サンシャイン 第2回


 「……だめだ! 落ち着け!」
 目をつぶってそう叫んでから、准一ははっとしてまわりをみまわした。
 当然の事ながら、電車に乗り合わせた客達は皆、変な人を見るような目つきで准一を見ていた。
 人々の視線に気がつくと准一は真っ赤になって、かぶっていたキャスケットを顔を隠すようにひっぱりさげた。
 やがて次の駅に着き、電車が止まると、准一は電車を飛び出した。
 天気のいい日だった。太陽の光に、世の中すべてが輝いて見える。
 だって今日は特別な日。初めてのデートの日だから……。
 誰とって、それはあの、天使みたいな人……、長野博さん!

 駅の改札を通り抜けながらも、准一の胸は、早鐘を打つように高鳴っていた。
 長野さんはもういるだろうか。まだ来てないだろうか。……だいいち、今日のことを忘れてはいないだろうか!?
 だが、心配するには及ばなかった。
 改札の向こうで、ネクタイにワイシャツ姿の長野がこちらを見て微笑んでいるのが目に入った。
 准一は長野に駆け寄った。
 
 実は二週間前、バイト先で長野と知り合った准一は、長野に持っていったカクテルのコースターに自分の名前と携帯の番号を書いておいたのだった。それがどういう意味なのかは、もうわかっていた。それは「僕に電話をください」という意味。
 コースターの書き付けを見ると、長野は、びっくりしたように准一を見た。そうされると准一はいたたまれないような気がしたが、どうにか、「僕の番号です」と言うことが出来た。すると、長野はもう一度、そのコースターを眺め、それからなにも言わずにちょっと微笑んだ。それから別の用事を頼まれ、准一が気がついたときは、もう長野は店を出ていったあとであった。
 それからは毎日が、「今日は電話が来るかも」という希望と「だめだ、来るはずない」の落胆の繰り返しになってしまった。とうとう准一の心の中が、あんなことをして図々しいと思われたのじゃないか、やっぱりやめればよかったと後悔ばかりになった頃、なんと准一の携帯には長野からの電話が入って来たのだった。
 心の準備のなかった准一は、しどろもどろにこないだの礼を言った。
 すると長野は「元気そうで安心したよ」と言った。そして准一に、まだあの店でバイトをしているのかと聞いてきた。准一が続けていますと言うと、長野は感心したような声を出した。「あんな意地悪をされたのに、君はめげない子だね」。
 そう言われて准一はうれしくなった。嫌なバイトでも続けていてよかったと、心から思った。そして自分の名前を名乗り、長野の名前も聞く余裕もできた。そして勢いに乗って、あのときのお礼を言いたいので会えないかと尋ねさえしたのだった。
 すると長野は長い間考えているようだった。しかし最後にとうとう、長野は准一の申し出を承諾してくれた。それから今日までの一週間は、准一にとって、生まれてから一番長い一週間となった。
 ……話はふたりのところに戻る。
 
 「すみません、待ちました!?」
 准一は、息を弾ませて長野に尋ねた。
 「いや。さっき来たとこ」
 長野が微笑むと、准一はぼうっとなって長野を見つめた。
 やっぱきれいだ。准一が心の中で繰り返し思い出したどの長野の笑顔よりも、本物の長野の笑顔は素敵だった。
 すると長野はちょっと変な顔をして、
 「どうしたの? 俺の顔になんかついてる?」
 と自分の頬を触った。
 「い、いえ!」
 准一はあわてて首を横に振った。
 「違います、そうじゃなくって」
 「?」
 「あ、あの。……いい天気ですね!」
 「はは。そうだね」
 ふたりは人の波に沿って歩き出した。
 「どこ行きましょうか」
 「もう、昼時だね。なにか食べよう」
 「そうですね」
 「どっか、知ってるとこある?」
 「実はあんまり……」
 准一が正直に言うと、長野が言った。
 「じゃあ……、僕の知ってる店に行こうか」
 「はい」
 准一が頷くのを見ると、長野は歩きだした。
 長野に並んで准一も歩く。ふたりはそんなに背丈が違わなかった。2,3センチ長野が高いだろうか。街を歩きながら、准一はひそかに、長野と連れだって歩いていることに誇りを感じた。こんなにきれいな人は他にはいない。
 やがて長野はひとつ裏通りを入り、地下に入った小さなレストランのドアを開いた。ドアにはベルが付いていて、長野がドアを開けるときれいな音が鳴った。
 「どう? ここで」
 「いいですけど」
 准一は店の中をのぞきこみながら答えた。長野は店の中に入った。
 入るとすぐに、太った外人の女主人らしいのが、長野に優しく会釈し、慣れた日本語で言った。
 「どうぞ、こちらへ」
 「……ありがとう」
 「お連れ様もどうぞ」
 「は、はい」
 准一は小さなテーブルを挟んで長野の真ん前の席に座った。しかし准一は恥ずかしくなって、なかなか長野の顔が見られなかった。
 店にはオルゴールみたいな音楽がかかって、棚のあちこちにいろいろな表情のマリオネット人形が置いてあった。なんだか知らない世界に来たみたいだった。隣の棚に置かれた、大きな瞳の女の子の人形が、ちらっと准一を見たような気がした。
 水を持ってきたさっきの女主人が長野に話しかけた。
 「お久しぶりですね」
 「そう」
 長野は軽くうなずいてそう言っただけで、あとはなにも言わなかった。
 やがて料理が運ばれてきた。
 「どう?」
 長野が尋ねた。
 「え?」
 「おいしい?」
 長野が尋ねた。
 「あ……。うまいです!」
 「なら良かった」
 そのあと、ふたりは黙って料理を食べた。ディッシュの料理を食べ終わってから、やっと准一は話のきっかけを作る落ち着きを取り戻した。
 「あの」
 「なに?」
 「す、素敵な店ですね」
 「うるさい客は来ないところだからね」
 「お店の人と知り合いなんですか」
 さっき女主人が長野に話しかけていたのを憶えていて、准一は尋ねてみた。
 「いや。ただ、前はここによく来たから」
 そう言った長野の声に、なにかをなつかしむ響きがあった。なんとなく嫌な予感がして、准一は急いで話題を変えた。
 「あ、あの、先日はありがとうございました!」
 今度は女主人ではなくウエイトレスがやって来て、パスタの皿が下げられ、代わりにコーヒーとデザートが置かれた。
 突然礼を言われて、長野はちょっと驚いたような顔をする。准一は言い訳がましく続けた。
 「あの、あの、前に、店で、かばってもらったこと……」
 「あ、ああ、あのこと……。たいしたことじゃないのに」
 長野がつぶやいた。それを聞くと准一は、思わず大声になった。
 「たいしたことじゃなくありません! 俺はすっごくうれしかったんです。ほんとうです!」
 長野はまた驚いたような顔になったが、すぐに微笑んだ。
 「わかったよ。……でも、いいんだよ、気にしないで。僕はあのとき、なんだか楽しかったんだから」
 「……?」
 「久しぶりに。なんだか楽しかった。君がういういしくて」
 そう言いながら長野は、コーヒーをスプーンでくるくるとかきまわした。
 「だから、今日、来てしまった。君の誘いを断れなくて」
 准一は、そんな長野の様子をじっと見ていた。すると、コーヒーを飲み干して、長野が言った。
 「岡田くん。つまらないことを憶えていていれて、食事まで誘ってくれてありがとう」
 「……いえ」
 「今日も楽しかったよ」
 「……はい」
 長野は腕時計を見た。
 「じゃあ、そろそろ僕は行かないと」
 「え……!?」
 准一はびっくりした。そんな。まだなにも話してないのに……!
 「君はまだゆっくりしてていいよ。僕は仕事の途中なんだ」
 そう言うと長野はもう、伝票を持って立ち上がりかけている。准一はあわてて大声を出した。
 「長野さん!!」
 「ん?」
 准一は伝票を持った長野の手を押さえた。長野は勘違いしたらしく言いかけた。
 「いいよ、払うのは年上の僕が……」
 「そうじゃなくて。いえ、もちろん俺が誘ったんだから俺が払いますけど。そうじゃなくて、まだ座っててください! そして俺の話を聞いてください!」
 「?」
 「本当のことを言います! 俺がどうして今日、長野さんを誘ったのか」
 「?」 
 「俺、俺、……長野さんに一目惚れしたんです!」
 「は?」
 長野の目が大きく見開かれた。と、同時に、准一の頭の中はぐるぐるとまわりだした。隣の女の子の人形がクスクスと笑い出した。それを合図に店中のマリオネット達が自分を見て笑い出したような気がした。クスクスクス。アハハハハ……。
 「俺、長野さんを見た瞬間から、長野さんを好きになってしまったんです! 長野さんは今まで俺の知ってる誰よりもきれいでやさしくって素敵な人で……」
 「……」
 「お願いです、長野さん。俺の恋人になってくれませんか!?」
 「……」
 「いえ、あの、その前に、長野さんは恋人が男でもOKなほうですか? それとも男は対象外? 年下はだめ? 俺みたいなタイプをどう思います? あ、そうだ、まさかまだ結婚してませんよね? あ、その前に、恋人、いませんよね!? お願いです、いないって言ってください!」
 「ち、ちょっと待ってよ」
 「あ、でもこれ、すっごく大事なことなんで」
 「俺も大事なこと、君に言いたい」
 「なんですか?」
 「君のジェラード、溶けかけてる」
 「……あ」
 確かに、さっき届いたデザートが皿の中で溶けかかっていた。准一はあわててジェラートを口の中に流し込んだ。
 「食い終わりました。で、話の続きなんですけど」
 長野は言った。
 「……未婚だよ」
 「……」
 「恋人は……、いない」
 そう言った長野の顔に翳がよぎった気がした。しかしそう感じたのは一瞬だった。それよりも安堵の気持ちの方が強くて、准一は長野の一瞬の翳りをすぐに忘れた。
 「よかった!」
 「恋人にどうこう、条件はつけないよ。そんな理屈はあとから付いてくるものだと思うし」
 「そうですよね!」
 「さ。答えはこれでいいかな。じゃあ、僕は帰るよ」
 「……え」
 准一は再び天国から地獄に落とされた気分になった。
 立ち上がった長野は、そんな准一を見ると、再び困惑した顔になった。
 「そんな顔しないで」
 「……だって」
 こうやってやさしい言葉はかけてくれても、結局もうこれでお別れなんだと思うと、准一は泣きそうな気持ちになった。長野がつぶやくのが聞こえた。
 「僕とまた会ったら、きっと君は後悔するよ……」
 「後悔なんてしません!」
 そう言ったきり准一がふくれっ面でうつむいていると、長野はあきらめたようにもう一度座り直し、ポケットから携帯を出して開いて見せた。
 「しょうがないな。……これが僕のメールアドレス」
 「え?」
 准一は顔を上げた。
 「ほんとうにもう行かないといけないんだ。だから、話の続きはメールしてくれる?」
 「……はい!」
 准一の顔に笑顔が戻った。
 准一は携帯をとりだし、急いで長野のアドレスを打ちだした。


 料理が出るのを待っている准一の隣で、はあ、と、先輩ウエイターがため息をついた。准一は横目で先輩を見た。
 いつも意地悪エネルギーをまき散らしているような彼が、今日はちょっと元気がなかった。
 「……どうしたんですか?」
 准一は思いきって尋ねてみた。
 「……なんでもないよ」
 先輩ウエイターは面倒そうに言った。
 「ちょっと具合が悪いだけだ」
 それからまた、先輩は、だるそうなため息をついた。
 准一はあたりを見回した。まだ週の初めなので、客は少なかった。
 「……あの、よかったら、少し休んで来ていいですよ」
 「え?」
 「俺、このオーダー出しておきます。だから」
 先輩ウエイターはそう言う准一を、驚いたように見た。
 「……でも」
 「大丈夫ですよ、お客少ないし」
 「そうかあ」
 「はい」
 「じゃあ、頼むかな」
 「どうぞ」
 准一は微笑む。
 ウエイターは裏に向かいながら、不思議そうに准一を振り返る。
 准一は厨房の奥の時計を見た。バイトの終わりまであと3時間……。すると、いきなり、厨房のコックから怒鳴られた。
 「ぼっとすんな。料理出たよ!」
 「あ、はい。ありがとうございます!」
 出された料理を受け取りながら、准一は元気に返事をした。
   
 「お疲れさまでした!」
 バイトを終えた准一は、店の入ったビルの裏階段を駆け下りた。
 自分の自転車の置いてある傍まで行くと、准一は、廻りに人がいないのを確かめてから携帯を出した。携帯には着信のランプが付いている。准一の顔に笑顔が浮かんだ。
 「……長野さん」
 准一はいそいでメールを開けた。メールは期待通り長野からだった。
 「仕事お疲れさま。僕の空いてる時間のことだけど、今度の日曜はどう」
 メールにはそう入っていた。
 「やった!」
 准一は、飛びあがらんばかりになった。
 准一は自転車に乗り、楽しそうに夜の街を走りだした。やがて本屋の明かりがあった。准一は自転車を止めて店に入った。
 雑誌の棚の前で立ち読みしたあと、次に准一は奥まったところにある専門書の棚に足を向けた。
 「……」
 ざわめく本屋の中で、准一は手に取った本をずっと読みふけっていた。しかし、時間が経ったことに気がつくと、准一ははっとして、あわてて本屋を出た。
 しばらくはひっきりなしに車の通る、明るくにぎやかな都心の歩道、やがて住宅街の暗い夜道を、准一の自転車は元気よく走った。最後に准一の自転車は、小さな路地に入っていった。
 路地の奥には小さなアパートがあった。准一はアパートの前で自転車を止めると、トントンと外階段を上り、ポケットから取り出してカギを開け、暗い部屋のドアを開いた。
 「今日も帰ってないか」
 電気を点けながらひとりごとを言うと、准一はすぐに携帯を取り出して長野にメールを打ち始めた。
 「今日もメールありがとうございます。今帰りました。日曜日は昼は引っ越しのほうの仕事があるんです。なるべく早く上がれるようにします。夕方からはずっと空いてます。長野さんと会えるなら、俺には嫌なことなんかなにひとつありません。なにもかも楽しく感じられます。この人のおかげで長野さんに出会えたと思うと、嫌いだった先輩のことまで好きになってきました」


 「君のこと、もっと聞かせて」
 「え? 聞きたいですか? 俺のことなんか」
 「聞きたいよ。住んでるの、松原のアパートって言ってたね」
 「そうです。先輩のアパートに転がり込んで。って言っても、先輩はこのごろ彼女のところに入り浸り」
 「君の親御さんは? 遠いの?」
 「……。親も東京に住んでいます」
 「ふうん?」
 「あの。いろいろわけがあって」
 「わけ?
 「……実は、しばらく前に俺の母親が結婚して」
 「……」
 「俺の母親って、シングルマザーで俺を育ててたんです。俺がお腹にいるとき、父親だった人が亡くなってしまったんです。……その母親が再婚したんです。それも、大きな会社の社長さんと」
 「……」
 「俺、それまでずっと、母親に楽させてやりたくて一生懸命勉強してたんです。それでやっと志望大学に入れたところだった。全部、おふくろを喜ばせたくてがんばってやってきたんです」
 「……」
 「ずっと。小学生の頃から。俺の成績がいいと母さんが喜ぶから、それがうれしくて勉強してた。ずっと、ずっとです。それなのに、俺がせっかく大学に入ったと思ったら、おふくろは、どうやって知り合ったんだか、大企業の社長と結婚すると言い出して。これからあなたにはお父さんが出来るのよ。お金のことはもう心配しなくていいのよって。でも突然そう言われても。俺は、自分の力でおふくろを幸せにしてやりたくてがんばってきたのに」
 「……」
 「俺が入ったのは経済学部でした。別に好きだとか嫌いだとかじゃなく、いい大学に入っていい企業に入ることだけが目標だったから、経済にしたんです。でも、そんなこと、もう意味がなくなっちゃった。だっておふくろはもう、一流企業の社長夫人なんですよ。そう思ったら、いまさら勉強にも、なんの興味も持てなくなってしまいました」
 「いやな人だったの? その、新しいお父さん」
 「……いいえ。はじめて3人で会ったときから、社長さんは俺にニコニコして挨拶してくれました。なんだかとても愛想が良かった。おふくろのほうが硬い表情をしていたくらいでした。でもこれは、社長さんの人柄の問題じゃないんです」
 「……」
 「立派な邸宅の広い部屋をあてがわれて、今日から君はうちの息子だよって急に言われて。……俺、自分がこれまでなんのためにがんばってきたのか全然わからなくなっちゃった」
 「……」
 「ほんとうに、全然わからなくなっちゃったんです。大学行ったってどうせこいつら一流企業にはいることしか考えてないんだろうと思うと、昔の自分を見てるようで嫌な気分になるし、うちにいると言ったって知らない人の家と同じだし。毎日、うちは出るけれど、大学に行かないでそのへんでふらふらするようになって。そうしたら偶然、中学の頃の先輩に会いました。成績のいいグループじゃないけど、変に気の合った先輩。それで話をしたら、うちを出た方がいいんじゃないかって言われました。出るなら先輩のアパートに住まわせてくれるって言うし」
 「それでうちを出たの?」
 「ええ。その先輩は、俺が親にちゃんと言ってうちを出たと思ってるけど、実は家出同然で黙って出て来ちゃいました。なんか言ったってわかってもらえそうにないし、とにかくひとりで考えたかったから。時給がいいところを選んでバイトをはじめて」
 「親御さん、心配してるんじゃないかな」
 「だってほんとうに、なにもわかってくれないんです。俺、今になって反抗期になったみたい。おふくろがすごく嫌な女に思えてしょうがないんですよ。俺がなんのためにがんばってたのか、結局ちっともわかってない……」
 「女手一つで育ててもらったのに、そういうふうに言うもんじゃないだろう」
 「だって、そうなんです。高校の時、いい感じの子から告白されて、つきあおうとしたら、おふくろは、女の子なんて勉強の邪魔でしょ、って言ったんですよ。そんなこと大学に入ってからにしなさい、なんて。そう言われてそれもそうかななんて思った俺もバカだったんですけどね。ほんとに恋してたわけじゃないから、簡単にさよならしちゃった。それなのにおふくろときたら人にはそんなこと言っておいて、自分はあっと言う間に。社長さんは前の奥さんと別れてしばらく経ってたらしいけど。……実は奥さんのいるときから関係あったりして。なんかおふくろって昔から、息子の俺から見ても、なにを考えているのかよくわからない所のある人で……。それが怖いから、俺、おふくろに認められようとして必死で勉強してたのかもしれない」
 「……」
 「まあもう、いいんです。おふくろのことなんてどうでも。……それより俺、長野さんが俺のことに興味を持ってくれたのがすごくうれしい!」
 「……」
 「だから今は、全部良かったと思います。おふくろの結婚も、それで俺が家を出たことも。なんにも不満はありません」
 「?」
 「だって俺、そのおかげでこうして長野さんと知り合うことができたわけですから……」
 「……」
 「俺、長野さんのことを考えてるだけで幸せなんです。もちろん、会ってる時がいちばん幸せだけど……。あなたがこの世界にいると思うと、それだけですべてが明るく感じるくらい……。あなたのいるところから、俺のところに明るい陽の光が射し込んで来る、そんな気がする……」
 「……」
 「俺絶対、あなたが一緒にいて恥ずかしくない人間になります。なんでも努力する。俺、あなたに会ってから、自分がやりたいことも見えてきたんです」
 「……」
 「俺、やっぱ勉強したい。でも、ひとりであれこれ悩んでいるうちに、経済じゃなくて、人間の心を勉強したいと思うようになりました。人の心って不思議です。俺、一時はほんとうに苦しかったんです。頭の中がめちゃくちゃで。母親のことも、言葉で説明できないくらい重圧だったんです。それが、今はこんなに冷静になれるし、結婚して幸せならそれはそれで良かったと思えるようになった。それで、人の気持ちを勉強して、苦しんでる人を助けられたらって思うようになりました」
 「それだとたぶん、精神医になる勉強をしないといけないかも」
 「……医者だと、たいへんでしょうか」
 「時間と、お金がかかる。勉強の方は、君は現役でT大の経済に受かったんだから、やる気なら医学部も大丈夫じゃないかな」
 「……そう思いますか!?」
 「うん。……でもね。お母さんにはちゃんと連絡を取りなさい。理屈じゃないよ。そういうことがちゃんとできないなら、僕は君ともう会えないよ」
 「そんな……!」
 「お母さんには定期的に電話で近況を報告してあげなさい。それに、また大学を受け直すとなったらおうちの人の協力も必要になるよ。ね?」
 「……」
 「約束して」
 「……はい……」

サンシャイン第2話了 2003.6.28 hirune
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