「パズル ー探偵達の夜ー」 第1夜

藻名加はおちこみ、

 六郎は唸り、

鉄郎は混乱する

 「こんばんは、あがりますよ」
 六郎はそう声をかけると、ハンチングをいつもどおり玄関の帽子かけに掛け、玄関をあがった。明智家の台所からはいい匂いがする。話し声もして、今日の明智家の夕食はもう始まっているらしい。
 今日のメニューはなにかな、あまり年寄りくさいものでないといいがと考えながら、六郎は明智家の、食堂を兼ねた台所に向かった。

 今六郎がやってきた、ここ明智家は6人家族であった。
 上から順に紹介すると、70になる四郎とその妻の八重子、四郎の息子で銀行員の俊夫とその妻のよしこ、俊夫とよしこの子どもである大学生の鉄郎と高校生の藻名加。これがこの家に住む家族である。
 六郎は、四郎の父親で、つまり、鉄郎や藻名加にとってはひいおじいちゃんであった。
 六郎は当年とって95歳になるが、いつも元気でかくしゃくとしている。
 四郎が小さな会社を成功させて建てたこの家はなかなか大きく、六郎が住むのにちょうどいい部屋もあるのだが、若い頃から気ままが好きな六郎は、息子夫婦の世話になることをいやがって、自分でこの家の近くに手頃なアパートを決めて、ひとりでそこに住んでいる。
 八重子やよしこがこちらにお住みになったらと言っても、六郎は一人がいいと言う。とりあえず健康で誰にも迷惑はかけていないし、ひとりで元気にやっているなら手間がないので、それ以上は誰も六郎に強いてとは言わない。
 こうして六郎は、週末の食事を、息子夫婦や孫夫婦、ふたりの曾孫といっしょにする他は、勝手気ままなシングルライフを過ごしているのだった。
 

 今日はその、週末であった。六郎が食堂に顔を出すと、もう、学生の鉄郎をのぞく全員がテーブルに顔をそろえていた。
 席に着くとすぐ、六郎は、家族で一番六郎と仲のいい、曾孫娘の藻名加の元気がないのに気がついた。いつも大声でたくさんしゃべる藻名加が、今日は暗い顔で黙っている。
 食事が始まっても藻名加は静かだった。
 六郎はちらちらと藻名加を気にしたが、とうとう藻名加は、ご飯がまだ半分以上残っている茶碗を残し、箸を置いた。
 「ごちそうさまあ……」
 「まあ藻名加ちゃん、こんなに残すの?」
 母親のよしこが聞く。
 「だってもう食べたくないんだもん」
 「またダイエット? だめよ、女の子はバランスよくちゃんと食べなきゃ、体に悪いのよ」
 そう言うのは祖母の八重子。父親と祖父は心配そうだがなにも言わない。
 「うん……。でもいい」 
 藻名加が食堂を出ていこうとすると、ちょうど、帰ってきた藻名加の兄の鉄郎が入れ替わりに入ってきた。藻名加はため息をつきつつ兄の隣をすり抜け、階段を上がって行く。
 「どうしたんじゃ、藻名加は」
 六郎が驚いて尋ねると、親たちはよくわからないというように頭をかしげる。
 早速自分の席について母親からご飯をよそった茶碗を受け取った鉄郎だけが、当たり前みたいな顔で言った。
 「あれでしょ、ほら。”あまつ風介”」
 「”あまつ”がどうかしたのか」
 六郎は鉄郎に尋ねた。
 あまつ風介は、中学生になったころから藻名加が夢中になっている俳優である。今藻名加は高校2年だから、藻名加はあまつ風介のファンになって4年以上になる計算だ。藻名加と仲のいい六郎は、こっちの家に遊びに来ているときは、あまつが出ている雑誌やテレビ番組をよく藻名加といっしょに見る。そして、見ながらあれこれ藻名加の説明を受ける。
 たとえば、「この子たち、風介と仲のいいタレントなんだよ」などと、テレビを見ながら藻名加は六郎に説明してくれる。「風介と同じプルート事務所で、こっちは吉川航、こっちは由良鷹人って言うの。3人は同じ年でとっても仲良しなのよ」。
 3人そろって先日歌手デビューも果たしたそうで、藻名加は、この夏にやるという、あまつ達3人いっしょの初コンサートをとても楽しみにしていた。

 「昨日、あまつのスキャンダルが大きく雑誌に出ちゃってさあ。藻名加、それからへこんでるみたいだよ」
 鉄郎が言う。
 「ふうむ」
 藻名加がいつもあまつのことを恋人のように話していた姿を思い出し、六郎は思わず唸ったが、藻名加の母親のよしこが口をはさんだ。
 「ほんとにそんなことで暗い顔してるのかしら、あの子」
 「だって他にないよ。藻名加はあまつの大ファンだもん。すごいよ、あいつ。小遣いはみんなあまつにつぎこんでるよ」
 「全く、お勉強のことならともかく、役者なんかのことで……。藻名加ちゃんにも困ったものねえ」
 と顔をしかめるのは、祖母の八重子。
 「だがまあ、タレントのことなんかでがっくりしてるようなら、かえって問題はないだろう」
 と言ったのは、祖父の四郎だ。
 「そうだよ。カレシがどうした、茶髪がどうしたとか言うのに比べたら、藻名加はいい子だし、安心だよ。それに、つぎこむったって、藻名加の小遣いなんて多寡が知れてるんだから」
 と言うのは父親の俊夫。最後はみんな、俊夫の意見にうなずいている。
 それを黙って聞いていた六郎は、食事を終えると、そっと階段を上り、藻名加の部屋のドアをノックした。

 「誰……?」
 六郎のしたノックの音に、藻名加が沈んだ声で返事をする。
 「わしじゃ、藻名加。入ってもいいかの」
 「六郎おじいちゃんか。……いいよ」
 承諾を得て六郎が中に入ると、藻名加は、机に広げた雑誌を見ていたところらしかった。
 「どうした、藻名加。あまつ風介になにかあったんだって」
 「……そうなのよ、六郎おじいちゃん。知ってたの?」
 「いや、さっき鉄郎が教えてくれた。なんでもあまつのスキャンダルがどうとか」
 「……うん……」
 「これか?」
 六郎は、藻名加が広げていた雑誌をのぞきこんだ。かくしゃくとは言え六郎は老眼なので、雑誌を手にとり、目から離して、まじまじと開いたページを眺める。
 「なになに。『セクシー新進女優、あまつ風介を暴行で訴える』!?」
 六郎が読み上げると、藻名加は泣きそうな声を出した。
 「そうなのよお! 風介が、テレビ局の人といっしょに、その女優さんをホテルの部屋に連れ込んで暴行したって書いてあるの! ひどいでしょ? それがほんとうかどうかはまだわかんないけど、それで風介がその女優さんに警察に訴えられてるのは確からしいのよ!」
 六郎は、その雑誌の表紙を見た。『ウワサの閃光!』という、いわゆる写真週刊誌であった。表紙にいろんな記事の見出しが載っているが、内容は全部、スキャンダルとエッチである。その見出しのトップに、”あまつ風介””暴行””訴えられる”の文字が大きく躍っている。
 「なるほど。これが昨日出たのじゃな」
 「そうなの。この『ウワサの閃光!』の新聞の広告の見出しで、わたし、風介がこんなことになってることを知ったの。このひどい見出しがバーン!と大新聞に載ったんだから嫌になっちゃう。……あ、でもね」
 そう言うと、藻名加は机の上に重ねてあった新聞や雑誌の束のなかから、別の雑誌を引っ張り出した。
 「これも昨日いっしょに発売になった雑誌。こっちは『リアル』って言うんだけど」
 「ふむ?」
 「これにも風介のことが載ったの。でも、こっちは、そんなにひどい内容じゃなかった。これを読んだらちょっと安心した。『ウワサの閃光!』では、風介が女優を暴行したのはまちがいないみたいに書いてあったけど、『リアル』だと、「ほんとに風介がそんなことをやったかどうかはわからない」みたいに書いてあった」
 「どれどれ」
 六郎は今度は『リアル』を手に取った。こちらは『ウワサの閃光!』のような表紙ではなく、ちょっと大人向けである。見出しにもあまつの名前はない。どの記事なのかと思っていると、藻名加がその中のひとつを指さした。
 「これね。「プルート事務所殴り込み事件」。これに、風介のことが載っているの」
 「なんじゃ、暴行事件ではなくて、殴り込み事件なのか?」
 「ううん、それがね……」
 そう言うと藻名加は口を開いたが、どうもうまく説明できないらしい。そのまま藻名加はうつむいてしまったが、やがて顔を上げると、泣きそうな顔で六郎に言った。
 「わたし今、頭がごちゃごちゃになってるみたい。風介がどういうことになっているのか、説明したくてもうまく説明できないよ。……ねえ六郎おじいちゃん、雑誌を読みながら、このことについてわたしといっしょに考えてくれる? そうしたらわたしも、風介のことがわかってくるかもしれないから」
 考えるまでもない。六郎はうなずいた。
 「おやすいご用じゃよ、藻名加。わしはいつも、藻名加のためにできることがあるならなんでもするつもりなんじゃ」
 頼もしい言葉に、藻名加の顔に、やっと笑顔が戻る。
 「ありがとう六郎おじいちゃん! そんなこと言ってくれるの六郎おじいちゃんだけだよ!」
 飛びつかんばかりの藻名加に、六郎は、胸を張って見せた。

 藻名加は、雑誌を読む前に、簡単に、昨日のできごとを六郎に説明した。
 まず、昨日、藻名加は朝、新聞を読んでいて、「ウワサの閃光!」の広告の見出しに風介の名前をみつけ、風介をめぐる騒動のことを知ったのだった。
 「そのときは「ああ、またか」って思った。今までにも風介は何度か女の人とつきあってるって写真週刊誌に載ったことがあったから」
 藻名加が見出しを見てすぐ思ったのは、風介に暴行されたと言っている女優は、風介の恋人だったのではないかということだった。それがふたりに別れ話が出て、彼女は腹いせに暴行されたと言って風介を警察に訴えたのじゃないかと思ったのだと、藻名加は言った。
 「それはわたしだって、『暴行』って言葉でびっくりしたけど、テレビ欄を見たら、ちゃんとその日、風介はいつもどおりのバラエティに出ることになってたし。他にも、女性週刊誌の広告が2誌あったけど、そこにも風介のことは全然載ってなかったの。もしほんとうに風介が誰かを暴行していたら、これはすごい事件だよね、六郎おじいちゃん。風介は名前の知れた若手俳優だもん。そのことをどこかの雑誌がスクープしたのなら、女性週刊誌にだって載らないわけないし、テレビのワイドショーでも取り上げないわけないし、バラエティだって風介を出さないよね」
 そう思うと、『ウワサの閃光!』のどぎつい見出しと、その他のなんにもなさが、藻名加も不思議な感じがしたと言う。
 「でね、よく見ると、新聞には『リアル』の広告もあって、「プルート殴り込み事件と、タレント暴行事件の謎」って書いてあったの。『ウワサの閃光!』の見出しと同じ事かどうかわからなかったけど、関係あるとは思った。それであたし、学校へ行く途中に、駅のキオスクで『ウワサの閃光!』と『リアル』を買ったの」
 しかも藻名加が言うには、藻名加はそのとき、駅に落ちていた新聞に、大きく「あまつ風介女優を暴行」と書いてあるものもみつけたので、それも拾ったのだという。藻名加は、机の上から拾った新聞を取り上げて、六郎に見せた。
 「これなの」
 「なんじゃ、新聞って『トンデモスポーツ』か」
 六郎は驚いた。
 「藻名加、こんなもんまで拾ったのか」
 「だって、風介が載ってるから……」
 「わしだって知っておるぞ。トンデモスポーツは、読み物としては別にかまわんが、新聞としては誰も信用しとらん新聞じゃぞ」
 「……それはまあ、スポーツ新聞だからしょうがないと思うけど」
 「スポーツ新聞の中でも、『トンデモ』は特別とんでもないんじゃ。わざわざこんなもんまで読まなくてもいいのに」
 「んー……。でも風介の名前が載ってたから。他にも落っこちてたのを拾った。それほど大きくは載ってなかったけど。こっちは昨日のスポーツ夕日。今日のトンデモスポーツも学校へ行くとき拾っておいた」
 「藻名加は学校へ行く途中で、新聞拾いをしてたのかい」
 あきれながらそう言って、六郎はちょっと、藻名加が昨日拾ったと言うトンデモスポーツを広げてみた。1面全面にこれ以上大きく書けないくらいに大きく、『あまつ風介、サンサン放送社員と共に女優を暴行! どうするプルート事務所』と書いてある。
 それを見る六郎の後ろから、心配そうな顔で藻名加もその見出しをのぞきこんだ。95歳とはいえ、遊び人じじいの六郎は、トンデモスポーツのとんでもない紙面をよく知っていたが、まじめな女の子の藻名加は、まさか世の中には、こんな大きな活字で堂々と大嘘を載っけることをみんなが許している新聞があるとはよくわかっていないのだろう。
 「なにが書いてあっても大丈夫じゃ。トンデモスポーツは誰も相手にせんよ」
 そう言って藻名加を安心させると、六郎はとりあえずトンデモスポーツを閉じ、藻名加に話の続きをうながした。
 「まあ、新聞はあとで見よう。で、どうしたんじゃ」
 「新聞は学校でなんか広げられないし、『ウワサの閃光!』と『リアル』も読むのが怖いし、家に帰るまでどれも読まなかった。で、家に帰って、着替えて、落ち着いて、覚悟を決めてから、まず『ウワサの閃光!』を読んだの。そして、相手の女優さんの「田沼高子」っていう名前を知ったの。写真見て。女優ったってセクシータレントだけど、なかなかの美人でしょ」
 藻名加が『ウワサの閃光!』の写真を見せる。六郎は、また、目を離してその写真を見た。
 「こういう写真は、誰でもきれいに見えるからなあ。しかし、田沼高子って言う女優は聞いたこともないな」
 「でしょ? わたしもないの。でも、もしかしたら、セクシータレントとしたら有名かも。お兄ちゃんに聞いてみようかな」
 藻名加がそう言ったところで、後ろから声がした。
 「田沼高子なんて名前、オレも知らなかったよ」
 「お兄ちゃん」
 「鉄郎か」
 ドアを開いて藻名加の部屋に入ってきたのは、ちょうど今名前があがった、藻名加の兄、鉄郎だった。鉄郎は、六郎から雑誌を受け取って、田沼高子の写真をしげしげと見ている。
 「オレもこれ本屋で立ち読みしたけど、昔は木原泉て言ってたって書いてあったよな? 田沼高子は知らないけど、木原泉なら聞いた気がするな」
 「あ、知ってる? お兄ちゃん」
 「うん、だから木原泉ならな。それも、聞いた気もするっていう程度だが。田沼高子になってからは全然聞いたことも見たこともない」
 「へえ、そんなもん? お兄ちゃん、結構女の人のハダカの載ってる雑誌も買ってるじゃない」
 「おいおい。オレが買ってるのなんてたいした雑誌じゃないって」
 鉄郎はあわててそう言った。
 「若者向きの雑誌には、どんな雑誌だってグラビアにはヌードくらいついてるよ。でも、グラビアの女の名前なんかいちいち見るヤツなんていないって」
 そう言うと、鉄郎はもう一度田沼高子の写真を見た。
 「でも、なかなかいい女だよな。いいよな、人気タレントとかテレビ局の社員って、こんな女をホテルに呼んで好きなことができるんだなあ」
 「もう、お兄ちゃん、変な眼で見ないでよ! 風介は田沼高子になんにもしていないって言ってるんだから!」
 「子どもだなあ、藻名加。なにもしてないわけないだろう。オレだって、まさかあまつ風介が、田沼高子に暴行したとは思ってないけどさあ」
 「ほんと? 思ってない?」
 「思わないよ。だって田沼高子は、一度暴行されてから、そのあとも自分でのこのこまたホテルに行って3度もあまつ達に暴行されたって言ってるんだろ。どうしたってそんなの考えられないよ。田沼は、2度目からは、自分のほうこそ、「あまつ風介に暴行されたって雑誌に売り込むわよ」って言えばいいんだ。……オレの想像って言うか、誰でも考えることだと思うけど、たぶん、それほど売れてないセクシータレントの田沼は、喜んで人気俳優のあまつの部屋に行ったんだろうと思う。だから、むろん、暴行じゃないけど二人に合意の上でなにかはあった。結局田沼高子は、それを自分の売名に使ったんだろう」
 「鉄郎、おまえはそう思うのか」
 今度は六郎が尋ねる。
 「誰だってそう思うと思うよ、六郎おじいちゃん。今日友達とこの話題が出たけど、あまつが好きか嫌いかかは別にして、記事を知っていた全員が、これはあまつの名前を利用しようとした田沼の売名行為なことはまちがいないって言ってたよ。そうそう、気になったから聞いたけど、誰も”田沼高子”を知らなかったよ。”木原泉”なら聞いたことがあるかなって言うのが、オレともうひとりいただけで」
 「ふうん」
 「でも、ここに、田沼高子は秋には映画主演も決まっておると書いてあるぞ」
 六郎が記事を読みながら言った。
 「どんな映画かは知らんが、「暴行された」をウリに使うほど落ちぶれた女優でもなさそうじゃないか」
 「六郎おじいちゃん、映画って言ってもそんなのきっとAVだよ」 
 と鉄郎は当たり前みたいに言う。
 「それから暴露ヌード写真集を出してもうける。そうに決まってるって。全くあまつもそんな女にひっかかるなんて、女を見る目がないよ」
 「風介が女を見る目がないのは同感かも……」
 力無く、藻名加もうなずく。
 「でも、それなら犯罪じゃないから、暴行よりはまだましだわ」
 そう言って、藻名加が暗くなっていると、『ウワサの閃光!』を開いた六郎が、確認するように記事を読む声が聞こえた。
 「ふうむ、ふたりは知り合いの紹介で正月の飲み会で知り合い、携帯の番号を交換した、と。……なに、ところがあまつは、電話をかけてこの女性を呼ぶと、なんと薬物を使用して昏睡させて暴行したと言うのか。しかも、友達を連れて来たらその友達まで暴行しおったと」
 それを聞いて、藻名加の顔はさらに暗くなる。
 「しかも、警察に届ける前に話し合いの席があると、それに出席したあまつは、目の前の田沼を、はじめは見たこともないとしらばくれておきながら、問いつめられると途中からは部屋でゲームをしたと言い出した……。これじゃあ保身に汲々とした、どうしようもない男じゃのう、あまつは」
 鉄郎も六郎に相づちを打つ。
 「そうそう、そのことね。みんなと話してても、「あまつも、相手の顔も知らないって言っておいて、問いつめられたら急に『トランプしてました』じゃなあ。トランプなんてしてたわけないだろ」って、みんなで言い合ったね。合意の上なら合意の上だと、最初からはっきり言えば男らしいのに。全く情けないよ、あまつ」
 それを聞きながら、藻名加の顔は、更に更に、暗くなる。
 「じゃが、藻名加」
 『ウワサの閃光!』の記事を全部熟読し終わってから、六郎は気がついたことを藻名加に言った。
 「ここに書いてあるのは、全部、田沼高子サイドが言ったことのみじゃ。わしだって、まさかこんなこと鵜呑みにしながら読んどったわけじゃないぞ。よくまあ、こんな誰でも嘘だろうと思うようなことをしゃあしゃあと言うものだ、また書くものだと思いながら読んでおったぞ」
 「やっぱりそう思う! 六郎おじいちゃん!」
 藻名加の顔がぱっと明るくなった。
 「ああ。当たり前じゃ。鉄郎だって、話していた全員が、これは田沼高子の売名行為だろうと思ったと言っておったろう。それに、他の雑誌にもたいしてこの記事は載ってなかったし、テレビのワイドショーでも取り上げなかったのだろう? 少しちゃんとしたメディアは、これはガセネタだと判断して取り上げなかったのだ」
 「そうよね!」
 「しかもこの記事、よく読むと田沼高子自身が暴行の詳細を語ったわけではない。彼女は沈黙を守っているので、こんなことは全部、彼女の代わりの女友達が言っておるのだ。田沼自身が言ったのは、「とても後悔している。心の傷が深くていつも落ち込んだ状態でいる、こんなことをした2人に社会的制裁を加えて欲しくて女優生命を賭けて告訴した」と言うことだけじゃ。「社会的制裁を加えて欲しくて云々」は告訴する場合の決まり文句じゃから、わしには、この記事全体のなかで、「いつも落ち込んだ状態でいる」という、田沼のこの言葉だけが生きた言葉のように思えるなあ。彼女は今、ほんとうにそういう状態なのではないかのう」
 「ふうーん……?」
 六郎の言うことがよくはわからなそうながら、これはガセネタと保証されて一度元気を取り戻した藻名加が、もう一度『ウワサの閃光!』の記事を見て、またがっくりと肩を落とした。
 「でも六郎おじいちゃん、ここにも書いてあるけど、風介が田沼高子の事務所から、暴行で訴えられてるのはほんとうなんだよ。……田沼高子が、売名のために、風介がひどいことをしたって雑誌に訴えることはあり得ても、それだったら警察にまで訴えるかなあ?」
 「さあてなあ。藻名加、確かそっちの『リアル』の記事はそう悪くなかったと言っていたじゃないか。それに載っている殴り込み事件は、このこととどう関わってくるか、いっしょに読んでみよう」
 「うん」   

 さっきの記事は「ウワサの閃光!」のトップだったが、『リアル』では、プルート殴り込み事件は、後ろの方に載っていた。しかも、見出しには「あまつ風介」の名前はなかった。
 「ふむ、こちらは用心しとるようじゃの」
 それを見て六郎がそう言うと、藻名加もうなずいた。
 「うん、『リアル』には、風介の名前が大きく出ないで助かった!」
 内容はまず、プルート事務所に4人組の男が殴り込んだことから始まっていた。
 日付を言うなら、それは、4月10日のことだと言う。
 「今日は5月30日じゃから……、ひと月半以上も前じゃの」
 「うん。そんな前にこんなことがあったんだね。そのころだってわたし、ずっと風介が出るテレビを見たりラジオを聴いたりしていたのに、風介のようすがおかしいなんてちっとも思わなかった。風介といっしょにラジオに出てる、吉川航や由良鷹人もいつもと変わらなかったしね。同じ事務所だから、このふたりだって、事件のことは知ってたんじゃないかと思うけど」
 「あまつも、あまつの友達も、いつも通りだったんじゃの」
 「うん。むしろ、いつも通りより元気だったくらいだよ」
 藻名加と六郎がそんなことを話すのを、後ろでは、昨日の朝藻名加が拾ったトンデモスポーツだのスポーツ夕日などを広げながら、鉄郎も聞いている顔もしないで聞いている。
 「『ウワサの閃光!』にあった”警察に届ける前の話し合い”とはこの殴り込みのことじゃったのか」
 六郎が言うと、藻名加がうなずく。
 「話し合いが聞いてあきれるよね。こっちじゃ「殴り込み事件」って書いてあるのに。『ウワサの閃光!』にはこんなことちっとも書いてないんだものね」
 『リアル』によれば、プルート事務所に殴り込んだ4人組が「あまつを出せ」と騒いだので、ヤクザが来たと思ったプルート事務所は警察を呼んだ。ところがその男達は、一応ヤクザではなくて、田沼高子の所属するタレント事務所、『アボガド』の社長とその部下だったと言う。
 殴り込んだ彼らは、なんと「プルートのあまつとその友人が、ふたりでうちの田沼を暴行した。謝罪しろ」などと要求した。しばらくしてあまつがその場にかけつけ、田沼高子本人も来た。その場であまつは、「田沼高子を知ってはいるけど、暴行なんてしてない」と言ったと言う。
 「六郎おじいちゃん、ここ重要! 自分だけで読んだときは気がつかなったけど、こっちだと風介は全然しらばくれてないよ! 最初から田沼は知っていると言ってるよ!」
 藻名加が記事を指さして叫んだ。
 「そのようじゃの」
 「ほーら。お兄ちゃん。風介はしらばくれてないよ」
 藻名加はちょっと得意そうに後ろの鉄郎を振り返った。よっぽど、さっき、はじめしらばくれておいてあとから田沼を知っていると言い直したとバカにされたのが悔しかったらしい。鉄郎はちらっと顔を上げてから、また新聞に目を落とした。
 「このとき、田沼高子は泣いておったんじゃの」
 「なんで泣いたのかなあ」
 藻名加はそう言ってちょっと首を傾げてから、続きを読んだ。
 「『アボガド』の社長が風介の胸ぐらを掴んで「暴行したことを認めろ」って言ったんだけど、それでも風介は認めなかったんだね」
 警察も見守るなか、夜の11時頃までこんなことが続いて、この日は終わったと言う。これが、「警察に届ける前の話し合い」の全貌らしい。『リアル』の描写はとても具体的である。『ウワサの閃光!』とはだいぶ印象が違う。
 「『ウワサの閃光!』は、なんでこのことは載せなかったのかな」
 藻名加がつぶやく。
 この殴り込み事件のことについて書かれたあと、『リアル』には、田沼高子の所属する事務所、『アボガド』の社長のコメントが載っていた。それは、「プルートのあまつ風介とうちの田沼がつきあっているらしいと言われたので田沼本人に尋ねたところ、実は暴行されたと告白した。頭に来たのでその足でプルートに談判に行った」というものだった。
 「さて、その田沼じゃが、『ウワサの閃光!』では名前も、もと木原泉の田沼高子と載っていたし、セクシーポーズで顔もちゃんと写った写真がついていたのに、こちらでは、「セクシータレントだけに見ての通りのプロポーション」だの「ホステスをしながらタレントを目指した」とかの説明はあるものの、名前は書かれずに”Tさん”とされ、顔の写真も目を隠した写真じゃな」
 六郎が言った。
 「そっかあ。いくらタレントでも、暴行事件の被害者だからっていうことで、『リアル』は気を遣って顔と名前を伏せたんだね」
 そう言ってから、藻名加はうれしそうな声を出した。
 「それに、ほら読んで、六郎おじいちゃん。ここ。地の文に、「『アボガド』の社長は田沼の話を聞いてすぐに激高し、他の可能性はなにも考えずにプルートに乗り込んでいる。ふつう、ほんとうかどうかもっとよく調べないだろうか。すぐに相手側に殴り込んだことは社長の軽率な行動と呼べる」って書いてある」
 「言うとおりじゃな」
 「田沼に、さっきの『ウワサの閃光!』の記事みたいな暴行事件を聞かされて全然疑わないなんて、アボガドの社長もバカな社長だよねえ? ねえ、お兄ちゃん」
 「そうだな。あれを聞かされてそう思いこんだんなら、バカじゃすまないな」
 「そうじゃ。藻名加、やっぱりおまえ、頭のなかがゴチャゴチャしとるようじゃぞ。こんなに話のつじつまの合わない暴行事件は、実際にはなかったと考えるのが自然じゃ。それをあっさりと信じて相手側に殴り込んだと言う『アボガド』社長のコメントは、むろんわしらは疑って読むべきなのじゃ。彼はなにかの目的のために、わざわざ嘘を言っているのじゃよ」
 「そっか」
 藻名加は急にまた神妙になり、なにか事件を解くカギがないかというように、黙って記事を読み出した。六郎も腕を組み、よく確認するように日付を口にする。
 「殴り込みが4月10日じゃ。で、田沼が暴行されたと言っているのは、2月に1回と、3月に2回じゃな。他の日付は『リアル』には出てないか」
 「うん、出てない」
 藻名加が答える。
 「こっちには出てるよ」
 後ろで『ウワサの閃光!』を開きながら、鉄郎が言った。
 「被害届を出したのが、殴り込みの2日後の4月12日。アボガド側が田沼高子による告訴状を出したのが、18日。それから、今月、5月に入って5月15日に、田沼といっしょに暴行されたと主張する田沼の友達A子も、あまつとその友人を告訴している」
 「そうか、田沼だけじゃなくて、風介は、田沼の友達である女の人にも告訴されてるのよね」
 藻名加は思い出したように暗い顔になった。
 「そんなこと、田沼高子の売名には必要ないような気がするけど。それにしても、なんでアボガドは、田沼の告訴からひと月近く経って、また別の女の人のことで風介達を告訴したのかしら……」
 「まあいい。最後まで『リアル』の内容をよく読んでみようじゃないか、藻名加」
 鉄郎が口を挟む。藻名加は気を取り直した。
 「そうね。……さあ、ここからやっとプルート事務所側の話よ。と言っても、話してるのは風介本人じゃなくて、弁護士だけど。弁護士は、『向こうが言っているように、田沼高子とその友達があまつのホテルの部屋に来たことはある。しかし、暴行どころか性的なことはいっさいないという自信がある。あまつはその前にドラマの撮影で転倒して足を怪我していたのにそんなことができるはずもない。むしろ、向こうが殴り込んできたときに、こちらの社長は突き飛ばされて怪我をしている。話し合いの席では、アボガドの社長から、「証拠の写真もある」と恐喝めいたことも言われた。こちらはこの件で逆に向こうを訴える』だって」
 「ふうむ、そのあまつの怪我というのは、ほんとかね?」
 六郎が藻名加に尋ねる。
 「それがほんとなの!」
 藻名加が自信満々で答える。
 「はじめて暴行されたって田沼が言ってる日の1週間前に、風介はドラマの撮影中に足を怪我してるのよ。このことはほんのちょっとだけどワイドショーでも報道されたから、ファンなら誰でも知ってるわ」
 「そりゃああまつには、なかなかいいアリバイだ」
 「でしょ?」
 藻名加は得意げだ。
 そのあと専門家のコメントがひとことあり、「同じ場所に自分で出向いて3度も暴行されることは考えにくい」とあった。最後に『リアル』としての意見、という感じで、「この事件は、どうやらアボガドとプルートがお互いに告訴しあっての法廷合戦になりそうだ」とあって、この記事は締められていた。
 「『リアル』だけを読めば、『アボガド』はタレント事務所と言うより、暴力団みたいなことをしてくるところのようじゃな」
 と、六郎が言う。
 「あまつによる田沼高子暴行事件疑惑には、『リアル』はあまり触れてないしね」
 と、これは鉄郎だ。
 「暴行事件はあったかどうかわからないけど、ううん、たぶんなかったけど、殴り込み事件があったことは、これは確かだものね。警察まで来てるし」
 そう言ってから、藻名加は、『ウワサの閃光!』と『リアル』をしげしげと見比べて、
 「同じ日に発売になった週刊誌なのに、なんでこんなにこのふたつは内容が違うんだろう」
 とつぶやいた。
 「そうだな、このふたつ、同じ日発売なんだよな。ってことは、記事を書いたのも同じ頃なのかな? ……いや、ちょっと待てよ」
 鉄郎はそう言うと、もう一度『リアル』を手に取った。
 「『リアル』では、まず殴り込み事件を見ていた人からの情報を得たみたいだな。『リアル』の記事の元は、すべて殴り込み事件だ。暴行事件疑惑などは、この殴り込み事件の理由を述べるところで向こうの社長が言っているだけだ」
 「そうね」
 「殴り込み事件のときは警察もいるし、たくさんの人が関与してるから、『リアル』がその情報を得て「殴り込みに行きましたか?」と尋ねれば、アボガドは「行った」と答えざるを得ない。そこで『リアル』はその理由を尋ね、アボガドはプルートに殴り込んだ理由として、殴り込んだのはあまつと彼の友人が田沼高子と彼女の友人を暴行したからで、すでに自分たちで、その件についてあまつを告訴していると答えているって構造だ」
 「うん」
 「『リアル』は、独自の調査で殴り込み事件の情報を得ているんだ。だとしたら……」
 鉄郎が考える。藻名加は気になって兄に尋ねた。
 「なにを考えてるの、お兄ちゃん」
 「……なんかこれじゃ、暴行事件のでっちあげが、田沼の売名のためでもないように感じてな」
 鉄郎は考え考え、そう言う。
 「オレ、最初にアボガド側が記者会見をやって、ウチのタレントの田沼達がプルートのあまつ達に暴行されたので、こちらはあちらを訴えましたって新聞や雑誌にアピールしたのかと思ってたんだよ。それが世間にこのことが知れ渡った発端かと思ってたんだ。田沼の売名だったらそうするだろうっていう思いこみもあったし。……今読んだどっかに記者会見のことそう書いてなかったかなあ? 確かにあったぞ」
 そう言うと、鉄郎はもう一度『リアル』と『ウワサの閃光!』を手に取った。
 「あたしもどっかで読んだよ、記者会見。新聞だったのかな」
 ふたりはそれぞれ、鉄郎は『ウワサの閃光!』と『リアル』を、藻名加は『トンデモスポーツ』と『スポーツ夕日』をひっくり返して調べはじめた。しばらくして藻名加が大声を出した。
 「あったよ、お兄ちゃん!」
 藻名加が、トンデモスポーツの今日拾ったぶんを広げながら鉄郎を呼んだ。
 「トンデモも、昨日拾ったのは風介の暴行事件騒動を一面にしてたけど、今日のは一番最後に持ってきたね。だんだん小さくなってきてうれしい」
 「まあ、結局たいした事件でもないからな。あまつ風介のファン以外」
 鉄郎は冷たくそう言いながら、藻名加の指し示したところを見る。
 「5月28日夜に、アボガドはこの件で記者会見を開いたのか」
 「うん」
 「内容は、向こうの社長がひとりで気炎を上げたらしい。どうもその記者会見に田沼高子は同席してなかったようだな」
 「そうだね」
 ふたりが言い合っていると、藻名加が放り出した別の新聞を見ていた六郎が、言った。
 「こっちにも出ているぞ。スポーツ夕日じゃ。スポーツ夕日ははじめからアボガドの話に懐疑的じゃな。ちゃんと「あまつ風介に暴行疑惑」と「疑惑」の文字がはいっとる」
 「ふつうそれがあたりまえだろ、六郎おじいちゃん。まだ警察はなんにも言ってないんだから、新聞があまつ達を犯人扱いするのは気が早いよ。トンデモは特別しょうがないんだって。……あ、でも『トンデモ』の他に、『ウワサの閃光!』も全くアボガドサイドを信じているような書き方だったな」
 「そうじゃったのう。……さて、『スポーツ夕日』の内容じゃ。「アボガド社長が28日夜都内のホテルで記者会見」、とある」
 「こっちの記者会見の内容も、『トンデモ』と同じかな」
 トンデモを見終わった藻名加と鉄郎は、今度は六郎の持っている『スポーツ夕日』をのぞき込んだ。
 「アボガドの社長の写真が載ってるわ。……気障な髪型ねえ!」
 「アボガド社長の写真のキャプションには、『あまつ風介にはあきれて言う言葉がない、と怒るアボガド社長』とある」
 「……ねえ聞いてよ! アボガド社長のこの言葉。『プルートは妖精のふりをした悪鬼』だって。これ、うれしいんだか、悲しいんだか」
 「そりゃ、悲しいだろ。……『スポーツ夕日』には、『トンデモ』と違って、プルート側のコメントも載っているな。あまつは全面否定、とある。田沼とはトランプをしただけ、だと言っている、と。またそんなこと言ってるよ、あまつのヤツ」
 鉄郎がいかにもバカにしたように言うと、藻名加が兄を睨む。六郎が、『スポーツ夕日』を見ながら言った。
 「それとじゃ。あまつといっしょに田沼達を暴行したということで告訴されているサンサン放送の社員のことも載っておるぞ。サンサン放送では、この社員を、告訴された直後の4月下旬に社内調査したらしい」
 「ふうん」
 「で、その社員の人、なんて言ったのかしら」
 「あまつの部屋に行ったのは事実だが、違法行為は全くなかったと言っておる。だが、サンサン放送では騒ぎになったことを重視して、告訴からしばらくしてその社員を制作局から異動したらしいな」
 「制作局の人だったのね」
 「……なんかなあ。あまつにもサンサン放送の社員にも、タレントやテレビ局の人間のおごりってのが、どっかにあったんじゃねえのかなあ」
 鉄郎が言う。
 「オレたちならこれくらいやってもいいだろう、みたいな。適当なところでやめときゃいいのに、あまつもテレビ局の社員も、女の子のいやがることまでしたから告訴なんてことになったんじゃないか?」
 藻名加が再び鉄郎を睨む。
 「お兄ちゃん、そんなこと言うならもう出てってよ! 風介は嘘をつく人じゃないよ。風介は田沼高子になんにもしてないの」
 「……だってなあ。じゃあ、なんであまつとサンサン放送の社員と、ふたり一緒の時にかぎって田沼とかその友達とか、女の子を部屋に呼ぶんだよ」 
 「トランプとかして遊ぶんじゃないの。女の人もいたほうが盛り上がって楽しいし」
 「タレントとテレビ局の社員だぜ。トランプなんて、遊びのうちに考えてないだろう。あまつだって、いい加減大人だし」
 「……3月に22になったばかりよ」
 「22って大人だろ。藻名加に言うのは酷だけど、あまつ達は大人の遊びをしてたんだよ。そんなこと、業界だったらあたりまえなんじゃないか?」
 鉄郎が知ったかぶりで言う。この春に、一浪して入った大学で3回生になった鉄郎は、実は、7月には自分も22になる。
 「じゃあお兄ちゃんも女の子と遊ぶって言ったらそんなことするの? 変なことを」
 藻名加が反撃した。
 「オレはしないよ」
 「じゃあ聞くよ。もしお兄ちゃんとお友達が、かわいい女の子ふたりと4人でいたら、いったいなにするの」
 「えー」
 「たとえばね。じゃあ、お友達のアパートで、女の子も来て遊ぶとしたら、お兄ちゃん達はすぐに変なことするの」
 「……しないよ」
 「じゃあ、なにするの」
 「ドライブとかボーリングかな」
 「部屋でって言ったじゃない。しかも夜。風介はドラマの撮影で忙しい時期だったから、昼間にゆっくりした時間はないの。……そしたら、みんなでトランプ、しない?」
 これではまるで、誘導尋問である。
 「……昼間なら出かけるだろうけど、夜ならするかもしれない」
 鉄郎がしぶしぶ言う。
 「ほおら」
 「だけど、あまつ達ふたりは、オレ達みたいな貧乏学生じゃない。タレントとテレビ局の人間だぜ? それに、場所はホテルだ」
 「ホテルたって、風介は定宿にしてそこでしばらく暮らしてたんだから、下宿も同然でしょ。それに、修学旅行の時なんか、男の子もまじえてみんなでわいわいトランプするのは楽しいとあたしも思う。男の子と女の子と混じって騒ぐのは、とても楽しいことだもん。22だって騒ぎながらトランプくらいしてあたりまえだよ。それに、もともと風介は、カードゲームが好きなのよ。プルート事務所には、前にも名前の出た吉川航や由良鷹人の他にも、風介と仲のいい先輩がいてね。山田凱、白石浩二、八嶋亮太って言うんだけど。風介はその先輩たちとトランプするのが好きだって、ラジオで言ってたことがあったもん」
 「うーん。でもさ。藻名加はほんとうにそれだけだと思ってるのか。あまつと田沼がなにかはあったと思ってないのか」
 「……」
 「ほーら、ちょっとは疑ってるんだろ」
 「……思ってないよ!」
 藻名加が怒った声を出す。
 だが、真剣に新聞を読んでいた六郎がこんなことを言ったので、藻名加も鉄郎も、またすぐに六郎の読んでいたスポーツ夕日をのぞきこんだ。
 「『スポーツ夕日』には、殴り込み事件のこともちゃんと載っているぞ。弁護士が、プルートはアボガドを、傷害と脅迫で逆告訴するとも言っている」
 「そのことは『リアル』にも載ってたわね。近々プルート側も刑事告訴するって」
 「傷害と脅迫で、ってことは、殴り込み事件のことを告訴するのよね」
 「また、その裁判過程で、あまつ風介に対するいわれなき暴行容疑も晴れるだろう、と言っている」
 「そうなの? それでそちらの無実も明らかになるの?」
 「そりゃあ、アボガドがプルート事務所になんで殴り込んだかという理由が、ほんとうなのか、事実無根のでっち上げなのかは、殴り込み事件の裁判上もどうしてもはっきりさせないとまずい点だろうからな」
 「そうなの」
 「それに対してアボガドの社長は「名誉毀損でなく傷害罪で告訴するなど、筋違いでしか対応できない卑劣さだ」と言っているよ」
 鉄郎がそう新聞を読むと、藻名加はまた悔しそうな顔をする。
 「もう、アボガドの社長はいちいち頭に来ることを言うわね。筋違いじゃないじゃない」
 「そうじゃ、全然筋違いではないぞ」
 六郎がそう保証したので、藻名加はちょっと機嫌をなおした。
 鉄郎は腕を組み、
 「だけどまあ、ほんとにゴチャゴチャしていて、だんだんオレもわけがわかんなくなったよ」
 と言う。 
 「いったいあまつ達による暴行事件はあったのか、なかったのか。あったとしても、アボガドの言ったこととは違うのではないか。なかったとしたら、雑誌での告発のみならす、アボガドは何故警察にまであまつ達を訴えているのか。それも2度も」
 「ほんとよね……」
 「アボガドの真意がわからないよ。オレ、昼間、友達と話していたときは、これは絶対田沼の事務所の売名行為なんだろうと思っていたがなあ。なんだか、だんだん、アボガドが売名行為のために暴行事件をでっちあげたとは思えなくなってきたよ」
 「あら、なんで?」
 「だって、これが売名のためだとすると、アボガドは、もっと早くこの事件を公表しているはずだ。だけど、アボガドが記者会見をして、田沼が暴行に逢ってあまつ達を告訴していたことを発表したのはおととい、5月28日の夜だろう。4月10日にアボガドがプルートに殴り込んでから、1ヶ月以上経っている。それに、売名する必要のない、田沼の友人A子とやらまでがあまつとサンサン放送の社員を告訴している」
 そう言って、鉄郎は、自分に問いかけるようにつぶやいた。
 「……田沼高子の売名が目的じゃないとしたら、いったい、アボガドはなんであまつとサンサン放送の社員を告訴したんだ? まさか、ほんとうにあまつ達の起こした暴行事件を裁いて欲しいからじゃないよな……?」
 「ちょっと待ってよお兄ちゃん。なに言い出すの!」
 あわてて藻名加が口を挟む。
 「だから、わかんなくなったんだよ。そんなワケはないよ。あんな嘘っぽい暴行事件は誰が聞いたっておかしいんだから」
 鉄郎が本気で頭をひねると、藻名加が、そんな鉄郎を見て、言った。
 「……ね? わかんないでしょ、お兄ちゃん。……正直に言うね。さっきはお兄ちゃんに怒っちゃったけど、わたしも昨日からあれこれ考えすぎて、暴行じゃなくても風介は女の人になにか変なことしたんじゃないのか、そうでなくちゃなんで告訴までされたのか、とか、考えてたの。そんなことない! って思ったり、でもそれじゃあ……、って思ったり。でもね、今、ずっと、六郎おじいちゃんやお兄ちゃんと、この事件のことが載った雑誌や新聞を見ながら考えをまとめてきたら、風介はやっぱり風介の言うとおり、田沼高子になんにもしていないと、あたしにはそう思えてきたのよ」
 「おいおい、藻名加。そう思えた理由はなんだよ。どこでその確証を得た。教えてくれよ。おまえと同じモノを読んだオレがこんなに混乱してるのに」
 鉄郎に言われ、藻名加は口ごもる。
 「理由は……、ないけど……」
 「ほらな」
 「……風介はそんなことしない人だもん……」
 「理由にならないだろ、そんなこと。自分だって疑ったって言ったくせに」
 「……」
 「……なんか、わかるようでわかんねえんだよなあ!」
 放り投げるように鉄郎が言う。
 「うん。なんか、わかるようなんだけどね」
 藻名加が相づちを打つ。
 「気持ち悪いな、この感じ。売名目的じゃなきゃなんなんだ。アボガド側の行動の動機がどうしてもわかんねえな」
 「そうよね」
 顔を見合わせ、藻名加と鉄郎は煮詰まった顔になる。それを見て、六郎は、読んでいた新聞から目を離すと、区切りをつけるように言った。
 「よし、今日はもう遅くなったようじゃの」
 時計を見上げると、六郎は突然ふたりに尋ねた。
 「あさっての夜はふたりとも暇かの」
 六郎の突然の問いに、藻名加と鉄郎はカレンダーを見ながら、口々に答えた。
 「あたしは大丈夫だけど……」
 「オレも平気かな」
 「……そうか、それはよかった。じゃあ、あさっての夜、ふたりでわしのところに夕飯を食べにおいで。ふたりが好きな、わしの特製カレーをご馳走するよ」
 「あ、六郎おじいちゃん特製カレー!? 久しぶりね!」
 「ああ。ふたりとも大きくなってからは、あんまり六郎じいちゃんのところに遊びに来なくなったからな」
 そう言われて藻名加と鉄郎は黙った。子どもの頃はふたりとも、うるさい両親や祖父母よりも、気ままでのんきなひいおじいちゃんが大好きで、「六郎おじいちゃん、六郎おじいちゃん」と、しょっちゅう六郎の住むアパートに遊びに行ったものだったのだ。六郎は取り立ててふたりをかまわなかったが、なにをしても誰にも怒られない六郎のアパートは、こどもには天国だった。そのころ、土曜の夜など、ふたりが今夜はこっちに泊まるんだと言うと、六郎は喜んで了解し、夜はカレーを作ってくれたものだった。ふたりとも、そのカレーが大好きだった。
 「では、そのとき、この話の続きをしよう」
 「そういうことか、六郎おじいちゃん」
 「そうだよ、どうだね、藻名加
 「……もちろんよ! いいに決まってる!」
 「オレもまあ、いいよ」 
 「よし。では、あさっての夜7時じゃ。ふたりとも忘れるなよ。デートの予定を入れるでないぞ」
 「うん」
 「なにか新しい情報があったら、おまえたちが手に入れて来ておくれ。わしはカレーを作りながら、何か考えておくことにするから」
 

(パズル・第1夜終)

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