第4回

 剛はしばらく黙って、それから言った。
 「……そんなこと、考えたことねえよ」
 「……そう?」
 「ああ」
 「ふうん」
 「じいちゃんの話を疑ったことなんかなかった。じいちゃんの話が嘘なら、じいちゃんの角はなんだ? どうして里のやつらはオレたちを鬼の子って呼ぶんだ?」
 「……」
 「健。オレたちは鬼だろ。いつかじいちゃんみたいな角が生えて鬼になる。そうならないなんてこと、あるのか?」
 「……」 
 「そんなこと、あるのかな?」
 独り言のように剛がつぶやく。健もつぶやいた。
 「……あるかもしれないと思わない?」
 それを聞くと、健を見ないまま、剛が尋ねた。
 「……もし鬼じゃなかったら、健はどうするんだ。……ここを出てくのか」
 健は剛を見て首を横に振った。
 「そんなこと言ってないよ」
 「……」
 「オレ、剛と離れたりしない」
 「……」
 「今のままでいいんだ。……ただ、ほんの少しでもいい、自分たちが暮らすほかに、なにか人の役に立つようなことが出来たらすごくうれしい」
 「……あいつを助けることか」
 「……うん。それとか、いろいろ。よくわからないけど」
 剛は、しばらく黙ったままだった。健も黙っていた。お互いに離れることなど考えられないくらいいつも一緒にいるふたりなのに、こんなことを話し合ったのは初めてだった。
 「明日は里に行ってみるよ」
 突然、剛が言った。
 「……え?」
 「薬屋が置いていった金があるだろう。あれだけあれば、里で、冬の間食う稗や粟がじゅうぶん買える。いくら鬼の子とバカにされようが、金さえ持っていけば物は買えるからな」
 そう言うと剛は、自分を見ている健を見て笑った。 
 「……大丈夫だ。オレたちは飢えやしねえよ。……昼間は、おまえを脅しただけだ」
 「剛」
 「飢えやしねえ。あの男だって食わせて、まだ足りるさ」
 「……」
 「オレたちは冬中ぬくぬくとしてても飢えやしねえ。大丈夫だよ、健。ここで暮らす方が、貧しい村よりかよっぽど面倒もねえし、いい暮らしができるんだ。そうだろ?」
 「……」
 剛のその言葉を聞いただけで、健には、それが全部ほんとうのことなのだとわかった。たとえ他に誰も頼る者もなく、ふたりきりで人里離れた山家に暮らしていても、剛さえいれば大丈夫なのだった。
 「うん。そうだよね」
 健が頷き、安心したため息をついた。
 「よかった……」
 それを横目で見て、剛が立ち上がった。
 「中に入るか」
 「うん」
 ふたりは、くるまっていた毛皮を抱えて立ち上がり、破れた軒を出た。健が天を指さした。
 「剛あれ見て。三ツ星だよ」
 東の空に、ちょうど今空に出ようとする三ツ星をみつけたのである。だが剛はそれを見もせず、
 「また咳が出るぞ」
 とだけ言って歩き出した。健は剛のあとを追って、隣に並んだ。
 

 秋も終わりの日々が続いた。
 剛は、村里で買えるだけのものを買って来た。そのほかにも、剛は連日山からこの秋最後の実りを採り集めてきたし、健は、それらをぬかりなく保存した。しかし、菊の花も散る中で、怪我人のようすは変わらなかった。
 剛にも健にも、怪我人がどうなるのか、快復するのか、二度と起きられないのか、皆目見当もつかなかった。
 

 はじめて山に雪のちらついた日のことである。
 水汲みから戻った健が、妙な音がするのを不審に思って座敷をのぞくと、驚いたことに、怪我人が、ひっかくように爪を立てて、必死で壁につかまり、立とうとしているのだった。
 びっくりした健は、しばらく言葉もなくそのようすを見ていたが、怪我人がよろけて倒れたのを見て、はっと我に返った。
 「……大丈夫!?」
 健はあわてて座敷に駆け上って、怪我人の体を起こした。
 健に肩をつかまれ、怪我人が振り返った。今までぼんやりとしか自分を見なかった怪我人の黒い大きな瞳に、今は意志の強い光がともっていることに、健は気がついた。
 「……誰だ……?」
 健を見て、怪我人がかすれた声を出した。
 「誰って……」
 健はとまどって答えた。
 「オレは、健だけど……」
 「けん?」
 「……そう」
 怪我人は、不審そうにあたりを見回した。どうやら、今初めて、彼に意識がはっきりと戻ってきたようだった。
 「……ここは……?」
 「……オレと剛の家だよ。……あんた、崖から落ちて大怪我したんだ。……剛がうちに運んで来て、それからずっとオレがあんたの面倒見てた」
 「……崖……」
 「覚えてないの?」
 「……」
 「体、もう、痛くない?」
 健の問いに、怪我人は答えず、口の中でなにかつぶやいた。
 「……なにか言った?」
 健が聞き返す。怪我人は、なおも繰り返しつぶやいている。
 「戻らねばならん。……一刻も早く……。戻らねば」
 「戻る……?」
 健が尋ねた」
 「……どこへ?」
 尋ねて、健は怪我人をみつめる。健の言葉に、怪我人は、なにかを考えるように唇をかみ、口をつぐんだ。しばらくして怪我人は、呆然とした表情で顔を上げ、健をみつめた。
 「? どうかした?」
 怪我人の表情を不審に思って、健は再び訊いた。怪我人は、健から目を離さぬまま、言った。
 「……わからぬ……」
 「……え?」
 「オレはどこに行くのだった……? どこに戻ろうとしていた?」
 「……どこにって……?」
 「わからぬ。オレは……、いったい……」
 頭痛でもするように、怪我人がうずくまって頭をかかえた。
 健は、あわててそんな怪我人を抱きかかえた。
 しばらくして、戸口に音がした。健が振り向くと、そこには山から帰ってきた剛が立ちつくし、怪訝そうな表情でこちらを見ていた。 


 「覚えてないんだ」
 「……」
 「どうして崖から落ちたのかだけじゃなく、自分の名前もわからないんだ」
 「……」
 「でも、自分は行かなきゃならないって、うわごとみたいに言ってた」
 「ふん」
 闇の中で剛が寝返りを打つ。
 「ねえ、どうすればいいと思う? せっかく気がついたって言うのに」
 剛の隣の夜着の中の健が、身を乗り出して尋ねた。
 「知るか」
 「……剛」
 「あいつがどこの誰かなんてオレの知ったこっちゃない」
 「でも……」
 健がしゃべりかけたが、剛はもう、その話の続きを聞く気はないようだった。健と反対側を向いて黙ってしまった。健はため息をつくと、眠っている怪我人の方に目をやった。


 翌朝、起きてすぐ健が怪我人の様子を見ると、すでに目を開いていた怪我人は、ゆっくりと顔を動かし健の顔を見た。
 「……どう? なにか思い出した?」
 健が尋ねた。だが、怪我人はどこか気力を失ったように、なにも言葉を発しなかった。剛が出かけてから、健は怪我人に粥を運んだ。
 「粥だよ」
 健はいつものように匙に粥をすくったが、怪我人はそんな健の顔を見るだけで、健が粥を口に近づけても、口を開こうとしない。
 「どうしたんだよ」
 いくら食べさせようとしても怪我人が口を開かないので、じれてきた健は、強い調子で言った。
 「せっかく頭がはっきりしたみたいなのに。これじゃ、今までの方が手間がなかったよ。今までおまえ、寝ながらもちゃんと飯は食ってたんだぞ」
 怪我人は無表情にそう言う健の顔をじっと見て、その言葉を聞いている。健は、ため息をつくような気持ちで、そんな怪我人の顔を見た。しばらくふたりはにらみ合ったが、やがて、健は根負けしたような顔になった。
 「ほら、口を開けろよ」
 もう一度、健はやさしい声で言った。
 「おまえね、もう少しで死ぬところだったんだぞ。大怪我して、ずっと眠り込んでた。でもおまえ、そんなふうでもどうしても生きようとしてた。水も飲んだし、少しずつだけど飯も食ってたんだ」
 「……」
 「ね、オレの言ってること、わかるんだろ? ……オレ、おまえの世話をしながら、だんだん顔色がよくなるのを見るのが楽しみだった。昨日おまえが立とうとしているのを見て、驚いたけど、すごくうれしかったんだよ。しかもちゃんとしゃべれたし、オレの言ってることもわかったし。だから、もっとよくなって欲しい。……急にいろんなことがわかるようになったから、とまどうのはわかるけど……」
 「……」
 「とにかく飯食わないと始まんないだろ。……ほら」
 怪我人は、匙を差し出した健の顔をじっと見た。そして突然、なんとかして身を起こそうとした。
 「いいんだよ、寝てて!」
 健はあわてて怪我人を止めようとしたが、
 「……平気だ」
 怪我人は、はっきりと声を出した。
 健に手助けされてながらも怪我人はどうにか座った。そして、震える手で椀を手に取ると粥をすすりはじめた。
 手が震え、怪我人は粥をずいぶんこぼした。健は痩せこけた怪我人が粥をすするのを、目を見張って見守った。食い終わると、怪我人は再びじっと健を見た。
 「どうしたの? もっと食べる?」
 不審に思った健が尋ねると、怪我人は、健から目をそらさずに言った。
 「オレは、そなたたちがいなければ、とうに死んでいたのだな。オレの命は、もうオレひとりのものではない」
 「……」
 「けん、と言ったな。……手間をかけさせて、すまなかった」
 言い終わって、怪我人は深々と頭を下げる。
 ぽかんとして怪我人の言葉を聞いていた健は、しばらくしてやっとあやふやな声を出した。
 「……別にそんなこと言わなくて、ちゃんと食べてくれればいいんだよ」
 座って粥をすするだけでも、怪我人にとってはかなりつらいことに違いなかった。健はすぐに怪我人を寝かせた。怪我人は素直に言うことを聞いた。怪我人が横になると、健は今度は、手早く山に行く身支度をした。
 「オレも薪を拾いに行って来る。剛がいないうちに行って帰らないといけないからね」
 草鞋を結びながら、健は半分はひとりごと、半分は怪我人に言い聞かせるように言った。
 戸口を出ようとして、健は足を止めた。そして、怪我人の方をふりむいた。
 「……さっきは怒ってごめんね」
 「……」
 「気がついたら大怪我して、知らないところで、知らない人間といたんだから、どうしていいかわからないよね。そんなのにあんなふうに言わなくてもよかったのに、ごめん」
 「……」
 怪我人は頭を横に向けて健を見ていた。そんな怪我人に、健はちょっと笑ってみせる。
 「ここは、オレと剛しかいないから、なにも気を使わないでいいんだ。頭なんか下げなくていいんだよ。ただ、早く元気になってくれればいいんだ」
 怪我人は答えなかったが、健はそれだけ言うとすぐに外に出た。
 この冬、どれだけ雪が降るのかは、雪が実際降ってみないとわからない。薪はいくらあってもありすぎるということはなかった。剛に知れたら怒鳴られるだろうが、健は少しでも冬の暮らしを安心できるものにしておきたかった。
 館を離れたところで、健は、激しい咳の発作に襲われた。息が止まるかと思うくらい長い間その場にうずくまり咳き込んでから、健は立ち上がり、山に向かって歩き出した。


 意識を取り戻してから、怪我人の体は一日一日順調によくなり、一月もすると日常生活に差し障りはなくなった。
 健は怪我人に病気を知られないようにしていたが、長い時間を一緒にいる相手に、毎日起こる咳の発作を知られないわけには行かなかった。
 ある日、怪我人の前でひどい咳の発作が起きた。驚いた怪我人は懸命に健の背中をさすり、しばらくして健の咳はようよう止まった。咳が止まると、健は自分を心配そうに見ている怪我人にすぐに言った。
 「このこと、剛に言っちゃだめだよ」
 怪我人は、ためらいながらうなずいた。そんな怪我人を見て、健は強く言った。
 「絶対だよ」
 しばらくするうちに、雪の日が珍しくなくなった。
 その日、薄暗い囲炉裏端で、健と怪我人は箕(み)を編んでいた。秋に採っておいた藤蔓を形を整えて箕に編んだものは、春になれば市で売ることができるのだ。健は器用に蔓を編み、怪我人のほうは、健に言われるままに、蔓を削って形を整えてた。剛は出かけている。ふたりはそれぞれ黙り込んで作業をし、雪に降り込められた部屋の中は、パチパチはぜる火の音だけが聞こえた。
 そのとき、松の脂にでも火が着いたものだろうか、ごうっという音と共に、急に囲炉裏の炎が燃えたった。藤蔓を火にかざして丸めていた健は、あわてて手を引っ込めた。
 「あつ」
 健は顔をしかめた。怪我人は顔を上げたが、ふいに、ゆらめく火に目を留めた。そのまま怪我人は、火の勢いに心を奪われたように手を止めた。
 「……?」
 健は、そんな怪我人を不思議に思って見守った。
 「……どうかした?」
 健が尋ねると、怪我人は、はっと目を上げた。
 「いや」
 「火の粉がはねた?」
 健が訊く。だが、怪我人は、また、
 「いや」
 と答え、それから、
 「妙な心地がした」
 と小さくつぶやいた。
 「妙なって?」
 「……誰かの声が聞こえたような……」
 そう答える怪我人の目の色が、いつもと違う。健は慎重に尋ねた。
 「……なんて?」
 「……じゅん……」
 そこまで言って、怪我人が、頭を振った。それ以上は思い出せないらしい。
 「じゅん」
 健が繰り返す。
 「……」
 「それ、あんたの名前なのかな」
 「……オレの名……」
 「あんた、どこのどんな人なんだろうね」
 言われて、怪我人が健からそっと目をそらす。
 「……知りたい?」
 「……」
 「あたりまえだよね」
 怪我人はなにも答えなかったが、健はひとりで言ってひとりでうなずいた。そして、いいことを思いついたというように、声を弾ませた。
 「そうだ。春になって市(いち)に行ったら、あんたのこと知ってる人もいるかもしれないよ」
 「……市」
 「うん」
 健はうなずいて、それからすぐに口の中で繰り返した。
 「じゅん、じゅんか」
 「……」
 「オレ、これからあんたをじゅんって呼ぶよ!」
 とまどうような怪我人に、健はそう言って笑った。

(続く)


 カミセンのドラマ、とうとうみんな終わっちゃいましたね! どれもそれぞれの個性に合ったドラマだったので満足でした(^^) 楽しかった3ヶ月だったね。

(hirune 2000.3.26)

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