サンシャイン 第5回(最終回)

 光が射している。
 体が軽い。熱が下がったのだ。
 准一は身を起こした。
 准一のふとんの脇の畳の上で、長野が横になり、眠り込んでいた。ワイシャツを脱いでアンダーシャツ1枚になって眠り込んでいる長野は、疲れ果てた顔だった。しかし、長いまつげを閉じて眠る長野の顔はやっぱり天使みたいにきれいだった。
 准一は思わず微笑んだ。すべては夢ではなかったのだ。
 准一は長野の寝顔から目を離せなくて、そのままじっとした。長野は動かない。准一はそっと長野の額に落ちた前髪に口づけ、それからそっとささやいた。
 「長野さん、ありがとう」
 まだ少し熱はあるようだが、すっかり治ったと言ってもいいくらい気分は良かった。准一は起きあがり、長野の上に薄い毛布をかけた。
 それから准一は時計を見上げた。朝の7時だ。長野の仕事は大丈夫なのだろうか。そうは言っても、疲れ果てた長野をまだ起こしたくないが。
 とりあえず着替えようと、パジャマ代わりに着ていたTシャツを脱いで半裸になったとき、玄関のチャイムが鳴った。チャイムとは言ってもせこいアパートだから、安っぽい音がポンパンと鳴るだけである。准一は振り返って長野を見た。長野は起きる気配はなかった。
 もちろんインターフォンなど付いていない。もしかして井ノ原がなにか荷物でも取りに来たのかと思って、准一はなにげなくドアを開けた。
 「井ノ原くん?」
 ドアの向こうに立っていたのは、険しい顔をした新しい父親だった。
 「准一!」
 「……!?」
 社長の後ろには、やつれた顔の母親もいた。驚いた准一は、社長ではなく、後ろの母親に向かってとがめる声を出した。
 「いったいなに……!」
 母親は、疲れた声でつぶやいた。
 「准一のことが心配で」
 「だからって、どうして。どうしてここがわかったの!?」
 母親は口をつぐんだ。准一は、母親のさらに後方に、スーツ姿を来た痩せた男が立っているのに気がついた。准一が自分を見たのに気がつくと、男は軽く会釈して、落ち着いた声で言った。
 「坂本と申します。社長はご子息のあなたのことをたいへん心配されておられまして。あなたのお住まいは私が調べさせていただきました」
 「そんな……。ちょ、ちょっと待ってください!」
 あとの言葉は、自分をかきわけるようにしてずかずかと部屋に入って行った社長に向かって言った言葉だった。
 社長は言葉もなく部屋に上がり込むと、あたりを見回し、すぐに、奥の部屋の毛布のかたまりに気がついたようだった。
 「待ってください!」
 准一が止めるまもなく、社長は奥の部屋に入り、長野の毛布をはぎ取って怒鳴った。
 「起きろ!」
 長野は、目をこすりながら身を起こした。
 「聞こえないのか。起きろ!」
 はっとした顔になって長野が起きあがる。長野は不審そうに尋ねた。
 「あなたは……?」
 「私は准一の父親だ。おまえこそ誰だ」
 「わたしは……」
 「自己紹介を聞きたいんじゃない。きさま、人の息子の部屋でなにしてた!」
 「やめてください!」
 准一が長野と社長の間に割って入ろうとしたとき、後ろから驚愕した声が聞こえた。
 「……長野!」
 あとから部屋に入ってきた、スーツの男の声だった。
 「おまえ、こんなところでなにをやってるんだ……」
 准一も、父親も、母親も、驚いて男の方を振り返った。
 「坂本くん」
 長野も驚いた顔で男を見た。坂本が呆然とした顔で言った。
 「まさかおまえが准一くんの所にいるなんて……。おまえあの夜、もう准一くんとはつきあわないと言ったじゃないか」
 准一は、はっとして長野の顔を見た。
 「……そうだけど」
 長野は首を横に振った。
 「だけど。心配になった。あんなに慕ってくれた子をいきなり突き放して、思いつめたりしてやしないかと……」
 「だからってなにも……、こんな……」
 その坂本の口調に、長野はやっと、今、社長や坂本たちが自分と准一にどんな誤解を持っているのかを悟った。長野は驚いて叫んだ。
 「……そうじゃない!」
 長野をかばうようにして准一も怒鳴った。
 「違います、長野さんは俺を心配してくれたんです。話を聞いてください!」
 パシン、と音がした。准一は頬を押さえた。肉厚の手のひらで准一の頬を叩いたのは、社長だった。
 「准一、おまえは家を出てなにをやっているんだ。おまえは社長の息子という自分の立場を判っているのか。わがままで家を出た上に、男を部屋に泊めたりして……。男と遊んでいる暇があったらちゃんと大学に行って勉強しろ!」
 准一は、頬を押さえたまま動かなかった。おろおろと母親が口を挟んだ。
 「准一、聞いて。お父さんもお母さんもあなたのことが心配で、この坂本さんに、あなたの居場所を調べてもらったのよ。ほんとはあなたのほうからうちに帰る気になって欲しかったのだけど、あなた、強情でしょう。こないだの夜の電話なんかすごくおかしかったから、お母さんとても心配になったのよ。それでとうとうお父さんと相談して、あなたと顔を合わせて話そうということになったの」
 「……」
 「あなたが出かける前につかまえようと思って朝のうちに来たら。……まさかこんなこと、お母さんも思わないから……。情けないわ……」
 母親の声が涙ぐんだ。准一は、頬を押さえていた手を下ろし、母親の言葉を無視して振り返り、真正面から坂本を見た。
 「あなた。坂本さんって言いましたっけ」
 「……ああ」
 「どうやってここを調べたんですか」
 「君の昔の知り合いにかたはしから聞いてね。井ノ原くんという人のアパートに住んでると知ってる人がいた」
 「そうですか。……俺のバイト先も井ノ原くんから聞きだしたんですね」
 「まあな」
 准一は冷たい口調のまま、今度は長野に尋ねた。
 「長野さん。……坂本さんと知り合いなんですか?」
 「……ああ……」
 「長野さんは坂本さんに頼まれて俺に近づいたんですね?」
 「……」
 「答えて」
 「最初は違う。君と出会ったのは偶然だ」
 「嘘だ」
 「……ほんとうだ。信じて欲しい」
 「信じられない。坂本さんには俺のことでなにも頼まれなかったと言えますか」
 「……」
 「答えて!」
 「……頼まれた……。君と会って、ご両親に連絡を取る気になるようにして欲しいって……」
 「……」
 「准一くん! だけど、違う! 俺は」
 「坂本!」
 社長が、声を荒げて坂本の前に近づいた。
 「いったいどういうことなんだ。君がわざわざこの男を准一に近づけたと言うのか。……君はなにを考えているんだ!」
 「……申し訳ありません!」
 「謝ってすむことじゃない。……辞令を楽しみに待っていろ」
 「……」
 坂本は、頭を下げたまま動かなかった。長野も、母親も、身動きをしなかった。
 やがて、声を出したのは准一だった。
 「社長さん」
 社長は顔を上げた。
 「私のことかね。それならお父さんと呼びなさい。わたしは君の父親だ」
 「あなたは母さんの夫だけど、俺の父親じゃない。他に呼びようはありません」
 社長は横を向いた。
 「……准一」
 母親が口をはさんだ。しかし、准一は続けた。
 「母さんがあなたと結婚したことには文句はありません。どうぞ母さんを幸せにしてください。だけど、俺の人生はあなたに関係ありません。どうして継子の俺のことなんか気にしたりするんですか。うんざりだ。俺のことは放っておいてください!」
 「准一、違うの」
 「違うって。なにが」
 准一は面倒そうに母親に聞き返した。
 「この人は、あなたのほんとうのお父さんなの。あなたのほんとうのお父さんなのよ、准一!」
 「え……?」
 母親の言葉に、坂本も、長野も、驚いて顔を上げた。准一だけが、なにを言われたかわからないというようにぼんやりと母親を見ていた。社長は黙って横を向いたままだった。
 「あなたのお父さんなのよ。わたしは昔、お父さんとお別れしてからあなたを妊娠したことを知って……」
 「……え……?」
 よく聞こえないというように、准一は聞き返した。
 「わたしは若い頃、家のお金のためにクラブでホステスをしていたことがあったの。そこでお父さんと知り合ったの」
 「……」
 「お父さんは、しょっちゅうそのお店に来ては一生懸命接待していた。懸命さに引かれて、わたしもお父さんの仕事がうまくいくように手伝ったわ。そのうちにお互いに好きになって……。でも、お父さんが上役のお嬢さんと結婚していることは知っていたから、わたしはすぐに身を引いたの」
 「……」
 「そういうことなの。だからね、お父さんはほんとうのお父さんなのよ。あなたを心配するのは当たり前でしょう?」
 「……」
 准一の口が、なにか言おうとするようにかすかに動いた。母親は尋ねた。
 「なあに?」
 「だって、俺の父さんは結婚前に死んだって……」
 「そう言うしかなかった」
 母親はうつむいた。
 「まさか、こんなことになれるなんて思わなかったから」
 「……。ほんとうなんですか……」
 准一はかすれた声で社長に尋ねた。社長は横を向いたままうなずいた。
 「そんな……」
 「あなたをだますつもりじゃなかったのよ。お父さんと再会したのは偶然なの。1年前、偶然に出会って……。一生黙っていようと思っていたんだけど、思わず、あなたのことを話してしまったの。だって、あなたは私の自慢だったもの。言わずにいられなかった。そうしたら、なんで今まで黙ってたんだって、逆に怒られて……」
 「……」
 「社長にまでなっても、奥様との間は冷たくて、子どももなかったのですって。お父さんが社長になってから、会社は大きく発展したのよ。もうお父さんは誰にも気兼ねしなくてよくなっていたの。奥様にも……。お父さんは、子どもをほんとうに欲しがられていたの。だから、あなたの話を聞いて、信じられないくらい喜ばれたのよ。ね、お父さんはほんとうにあなたを愛しておられるのよ。そのために奥様と別れてわたしと結婚されたのですもの」
 「……」
 「……ね、准一。わかってさしあげて。ね、准一、みんなでうちに帰りましょう。そしてちゃんと大学に行って。あなたはそのうちお父さんの片腕になれるわ。立派な社長になるわ。あなたはほんとうはとても素直だし、がんばりやだもの」
 「……」
 「ね、准一……」
 母親が肩に掛けた手を、准一はふりほどいた。
 「でたらめだ!」
 「……え?」
 「でたらめだ! そんなの信じない!」
 「准一……」
 「信じない! なにもかも! 俺は信じない!」
 「……」
 「母さんのことも! 社長さんのことも!」
 それからしばしの間准一は燃えるような瞳で長野を見て、付け足した。
 「……長野さんのことも!」
 長野は、准一の顔を見返した。すると准一は目をつぶった。そしてもう一度繰り返した。
 「長野さんのことも! ……信じない!」
 「准一! 待ってちょうだい、お母さんは……」
 あわてて母親が叫んだ。しかし准一は、すでにアパートの部屋を飛び出していた。

                       ***
 
 「お疲れさまでした」
 「お疲れさん。明日も頼むよ」
 首にタオルを巻いた親父さんに挨拶をして小さな運送屋を出てきた准一は、脇に止めてあった自転車に乗ろうとして、振り返った。誰かの視線を感じたのだ。
 見た顔の男が、片手を上げて近づいてきた。スーツは着ているがネクタイをしていない。髪もセットしてないし、ワイシャツのボタンがルーズに外してあって、このまえ見たときの、いかにもやり手なサラリーマンという印象とは違っていた。
 「やあ」
 「……」
 准一は黙って自転車に乗ろうとしたが、坂本は准一の自転車をつかんだ。
 「ちょっと話があるんだ。いいかな」
 「次のバイトがあります」
 「君のことならよく知ってる。渋谷のオーシャンフロアだな。あそこは7時からだろう。えーと」
 坂本は腕時計を見た。
 「まだ1時間ちょっとある」
 「なにか食ってから渋谷まで行く時間です」
 「なに食うんだ」
 「そこの駅前の牛丼屋」
 准一は、顎で方向を示した。
 「牛丼か。よし、おごろう」
 坂本がにやっと笑ってそう言った。
 
 准一と坂本は並んで牛丼を食べた。
 「牛丼で助かったぜ」
 坂本が言った。
 「今、失業中なんでね。会社、辞めたんだ」
 「……」
 「そう警戒すんな。ほんとだよ。だからもう、君のお父さんの部下でもないし」
 准一はちらっと坂本の顔を見た。坂本は、独り言のように続けた。
 「俺は、うちに金が無かったもんで大学は二部を出たんだ。最初から大学で差がついてるから焦ってたな。上役に言われればなんでも引き受けて、それではい上がろうと思った。重役直属の部署に入れたときは、しめたと思ったよ」
 「……」
 「まあせっせと働いて親父の残した借金は返せたから、無駄な10年だったということもないけどな」
 「……会社を辞めたの、俺のせいですか?」
 「気にしてくれるのか?」
 そう准一に尋ねて、坂本は、ふっと笑った。
 「潮時だよ。利用してるつもりで利用されてたのがやっとわかって自分から辞めた。やり直すさ」
 そう言うと坂本は箸を置いた。准一も牛丼を食べ終わり、箸を置いた。
 「……それを言いにわざわざ?」
 准一が尋ねると、坂本は首を横に振って笑った。
 「今までのは前フリ」
 「……」 
 「本題は、長野のことだ」
 長野の名前を聞くと、准一はビクッと体を固張らせた。坂本は痛ましそうな顔になって言った。
 「誤解しないでやってくれ」
 「……」
 「あいつは別に、俺に頼まれたから君とつきあったわけじゃないと思う」
 「……」
 「そんな器用なことが出来るヤツじゃないんだ。確かに俺はあいつに、君がご両親に連絡を取って、いずれは家に帰るように仕向けてくれるようにと頼んだ。あいつもそれを聞いてくれたが、それは俺が頼んだからじゃなく、そのほうが君にいいと思ったからそうしたんだと思う。そのうちにあいつ自身、自分が俺に頼まれたから君をつきあってるのか、本心で君とつきあっているのかわからなくなってしまったみたいなんだ。君とはもうつきあわないと言い出した。なんだか無理してるみたいだったよ」
 「……」
 「君たちがどんな関係だったのか、俺には興味はない。だが、長野がいい加減なことをするわけはないんだ。他の誰をでたらめだと言ってもいい。あの日、俺も話を聞いていたが、あんたを気の毒だと思った。あんたの親父さんとおふくろさんは、最初にあんたに真実を話しておかなければならなかったと思う。後になってああいうことを言い出すのは、君にでたらめと言われてもしょうがないだろうな」
 「……」
 「しかし、まさか社長の結婚にああいうカラクリがあったとは、俺も気がつかなかったよ。道理で准一、准一って、君のことを気に掛けてたわけだ」
 「……ああいうのは気に掛けるって言わない。勝手な期待の押しつけだ」
 「……まあ、社長のことはともかく。長野のことは別だろう? 全部をいっしょくたにして、長野まででたらめと呼ばないでやって欲しいんだ」
 「……」
 「あいつは3年前、結婚直前に恋人を失っている。そのことがどうしても忘れられなくて、それからは誰とも一線を引いてしかつきあえなくなってた。君と会っていた時期、あいつの顔には久々に笑顔が戻っていた。だけど、亡くなった婚約者を忘れまいとする気持ちが、そんな自分に罪悪感を抱かせたんじゃないかと思う」
 「……」
 あの夜、暗い窓から外を眺めて長野のつぶやいた、「留奈」という名前が准一の脳裏に蘇った。と共に、誰からも見捨てられたと思った心細い夜に、たったひとり長野が自分を見守ってくれた喜びの記憶が、凍てついたものがほどけるように蘇ってきた。じっと動かない准一を見て、坂本は立ち上がった。
 「時間を取らせてすまなかったな。そういえば、あの日の件で、親父さんは、あんたのことを相当怒ってるようだ。もうあんたのことはどうでもいいと言っているのを聞いたよ。いいマンションを買ってもらって遊び暮らすのはあきらめたほうがいいな。まあ、あんたは最初からそんなものは要らないかも知れないが」
 「……」
 「そういうことだ。じゃあな」
 店を出ようとする坂本の背中に、准一は、思いきったような声をかけた。
 「坂本さん、……待ってください!」
 坂本は振り返った。准一が、しっかりと自分を見ていた。
 「いろいろ、教えて欲しいことがあります」

                        ***
 
 花を抱えた准一が、墓地の合間の細い坂道をのぼっていく。
 木立の陰の小さな墓の前まで来ると、准一は立ち止まり、墓前に花を捧げてから、手を合わせ、目をつぶった。やがて目を開けると、准一は、墓に向かって話しかけた。親しい友達に話すように。
 実際、准一はもうすでにこの墓地に何度も来て、この墓所に眠っている人が、自分の気の置けない女友達なような気がし始めていた。
 「俺、この間、ひとりで、前に長野さんと行ったレストランに行ってみたんだ。あの店、きっとあなたも長野さんと行ったことがあるんでしょう?」
 夏の午後、あたりは不意に時が止まったように静かだった。
 「俺、あの店で初めて、長野さんに好きだって言ったんだ。そのときのこと、よく覚えてる。俺が長野さんに好きだって言った後、店中の人形がみんな、俺が言ったことがおかしくってたまらないと言うように、クスクスクスって笑った。きっと、人形達はほんとに俺のことがおかしくってたまらなかったんだろうな。だってあいつらは、長野さんがあなたのことだけを愛しているのを知ってたんだもん」
 准一は黙った。それから准一は、ちょっと寂しそうな口調になった。
 「そんなことも知らないで、あの頃は俺、長野さんに、会うたびに好きだ好きだって言ってた。ほんとに好きだったんだ。大好きだった。口に出して言わないと溢れてしまうくらい。……でも、もう、そんなこと言えなくなっちゃった。だいたい、俺、長野さんともう二度と会うこともないだろうし……」
 それから准一は、苦笑いするような顔になった。
 「あなたの恋人のことなのに、変なこと話してごめんな。でもなんか、ここでしゃべると落ち着くんだ。あなた、優しい人だったんだろうな。長野さんに愛されたくらいだから当たり前だけど……」
 やがて准一は立ち上がった。
 「また来るから」
 そう言って准一は、帰り道を歩き出した。
 歩きながら、会うたびに長野のことを好きだと言っていた自分を、准一は、なつかしいような苦いような気持ちで思い出した。長野の婚約者だったという人は、なにも語らずにひとり静かにここで長野を愛し続けていたというのに、おしゃべりで世間知らずで子どもだった自分。だけど、その報いはもう、こっぴどく受けてしまった……。
 やがて木立がとぎれ、明るい視界が広がった。しかし准一は、そこでぴたりと足を止めた。
 夏雲の広がる空の下に、長野が立っていた。長野は、物憂いような瞳で自分を見ていた。
 准一はその瞳を振り切るように下を向き、足早に長野のそばを通り抜けようとした。もう、黙ってすれ違うことしかできない人なのだ。すべていまさらのことだから。
 ふたりがすれ違ってちょっとの間のあとだった。不意に後ろから長野の声が聞こえた。
 「……准一くん」
 夢かと思った。そのまま急いで行き過ぎようと思っていたのに、准一の足は魔法にかかったように止まった。
 「……君だったんだね、留奈の墓に花をあげてくれてたのは」
 「……」
 「ありがとう」
 変わらない長野の声を聞くと、准一は、どうしても振り返らずにはいられなくなった。
 准一は振り返った。
 「誤解しないでください!」
 准一は怒鳴った。
 「俺は怒ってるんです。俺はあなたにだまされてました。あなたは、俺があなたを好きな気持ちを利用してたんだ」
 「……」
 「だから、だから……。俺は、あなたの気持ちを持ったまま逝ってしまった人に、恨み言をぶつけたかった。だからここに来たんだ。それだけだ」
 「そう」
 長野はうなずいた。
 「それでもいいんだ」
 「……」
「留奈には係累がいない。僕が留奈の、ただひとりの係累みたいなものだ。だから、僕以外の人間があいつのことを気に掛けてくれただけでうれしいんだ。好きでも、嫌いでも、どっちでもいいんだ。そういう中身じゃないんだ。あいつのことを思ってくれただけでいいんだ。」
 「……」
 「……君みたいな人があいつのことを考えてくれただけで、あいつはうれしいと思う……」
 「……俺みたいな……?」
 どういうことかわからずに、准一は小首を傾げるようにしてその言葉を聞き返した。長野はそんな准一を見て、初めて准一を見たときのように微笑んだ。そして、まるで歌を歌うように、長野は言った。
 「君みたいな生き生きした……」
 「……」
 「自分をもてあますほどの生きる力に満ちた青年。若いというのも怖いくらいな若さに満ちた青年。溢れる愛をどこに向ければいいのかわからずに、ちょっと目に付いたつまらない人間にさえその愛を惜しみなく捧げてくれるような、そんな青年……」
 「……」
 「そんな人に少しでも自分のことを考えてもらえるだけで。心が死にかかっている人間には、それだけで、自分にもその明るい力が宿るような気持ちがした。君といる時間、僕はじゅうぶん幸せと言ってよかった」
 「……」
 「君を怒らせてしまったのはわかっている。謝る言葉もないよ。だけど留奈の墓に来てくれるのがもしかして君じゃないかと思ったとき、僕はどうしてももう一度だけ君に会いたくなって……」
 「……長野さん……」
 「一度君に言いたかった」
 なんだか震えるような気持ちがして、准一は次の言葉を待った。長野は、慈しむように、歌を口ずさむように、つぶやいた。
 「僕のサンシャイン……」
 准一は、棒のようにその場に突っ立った。体を動かせないほど、今、心の中はぐちゃぐちゃだった。
 大好きで、大嫌いで、大好きで、大嫌いで……、大嫌いで、大好きで、大好きな……。
 「長野さん!」
 泣きそうになりながら准一は叫び、長野に向かって駆けだした。
 
サンシャイン おわり 2003.9.10 hirune

しばらくの間、「マシーン日記」と夏コンで頭がいっぱいで、前回をアップしてから2ヶ月近く経ってしまいました。
待っていてくれたひとがいたらゴメンナサイ!
とりあえず、准一くんと長野さんの恋物語(?)を書き終えることが出来て、ほっとしています。
今日は暑くて疲れた〜。ほっとしたところでさあ寝るぞ〜♪
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