手に取った。
 「見出しは、『あまつ風介に”暴行”された田沼高子激写ヌード』か」
 「”暴行”っていうチョンチョンでくくった書き方が、いかにも「暴行ったって、どうせやらせだろ」って言ってる感じだな」
 「すでに、暴行事件そのものがどうこうじゃなく、みんなでそんなことまでして売名する女のヌードを見てみましょう、って感じね」
 「これだと、あまつ風介は、暴行犯だって言って告発されてはいないな」
 「うん。……だからもうね、あたし、『PACHI』は許す。あのね、『PACHI』は、何度も風介のデート現場を載っけた写真誌なんだけどね」
 そう言いながら、藻名加がページをめくる。
 「これね、このページ」
 藻名加がめくると、『PACHI』のだいぶ後ろのページに、セクシーなキメポーズの田沼高子が写った大きな写真と、あまつの小さいスナップの載ったページがあった。
 「これじゃほんとに田沼高子の宣伝ページみたいなもんだ。……やっぱりこの騒動全部、アボガドが田沼の売名のためにやったのかなあ」
 鉄郎がつぶやく。
 「……文章はね、まず、『この騒ぎの前に田沼高子という名前を知っていた人間がいるだろうか』とはじまるの」
 藻名加が『PACHI』の説明をはじめた。六郎は、うなずきながらそれを聞いた。
 「暗に、彼女がこの騒ぎで名を売ったことをあてこすっているワケじゃな」
 「そういうこと。で、彼女のスリーサイズと、写真のようなグラマー美女であることの紹介。それから、アボガドの社長による事件のいきさつ説明。これは、今までと同じ内容を雑誌の記者が簡単にまとめたもの。それから、プルートの弁護士の話。この、『PACHI』のアボガドの話とプルートの話は、量的に全く同じ分量でまとめてあるの。きっと、後でどちらかから文句を言われないためでしょうね」
 「プルートの弁護士の話には、新味はないのかね」
 「えっとね。風介は、『絶対やってない』って怒った顔で言ってたって。それと、お正月にホテルの部屋でたくさんで会って騒いだのが風介と田沼高子のはじめての接点なんだけど、そのときその場に田沼がいたかどうかを風介は知らなかったって言うの。って言うことは、そのときふたりが携帯の番号を取り交わしたってことはあり得ないわよね。……確かそれって『ウワサの閃光!』で読んだのね。それもアボガドの嘘だったんだわ、きっと。それだとなんか、風介が最初から彼女を狙っていたように受け取れるから」 
 「そう考えられるな」
 「でも、交換したんなら、田沼だって風介にまんざらでもなかったはずでしょ? まあいいわ、そのことは。とにかく風介は知らなかったって言ってる、と。それから風介は、ホテルで友人や田沼と3回会ったのはほんとうだけど、それだけだと言っているわ」
 「あとはないかね」
 「あるある。これは新証言。田沼高子の人となりを知る関係者の話よ。『田沼は野心家でいろんな男性とつきあっていたようだ。その田沼が1度ならず3度も同じ人間に暴行されるなんて信じられない。田沼があまつ風介の部屋に行っていると自慢しているのを聞いた女友達もいるらしい』とある」
 「ふうん。それはあまつにかなり有利だな」
 「うん、まあね。でも、あたし、風介のスキャンダル記事が載った『PACHI』を読んだことがあるからわかるけど、この『関係者の話』って、ほんとうかどうかわからないよ。でも、ほんとうだとしたら、もうこれだけで暴行はなかったっていう、重要な証拠だからうれしいけど」
 鉄郎が、
 「藻名加も苦労してるんだなあ」
 とからかうと、藻名加は兄をちらっと見て、
 「だってあたし、風介のファンになって4年にもなるんだよ……」
 と言い、一息ついてから「ふう」と大きなため息をつくと肩を落とした。
 「あーあ。このごろは風介、落ち着いていると思ったんだけどなあ。……どうしてこんなに風介のオンナで苦労しなくちゃいけないの? わたし……」
 「……藻名加。おまえ、そういうとこ、なんか怖いぞ……」
 思わず引く鉄郎だが、それにかまわず六郎が言う。
 「『PACHI』の記事はよくわかった。どうも『PACHI』は、この事件を、アボガド事務所による田沼の売名行為だと書きたいようすじゃな」
 「そうね。この事件も、なんとなくそんな感じに収まってきたような気がする」
 気を取り直して、藻名加が答える。
 「『ウワサの閃光!』『リアル』『PACHI』。この3誌が世に言う写真週刊誌で、今までもたくさんのスキャンダルをすっぱ抜いてきたのね。風介の記事が3誌とも出そろって、どうもこれはあまつの犯罪ではなく田沼高子の売名行為だということになったから、これ以上はもう風介を追求する声は出ないと思うわ」
 「そうだな。まあ、3誌とも写真週刊誌とはひとくくりに言うが、『リアル』は写真週刊誌のパイオニアであり、エッチ記事は載せないし、別格の存在だな。写真週刊誌と言えば、まず、『リアル』だ。ついで『PACHI』。『PACHI』は『リアル』をかなり通俗にした感じだが、芸能スキャンダルでは一番だ。取材力も、まあまあ、ある。でも、『ウワサの閃光!』が大きなスキャンダルをすっぱ抜いたと言う話はあんまり聞かないなあ。『ウワサの閃光!』は写真週刊誌と言うより、ちょっと体裁良くしたエッチ雑誌という印象だ」
 「ふむふむ、そうか」
 ふたりの話を聞きながら、六郎は大きくうなずいている。
 「それは、わしの仮説にぴったりあっとる」
 それを聞いて、へえ、と藻名加と鉄郎は六郎を見た。
 「仮説って」
 「なに、六郎おじいちゃん」
 「まあ、それはあとでゆっくり。たいしたことじゃない。藻名加の情報はそれでいいのかな」
 「う、うん。まだちょっとあるんだけど、今はこれでいいわ」
 「そうか。じゃあ、新しい情報は『PACHI』だけかの。ん? ……なんかあるのか? 鉄郎」
 「……あるんだ、実は」
 鉄郎は、照れくさそうにそう言うと、プリントアウトした紙を六郎と藻名加に配った。
 「……これは?」
 「インターネットで検索した、トンデモや夕日とは別の新聞の記事だよ。スポーツミツホシと毎朝スポーツだ。どちらも結構詳しかった」
 「へえー」
 感心しながら藻名加が記事を読む。
 「この記事はオレが説明するよ。日付はどっちも『ウワサの閃光!』や『リアル』が発売になった日だ」
 「わかった。……お兄ちゃんが風介のためにこんなことまで調べてくれて、藻名加うれしいよ」
 「オレは、ちょっと気になって調べただけだよ、あまつのためじゃない」
 「うん、でもありがとね」
 「……もういいよ、じゃあ、まず、ミツホシから読んでこう。内容は、はじめに、あまつ風介とサンサン放送の社員が女優の田沼高子らに暴行したとして刑事告訴されているということ。サンサン放送では事実関係を調査中、プルート事務所は事実無根として相手側を逆告訴、と書いてある」
 「うん」
 「ここにも、スポーツ夕日と同じく、『アボガドの社長は、「(あまの側は)妖精の顔をした悪鬼で、言う言葉がない」と語った』とあるわね」
 「まあ、同じ記者会見の取材だからな」
 「なんか印象に残るわよね。この「妖精の顔をした」って」
 「次だ。プルートの弁護士の話に行くぞ。これには新事実がいくつかあるんだ。まず、プルートが名誉毀損で田沼高子を告訴する構えと言うこと。それから、あまつが、田沼を「友人の友人」だと言っていること。これは初耳だった」
 「友人の友人」
 「そう。彼女がはじめてあまつのホテルに行き、1回目の暴行があったと言っている夜は、その友人が彼女を送ってココアをご馳走になっていると言うことだ」
 「へえー」
 藻名加が頭を傾げた。
 「じゃあ、風介とサンサン放送の社員や田沼たちの他に、そのホテルには田沼高子の友人であり風介の友人でもあるという人物もいたのかしら。それだったら、その人がなにか証言してくれればいいじゃないのねえ?」
 「なんかな、そこらへんはオレもよくわからないが」
 藻名加に尋ねられて、鉄郎も首をひねる。
 「なにも、あまつ風介のまわりが、今度の件で雑誌や新聞の記事に載った人間だけで構成されているわけでもないだろうからな」
 「そうよね」
 「今まで登場していない人間にまで突然うろうろされると、こっちとしてはやりにくいな。なんせ、これは現実の話だからな。ミステリーみたいに小説に登場している人間の中に犯人がいるとは限らない。今まで登場もしなかった人物が裏で事件の糸を引いていたということもありえる」
 「うんうん」
 ふたりが首をひねっていると、「なにを言っておるんじゃ」と六郎が口をはさんだ。
 「その、あまつの友人はすでに登場しておるぞ」
 「え?」
 「どこで? 六郎おじいちゃん」
 「どこでって、彼はこの事件の主役のひとりじゃないか。サンサン放送の社員だよ。27歳で制作部員だとか言う。あまつといっしょに田沼達に告訴されてるじゃないか」
 「へえ?」
 「だっておじいちゃん、この記事の続きにはその社員のことも載っているよ。それなのに、わざわざ「田沼高子は友人の友人」って言う遠回しなことを言うかなあ。「田沼高子は、いっしょにいたサンサン放送社員の友人」って言えばいいじゃないか。それをあまつがわざわざ「友人の友人」と言ったというのは、サンサン放送社員とは別人だからじゃないのかなあ」
 「そうねえ。それに、風介は、テレビ局の人をあんまり「友人」とは言わない気がするの。テレビ局の人なら風介の感覚では、「知り合い」じゃないかしら。バスケの好きな風介は、雑誌のインタビューで、よくバスケ仲間の話をしてるわ。風介にとって「友人」って言ったらそういう人のことで、まだ22歳で、タレントの風介には、27歳のテレビ局社員は友人って感覚じゃないと思う。それに、サンサン放送は、ケーブルテレビだの地方のテレビ局とは違う、全国ネットのキー局よ。そこの正社員って言ったらエリートだもの、風介みたいなタイプとは「友人」っていうのとは違うつきあいじゃないんじゃないかしら。なんかこう、仕事がらみの。風介はそのとき、サンサン放送でドラマの主役をしていたから」
 「そうかな。藻名加、思い出してごらん。『リアル』によれば、田沼側は「あまつとその友人に暴行された」と言っているのじゃよ。だいたい、『リアル』の記事には、はじめから「サンサン放送の社員」という人物は登場しない。あまつといっしょに告訴された人物のことは、全部「あまつの友人」と書いてあるのじゃ。つまり、この事件のなかでは、「あまつの友人」イコール「サンサン放送の社員」なんだよ。それに、あまつは、その記事にサンサン放送の社員が登場することなど知らない。あまつはその場にいるわけでもなく、弁護士が代理人であまつの言葉を伝えているだけなのじゃからな。もしかすると、あまつは、「サンサン放送の社員」と言ったら人物が特定されてしまうと思ってにごして言ったのかもしれんじゃないか」
 「……」
 藻名加と鉄郎は黙った。
 「そうか……」
 「じゃあ、この、風介の「友人」が「サンサン放送の社員」である可能性は、ちゃんと頭に入れとかなきゃいけないのね」
 確認するように藻名加が言う。
 「そういうことじゃ。なんでも最初から可能性を否定してはいかんよ。さあ鉄郎、続きに行っておくれ」
 「うん。で、そのサンサン放送の社員のことだけど、サンサン放送の広報が、「疑いをもたれたことがきわめて遺憾」だとして、現在業務をはずしていることを公表している。これは、前にも読んだな」
 「うん。『スポーツ夕日』ね。きっと同じ記者会見に行ったのね」
 「そうだろう。で、次が『スポーツ毎朝』だ。これもはじめのころはアボガド社長の言った話だ。もうこれは飽き飽きするな。で、次に「ナイスバディな田沼高子」というコーナーがある。これは田沼の宣伝だが、ここで、オレにはちょっとおもしろいことがわかった。「木原泉」だった田沼が今の芸名に変わったのは、去年事務所を移籍してからだと言うんだ」
 「ふうん」
 「オレは、彼女がなんで、少しは知られた「木原泉」を捨てて「田沼高子」なんて冴えない名前にしたのかと思っていたんだが、事務所を変わったときになにかあって、前の名前が使えなくなったのかも知れないな」
 「そうね。あり得るわね」
 「それにしても「田沼高子」はセンスのない名前だよ。色気もないし、古くさいし。「木原泉」のほうが若々しくてかわいい感じがするのになあ」
 「ほんとね。彼女、風介と同じ年でしょ。「田沼高子」はかわいそうみたいね。そんな名前考えたの、きっと、アボガドの社長なんでしょうね。それに、「木原泉」は少しは知られているのに「田沼高子」は全然知られていなかったんだから、今度の事務所、アボガドは、前の事務所より腕がないとも言えるわ」
 「藻名加、なかなか鋭いな」
 「それから、田沼のしている仕事の紹介がある。深夜番組のサブ司会者、雑誌の連載などだ。それからがプルートの弁護士の話で、さっきとおなじくあまつが田沼を「友人の友人」としていること、田沼の話は細かいところが変わって信用できないこと、あまつの無実には証拠があることを言っている。あ、それから、『ウワサの閃光!』のことも名誉毀損で訴えると言っているぞ」
 「あ、それも初耳だわ」
 「そして、最後にまた、サンサン放送の社員の処遇。彼は社内調査で「違法行為はしていない」と言っているそうだが、「きわめて遺憾なので本人に厳重注意した」と広報は言っている、と。さっきと同じだな。これで終わりだ」
 「ふうむ。なかなかおもしろかったぞ」
 六郎が満足そうにうなずいた。
 「じゃあ、次は六郎おじいちゃんだ」
 「おじいちゃんは、カレーを作りながら、なにを考えてたの?」
 「そうじゃなー」
 六郎は、ちょっともったいぶって答える。
 「田沼の所属するアボガド事務所が、あまつ風介達の暴行事件をでっちあげた真意について、かな? 結論もだいたい出たぞ」
 六郎の答えを聞くと、藻名加と鉄郎は目を丸くした。
 「ええ?」
 「そんなこと、今までの資料を読んだだけでわかるの? 六郎おじいちゃん!」
 「あーあ。わかるとも」
 六郎の自信ありげな顔に、藻名加と鉄郎は、すぐに期待に満ちた顔で身を乗り出した。
 「それってなんだったの、六郎おじいちゃん!」
 「……ほんとにわかったの? やっぱり六郎おじいちゃんはすごいな」
 ふたりが子どもの時から、六郎がいざと言うときにふたりの期待を裏切ったことはない。どんなときでも、六郎はいつも他の大人にはできないことをふたりの目の前で軽々とやって見せてくれた。今度だってそうに違いなかった。
 まるで子どもに戻ったようなふたりの期待のまなざしに、六郎は得意そうである。
 「どうも世間的には、あれは売名目的だったということで落ち着きそうだが、あれはむろん田沼の売名の為ではない。そんな乱暴な売名行為は聞いたことがない」
 「そうよね。あたしも、いくらなんでもただ有名になりたいからって、暴行されたなんて言い出すのはひどすぎると思ってたわ。もともと、田沼高子はそのへんのAV女優というレベルよりは、ずいぶんいいところにいたわ。深夜とはいえテレビでレギュラーもあるし、雑誌だって、見ると、かなり売れてる『PACHI』や『ウワサの閃光!』に、セミヌードの魅力的な写真を載せてもらっている。ルックスもいいと思うわ。暴行されたと言って売り出すほど、自分を落とした売り方をする必要はないのよ」
 「その通りじゃ」
 「でも、六郎おじいちゃん、売名じゃないなら、なんで彼女は風介とサンサン放送の社員を暴行で告訴したの? それも、まるで聞いた人が信用しないような嘘臭い話で。まさか六郎おじいちゃん、あの信用できない暴行事件の話が、ほんとうにあったことだって言うんじゃないでしょうね!?」
 「大丈夫、藻名加、血相を変えるでない。あれは作り話じゃ」
 「でも、だったら……」
 どう考えていいのかわからないという顔で、藻名加が困惑する。そんな藻名加に六郎が尋ねた。
 「では聞くが、藻名加。今まで記事に出た話の中で、最初に起こった事件は、なんじゃ?」
 「え?」
 「発端の事件はなんじゃと聞いとる」
 「え? お正月に風介のホテルに田沼高子が行ったこと?」
 「違うぞ、それは事件でもなんでもない。そこらへんに違法性は全くないのじゃ。……よし、鉄郎。一度、日付に沿って、事件関連の事項をまとめてみよう」
 「そうだね、それがいいかもな」
 鉄郎は気軽に腰を上げて紙とペンを持って来て、ときどき雑誌や新聞で事件の日付を確認しながら、日付に沿った事件関連の一覧表を書いた。  


●1月上旬 ● あまつのホテルで飲み会が行われる。(出席者・あまつ風介とその友人たち、田沼高子とその友人、その他)

●2月17日●(1回目の暴行? 田沼高子があまつとサンサン放送社員を訴える)

●2月26日●(2回目の暴行? 田沼高子とA子があまつとサンサン放送社員を訴える)

●3月13日●(3回目の暴行? 田沼高子があまつとプルート研修生を訴える)

●4月10日● アボガド社長を含む4人組、プルート事務所に殴り込む。

●4月12日● 田沼高子、警察に被害届提出

●4月18日● 田沼高子、暴行されたとしてあまつ風介、サンサン放送社員を刑事告訴
●4月下旬 ● サンサン放送、社員について社内調査
●5月上旬 ● サンサン放送、社員を制作局から異動(実質処分)
●5月15日● 2回目の暴行?日に田沼に同行した女性A子、暴行されたとしてあまつ風介、サンサン放送社員を刑事告訴

●5月28日● アボガド社長、全日空ホテルで記者会見

●5月29日● 『ウワサの閃光!』『リアル』発売。スポーツ新聞各紙、一斉に騒動を報道。

●6月1日● 『PACHI』発売。(以降、騒動の報道は沈静化する模様)

(参考・写真週刊誌『ウワサの閃光!』『リアル』『PACHI』   新聞『トンデモスポーツ5月29日』『トンデモスポーツ5月30日』「スポーツ夕日5月29日』  インターネット情報『スポーツミツホシ5月29日』「毎朝スポーツ5月29日』)



 「どう?」
 「よし、これでいい。田沼高子暴行事件は存在そのものが疑わしいのじゃからあとで考えるとして、他に、誰が見ても事件性のある事項はどこで出てくる?」
 「そうねえ」
 藻名加はしばらく表を眺めてから、はっとしたように顔を上げた。
 「はじめて起こった事件って、アボガド側がプルート事務所に殴り込んだことなのね、六郎おじいちゃん!」
 「そうじゃ。それまでには、事件と呼べるようなものは、あったかどうかわからない。いや、その語られる内容があまりにも不自然なことを思えば、なかったと考えた方がいい。つまり、確かに存在した事件は、この中では殴り込み事件だけなのじゃ」
 「そうかあ……。でもそれと、この事件が田沼高子の売名のためじゃなかったってことと、どう結びつくの」
 「藻名加、よく見てごらん。アボガドは殴り込み事件の後、被害届を出したり、1ヶ月も日にちをはさんで、2度も刑事告訴をしたりしている。それなのに、それをマスコミにはちっとも流さなかった。売名のためなら時間をかけることはない。殴り込んだあと、すぐに記者会見を開いた方がてっとり早いじゃないか。いや、プルート事務所やあまつ風介が、ほんとうにあった暴行事件をしらをついて認めないならば、その場でスキャンダル雑誌の記者達を呼んだってよかったんだ」
 「それもそうよね」
 「オレも、おとといからそこらへんが不思議だったんだ」
 「アボガドは、自分たちのこういった行動を誰にも公表しなかった。むしろ、隠していた。だが、プルート事務所とサンサン放送は、どうやら自分たちに所属するタレントや社員が刑事告訴されたことを知っていた」
 「……そうなの?」
 「つけくわえるなら、この騒動が世の中に知れたのは、どう考えてもアボガドの記者会見によってではないのじゃ。なぜならそのときはもう、『ウワサの閃光!』と『リアル』は刷り上がって売られるばかりになっていたのじゃからな」
 「そうね。じゃあ、記者会見によってではなく、その2誌によってこの事件は明るみに出たのね」
 「そうじゃよ、藻名加。ではもうひとつ聞くよ。『ウワサの閃光!』と『リアル』ではどちらが先に事件に気がついたと思うかね?」
 六郎が尋ねた。藻名加は困り切った顔で首を傾げる。
 「そんなこと、考えたからと言ってわかるのかしら。……そうね。『ウワサの閃光!』は、アボガドの話の受け売りだから、それこそ売名のためにアボガドのほうから情報を流したと考えられるわね……。でも、それが……?」
 藻名加がそこで詰まってしまうと、鉄郎があとを続けた。
 「対して『リアル』は、どうも自分たちで殴り込み事件の情報をつかんだらしかった……。ん?」
 鉄郎は、急に考え込んだ。
 「そうか!」
 しばらくして鉄郎は、急に大声をあげる。
 「そうか、なるほど! 六郎おじいちゃん、オレはわかったよ!」
 「え? なになに?」
 鉄郎が先に気がついたので、藻名加は焦って、鉄郎の書いた表を眺め回した。
 「なんなの? 『リアル』と『ウワサの閃光!』のふたつは、全く別々に事件の情報を得たんでしょ。どっちが先とか、ほんとにわかるの?」
 「わかるよ、藻名加。アボガドは、もともとは情報をマスコミには知られたくなかったんだぜ? そうしたら、どっちが先だ?」
 「え? だって、今、『ウワサの閃光!』にはアボガドが情報を流したって言わなかったっけ?」
 藻名加はきょとんとして目を丸くする。そんな藻名加を見て、鉄郎は、優越感を含んだ口調でゆっくりと説明しはじめた。
 「そうだよ。あの『ウワサの閃光!』を読むと、ほんとはアボガドはあまつ達が暴行事件を起こしたという情報を流したくなかったなんて思えないよな。『ウワサの閃光!』の記事は、アボガド側に都合のいい嘘ばかりだ。……でも、さっき言ったとおり、できればアボガドは、このことをなんにもマスコミには知られたくなかったんだよ」
 藻名加は、口をぽかんと開けて、鉄郎の話を聞き入るばかりである。
 「だが、写真週刊誌でも一番取材力のある『リアル』が、独自でアボガドによるプルート殴り込み事件の情報を得てしまったんだ。『リアル』は、この記事を雑誌に載せるにあたり、アボガドとプルート両方にコメントを求めた上、この記事を載せた『リアル』を発売する予告もしたんだ。それを聞いてアボガドは驚いた。アボガドはとりあえず、『リアル』に自分たちに都合のいいコメントを流したものの、『リアル』の記事がどういう内容にまとまるのかが不安だった。だから、自分たちが悪者になる前に『ウワサの閃光!』にアボガド側に都合のいい情報をリークすることでしのごうとしたんだ」
 鉄郎がここまで一気に言うと、六郎は、
 「そのとおりじゃよ、鉄郎」
 とにこにこする。鉄郎が続ける。
 「同日に発売された2誌の、同じ事件の取り扱いが全然違っているのが、オレにはおとといから不思議でならなかったんだ。でも、これではっきりわかった。『リアル』の記事は、記事と呼べるものだが、『ウワサの閃光!』のは、記事と呼べるレベルではない。アボガドの嘘の受け売りなんだ。……だから藻名加、これ以降、事件のことを考えるときに、『ウワサの閃光!』の内容を気にすることはないんだ」
 鉄郎が強い口調でそう言う。
 「あれに書いてる内容は、無視してもいいんだ。アボガドの社長は、ありもしない暴行騒動をでっちあげてよその事務所に乗り込み、人を蹴飛ばしたり胸ぐらを掴んでおどすようなヤツだぜ? その男が自分に都合のいいことばかりしゃべったら、いったいどういう記事になるかわかるだろう?」
 「うん!」
 「逆に、独自で記事をまとめた『リアル』はかなり信用できる。同じ日に発売され、並んで広告を打ちながら、この2誌は全然違うレベルなんだよ、藻名加」
 「そうだね!」
 そう言って目を輝かせて、藻名加は、
 「じゃあ、お兄ちゃんや友達がバカにした、風介が最初は田沼を知らないと言いながら、問いつめられると渋々会ったことを認めたって言うのも」
 「……ああ」
 鉄郎は、ちょっと頭をかいた。
 「あれは、アボガドの社長が言ったことだ。『リアル』でのあまつはそんなことはしていない。「あまつは『田沼と面識があり、2,3度会ったことはあるが暴行なんてしていない』と言った」とあるだけだ。『リアル』の記事は具体的だから、誰かその場で見ていた人間の証言をもとにしているんだろう。あまつがごまかそうとすれば、それは、見ていた人間の印象に残るはずだ。それなのにそれについてはなにも言っていないのだから、あまつはすぐに田沼を見知っていると答えたんだ」
 「きゃあ、よかった!」
 藻名加が飛び上がる。
 「風介のこと信じてたけど、あれで気が弱いところもあるから、もしかしてそうだったのかなって思っちゃってたのよね……!」
 「大丈夫、そういうこまこました、あまつの悪印象のところは、全部アボガドの社長が言っていることじゃよ」
 六郎が笑いながら言う。
 「風介が「トランプをしていたと言っていながら、だんだん『合意の上だった』って言い出したって言うのも」
 「それは『トンデモ』の記事だな。『トンデモ』なんか気にしなくていいよ、藻名加。でも、『トンデモ』を気にするなって言うのは、最初からちゃんと忠告しておいたけどね」
 「そうね、お兄ちゃん!」
 藻名加はにこにこしながらテーブルに置いたままだったカップを流しに運び、洗い始めた。だが、しばらくすると、カップの割れる音がした。鉄郎と六郎が振り向くと、藻名加が、情けない声で言った。
 「ごめんね、六郎おじいちゃん。昔から愛用のカップなのに」
 「別にかまわんよ。……それより、どうした、藻名加」
 藻名加があまりに情けなさそうなので、カップのことよりもそれが心配になり、六郎は尋ねた。藻名加がはあっとためいきをつく。
 「六郎おじいちゃん。でも、風介が告訴されたのは事実だわ。それも2度もよ。なんでそんなとんでもない嘘をつきながら、そこまでアボガドは強気なの? 売名が目的で仕組んだんじゃないとしたら、アボガドはなんで風介達を告訴までしたの?」
 そのままつったっている藻名加に代わり、カップの破片を拾っている鉄郎にまで、藻名加はなさけなさそうに尋ねる。
 「ね、なんでなのお兄ちゃん」
 「え? そこまではオレだってわかんねえよ」
 「えー……」
 「そんな顔するなよ。ほら、かたづけてやったよ」
 「うん。でも。だってそれじゃあ……」
 藻名加の声が情けなくなる。
 「肝心の、風介の暴行疑惑は晴れないよ。それどころか……」
 「こりゃこりゃ」
 またがっくりとうつむいてしまった藻名加に、六郎があわてて声を掛ける。
 「藻名加、こないだおまえは、あまつ風介が田沼高子になにもしていないと信じられるって自分で言ったじゃないか」
 「うん、言ったよ。でも、急に不安になるときもあるのよ……」
 六郎は、やれやれという顔で笑顔になり、言った。
 「藻名加、ここまで来たら、あとは自分で考えるのもそう難しくはないだろう。そんなに複雑な話ではない。相手は、あんな殴り込み事件を起こすような奴らじゃぞ。暴力団みたいな体質なんじゃ。……それに、答えはもうとっくに出とるのだから」
 「ええ?」
 藻名加と鉄郎は、驚いて六郎を見る。
 「答えは出てるって?」
 藻名加が六郎にすがりついた。
 「六郎おじいちゃん、教えて。なんでアボガドは2度も風介を告訴したのか、それもわかってるの? そこまで告訴するって言うのは、アボガドが、自分たちの言い分に自信があるからじゃないの……?」
 「まあまあ落ち着け、藻名加。向こうが告訴したのは、それほどたいした理由ではない。自分たちの言い分に自信があるからでもない。いや、アボガドも、『言い分』には自信を持っとるのかな?」
 「?」
 「藻名加。だいたい、アボガド側の殴り込み事件の目的はなんだ?」
 「……目的?」
 藻名加は眉にしわを寄せて考えはじめる。
 「うーん。……プルートに対し、謝罪しろって言ってるわね、奴らは。だから……、プルートに暴行事件を謝罪させることがアボガドの目的なの?」
 「まあ、そうじゃな。では、謝罪ってものは、どういう形で表せば誠意が伝わるかな。たとえば、こんなふうに殴り込んでくる人間に対して」
 「……えー?」
 またもや藻名加が頭を抱えると、
 ぼそっと鉄郎が口を挟む。
 「……お金」
 「お金?」
 藻名加は、兄の言ったことを口の中で繰り返した。鉄郎が尋ねる。
 「って言いたかったんでしょ、六郎おじいちゃん」
 「そうじゃよ、鉄郎」
 六郎が言う。
 「奴らの目的は、金じゃろう。金さえよこせばあまつ風介のスキャンダルはよそに流さないぞと、そう奴らは暗に言っているわけだったんじゃよ。それが殴り込み事件における、アボガドの目的じゃ」
 「……でも、嘘なんだから、謝罪する必要なんてないじゃない?」
 「そうじゃな、嘘でも、密室に男女がいれば、中でなにが起こったか知れたもんではないと、世間の人間はそう思いがちだ。実際『ウワサの閃光!』にこの話を持ち込んだら、『ウワサの閃光!』ではこれは記事になると思ったのだからな」
 「……そう言えば、プルートの弁護士は、写真もあるとおどされたから、アボガドを恐喝罪でも告訴すると言っていたわね」
 「その通り。だから、答えは出ているといったろう。殴り込み事件とそのあと一連の告訴に至るアボガドの動きは、全部プルートへの恐喝なんじゃ。弁護士はそれがわかっとったから、恐喝で訴えると言ったのじゃ」
 「……そうだったのね」
 「殴り込みのとき、事務所の人間が、「誠意を見せる」と言ったので、アボガドはいったんは引いた。藻名加がはじめに拾った『トンデモスポーツ』で、アボガドの社長は、「ちゃんとそのとき誠意を見せて謝ってくれれば、それで終わらせようと思ったんです」と言っている。彼は、そのあとすぐにプルートから金の話が来ると思ったんだ。だが、こんなことでいちいち金を渡していたのでは、若い人気スターを山のように抱えるプルートは、次々に恐喝される。プルートは弁護士を立て、アボガドからの脅しに沈黙を守った。アボガドは怒った。で、金を出さないならこうだぞ、と、2日後には警察に被害届けを出し、1週間後には、刑事告訴してきた。むろん、アボガドはいちいちそれを電話でプルートに教えたはずだ。せっかく刑事告訴しておどしても、相手がその事実を知らなければおどしにならないからな。サンサン放送にまで社員を刑事告訴したことを教えたかどうかはわからないが、サンサン放送が、田沼高子による刑事告訴の日、4月18日からそう日にちが経たないうちに、自社の社員が暴行で刑事告訴されたことを知っていたことはかなり確実だ。なぜなら、サンサン放送は4月下旬には社員の社内調査をはじめ、5月上旬には処分をしているからだ。刑事告訴されているかどうかなど、告訴した者が公表しなければ知り得ないことじゃのに」
 「……」
 「さて、被害届も告訴も田沼高子の考えではないが、事情聴取は、社長ではなく、被害を受けたことになっている田沼高子自身が受けなければならない。ところが、若くて、こんなにやっかいなことにまきこまれても逃げることすらできないくらいに気の弱い田沼には、うまい嘘がつけない。暴行は、いつもふたりから受けて、それが3回もあったことになっているのだから、そんな田沼にいちいちこまかい暴行のようすなど作り上げて警察で言えるはずもない。だからアボガド社長は、田沼高子は暴行されている間中、薬物を飲まされて意識がなかったことにした」
 「そうだったの……」
 「しかし、あまつを告訴までしたのに、プルートはアボガドになにも言わない。プルートにしてみれば、嘘に決まっているのだから告訴も怖くない、とは言うものの、プルートだって、むろん、あまの風介が暴行容疑で刑事告訴されているなんてことが表沙汰になるのは怖かったんじゃ。女の子に夢を売って商売しているプルート事務所にすれば、所属俳優が暴行犯だなどというのは、絶対に避けたいスキャンダルには違いないじゃろう。だから話がよそに漏れないようにはしたが、ここでアボガドに屈すれば、再び相手の恐喝を誘うようなものだ。もともと、恐喝してくるような相手というのは、一度金を出せば、次は、こちらが金を出したことで恐喝してくる。だから、プルートは絶対金を出さなかった」
 「……」
 「プルートがなにも言ってこないまま、どんどん日が過ぎる。このまま放っておけば済むと思うなよ、と言うわけで、はじめの告訴から1ヶ月ほどして、アボガドは再びもうひとりの女性にあまつ達を告訴させたのじゃ。いや、もしかしたら、事情聴取を受けた田沼のようすで、田沼ひとりでは保たないと判断したからかも知れん」
 六郎の話の意外な展開に、藻名加も鉄郎も言葉も出さずに聞き入っている。
 「ところが、アボガドもプルートも想像しなかった事態が起こった。『リアル』が、どこからか殴り込み事件を聞きつけてしまったんじゃ」
 「……」
 「『リアル』はほとんど取材をすませてから、最後にプルートとアボガドにコメントを求めた。両者とも、ここではじめてこの事件が表沙汰になることを知った。で、アボガドは『ウワサの閃光!』に自分に都合のいい記事をリークさせるよう動いたが、プルートはまたもやなにも動かなかった。ちょこまか動かないというのが、プルートの基本方針らしいな。ここでも、プルートは事態を静観することにした」
 「……」
 「『リアル』と『ウワサの閃光!』が同時発売になった前後からの動きはもう、藻名加と鉄郎にもよくわかっているじゃろ。だが、これがはじまりだと我々が思ったときが、実は犯罪の終わるときだったんじゃ」
 「……」
 「事件が表沙汰になってしまえば、もう恐喝はできない。アボガドは急遽路線を田沼の売名に変えた。こうなったら、少しでも自分たちの得になるようにしなけらばならないからな。じゃが、もしかしたら、アボガドの社長はこのとき、雑誌や新聞で自分の言っていることが大きく取り上げるのでうれしかったかも知れんな。田沼高子程度が一番売れているタレントであるタレント事務所に、そんなに金があるわけがないのに、彼はまるでプルートと同格のようなつもりで記者会見をしておる。記者会見中も、弁護士にまかせずに、自分でなんでも得意になってしゃべったようじゃの。彼は、自分が主役の記者会見などはじめて経験したのじゃろうな。まあ、ふつうの人間なら恥ずかしくてとても人前で言えないような内容の記者会見だったから、社長がしゃべってくれて弁護士もほっとしたろう」
 「……じゃあ、アボガドが風介に起こした告訴は、これからどうなるの?」
 藻名加が尋ねる。
 「なに、どうにもならんよ。はじめから、暴行は犯人を特定するのが難しい犯罪なんじゃ。暴行犯を特定するには、犯行直後に被害者の体を調べた医学的な診断結果や、犯行の折の被害者の着衣などが重要な物的証拠になる。それが、先に告訴した田沼でさえも、事件があったと言っている日にちから何週間も経ってからの告訴じゃし、あとから告訴したA子に至っては、2ヶ月後じゃ。証拠もないし、実際暴行があったかどうかなど警察にも調べられないだろう。アボガドによる刑事告訴は、ただ、プルートに恐怖感を抱かせる道具だったに過ぎんよ。だいたい、田沼高子が告訴してからひと月半も経つのに、捜査はどうなっておるのか、なにも起こらん。それを、あの傲慢なアボガド社長が、「警察はなにをしてる」の一言も言わんではないか。それどころか「警察にお任せします」と、警察にはまるきり従順なんじゃからの。きっと「発生から日にちが経ちすぎていて暴行犯罪があったかどうか判定不可能」と警察が言ってくるのを待っているのじゃろう」
 「それじゃあ、これからプルートのほうで起こす訴訟はどうなるの」
 「こちらは確実に進行するはずじゃ。殴り込み事件の際の傷害行為には、多くの目撃者がある。アボガドの社長は、「名誉毀損で告訴しないで傷害で告訴するなど筋違い」と言ったことがあるが、今日鉄郎が調べた結果では、プルートはアボガドのことを、名誉毀損でも告訴するらしかったの。ただ、名誉毀損は民事じゃから、裁判に時間がかかるのじゃ。刑事事件である傷害で告訴した方がてっとりばやいので、弁護士は、先に傷害で告訴すると言ったんじゃよ。だいたい、なんでもべらべらしゃべるアボガド社長と、すべて弁護士にまかせ、必要最低限の情報しか流さないプルートを比べてごらん。プルートは本気でアボガドを叩きつぶす気じゃから、情報をあまり流さないのじゃ。ケンカの前に相手に手の内を見られることほどつまらないものはないからの。ほんとうは、アボガドは『リアル』に記事にされることがわかった時点で告訴を取り下げておけばまだよかったんじゃ。あとは、『田沼の心の傷が深いから』とか言って沈黙を守れば、まだどうにかなった。だが、ここまで来たらどうにもならんじゃろう。つまらん見栄を張ったために、アボガド社長は今、どんどん追いつめられておるのじゃよ……」
 六郎は、まだ質問があるかと、藻名加を見た。だが、藻名加は、もうなにも尋ねなかった。
 「そういうことだったのね……」
 藻名加は疲れ切ったようにソファに身を沈めた。
 「じゃあ、雑誌記事が出たので、アボガドによるプルートへの恐喝行為は止んだってわけなのね」
 「そういうことになるな。いくら嘘でもプルートにとって隠したい事柄だったから恐喝の材料になっていたが、一度雑誌に載ってしまえば、もう、恐喝の材料にはならない。だから、プルートも裁判などで真っ向からアボガドに対決する姿勢を打ち出せた。だが、代わりに、記事が雑誌に載ったことで、あまつ風介はダメージを受けた。痛し痒しじゃ。だがまあ、アボガド側があまりにもうさんくさいので、あまつのダメージダウンもどうにかそこそこで済んだんじゃないかのう。田沼高子にいたっては、これからだったのに、「暴行の被害者で売る女」と世間に思われてしまった。それが売名と呼べるかのう。多少名前が売れたからと言って、これでは彼女も被害者じゃないかのう」
 「そうね……」
 六郎の言葉に藻名加はうなずいた。
 「そうだ、わたし、最初に、まだちょっと見せるものがあるって言ったでしょ。六郎おじいちゃん、覚えてる?」
 「ああ、覚えとるよ。なんじゃ、これからそれを見せてくれるのかい?」
 「うん」
 そう言うと、藻名加はバックの中からビデオを1本取り出した。
 「これ。田沼高子のレギュラー番組が昨日の深夜あったから、どんな人なのかビデオに取ってみたの」
 「ほう」
 「写真だけだと、ほんとはどんな人かなんてわからないじゃない? 特にセクシーポーズの女の人ってみんな同じ見えるし」
 そう言いながら、藻名加はテープをビデオデッキに入れた。
 すぐに、いかにも深夜番組らしい、安っぽい番組がはじまった。わけのわからない水着姿の女の子達が騒いでいるのがまず映って、カメラが動くと脇に司会者の男性がいたのがわかった。
 「『キャオキャオNIGHT』、今日も盛り上がるよ! 司会の塩尻康夫です」
 司会者が言うと、カメラは更にその脇に寄った。するとそこに立っていた女性が笑顔で言った。
 「田沼高子です、こんばんは」
 それを見て、鉄郎が意外そうな声を出す。
 「……これが田沼高子か」
 「そうなの」
 画面を見ながら藻名加が答える。
 「雑誌で見た写真と同じ人とは思えないでしょう?」
 すぐに画面は切り替わって、飛び跳ねる男女が画面に映った。いったいなんの番組なのかよくわからない。
 「写真だとあんなにきれいなのに、これだとすごく老けて見えるでしょ。顔色が悪くて、疲れてるみたい」
 「そうだな。……ふつうの服を着ちゃうと、ふつうの人なんだな」
 少しがっかりしたように鉄郎が言う。
 藻名加はテレビのスイッチを切った。
 六郎が言う。
 「藻名加、なかなかいい資料だったよ。わしらはハダカでポーズを取る田沼高子しか見たことがなかったからの。ふつうの女性としての彼女を見られてよかった。考えると、わしらは、田沼高子がほんとうにしゃべった言葉をはっきり知らないんじゃ」
 「……え?」
 「確かに彼女は、『あまつとサンサン放送の社員の卑劣な行動を許せない、ふたりに罰を与えて欲しい』とコメントしている。じゃがそれは、アボガドの社長を通した記事の中でしか読めないんじゃ。信頼できる記事の中では、彼女は全くコメントを述べていない」
 「あ」
 「写真ではない、彼女本人が信頼できる記事に登場したのは、『リアル』の記事の中だけじゃ。その、『リアル』の殴り込み事件に関する記述の中で、彼女はあとからプルート事務所に来て、それからずっと泣いているだけだ。そのとき彼女は、誰も告発などしていないのじゃよ」
 「……でも、彼女がほんとうのことを言ってくれればすべては終わるのよ。悪いと思ったら、すべてを告白して欲しい……」
 祈るように藻名加が言う。
 「そうじゃな。が、今の彼女には、どんな程度か知らんが、『映画の主役』が残されておるからな。どこかで、彼女はホステスをしながら女優になるチャンスを待っていたと読んだな。もしかしたら彼女は、ここまで来ても、『映画の主役』を捨てられないのかも知れない……」
 「……」
 藻名加が思わず沈んだ顔をすると、六郎は笑顔になって藻名加を見た。
 「そう暗くなるな。あまつ風介も若いが彼女もまだ若い。まだまだこれからどうなるかわからんさ。自分の道はこれひとつしかないと思えるときも、実は誰にだっていくつもの道が開けているのじゃ。そのなかには、必ず明るい方へ開けている道もある」
 「そうね、その中からどの道を選ぶか、自分の選択で人生は変われるのね、きっと」
 「そういうことじゃ。さあ、もう遅い。今日はこのくらいにしよう。わしはまた週末にはおまえたちの家に行く。それまでにふたりとも、他になにかわからないか、よく資料を見ておいで」
 最後に、鉄郎がさっきの一覧表をファックスでコピーして配った。大きくなった鉄郎と藻名加は、六郎おじいちゃんちに泊まりたいとは言わずに帰り支度をした。
 

(パズル・第2話終)

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