第1回

 白っぽい田舎道。
 バス停の前に古いバスが止まって、人が降りてくる。
 降りたのは、夏服の健。大きな買い物袋を抱えている。バスを降りてまぶしそうな顔。夏の日も落ちかけて、赤い西日が健の顔に射したのだ。健が降りると、ブザーとともにドアが閉まってバスが走り出す。
 健はバスが去ったのと反対方向に歩き出す。道沿いには、やっているのかいないのかわからないような薄暗いタバコ屋。なんの店かちょっと見にはわからないよろずやなど、2,3件の店。夏の夕暮れに、道路に店の影が伸びる。その前を通り過ぎた健は、じきにほこりっぽい田舎道をそれて、緑の濃い小道に入る。
 緑の中の一本道。
 はじめのうち、健の足取りは軽い。ごく小さな声で歌を口ずさんでいる。
 だが、途中の木陰で、健は、いったん荷物を下ろし息をつく。少し苦しそうな表情。
 健が目を上げると、美しい木立の向こうに陽が落ちるところだ。

タイトル  夏

出演 …… 三宅健

        岡田准一

          *

        森田剛


 
 緑に包まれた坂道を上りきると、そこは少し高台になっていて、下の方に、木立に囲まれた家が離ればなれに数件建っているのが見える。健はその中ほどの白い家に向かう。
 だがその家の近くに寄ると、家のペンキは剥げかかっているし、まわりを取り巻く木立は手入れをされていないのがわかる。鬱蒼と茂っている雑草。健はのび放題の野バラが絡まった生け垣をくぐって家に近づく。
 こちらから見える側にはベランダがあって、最後の西日が当たっている。角を曲がった東側に、キッチンに入る戸口があるのだ。健はそちらに向かう。
 ふと見ると、その戸口の前に人の足が見える。くたびれた運動靴だ。戸口の前の階段に、誰か腰掛けて健の帰りを待っているらしい。こちらからの角度だと、足だけが見えて体は見えない。
 少し疲れの見えた健の顔がぱっと明るくなる。
 急に早足になった健はいそいで家の角を曲がる。確かに階段に人が座っていて、健の方を振り向いた。
 「ごめん剛、俺、バスに乗り遅れちゃって……」
 相手を確かめもせずとびつかんばかりにそう言って、はっと気がつくと、目の前にいるのは健の待っていた相手ではなかった。
 健の紙袋から、トマトがひとつ転がった。立ちすくんだままの健に代わって、相手がそのトマトを拾った。健は警戒した声で言う。
 「お前、誰だよ」
 相手は、ちょっとの間黙ったまま健の顔を見てから言った。
 「あんた、ここのうちの人?」
 「……そうだけど」
 健は身構えながら答える。なんだろう、こいつは。
 「このうち、三宅さんのうちやろ。ポストにそう書いてあるもんなあ」
 「そうだよ。だから、俺のうちだ。……おまえこそ、なんなんだよ」
 相手は、まだまじまじと健を見ている。
 「お姉さんか誰か、おらん?」
 「そんなのいねえよ。俺だけだ」
 こいつ、家を間違えて来たのかも知れない。健はぶっきらぼうに答えた。相手はそんな健を見て、口を開いた。
 「……俺、森田さんに頼まれてここに来たんや」
 待っていた相手の名を言われて、健の瞳がとまどうような色に変わった。
 「剛から?」
 「そう」
 「……なにを?」
 「あんた、三宅健さんやな」
 確認する言葉に健は頷く。それを見て、やっと相手が言った。
 「森田さんな、帰るの遅れるそうや」
 「……」
 「3,4日遅くなるって。そう伝えてくれって言いはった」
 しばらく黙ってから、健が口を開いた。
 「どういうこと? おまえ、剛とどういう知り合い?」
 「俺か? 俺は、岡田准一、言うんや。森田さんとは……、まあ、先輩、後輩、と言うか」
 岡田は言葉を濁した。
 「……学校の?」
 「学校やないけど、まあ、そんなもんや」
 「……」
 健は岡田から視線をはずして考えているようだったが、とうとう聞いた。
 「……剛、今、誰といるの?」
 「誰とって?」
 「……恋人とか……」
 つぶやくように言った健の言葉を聞いて、一瞬驚いたようだった岡田は、すぐににやにやして健の顔を見た。それに気がつくと、健はむっとした顔に変わる。黙ったまま荷物を下に置いて、後ろポケットから取り出した鍵をドアの鍵穴に突っ込む。背後から岡田が尋ねた。
 「あんた、ひとりでここにいるの?」
 「……」
 健は答えずにドアを開く。
 「なかなかええうちやな。けど、あんたのこと1時間は待ったで」
 岡田はどうやら健の乗り遅れたバスに乗ってきたらしい。この辺は、1時間に1本しかバスが通らない。
 健が下に置いた荷物を持とうとすると、それは先に岡田が抱えていた。健が中にはいると、あたりまえのように荷物を持った岡田もついて入ってくる。
 「中もしゃれてるなあ。……こんなうち、あんたみたいな子供が好きにしてええん?」
 キッチンを見回しながら岡田が言う。健は答えずに窓を開けた。
 「……ブルジョワなんやな」
 岡田が言う。その言葉が嫌な感じがして、今まで黙っていた健は振り向いて怒鳴った。
 「そんなことおまえに関係ないだろ!」
 そう言われて、荷物をテーブルに置いた岡田はちらっと反抗的な目で健を見たが、すぐに視線をそらせた。それがきっかけになってとうとう健は怒鳴った。
 「はっきり言えよ! ……おまえ、剛とどういう知り合いなんだよ!」
 岡田はまだキッチンの中を見回していたが、健に尋ねられると、大きな黒い瞳をあげて健を見据えた。思いがけず健はたじろぐ。だが、健はそのまま続けた。
 「さっきから聞いてるんだろ。わかるように説明しろよ。……わけわかんねえよ」
 岡田は答えないまま目をそらせた。
 「わけわかんねえよ。……剛に頼まれるって……。いつ、どこで頼まれたんだよ!」
 「……」
 「なんで剛、今日は帰れねえんだよ! 理由はなんなんだよ!」
 「……」
 健の声が小さくなる。
 「剛はいつも……、勝手にふらっとでかける。どこでなにしてるのか教えてもくれないし……。東京を離れたらそんなこともないだろうって思ってたのに……」
 「……」
 「昨日。気がついたらいなかった。明日の夜までには帰るって。そんなメモだけ置いて……」
 「……」
 「だのに……、突然見も知らない奴が来て剛は帰るのが遅くなるなんて言って……、理由も知らずに納得できるかよ、そんなこと……」
 健は唇を噛むようにして口をつぐんだ。その代わりのように岡田が口を開いた。
 「あんた、三宅さん……」
 ためらうような口調だ。
 「ほんとに知らんの?」
 「なにをだよ」
 「森田さんが……、どういう人か、なにも知らんの? 全く? ほんまに?」
 健は目を見開いた。急にめまいがしそうになった。なにも答えられない。
 「……あんた、ほんまになにも知らないで、森田さんのこと、こんなところに住まわしてたの?」
 「……」
 岡田の言葉が胸に突き刺さった。うつむいてしまった健の顔を見て、岡田は口をつぐんだ。それから不意に語調を変えた。子供をあやすような声だった。
 「……そんならそれでええん。……森田さん、あんたのこと気にしてたで。体、弱いんやって?」
 「……」
 「それで、俺に、自分が戻るまであんたについててって頼みはったん」
 「……」
 「そんな顔するなや。大丈夫やて。3,4日なんてすぐや。森田さん、すぐ帰って来るって」
 泣きそうな顔の健に、岡田がなぐさめるように言った。
  
 なにも食べる気がしなかったが、一人ではないので、面倒だったが朝食用に買ってきたパンと、野菜を切っただけのサラダにハムをテーブルに並べた。夜になると、驚くほど涼しくなった。
 「ええなあ、ここは。東京は夜でも暑くてかなわん。俺の住んでるとこなんか蒸し風呂や。あれは人間が住むとことちゃう」
 健は黙って皿をつつき回す。
 「……でもあんた、いつもこんな田舎に住んでるわけやないやろ。……これ、別荘かなんかなんやろ?」
 詮索じみた岡田の言葉に、健は面倒そうな声を出す。
 「すっごく不便なとこだよ。車ないと」
 「テレビもないんか」
 岡田が部屋を見回す。
 「2階の寝室にはあるけど、映らないよ。テレビなんか見る必要もないからかまわないけどね」
 「へえ」
 答えながら、岡田はちらっと伺うように健の顔を見た。健はなんでもなく話しているようでいて、決して岡田の顔を見なかった。
 「電話も通じないよ。ここはずっと使ってないから親父がはずしたらしい」
 「……あんたが森田さんとここにいるって、お父さん、知ってるの?」
 「さあ」
 健が投げやりに言う。 
 「知らないんじゃないかな、きっと。知ってたってどうってことないけど」
 岡田はそれ以上なにも言わなかった。
 「あんたは1階のゲストルームで寝て」
 健は立ち上がりながら言った。
 「リネン類は部屋の戸棚に置いてあるから。好きに使って」
 そう言って去った健の皿には、パンもサラダも、ほとんど手つかずで残っている。岡田は健の後ろ姿を見て肩をすくめたが、またむしゃむしゃとパンを頬張る。

 すでに家の中は明るい光で満ちている。
 疲れ切った表情で階段を降りていた健が、キッチンの物音に一瞬はっとした表情をする。
 だが、開いたドアの向こうに岡田の後ろ姿が見える。岡田に気がついた健は、がっかりしたようなほっとしたような顔を見せる。
 「おはようさん。勝手に使わせて貰ってるで」
 キッチンに入ってきた健に、フライパンを手にした岡田が振り向いて声をかける。
 「今、飯作ってるからな」
 いいながら、岡田は大声をあげた。焼けたフライパンに触れてしまったらしい。
 「あちちちち!!」
 「……だいじょぶかよ」
 「平気や」
 言いながら岡田はフライパンの中身を崩さずにきれいに皿に盛った。
 「ほーら」
 岡田が目玉焼きの乗った皿を健の前に置いて得意そうな声を出す。
 「きれーにできたやろ。飯も炊けとるし、みそ汁もあるで」
 健がぼんやりしているまに、食べ物が健の前に並ぶ。
 「あんた、ゆうべ、あんまり食わへんかったやろ。顔色悪いで。……あ」
 箸を出し忘れたのに気がついて、岡田は食器棚の中を捜す。
 「ほれ、食え」
 そう言いながら自分の前に置かれた箸を、健はじっと見る。
 「……これ、剛のだよ……」
 「そうか」
 岡田はもう一度食器棚を見て、別の箸を出した。
 健はまだ食べ始めない。
 岡田は自分の分をよそると、健より先に食べ始めた。
 「うまいで。……食わんの?」
 「ううん」
 形ばかり箸を動かしながら、健は岡田に言う。
 「腹減ってるんなら、冷蔵庫に、昨日買ってきた肉だのいろいろあるだろ。食っていいよ」
 「ああ。なんや、いい肉買ってあったなあ」
 岡田は食いながら言う。
 「あんなの、俺、食ったことない。ええよ」
 「いいよ。食欲ないんだ。……どうせ剛が帰ってくるまでには悪くなっちゃうし。おまえ、好きなときに食えよ」
 「へえ。じゃ、夜はビフテキかあ。……いいんかなあ、俺、こんなことしてて……」
 岡田はちょっと考えて、
 「ま、いいか。……森田さんの頼みなんだから」
 すぐにまた飯の続きを食い出す。健はそんな岡田をじっと見ている。

 やっと日差しが斜めになってきて、健は思い立って外に出た。
 岡田は上半身裸になって、芝生の上に寝ころんでいる。どこかにあった麦わら帽子で顔を半分隠すようにしている。
 「なにしてんだよ」
 「焼いてるんや。俺、土方焼けだから」
 健はそのそばを通って、丈の高い雑草だらけの庭を抜ける。
 「三宅さんどこへ行くん?」
 後ろから、あわてたように岡田が声をかけてくる。
 「散歩」
 「……俺も行く!」
 健がなにも言わないうちに、岡田はシャツをはおって追いかけてきた。
 「いいよ、ひとりで。ついてくんなよ」
 「つれないこと言わんと。ここら辺なにも知らんのやから、一緒につれてってや。することないんや」
 健は黙って家を取り巻く木立を抜ける。岡田は珍しそうにあたりを見回しながらついてくる。木漏れ日が二人の上に揺れる。
 蝉の声の中を、ふたりは黙って歩き続けた。
 日陰はまだいいが、少し林が途切れて日向に出ると、暑いと言うより、目がくらむ。健は顔をしかめて足をゆるめた。
 あちこち見回しながら歩く岡田はそんな健の様子には気づいてもいないようだ。もう、坂道は山に入っている。
 
深い緑の中に水の音がして、渓流があることを知らせた。急に空気がひんやりする。
 「きれいやな」
 まわりをみながら岡田が言う。健も視線をあげる。
 木々のあいまの光がちらちらする。ほんの少しだけれど、この間来たときとその光が違う。夏は微妙に姿を変えていく。
 「おっ、川や!」
 うれしそうに言うと、岡田は身軽に流れのそばに降りていった。小さな崖と木の陰に岡田の姿は見えなくなる。
 「ここにええ場所があるで! 来てみ」
 声だけが聞こえた。健がゆっくりと後を追う。
 「ここや」
 岡田は得意そうに、流れのそばに立っている。まるでそこだけ切り開いたように、ちいさな空間があった。背中側に人の背丈ほどもない崖、足もとは美しい緑の苔である。
 「隠れ家みたいや」
 つぶやくように言って、岡田は流れに手をひたす。
 健はそれを黙って見ていた。
 「誰も来ないんやなあ、こんなところに。ハイカーとか」
 岡田が不思議そうに言う。
 「……来ないよ、こんなところ。なにもないもん」
 「そおかあ? ええところやないか」
 「ただの小さな山じゃないか。名前だって知らないよ。三十分も歩いたら裏の県道に出ちゃうよ」
 「んー。ここらじゃそうなんやろなあ。……オレなんか、ごみごみしたところしか住んだことないから、これでもすごい自然に思えるけどなあ」
 「自然ったらここらどこも自然だらけだよ。珍しくもない」
 「まあなあ」
 岡田は川を見ながら言った。
 「ゴミの入ってない川はええもんや」
 健は急に、
 「……帰るよ!」
 そう言ってくるりときびすを返す。
 岡田は驚いて後をついてきた。
 「……なに。なんかあったん?」
 「なにもねえよ!」
 健は乱暴に言った。
 「つまんねえや、こんなとこに居ても」

*            *

 ……ここに来てすぐの頃、剛がふらっと出かけたままなかなか帰って来ない日があった。はじめはその辺をぶらついているのだろうと思っていたが、1時間2時間経つうちに不安になった。自分を置いてどこかに行ってしまったのではないだろうか。あちこちをあてもなく捜し、最後に、この森に入った。7月の長い午後だった。泣きそうな気持ちで緑の中を踏み分けていたとき、水の音がした。もしかして、とのぞき込んだ茂みの下の方に剛はいた。ひんやりと涼しい渓流沿いの隠れ家じみた緑の中で、剛は、翳った川面をじっと見ていたのである。健はしばらくそのまま剛を見つめていた。そのうち剛はやっと顔をあげた。知らずに音を立てたのだろうか、剛は警戒するまなざしでこちらを見た。自分を見たそのまなざしに、見慣れているはずなのに胸が高鳴った。剛の傍らまで茂みを下りた。剛はまた川面に視線を戻していた。黙ったまま剛の隣に腰を下ろした健は、やはり黙ったまま剛の腕を抱いた。その暖かい感触に安堵しながら、なんだかこれが本当のことではないような気がした。ずっと探していたと、言えば言えた。だが、健はなにも言わなかった。剛が隣にいれば、もうそ れでよかったのである……。


*            *


  いかがでしたか?
 ほんのちょっぴりだけど、あぶない系? でも、「同窓会」なんてドラマが放映されたことを考えれば、ちっともあぶなくないですねえ。
 すごくちんたらしてるんで、あきちゃった方もおおぜいでしょうね。(泣) でも、あと何回かは連載しますんで、よろしくお願いします……。(98.7.4 hirune)


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