JUST FOR YOU

(第6回)

 博と准一は大きく息を吐いた。なぜだ。こんどはどこへ飛ばされるというのだ。
 准一が、つかみかかりそうな勢いでケンに尋ねた。
「何で俺らやねん」
「シンクロナイズ、つまり同調が影響するんです。お二人の精神と、時空のひずみが同調するからです」
 モニターは、赤と青の波形を映し出した。それぞれ、違う波長で波打っている。
「これがお二人の精神だとします」
 波形は次第に同じ波形に重なり始めた。
「時空にひずみが生じたとき、二人の精神は同調していました。そこに」
 こんどは黄色い波形が現れた。これも赤と青の波形に重なっていく。
「時空のひずみとお二人の精神が同調しました」
 三色の波形は一つの白い波形となった。
「これが、お二人がここへきた原因です」
「何や、わからんなあ」
「精神が同調している、というのはどういうことだ」
 博が尋ねると、ケンはじっと博と准一を見た。
「お互い、同じ感情を持ち、心が、相手のことで一杯になっている、ということです」
 博と准一は、お互いを見つめ合った。
 あの時。博が准一の胸ぐらをつかんでいた時。博の心は、准一への怒りで一杯になっていた。准一の心も、同じように博への怒りで満たされていたのだろう。
 憎悪と憎悪が同調していたのだ。
 博は、ケンの方へ向き直った。
「さっき言った、また時間を移動するかもしれない、というのはどうしてだ」
「時空のひずみはが精神と同調するからです。お二人の精神は一度同調したので、同調しやすくなっています」
「またここに来るんか」
「それは分かりません。過去に飛ばされるかもしれません」
「時空のひずみは必ず起こるのか」
「はい」
 ケンは、そう答え、空になったカップをマーサに渡した。
 マーサは、博と准一のカップも受け取り、奥に消えた。
「お二人を戻すときに、人工的に時空のひずみを作り出して、時間の壁に穴を開けます。そこから、お二人を戻します。しかし、前回、お二人がここへ来た時と、これから戻る時、二回のひずみが生じたままだと、その反動がいつか起こります。いつ何が起こるか分からないのでは困りますから、それを修正するために、わざと逆方向のひずみを生じさせ、プラスマイナス・ゼロにします」
「そん時に、また俺ら……」
「はい、時間を移動してしまう可能性があります」
「防げないのか」
「防げます」
 ケンは簡単に答えた。
「精神が同調しないようにすればいいのです。しかし、機械を使ってそうすることはできません。お二人が、ここへ来た時とは全く違う精神状態にならなくはなりません」
「それなら簡単やろ」
「それが……」
 ケンは言いよどんだ。
「それが、どうなんだ」
「その時、お二人は、それぞれ違う人と精神を同調させておかなくてはならないんです。他の人の精神に同調させておくことで、時空のひずみに同調するのを防ぐんです」
 博は、少しの間、ケンの言ったことの意味を考えた。
「それは、ほかの誰かの精神で、僕たちをつなぎ止めてもうら、というようなことなのか」
「はい。そういうことです。そういう相手がいないと……」
 有紀……。有紀がいる。有紀となら、精神を同調させられるはずだ。
「大丈夫だ。きっと……」
 博は言った。
「俺も」
 准一が言った。その声には自信が感じられた。
 ケンは頷いたが、目を伏せてこういった。
「しかし、最悪のケースも考えられます」
「もっと悪いこともあるんか」
「はい……」
 ケンは、目を伏せたまま頷いた。
「どんなことが起こるんだ」
 博が尋ねると、ケンは顔を上げて答えた。
「お二人が、それぞれ違う人と精神を同調させていた場合、その人も巻き込んでしまう可能性があります」
「相手も一緒に時間を移動する可能性があるのか」
「その可能性はゼロではありません」
「俺だけやのうて、幸ちゃんも一緒にか」
「幸ちゃん?」
 ケンが訝しげに准一を見た。准一ははっとして博の顔色をうかがった。しかし、博の顔に怒りはなかった。
「お、俺が同調したい相手や。その相手も一緒に移動してしまうんか」
「最悪の場合、そうなります」
「道連れにしてしまうんか……」
 准一は博の顔を見たが、博は准一を気にせず、ケンに尋ねた。
「その確率は?」
「僕の計算では六パーセントです」
「それなら、そうならない可能性の方が圧倒的に強いんだね」
「はい」
「いずれにしろ、二〇〇〇年に戻るには、それだけのリスクを背負わなくてはならないんだね」
 ケンは頷いた。
「分かった。ええやろ。とにかく、戻してもらお」
 博はその言葉に頷き、こう言った。
「修正するためのひずみは、いつ生じるんだ」
「お二人が戻って九十分後です」
「もっと遅くできないのか」
「遅くすると、ひずみが大きくなって、修復できなくなります」
「僕たちは、ここへ飛ばされた時間に戻れるのか」
 ケンは首を振った。
「時間の螺旋は平行して流れています。ここにいたのと同じ時間だけたった時間に戻ることになります」
「戻る場所は」
「お二人がいた場所です」
 博は時計を見た。もうまる一日近くここにいる。向こうに戻れば、二人が公園にいたときと同じ夜になっているはずだ。
 有紀は部屋に戻っているだろう。九十分あれば間に合う。
 博は言った。
「よし。じゃあ、戻してもらおう」
 准一は頷いた。
「はい。始めましょう。お二人は、ここに来た時、最初にいた場所に戻ってください。昨日の場所に立ったら始めます。向こうに戻ったら、時間を確認してください。九十分後にまた、時空にひずみが生じます」
 博は頷き、立ち上がり、戸口へ行こうとしたが、准一はケンに歩み寄った。
「もう一遍言うけど、一緒に行かへんか」
「僕はここにいます」
「けど、この地球に一人っきりやったらどうすんねん」
「一人じゃありません。マーサがいます。それに……」
 そう言って、ケンは少し笑顔を見せた。
「イノとゴウもいますから」
 博と准一は顔を見合わせた。
 その時、マーサが出てきた。
「ご案内します」
 そう言って、マーサは先に立って歩き出した。博と准一が後に続く。
 外は再び夜のようになっていた。見上げると星が光っている。
「どうして暗くしておくんだろう」
 博には、ドームを二重にしておくのが不思議に思えた。
「ケンは、強い光に当たることができないのです」
 マーサが言った。感情を持たないはずのマーサの声には、なぜか、ケンへの暖かい気持ちが感じられた。
「そうやったんか……」
 マーサは暗闇をものともせず歩いていく。博と准一は一歩一歩足もとを確かめながらついていった。
 そうやって、三人は、ビルの廃墟の中に立った。
「ここでお待ちください」
 そう言い残してマーサは去って行った。
「戻れるんやろか」
「大丈夫だろう」
「あ、あの。俺、戻ったら、幸ちゃんと……」
「わかってる。一緒にいろ。幸に引き留めてもらえ。俺は俺で行くところがある」
「もし、最悪の事態になったら……」
 博は闇の中で准一を見つめた。
「幸を頼む」
 その時、また、ぐらりと空間が揺らいだような気がした。

 気がつくと二人は、あの時と同じ公園に立っていた。
 見上げると、蛍光灯の周りを羽虫が飛び回っている。木立の向こうから、車の走る音も聞こえる。
 博は時計を確認し、次に携帯電話を取り出した。通話できる。
「一緒に来い」
 博は早足で歩き出した。准一が続く。
 まず、幸の所へ行かなくてはならない。博は小走りにマンションへ向かった。准一は無言でついてくる。
 マンションにつくと、博はチャイムを鳴らし、幸が開けるのを待たず、自分で鍵を開けた。
「幸」
 声をかけると、幸が廊下を走ってきた。
「お兄ちゃん。どうしたの、昨日帰って……」
 幸は、博の後ろに准一がいるのを見て目を見張った。
「どうして……」
「話は後だ」
 博は、准一を自分の前に押し出した。
「幸、こいつと一緒にいろ。離れるなよ。ちょっと出かけてくるから」
 そう言って、博は外に出ると、ドアを閉め、二、三歩歩いたが、すぐに引き返してドアを開けた。
 中で寄り添っていた准一と幸が、あわてて離れた。
 博は准一を軽くにらみ、
「九十分だけだぞ。九十分たったら帰れよ」
 准一は黙って頷いた。幸は、不思議そうに博を見ている。
 博はもう一度二人を見て、それからドアを閉め、走り出した。
 外に出ると、まず、駅に向かった。タクシーでは渋滞に巻き込まれるおそれがある。
 走りながらも、手は、携帯電話の短縮ダイヤルを操作していた。
 耳に当てたまま走る。
 呼び出し音が三回なって、懐かしい声が聞こえた。
「はい」
 博は思わず立ち止まった。
「有紀。僕だ」
「どうしたの? 全然電話が通じなかったけど。どこにいたの」
「遠いところにいたんだ。今、部屋にいるの?」
「うん」
「これから行く。待っててくれ。大事な話があるんだ」
「何?」
「とにかく、会って話すから。必ず待っててくれ」
 博はまた走り出した。
 ラッシュは終わっていたが、駅前はこみ合っていた。
 人混みの中を駆け抜け、もどかしい気持ちで切符を買い、博は電車に飛び乗った。
 電車の中ではいても立ってもいられず、時計ばかり見ていた。まだ時間はある。大丈夫。間に合う。何もなければ。でも、もし、事故でもあって電車が止まったら。その時はタクシーだ。渋滞なら走ろう。有紀の所まで。
 幸い事故はなかった。
 博は、電車の中で、有紀にどう事情を説明しようか考えていた。有紀は信じてくれるだろうか。
 未来へ行ってきた。時空のひずみと精神が同調する。そんなことを信じてもらえるだろうか。
 駅についてまた時計を見る。あと二十分ある。間に合う。
 改札を抜けると、博はまた走った。
 有紀の部屋まで歩いて十分ほどだ。走ればすぐだ。
 未来では、液状のものしか口にしていなかったので、空腹ではあった。しかし、とにかく、有紀のいるところまで、一瞬でも早く行きたい。
 有紀のアパートが見えてきた。二階の、有紀の部屋に、明かりがともっている。
 博は階段を駆け上った。
 チャイムを鳴らす。
「僕だ。入れてくれ」
 声をかけると、すぐにドアが開いた。
「どうしたの」
 有紀の目は驚きで大きく見開かれた。
「よれよれになっちゃって。ひげもそってないでしょ」
 博は倒れ込むように中に入り、床に座り込んで肩で息をした。
「水を飲ませてくれ」
 有紀はコップに麦茶を注いで持ってきた。博は一気に飲み干した。
 時計を見る。まだ十分ある。
「一体どうしたのよ」
 有紀は博の顔をのぞき込んだ。
 博は立ち上がり、有紀の両肩に手を置いた。
 有紀の部屋は1DKで、奥が寝室兼居間になっている。
「聞いてくれ」
 博は、大きく息をして話し始めた。
「信じてもらえないかもしれないけれど、これから大変なことが起こるかもしれないんだ」
「何? 地震?」
「地震よりももっと大変なことだ。でもうまくいけば何事もなくて済む。それまで、あと十分だ。僕は君と一緒にいたい。今からしばらくの間、一緒にいて、僕のことだけ考えていてくれ。僕は君のことだけ考える。事情は後で話す」
 有紀は少し笑った。
「何かのゲームなの?」
 博は首を振った。博の疲れ切ったような様子と、真剣な表情に、有紀の笑いは消えた。
「ゲームじゃない。僕たちが一緒にいられるかどうかが決まるんだ。頼む、僕のことだけ考えてくれ」
 有紀は大き目で博の顔を見つめた。
「頼まれなくたって、いつでも考えてるわよ」
「もし、二人なら、どこかに行くことになってもいいかい。最悪の場合は、二人だけでどこかに行くことになるかもしれないんだ」
「二人でどこかに行くのが、なんで最悪なのよ」
「二人きりでもいいかい」
 有紀は頷いた。
「なんだかよくわからないけど、もちろん、いいわよ」
「ありがとう」
 博は時計を見た。もう少しだ。
 博は有紀を抱き寄せた。有紀は、博の顔を見上げ、しばく二人は見つめ合った。それから有紀は博の背中に手を回し、目を閉じて博の胸に顔を当てた。
 二人で一緒にいよう。六パーセントの確率の事態になって、もし二人でどこかへ飛ばされることになってもいい。
 妹と二人で暮らした日々が、夢の中のできごとのように思えた。
 そして、わずかな時間だが、一緒に過ごした准一のことを思った。万一のことになったら、幸を頼む。
 それから、ドームで暮らしていたケン、マーサ、イノ、ゴウのことを思い出した。
 何もかも、遠い昔のことのような気がした。
 今、この瞬間、大事なのは有紀と一緒にいることだった。
 有紀のことだけを考えよう。有紀も僕のことだけを考えてくれているはずだ。
 きっと、准一と幸も、同じようにして互いのことだけを考えていることだろう。
 博は腕時計を見た。そしてまた目を閉じ、有紀を抱きしめた。
 時計の針は、ひずみの生じる時間を目指して、時を刻み続けていた。

(「JUST FOR YOU」・終)


JUST FOR YOU・トップへ

メインのぺージへ