「パズル ー探偵達の夜ー」 最終夜
鉄郎は謝り、
藻名加は微笑み、
六郎は長生きをする
「よし、では始めるか」
急いで夕食をすませると、3人は藻名加の部屋に集まった。
「ふたりともなにか見つけたようじゃな」
自分の前に座った鉄郎と藻名加の顔を見て、六郎が言う。
「あら、お兄ちゃんもなにかみつけたの」
藻名加が鉄郎に尋ねる。だが鉄郎は、
「オレ、このまえ六郎おじいちゃんの話を聞いて、スキャンダル雑誌やスポーツ新聞の記事からだって重要な事実を推理できるってわかったら、自分もやってみたくなってさ。次はいっちょうオレもなにかすごいことをみつけてやろうと思ったんだ。けど、残念ながら、オレには六郎おじいちゃんみたいなでっかいヤツはみつけられなかった」
と残念そうに言った。
「でも、なにかはみつけたのね。なあに?」
「……これだよ」
そう言って鉄郎は、前回配られた資料の束の中から、何枚かのコピーを取りだした。
「おにいちゃん、これって」
そのコピーを見て、藻名加があきれた声を出す。
「このまえ、記事として信用しちゃいけないってことになった『ウワサの閃光!』と『トンデモスポーツ』じゃないの。これを資料に使うの?」
「そうだ。確かに、ここに載っている記事の内容は、ほとんど全部がアボガド社長によって現実からねじまげられている。だがそれだけに、アボガド社長の内面を知るためには、かえっていい手がかりが含まれているとオレは思うんだよ」
「……へええ?」
藻名加が首を傾げる。鉄郎は言った。
「藻名加。この間、あまつ達への2度目の告訴は、アボガドの社長があとから考えたんだろうと言う話になったよな」
「うん、そう」
藻名加がうなずく。
「1回目の告訴でもプルートが金を出してこないんで、怒ったアボガドが、このまま終わると思うなよ、と見せしめにしてきた告訴じゃないかって話したわ。もしかしたら動機はそうじゃなくて、田沼高子が頼りないんで、田沼を補強するためだったかもしないんだけど。どっちにしろ、あれはアボガド社長のはじめの計画にはなくて、あとからつけたしたシナリオじゃないかと思える節があるのよね」
「そうだ。実は、その証拠が、この『トンデモスポーツ』の記事の中にあったんだ」
「証拠?」
「そうだ。ほら、はじめに拾った『トンデモスポーツ』のほうだ。見てみろよ」
言われて、藻名加と鉄郎はそれぞれ『トンデモスポーツ』を広げた。鉄郎が、ふたりのコピーをのぞきこみ、該当の場所を指さした。
「ほら、ここだ。アボガドの社長はこう言っている。「あとになってわかったんですが、田沼といっしょにあまつ風介のホテルに行ったタレントが、実は同じ時に田沼と同じ被害に合ってたんですよ。田沼が刑事告訴したので、彼女も事情聴取を受けたのですが、何回めかの事情聴取のおりに、『実はわたしもお酒を飲まされてあまつとサンサンの社員に暴行を受けてたんです』と泣きながら告白したんです。それで遅れて5月15日になって彼女も刑事告訴したんですよ」」
「……うわあ、ほんとだ! なんて雑な話なの!」
藻名加が驚いて叫び声を出した。
「アボガドの社長のヤツ、「あとからわかった」ってこんな簡単に言っちゃってるけど、こんな不自然なことってある?」
「全くじゃな」
六郎が笑い出した。
「アボガドの社長の言うとおりだとすると、この2度目の告訴者は、かなり複雑怪奇な内面を持っているようじゃな。この女性は、あまつ達の暴行をおそれる田沼に頼まれて、田沼に同伴してあまつ達のところに行ったわけじゃのに、そのとき暴行されている田沼には知られずに、あまつ達に別に暴行され、しかも田沼が暴行されたことを告訴するという騒ぎになっても、自分が暴行されたことを同じ被害にあったとわかっている田沼にも相談せず、ずっと黙っていてから、事情聴取で急に泣き出して暴行されたことを告白したんじゃからな」
「そうそう!」
思わず鉄郎も笑ってしまう。
「ここまで来ると、つじつまなんてどうでもよくなってるね。……あと、ちょっと気がついたことがもうひとつ。これはたいしたことじゃない。まあ、アボガドの社長の想像力の質と傾向のことなんだが」
「なあに、お兄ちゃん」
藻名加が、今みたいな楽しい話ならまた聞きたい、といった感じに身を乗り出す。
「『トンデモスポーツ』における、暴行の被害者ということになっている、田沼高子と2度目の告訴者の、自分が暴行されていたことを告白するシーンが、実によく似ているんだよ。ふたりとも同じように、追求された結果、泣きだして告白してる」
「あらまあまあ」
「あとから告訴した女性のほうは、さっき読んだからわかっただろ。彼女は事情聴取中に泣き出したんだ。今度は田沼高子のほうなんだが、こないだ読んだときは気がつかなかったが、よく読むとアボガドの社長の語る田沼高子の告白シーンには二通りあるんだ。アボガドの社長の矛盾をつっこみだすとキリがないからやめておきたいけど、これはちょっと重要なんでどっちも読むよ」
そう言いながら鉄郎は、さっき読んだ『トンデモスポーツ』の、別の一節を読み出した。
「『田沼とあまつくんがつきあっているという噂を聞いて、田沼に問いただした。そしたら急に泣き出して「実は暴行された」と言うでしょ。いやあ、許せませんよ』。いいね、これが、はじめに拾ったほうの『トンデモスポーツ』だよ。で、次の日の『トンデモスポーツ』では」
そう言うと、鉄郎は別のコピーを手に取った。
「こういうことになってる。『(あまつとのウワサを聞きつけた社長が)その夜、田沼を問いただしたが、答えはノー、否認だった。田沼は嘘をついていると感じたので、翌日改めて問いただしたら、田沼は徐々に泣きながら、「すべてを話します」と言った。』……どうだ」
「はじめのときは「急に」泣き出したと言っておいて、次の日は「徐々に」泣き出したことになってる……」
藻名加があきれて言った。
「それもあるけど、もうひとりの女性の告白シーンといい、この男は女性を泣くまで責めたてるのが好きらしいのがわかるだろ。だいたい、相手が「違う」って言ったって聞き入れやしない。自分の気に入る答えが出るまで相手を問いつめるんだ。しつこいと言うのか、粘着質と言うのか、思いこみが強いと言うのか……」
「……全くだわ」
藻名加が吐き捨てるように言う。
「……オレがみつけたのはこんなもんだ。どれも重箱の隅をつついたような細かい点ばかりで申し訳ないが」
話を終えた鉄郎がそう言うと、
「いやいや」
ずっと黙って鉄郎の話を聞いていた六郎が、そんなことはないと言うように手を振った。
「鉄郎。もしかすると今の話は、かなり事件の本質に近かったかも知れんぞ」
「……え?」
鉄郎と藻名加が驚いて六郎の顔を見る。
「今のアボガドの社長の性格分析など、なかなかのもんじゃった。実は、今のを聞いて、わしはちょっとしたことを想像した。それを、わしが今日ふたりに言おうと思っとったアボガドの社長の言動の矛盾点と重ね合わせると、かなり無理がなく全体の話が納得できる」
「へえ?」
「なに? なんなの、六郎おじいちゃん」
六郎は、そう尋ねる2人の顔をゆっくりと見比べ、こう言った。
「このまえわしは言ったな。すべてのはじまりは、殴り込み事件だった、それ以前に犯罪と呼べるものはなかった、と」
「……うん」
「そうだね」
藻名加と鉄郎がうなずく。
「わしには、アボガドによるプルート殴り込み事件のなかに、まだまだアボガドの社長の化けの皮をはがすために重要ななにかが隠されておるような気がしてならなかった。『リアル』は、殴り込み事件を考える上では基本テキストだから、わしは『リアル』を何度も読み返した。結果、ある仮説が浮かんだが、それはまだ、はっきりとはしない仮説じゃった。しょうがなくわしは、『トンデモスポーツ』で、アボガドの社長が自分に都合のいい殴り込み事件の全貌を話しているのをぼんやりと読んでいた。そのとき、確かに、わしの頭の中で、パズルのピースが合ったのじゃ。その内容に、さらに今の鉄郎の話を加えると、実に明快に殴り込み事件の謎が解けたのじゃよ。……いいかい、ふたりとも。アボガドの社長は、プルートに殴り込みに行くとき、田沼がほんとうにあまつやサンサン放送の社員に暴行されたとはつゆほども思っていなかったのじゃよ。これは断言できる」
「え?」
「それは、推察はできるけど断言はできないんじゃないの? 六郎おじいちゃん」
「そうかの? 藻名加、この記事を見てごらん」
そう言うと六郎は、藻名加がはじめに拾ったほうの『トンデモスポーツ』のコピーの一部を指さした。
「いいかい、ふたりとも。この記事でアボガドの社長は、殴り込み事件について、はじめは告訴までするつもりはなく、自分は、「向こうがすぐに我々の言った事実を認めて謝罪すれば、それで終わらせようと思っていた」と言っているんじゃよ」
「うん、そうだった」
「ここで、彼はうっかり本心をしゃべってしまったのじゃよ。こんな自分の気持ちまでねつ造する必要があるとは、彼は考えもしなかった。これは、彼の本心じゃった。彼はほんとうに、プルートに殴り込みに行ったとき、はじめはこのように思っていたのじゃ。……ふたりとも、それはなぜだか、考えてごらん」
言われて、藻名加と鉄郎は顔を見合わせた。
「……あ」
藻名加があんぐりと口を開く。
「……そうかあ!」
また六郎おじいちゃんにしてやられた! とばかりに鉄郎が悔しそうな顔をする。
「そうじゃよ、わかったかの?」
六郎が、勝ち誇ったような笑顔を顔に浮かべる。
「思い出してごらん。田沼高子達があまつ達を告訴した内容によれば、あまつやサンサン放送の社員は、薬物を使って田沼高子を昏睡させた上で暴行、それを3度も繰り返した上、2度目には、暴行をおそれる彼女が同行を頼んだ女友達までに暴行を加えているのだ。これはふつうに考えて、「素直に認めて謝れば許せる」というレベルの犯罪かい?」
「六郎おじいちゃん!」
藻名加が叫んだ。
「どうして今まで誰もそのことに気がつかなかったんだろう!」
「もし藻名加にこんなことがあってごらん。鉄郎だって、お父さんお母さんだって、おじいちゃんおばあちゃんだって、むろんわしだって、その他藻名加を知る人間のほとんど全部が、そんなことをした犯人は、たとえどんなに謝ったって許せないと感じるはずだ」
「……」
「それが、アボガドの社長は、それほどまでに悪質な犯罪に対して、「素直に認めて謝れば許す」と言う、神様みたいなことを言っておる」
「……」
「じゃが、アボガドの社長は神様ではない。では、彼がそのとき「素直に認めて謝れば許してやる」と思ったのは何故か。それは、アボガドの社長が、ほんとうはそんなに悪辣な犯罪はそこにはなかったと知っていたからだ」
「……」
「だが彼は、あまつとサンサン放送の社員が、田沼と関係を持ったとは思いこんでいた。要するに彼は、「『田沼と関係を持ったことを』あまつやサンサン放送の社員が素直に認め、謝れば許してやろう」と思ってプルートに殴り込んだのじゃよ」
だが、藻名加が困惑した顔で反論した。
「でも六郎おじいちゃん。彼らは、そのときからすでに、「あまつとサンサン放送の社員がうちの田沼を暴行した。謝罪しろ!」と言ってる。ほんとはもっとひどいことも言ってるけど、この場では言わなくていいでしょ。とにかく、その言葉は『リアル』にも載っているんだから疑えないわ。暴行はないと思いながら、アボガドの社長は、なぜそのときからもうそんな言葉を使ったのかしら?」
「そうじゃな。まあ、それはひとつには、ヤクザ特有の脅し文句じゃ。それは藻名加にもわかるじゃろ? だが、それだけでもない。……鉄郎、ちょっと想像してごらん。「あまつとサンサン放送の社員」という若い男2人と、「田沼高子」というセクシーな若い女ひとりの計3人がホテルの密室でしばしの時間を過ごしたと聞いたアボガドの社長は、そのホテルの部屋でなにがあったと考えたと思う?」
「……」
「そうじゃ、彼なら当然のことじゃろうが、そこでかなりいかがわしいことが行われたと想像したのじゃ。それはある程度無理もない。そう書いてある記事を読んで、鉄郎や鉄郎の友達みたいな、ごくふつうの若者だって、「タレントとテレビ局社員がホテルでセクシー女優と遊んだ」みたいなことを想像したくらいなのじゃから」
藻名加が鉄郎をちらっと盗み見る。
「それがもし、あまつと田沼が1対1でホテルにいたと言うんだったら、殴り込みに行ったとき、アボガドの社長は、おそらくそのときほどはどぎつい言葉は使わなかったろうと、わしは思う。もしあまつと田沼が1対1でホテルにいたのだった場合、アボガドの社長は殴り込みに行ったとき、きっと、「プルートのあまつがうちの田沼に手を出した。よそのタレント事務所の女に手を出したらどういうことになるかわかってるだろう。これにどう落とし前をつけてくれるんだ」というような内容を口にしたはずだ。……そうじゃ、アボガドの社長がプルートになぐりこんだ理由とは、もともとは、そういうことだったのじゃよ」
「そうか……!」
「聞いたことがあるわ。昔、プルートの男性タレントがよその事務所の看板女優と勝手に海外旅行したとき、もちろんふたりは恋愛関係だったんだけど、プルートの社長は、相手の女優の事務所の社長のところに、頭を下げに行ったのよ。芸能界には、事務所の違うタレント同士は勝手に恋愛できないという不文律が、少なくとも昔はあったのよ」
「そうじゃな。確かに今はそうでもないらしいが、アボガドの社長のような、暴力団に近い男には、そういうなわばり意識が通常よりも強いことは、容易に想像できるじゃろう」
「……」
「さあ、話を戻すぞ。……だが、この場合、「その部屋では男が2人で女は田沼ひとりだった」ということが、アボガドの社長に、1対1の男女よりももっといかがわしい関係を想像させ、「暴行」そのほか、どぎつさきわまりない言葉を吐かせたんじゃ。……これで、アボガドの社長が、田沼高子とあまつ風介達の間に、ほんとうは暴行その他、犯罪行為はなかったと知っていたにも関わらず、プルート事務所に殴り込んだ際に、「暴行」云々という言葉を使ったことが、ふたりにも納得できると思うが、どうじゃな?」
ここで六郎は言葉を切り、確かめるようにふたりの顔をじっと見た。ふたりがうなずくと、六郎は再び話し始める。
「さて、では次の話にすすむよ。……アボガドの社長は、プルート事務所のことを「妖精の顔をした悪鬼」と呼んだことがあったな。アボガドの社長は、プルートの若い男性タレント達を、いわば妖精のように女性的な、若い女性にキャーキャー言われているだけの、軟弱な男の集まりだと思っておったのじゃ。しかもあまつ風介は、わしらがよく知っているとおり、小柄な男性が多いプルート事務所の所属タレントのなかでも、特別に小柄なんじゃ。そのあまつ風介本人が騒動の現場に駆けつけたのを見たとき、アボガドの社長は、あまつがまずはこういう行動を取ると思ったのじゃよ。それは、アボガドの社長が、「おまえは田沼を知っているか」と詰め寄れば、彼は『まずは「見たことも聞いたこともない」としらばくれ、それに対してアボガドの社長が怒って「よーく見てみろ」と怒鳴ると「会ったことがある」と渋々認める」というようなことじゃ。……今言ったのは、『トンデモスポーツ』でアボガドの社長がその騒動の現場でのあまつの反応を記者に述べた部分の引用なんじゃがな。彼は、あまつのような男なら、そうするものと思いこんでおったのじゃ。だから、そんなふうにトンデモスポーツの記者に言ったのだ。また、こうも言えるな。あまつがこういうふうに行動することは彼の願望だったので、記者にあまつのことを尋ねられたとき、彼は自分の願望どおりにあまつを語らずにはいられなかったのだ」
「……それが。……風介は、アボガドの社長の願望どおりには動かなかったのね……?」
「そうじゃよ。客観的で信用のおける『リアル』の記事で、あまつ風介は、尋ねられるとごまかしたりせずすぐに、「彼女と面識はあるが暴行なんて知らない」と言っておるのじゃ。むろん、現実のあまつは、アボガドの社長の想像したように、ではなく、『リアル』に書いてあるように行動したのじゃ」
「……」
「そのあまつの態度は、アボガドの社長にはかなり傲慢に見えたに違いない。彼にとって、あまつ風介みたいな女に騒がれてるだけのやさ男は、最初は保身に汲々としてシラを切り、次に自分に怒鳴られて渋々非を認め、責め立てられると最後は手をついて、「出来心で遊びました、どうかこの件を公表することだけは許して下さい」と泣いて謝らなければならなかったのじゃよ。ところが、あまつは、どんなに脅されても田沼になにかしたとは言わなかった。アボガドの社長は興奮した。あまつの胸ぐらをつかんでおどしたときは、プルート事務所の人間は、あまつがアボガドの社長に怪我を負わせられると思って、あわててまた警察を呼んだくらいじゃ。それでもあまつは田沼になにかしたとは言わなかった。当然じゃ。彼は田沼に、なんらやましいことをしていなかったのじゃから」
「……」
「ところで、あまつ風介は、これもまたわしらが知っているとおり、ずば抜けて小柄なくせに、普段からすごく生意気に見える男なんじゃ」
藻名加がうなだれながら、小さくうなずく。
「そのあまつが、身に覚えのないことでアボガドの社長らに事務所にまで押し掛けられ、詰め寄られて、どんなにふてくされた、はたから見れば生意気に見える態度をとったかは、想像するに難くない。じゃが、警察も来ていた。アボガド側はしょうがなく、あまつに謝罪させることができずにその日は引き上げた」
「……」
「しかし、アボガドの社長はこう思っていた。……なんといっても相手はタレント、人気商売だ。男2人で田沼高子をもてあそんだと公表されたら、人気が凋落することはまちがいない。じきにあまつは『ことの重要さに気づいて、「ホテルでトランプをしていた」という前言を翻し、「合意の上だった」と言い出し」、最後は「このことは内密に」と泣きついてくると思っていた。と、ここにもちょっと『トンデモスポーツ』に書いてある文章を引用させてもらったがな。ところが、そういうことはなかった」
「……」
「あまつ風介は、アボガドの社長の願望をことごとく裏切ったのじゃ。このころになると、事務所のタレントを好き勝手に使われて挨拶もないことと共に、あまつ風介が自分の優越感を満足させないことが、アボガドの社長には許せなくなっていた。アボガドの社長は、あまつ風介にぎゃふんと言わせなければ気が収まらなくなっていたのじゃ。そのために、彼は、あまつを、女性に人気の男性タレントにとって致命的な、「連続暴行犯」と言う名目で警察に告訴したのじゃ。まさか告訴までされてもあまつがなにも謝ってこないとは、アボガドの社長には考えられないことじゃった。アボガドの社長にとったら、とにかく、あまつ風介を「暴行犯として」告訴して脅かせばそれでいいので、告訴の内容なんてどんなにいい加減でもよかったんじゃ。だから、告訴した内容はつじつまが合わないことばかりになってしまった。だがどうせ、あまつ風介は告訴されたと聞けば震え上がり、プルートの社長につきそわれ、すぐに泣いて謝ってくるに違いない。そのときはさんざんあまつ風介をいたぶり、足蹴にし、ついでに、ふだんなら自分など足下にもおよばない、業界では飛ぶ鳥を落とす勢いと言われているプルート社長にもじゅうぶん嫌みを言って、むろん謝罪のしるしとして多額の金も受け取ったうえで、告訴は取り下げてやる。……それが、想像力豊かなアボガドの社長がそのとき夢見たストーリーだったんじゃよ。それがどういう顛末になったかは、ふたりの知るとおりじゃ」
「……」
「……どうかね? アボガドの社長の一連の行動の目的が田沼高子の売名ではなく恐喝であることはすでにこのあいだ気がついていたが、そのときはわしも、その恐喝の目的として金のことしか考えていなかった。だが、この数日自分で考えたことと、さっき鉄郎が明らかにしてくれたアボガドの社長の性行から、今の推理が生まれたんじゃ。……これは荒唐無稽な推理だと思うかね?」
しばしの沈黙のあと、藻名加が答えた。
「ううん、六郎おじいちゃん。……荒唐無稽じゃないわ」
「そう思うか」
「……風介は、今六郎おじいちゃんが言ったとおりの人間よ」
「藻名加にそう言われれば、あまつも本意じゃろ。……さあ、これでわしの話は終わったぞ。次は藻名加、おまえの番じゃ。おまえはあまつ風介のために、どんなことをつかんだのかね?」
「わたしのはたいしたものじゃないわ」
藻名加は、淡々と言った。
「お兄ちゃんも自分のみつけたのはつまんないことだとか前置きしてたけど、結果として今の六郎おじいちゃんの推理を導くきっかけになったのだから、お兄ちゃんはすごいところに目をつけたと思うわ。……でも、あたしのは、ほんとうにたいしたことじゃないの」
「まあまあ、藻名加も前置きはいいから」
六郎が言った。
「わしは、おまえが夕飯を食べているときからずいぶん明るい顔をしていたことに気づいておったぞ。なにかいいことをみつけたのじゃろう?」
「うん」
藻名加はうなずいた。
「わたしとしては、とてもうれしいこと。でも、六郎おじいちゃんやお兄ちゃんには、つまらないかも」
「なんじゃ、藻名加らしくないな」
六郎が笑う。
「いつからおまえはそんなに謙虚になったんじゃ。いいからもったいぶらずに言いなさい」
「うん。わたしの発見はね、これ」
そう言うと、藻名加は、あまつ風介が出演した番組を取りためたビデオが並んだ棚から、1本のビデオを取り出して、六郎に手渡した。
「なんじゃ。このあいだまであまつが主演していたドラマのビデオじゃないか」
六郎に言われて、藻名加はうなずく。
「うん、そう。「日の当たる場所」っていうドラマ。ふたりとも知ってると思うけど、野望のために貧しい恋人を殺してお金持ちの娘と結婚した、美貌だけど金のない男の運命を描いたもので、風介がその主役の若者を演じた際の、虚無的な中に暗い情熱を秘めた演技が、識者に絶賛されたのよ」
「そのことはもう、耳にタコができるくらい聞いてるよ」
鉄郎がうんざりしきった声を出す。
「このドラマは一度藻名加といっしょに見たことがあったな。昔エリザベス・テイラーとモントゴメリー・クリフトで映画になったもののリメイクじゃったようだが、あまつ主演のドラマもなかなかよくできていた」
六郎が言う。
「そう、そのリメイクなのよ。わたしは映画は見てないけど」
藻名加が六郎にそう答えているとき、鉄郎は、そのビデオのラベルを見ながら、
「オレがおまえに頼まれてプリントアウトしたヤツはこれに関係するのか?」
と尋ねた。藻名加は、
「そうなの。それも配るわ」
と言って、机の上から、インターネットの情報がプリントアウトされた紙の束を取り、六郎と鉄郎に配った。
「サンサン放送の業務内容紹介コーナー」
その紙のタイトルを、六郎が声を出して読み上げた。
「なんじゃ、藻名加。おまえの発見もかなりおもしろそうじゃないか」
六郎が言う。藻名加も実は少し自信があるらしく、にやっとする。
「そう思う? おじいちゃん」
「思うとも。さあ、では、このふたつがどう結びつくのか、これから説明してもらおうか」
「わかったわ。……わたしは、自分が気になっていたことを調べてみようと思ったの」
「ふむ」
「わたしが気になっていたことって言うのはね、風介が、サンサン放送の27歳の社員を、「友達」とか「友人」とか思うかどうか、ってことなの」
「ほお」
「わたしはいつも雑誌で風介が自分自身を語るのを読んでいるわ。そのなかで描かれる風介像は、権威が大きらいで、曲がったことが大嫌いで、たとえ自分に損だとわかってても嫌なことにはうんと言えない、不器用で、でもほんとはやさしい、人に誤解されやすくて芸能界には染まれない、そんな男の子なのよ。……わたしの中では、風介はそういう人なの」
「……うむ」
六郎がうなずいた。
「それが、今度の事件で描かれた風介像は、全然そうじゃなかった。たとえば、シャイではじめての人とはうまく口も利けないはずの風介が、お正月の飲み会では、はじめて会った田沼高子と携帯の番号を交換したっていう。はじめて会った女の子と、お互いの携帯を交換して背中を丸めて、ピポパポと小さな携帯のボタンを打つなんて、全然風介らしくないわ。だいたいわたし、風介なんて、自分の携帯の番号を覚えているかどうかも怪しいと思うの。次には、田沼高子をホテルに呼びだしたのも風介自身だということ。そして、殴り込み事件の時の風介は、はじめは田沼高子を知りもしないとシラを切り、問いつめられるとしぶしぶ顔を知っていることだけは認めたりする。もちろん一番ひどいのは、サンサン放送の社員や、プルート事務所の研修生といっしょになって田沼高子たちを暴行したって言う事よ。自分はいつも誰かとふたり組で、女の子には抵抗できないように薬物を飲ませて。……そんな卑劣なことを風介がするわけないのに。……でも、違う、違う、風介はそんなことしないって考えても、もしかしたら、もちろんこれ全部がほんとうのことなわけはないけれど、わたしたちにはわからない、業界の世界ってものが風介を取り巻いていて、わたしの見たことのない、風介の別の顔がどこかにあるのかなあって、……やっぱりわたしにも、風介の言うことすべてを信じてはいなかったのよ……」
「……」
「でも、六郎おじいちゃんといっしょに考えてきて、雑誌や新聞の中にも、信じられるものもあれば、全く信用できないものがあることがわかった。そういう眼でもう一度見ると、わたしが「風介らしくない」って思うことは、やっぱり風介はしていなかった。それどころか、殴り込み事件の時の風介も、そのあとの風介も、風介は、風介だったらこうするだろうって、わたしがそう思うとおりの風介だった」
「……」
「でもね、わたしには、ほんとはまだちょっとひっかかりがあった。わたしって、自分が風介の悪口を言うのは全然かまわないんだけど、人に言われると嫌、っていうところがあるの。殴り込み事件の時、風介がシラを切った、って言うことでお兄ちゃんにバカにされたことも腹が立った。でも、すぐにそれはねつ造記事だってわかったから、そのことはもうよくなったんだけど、でも」
「……」
「風介がホテルで女の子に乱暴した、という記事の中で、お兄ちゃんやお兄ちゃんのお友達の心証を悪くしていることは、風介が、「テレビ局の社員といっしょだった」っていうことらしかった。らしかった、というより、はじめから、わたしにも、そのことは気になっていたの。風介は雑誌のインタビュー記事の中で、よく、バスケ仲間のことを楽しそうに語っていた。わたしは、その人達を、なんとなく、風介と同じ地元で、同じ中学を出たような、風介と同じく、一度ぐれかけたんだけど、今はちゃんと働いているような、そんな若者にイメージしていた。中学生の頃からプルートの研修生として働いていて、学校なんか好きでもなかったような風介は、いい大学を出ていい会社に勤めているような人とは、友達にはならないだろうというような気がした。でも、事件があったとされたとき、風介と一緒にいたのは、サンサン放送の、27歳の正社員だった。そのころ風介は、サンサン放送の「日の当たる場所」で主演をしていたので、わたしは、きっとそのドラマの関係で、サンサン放送の誰かがマネージャー代わりに風介の世話をしているんだろうと思った。だから、サンサン放送の社員といたのはいたんだけど、それは、風介の「友人」というのではないと思っていたの」
「そういえば藻名加は、あまつが田沼高子を「友人の友人」と言ったとき、その「友人」はサンサン放送の社員のことではないんではないかと、ずいぶん言っておったのう」
「そうなの。そういうイメージがあったから、違うと思ったの。風介だって、男友達や女友達を呼んで騒ぐことはあると思う。でも、風介が女の子を呼んでいっしょに騒ぐような友達なら、さっき言ったような、風介と同年輩で、大学なんか行かないで働いてるような、そんな子達だと思った。……逆に、そういう子たちとなら、風介が女の子を呼んでトランプをしていても、不自然ではないと思った。そういう子の誰かと風介が、ふたりで組んで女の子に暴行するなんて、そんなことはなんだか考えられないと思った。それなのに」
「それなのに?」
「……いっしょにいたのが、サンサン放送の社員だと思うと、わたしにも、なんとなく、風介がテレビ局の人と、セクシータレントをホテルに呼んで、複数でなにかエッチなことをする……、っていうのも、ありえないことでもないような気がした。だって風介、エッチなこと、好きそうだし」
「……そうだよなあ?」
このときとばかり鉄郎が相づちを打ったので、藻名加はむっとして鉄郎を見る。六郎が話をうながした。
「それで? どうしたんじゃ、藻名加は」
「……そのサンサン放送の人って、どういう人なのか、自分で調べられないかと思った」
「ふむ」
「お兄ちゃんも前に行ったけど、風介を取り巻いている世界は現実のもので、小説ではないのだから、もちろん、わたしたちが調べた雑誌や新聞に載っている人たちだけが風介の知り合いであるはずがない、それはわかっているけど、でも、そのサンサン放送の社員が、「日の当たる場所」の関係者だと言うことは、かなり確実だと思ったの。だから、簡単だけど、「日の当たる場所」のクレジットを見て、スタッフの名前に、頭文字が「M」の人がいないかどうか捜したの。……だって、サンサン放送の社員は、「テレビ局の社員」「あまつの友人」と書かれる他は、「Aさん」または「Mさん」と呼ばれてるんだから、彼の頭文字が「M」であることは、まず間違いがないもの」
「そりゃそうじゃ」
六郎が相づちを打つ。
「……で、特定はできたのかな? Mさんの」
「それがね。まずあたし、「日の当たる場所」の1回目のエンドクレジットを調べたの。「日の当たる場所」のエンドクレジットは、キャストは詳しく載ってるけど、制作スタッフはそんなに載ってなかったの。まずプロデューサー、それからプロデューサー補とか、記録とか広報とか、あと撮影、照明、音声とかはなにをするのかすぐわかるけど、T・DとかV・Iとか、なんだかわからない仕事もあった。他にも、大道具とか衣装とか持道具とか……。でも、頭文字「M」の男の人はどこにもいなかった。次に、今度は適当にまんなかへん、6回目くらいのビデオを取り出して調べた。同じ。どこにもいなかった」
「なんだ、いなかったのか」
「鉄郎、じゃが、藻名加はちゃんとビデオを出したじゃないか」
「そうよ、六郎おじいちゃん」
藻名加はちょっと得意そうになった。
「もちろんあたしにだって、予想はあった。最終回のエンドロールは、これまでの名場面なども流れて特別長かったのはよく覚えていた。だけど、最初からそれを調べて名前が見つからなかったらがっかりするから、最終回はあとにしたのよ。あとって言っても、その次はもう、寄り道せずに最終回のクレジットを調べたわ。そしたら、最終回にだけは、各職務のアシスタント名も小さく載っていたの。最終回以外は、各部のチーフの名前しか載っていなかったのよ」
「ほう」
「で、Mさんはいたのか?」
「それは、ビデオを見て」
藻名加はそう言った。
早速3人はテレビとビデオデッキがある鉄郎の部屋に移った。
藻名加がビデオデッキにビデオを入れる。すぐに、「日の当たる場所」最終回のエンドクレジットがはじまった。
はじめはキャスト、次にスタッフ、六郎と鉄郎はテレビ画面を真剣に見ている。
「……あ」
鉄郎が声を上げた。
「ううむ」
眼を細めて画面を睨みながら、六郎がうなる。
じきに「日の当たる場所」のテーマ曲が終わり、ビデオは終わった。
「わかった?」
「……ひとり「M」がいたような気はした」
「わしは……。なにせ字がちらちらしてな……」
老眼の六郎は、今度ばかりは自信がなさそうだった。
「文字が流れるの早いもんね。あたしも何度も確かめた。……次は、テープをそこで止めるから」
藻名加はそういうと、ビデオを巻き戻しながら再生しはじめて、途中で画面を止めた。
「ほら、この人。この人だけだったの。頭文字「M」の男性」
「……」
鉄郎と六郎は、黙ってその画面を眺めた。
「音声」というあとに大きな文字で人の名前があり、そのあとにごく小さく、3人ほど男性の名前が連なっている。
「ここ」
その小さい名前の最後の名前を、藻名加は指さした。
「音声さんのアシスタントなのね。松沢勇二、この人。……偶然にも、頭文字「M」の男性は、全スタッフ名のなかで、この人しかいなかった」
「そうか……」
「そのとき、あたしははっとした。民放キーテレビ局の正社員っていうのと、ドラマの音声さんのアシスタント、っていうのとでは、イメージが全然違った。もしかしたらこういうのはサンサン放送の社員じゃなくて、別の制作会社に頼んでいるのかもしれない、とも思った。だから」
「オレに、ネットでサンサン放送の仕事内容を調べてくれって言ったのか」
「うん。そしたら」
藻名加は、さっきのプリントアウトした紙を指さした。
「ほら。あるでしょ。「制作局制作センターの仕事。技術系スタッフ。カメラ、照明、音声など」って」
「そうか……」
「しかも、ここに、「制作局若手の一日」っていうのがあって、音声ではないけど、ADの佐藤くんっていう人が紹介されてるわ。彼のやることは、スタジオのセットを片づけたあとの釘拾いだの、家にも帰れないで2週間分のスタジオ撮影の準備だの、裏方の仕事ばかり。彼は、Mさんと同じ27歳なのよ」
「……」
「わたし、テレビ局の社員27歳って、なにをやる人なのか知らなかった。だから、テレビ局の社員なら、俳優といっしょになってセクシータレントを呼んで遊んでも当たり前、なんていう、世間の人と、やっぱりおんなじ頭があった。でも、こうしてみると、サンサン放送の制作局の27歳は、そんなことをするのがあたりまえと思われるような人たちじゃないと思うの」
「……」
「もしかして、私たちが名前を見た、この松沢さんが、そのMさんかも知れない。だとすると、彼は、あの、長い棒つきのマイクをいつもいつも持ちあげている人よ。長時間労働だし、きつい仕事だわ。あたしが思っていたテレビ局の人、っていうイメージとは全然違った。まちがっても美人タレントが向こうから勝手に寄って来るような立場の人じゃないわ」
「……」
「でも、音声さんのアシスタントを一生懸命やるような人とは、風介だったら友達になるかもしれないって、わたしは思った」
「……」
「風介は、このドラマの時、俳優さん達とはそんなに仲良くなれなかったってよく言ってたの。でも、主役なんだから、現場にはしょっちゅう行くでしょう? 当たり前よね。そしたら、誰かとはなかよくなって、話をしたりするようになるかもしれないわ。気の優しい人なら、風介が一人でいたら、声をかけてくれるかもしれない。……たぶん、風介がなかよくなったのは、俳優さん達じゃなくて、現場で肉体労働をしてる、若手のスタッフ達のなかのひとりだったの。風介のお友達のMさんは、風介と同じにバスケが趣味な人なのに違いないって、そのことにはわたし、誰に聞かなくても確信があるわ」
そこまで言うと、藻名加は、ほっと表情をゆるめた。
「……あたしが調べたのは、こういうこと。「日の当たる場所」のクレジットに出ていたスタッフが、そのMさんかどうかはわからないけど、Mさんが、他の制作スタッフの人たちと同じように、まじめな青年である可能性は、かなり高いということは、お兄ちゃんにもわかってもらえたと思う。どう? お兄ちゃん」
「……藻名加」
鉄郎がためいきまじりで言った。
「オレ、前、タレントとテレビ局の社員なんて、なにして遊んでるかわからないみたいに言ったけど、それは確かに色眼鏡でものを見ていたと思う」
「……」
「当人を知らずに言っていいことじゃないな。……悪かったな、藻名加」
「別に、あたしに謝んなくてもいいけど」
そう答えながら、藻名加はうれしそうに微笑んだ。
「さあ、これで全部終わったのかな」
六郎が言った。ちょうど下から、よしこが3人を呼ぶ声が聞こえた。
「お茶が入りましたよ。六郎おじいちゃま。鉄郎。藻名加。降りてらっしゃい」
台所で片づけものをしているよしこと八重子が、大きなテーブルの一角に座り、お茶を飲みながらなにやら声高に話している3人を見て、目を見合わせている。
だが、しばらくすると、六郎は、よしこと八重子に馳走の礼を言い、立ち上がった。
「帰るの? 六郎おじいちゃん。わたし、送るわ」
藻名加もいっしょに立ち上がる。
「わしの足だって15分じゃ。送るにはおよばんよ」
「いいのよ、夜の散歩よ」
藻名加はもう、六郎より先になって玄関に向かっていく。
六郎が藻名加とともに玄関を出ると、あとから鉄郎も玄関を出てきた。
「あら、お兄ちゃん」
藻名加が驚くと、鉄郎は、
「オレも散歩だ」
と言った。
六郎をまんなかにした3人は、ぶらぶらと六郎のアパートに向かって歩き出した。
「あれ、満月かしら」
月を見て藻名加が尋ねる。
「満月じゃろう」
六郎が答え、そのあと3人は並んで、しばしは黙って歩いていた。だが、我慢しきれなくなったというように、藻名加が六郎に声をかけた。
「ねえ、六郎おじいちゃん!」
「なんじゃい」
「実はわたしね、まだひとつふたつ、知りたいことがあるの」
「なんじゃ。わしだって、今まで読んだ記事以外のことはわからんよ」
「それはそうだけど。同じものを読んだって、おじいちゃんはわたしには見つけられないものを見つけてくれるじゃない。もしかしたら、これから聞くことも、おじいちゃんにはわかるかもしれないから。ね。教えて」
「藻名加はまだなにか、大事なことでわからないことがあったかの?」
「うーーん。あのね。風介は、どうしていつも、誰か別にもうひとり男の人がいるときに田沼達を読んだのかしら」
藻名加が、遠慮がちに言う。
「わたしには、田沼が来たとき風介がいつも誰かとふたりでいたんで、よけい話がこんがらがっちゃったと思えるわ」
だが、それを聞くとすぐ、六郎は笑って言った。
「藻名加、あまつがひとりではないのは、あたりまえじゃないか」
「……え?」
「あまつ風介は、今までにも何度か写真週刊誌に狙われている。自分一人のときになんか女性をホテルにいれんじゃろう。男ふたり、女ふたりなら安全だと思っていたに決まっている。……まあ、悪意のあるねつ造記事の前で、その用心が、ふつうの場合よりいかがわしいイメージになるなんて、彼も思っていなかったに違いない」
「……そうか」
藻名加はうなずく。
「じゃあ、もうひとつ」
「なんじゃ、今度は」
六郎は、最後に残った藻名加の心配の意味がわかり、おかしそうな顔をしながら聞き返す。
「えっとね。お正月に知り合ったのか、そのまえから知り合っていたのかはわからないけれど、田沼高子は、サンサン放送のMさんの友達だったから、風介と、そのMさんがいるところに呼ばれたんでしょう?」
「まず、そうじゃろうな。Mさんは、田沼の電話番号を知っていたが、田沼の恋人ではなかった。だからあまつはちゃんと田沼を、「友人の友人」と言った」
「どうしてふたりは恋人ではないの」
「田沼がMさんの恋人だったら、Mさんが、いっしょに遊ぶためにと、わざわざあまつの部屋に呼ぶわけがない。そんなことをするものか」
「そうね……」
「Mさんは、田沼の電話番号は知っていたが、田沼とふたりきりで会ったことはないくらいかもしれんよ。もし彼が個人的に誘っていたんだとしても、田沼は、その誘いは断っていたんだと思う。田沼はMさんにはあまり興味がなかった。だけど、Mさんがあまつといっしょにいるとなったら話は別だ。Mさんに、「あまつ風介の部屋にいるんだけど遊びに来ない?」と誘われたから、田沼は喜んで遊びに行った。だが、帰りにMさんに送ってもらったとき、田沼はMさんに、またあまつの部屋に来るように誘って欲しいと思っていた。……だから彼女はココアをいれて彼をもてなしたんだ」
「……そうなのかあ……」
藻名加は納得したように言う。だが、藻名加の心配は、まだあるのだった。
「今の話だと、田沼高子を風介の部屋に呼んだのはMさんなのよね。だったら、はじめの2回、Mさんと風介がふたりでいるところに田沼高子が来るのは納得できるわ。……でも、3回目は、風介は、Mさんじゃなくて、プルートの研修生といっしょにいたのよ。……そのときは風介が彼女を誘ったわけよね?」
「まあ、そうじゃろう」
「……なぜ? Mさんが田沼を呼んだんならいいけど、なんで3回目は風介が自分で彼女を呼んだのかしら。風介、彼女を好きになったのかしら……」
「違うじゃろう」
六郎が、また笑う。
「もしあまつが田沼を好きになったのなら、自分ひとりで会えばいい」
「あ、そっか」
「それまで2回、あまつ風介は、Mさんといっしょのときに彼女と遊んで少しは顔なじみになっていた。Mさんと田沼が恋人同士ではないこともわかっていたから、プルートの研修生が来たとき、男だけじゃつまらない、この間の女の子達を呼んでみようと思ったんじゃろう」
「ふうーん」
「なんだ、つまらなさそうだな」
「でも、風介がわざわざ彼女に電話番号を聞いておいて、電話したのね」
「そんなことで焼き餅を焼くな、藻名加。あまつ風介だって、女の子に電話くらいしたっていいじゃないか」
「……だって」
藻名加が唇をとがらせた。
「……それなら、こう考えたらどうじゃ」
六郎が言った。
「田沼はMさんよりあまつ風介に興味があった。できれば、あまつに直接自分に電話して欲しかった。だから、ホテルのメモ帳に自分の名前と携帯の番号を書いて、あまつのところに置いてきた。あまつの部屋は、弁護士も言っておるが、定宿だ。ひと月とか、ふた月とか、住まい代わりに月単位で借りている部屋だから、あまつがその部屋に住まっている間中、メモはずっとそこにあったかもしれん。プルートの研修生が来たときに、あまつはその番号がメモ帳にあることを思い出したんだろう。2回いっしょに遊んだから、あまつだって彼女と知り合いくらいには、なっておったんじゃ。めんどうくさがりのあまつも、田沼の電話番号がすぐ手頃なところにあったから、気安く彼女を呼んでみた……」
「……」
「こんなもんでどうじゃ」
六郎が聞くと、藻名加はうんうんとうなずいて、威張ったように答えた。
「まあ、そんなもんでいいとしましょう!」
もう六郎のアパートは目の前だった。
藻名加と鉄郎は、六郎が部屋に入るのを見届けてから、きびすを返して帰途についた。
「あー、なにも心配なことがなくなっちゃった」
満月の下を歩きながら、藻名加が晴れ晴れと言う。
「バカだな、おまえ。最後は六郎おじいちゃんに、妙なことばかり聞いていたじゃないか」
「あら、いいじゃない。あたしだってこれだけ風介のために考えたんだから、知りたいことを聞いたって」
鉄郎は、それには答えず、
「しばらく、あまつ風介はたいへんだぞ」
とだけ、ぽつりと言った。
藻名加はしばらく黙ったが、
「……うん。でも、あたしに六郎おじいちゃんとお兄ちゃんがいてくれたように、風介にだって家族もいるし、なかよしの吉川航や由良鷹人、頼りになる先輩の山田凱や白石浩二、八嶋亮太達がついててくれるもの。……それに、風介が、アボガドの社長の考えたようなヤワな男ではなかったように、風介のファンだって、そんなにヤワじゃないよ」
と答えた。 それを聞くと、
「そうだな、おまえみたいにな」
そう言って、鉄郎は苦笑する。
六郎のアパートが見えなくなる前に、ふたりは立ち止まり、坂道を振り返って六郎のアパートの部屋の窓を確認した。
家と家の間に、六郎のアパートの小さな窓が、ちょうどのぞいている。
その窓の明かりは、薄いオレンジ色に明るくぽっちりと灯っていたが、ふたりが見ているうちに消えた。
「六郎おじいちゃん、長生きして欲しいね」
藻名加が言った。
「あのじいさんはオレたちより長生きするよ」
鉄郎が言った。
(パズル・最終話終)
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