JUST FOR YOU

(第2回)

 気がつくと、二人は、工事現場のような所にいた。あたりは暗い。
「どうなっとんねん」
 准一は不安そうに博を見た。博は空を見上げた。満天の星が光を放っていた。星はこんなにあったのか。そんなことを考えた。自分たちがどこにいるのかは、全く理解できない。
「俺ら、どこにおんねん」
 准一の声は震えていた。そう言われても博には答えようがない。
 その時、横手に光が現れた。よく見えなかったが、建物があり、その建物のドアが開いたのだ。
 逆光で、顔は分からないが、男が立っているようだった。博は身構えた。
「けがはありませんか」
 男が言った。
「わたしの言葉が分かりますか」
 博と准一は、顔を見合わせた。
「分かりますか」
 男は重ねて尋ねた。
「分かるけど……」
 博は、そう答えながら、准一の前に立った。准一は、博の肩越しに、男の様子をうかがった。
「こちらへどうぞ」
 男は、わきへどいて、二人を招き入れようとした。
「中で事情を説明します」
 博は少し迷ったが、思い切って足を踏み出した。一体何が起こったのか全く理解できない。話を聞けば、何か分かるかもしれない。
 准一は黙ってついて来た。
 二人が中にはいると、男はドアを閉めた。博が予想していたよりは若い男だったが、その若さはどこか不自然だった。二十代前半にも、三十代後半にも見える。水色の、ゆったりしたパジャマのように見えるものを身につけている。
 中は明るく、白い壁に囲まれ、ソファーとテーブルが置いてあった。ほかには、調度品と呼べるようなものはない。
「おかけください」
 男はソファーを示してそう言うと、奥へ続くドアを開け、姿を消した。
 博と准一は、ソファーに腰を下ろす気にはなれず、立ったままでいた。
「どうなっとるんやろ」
 准一がつぶやいた。
 男が消えたドアがまた開いた。出てきたのは男ではなかった。博と准一は目を見張った。出てきたのは、車椅子に乗った少年だった。これもやはり、水色の、ゆったりしたパジャマのような衣服に身を包んでいる。車椅子の肘掛けには、スイッチがいくつかついていた。
「どうぞおかけください」
 少年は穏やかな声で言った。博と准一は、とりあえず並んで腰を下ろした。
 少年は車椅子をテーブルに寄せ、二人をじっと見た。
 知性のありそうな顔立ちだったが、まなざしは、不安定なものを感じさせた。肌は小麦色だったが、病弱な感じがする。
「ここは?」
 博が尋ねた。
「ここは……僕の研究室です」
「研究室……」
「お二人には、申し訳ないことをしました」
「俺らを何かの実験材料にしたんか」
 准一は少年をにらみつけた。
「違います。お二人をねらった訳じゃありません。偶然なんです。ほかの時空にこんな影響が出るなんて……」
 少年は目を伏せた。博は首を捻った。確かに「時空」と聞こえたが、何を言っているのだろう。
「事情を説明してくれる、という話でしたが」
 博はできるだけ冷静になろうとした。少しでも情報を得て、何があったのか知りたい。
「お二人は、西暦二〇〇〇年の人ですよね」
「何言うとんねん」
「とにかく最後まで聞いてください。今はお二人にとっては未来の時代です」
 これは夢だ。博はやっと納得した。今、夢を見ているんだ。少し気が楽になった。
「タイムスリップってやつか」
 博は軽く言った。夢と分かった以上は楽しませてもらおう。どうせ夢なんだから。
「はい」
 少年は頷いた。
「頭おかしいんとちゃうか」
 准一は、博と少年を見比べた。
「なぜこういうことになったか、説明するのは難しいんですが……」
 少年が話し始めたとき、轟音とともに建物が揺れた。揺れは一瞬で、すぐに収まった。
「地震や」
「いいえ……。攻撃されたんです」
 少年は、奥へ通じるドアの方へ体を向け、そちらへ向かって車輪を回し始めた。しかし、少年がドアを開けるより早く、中からさっきの男が出てきて、少年に向かって言った。
「シールドが一部破られました」
「侵入者は?」
 男の背後に、壁一面の計器らしいものが見える。
「捕捉しました。捕獲しますか」
「頼む。マーサ」
 マーサと呼ばれた男は、ドアを閉めると、無表情のまま、部屋を横切り、外へ出ていった。外は相変わらず暗い。
「説明を続けます」
 少年は、テーブルの脇へ車椅子を戻した。
「いったいどうなっとんねん」
「戦争してるんです」
「誰と誰が。日本とどっかの国が戦争になったんかいな」
「日本の中で、です。内戦といった方がいいかもしれません。でも、世界中どこででも戦争状態になってるようです」
 博は少しいらいらし始めた。ずいぶん長い夢だ。少年は話を続けた。
「最初は思想的な対立が原因のはずだったんですが、今ではただの勢力争いです。互いに殺し合っています」
「いつから」
 博が口を挟んだ。
「僕が生まれる前から。もう三十年くらいこの状態が続いているようです。僕は争いをやめさせたかった……」
「わけわからんなあ。戦争なんぞ起こってないはずや」
「二〇〇〇年にはまだ起こっていません」
「なら、今はいつやねん」
「西暦二一二四年です」
「何やねん、そら」
「だから、タイムスリップっていうやつなんだよ」
 博は投げやりな口調で言った。早く目が覚めてくれ。
「その通りです。時空のひずみで、お二人がここへ来てしまいました」
 外から、銃声のような音が聞こえた。その音に、准一は腰を浮かしかけた。
「い、今のは……」
「大丈夫です。マーサが対処しています」
 准一は完全に不安になっている。博も、心の中の不安の割合がどんどん大きくなるのを感じていた。夢ではないのかもしれない。しかし、まさか、こんな現実があってたまるものか。
「僕は、戦争をやめさせようとして、あるものを作りました」
 少年は話を続けた。
「しかし、プログラムにバグがあって……」
「一体どうなっとんのや。教えてくれ」
 准一は立ち上がった。
「何が何やらさっぱりわからん。ここはどこやねん」
 それは、博が言いたいことでもあった。
 少年は穏やかな声で答えた。
「だから、それを説明しているんです」
「ちっとも説明になっとらんやろ」
 准一は少年につかみかからんばかりだった。
 少年は黙って准一の顔を見上げた。
 その時、ドアが開いた。
「捕獲しました」
 マーサが、右肩に人間を二人重ねて載せて入ってきた。載せられている人間は、足がだらりと垂れ下がったままだ。両腕は、透明なロープで後ろ手に縛られていた。二人とも、黒いスエット・スーツのような服を着ている。
 少年は黙って頷いた。
 マーサは、無造作に、右肩の人間を床におろした。おろされたのは、二人とも若い男だった。呼吸はしているらしい。
「やられたんだね」
 少年がマーサに向かって言った。マーサの左腕は力無く揺れていた。
「治してきます」
 マーサはそう言うと、奥へ消えていった。
 博と准一は、茫然とそれを見送った。一体何が起こっているのだ。
「あれが敵なのか」
 博は、床に横になっている二人の男を指さして尋ねた。何か争いがあるのは本当のことらしい。そして、これは夢ではないらしい。
「はい。座ってください」
 少年は、准一に声をかけた。准一はおとなしく腰を下ろした。
「何で戦争になったんだ」
「分かりません。さっきも言ったように、戦争が始まったのは、三十年も前のことですから。僕が物心ついたときには、ひどい状態になっていました」
「今は未来やいうとったな」
「はい」
「何で俺ら、未来にきたんや」
 准一の声は震えていた。少年は目を伏せた。
「申し訳ありません。僕が作った兵器のせいなんです。時空にひずみが生じて、それとお二人の精神状態がシンクロしてしまったんです」
「とにかく、あんたのせいなんやな」
「はい……」
「なら」
 そう言いながら、准一は立ち上がった。
「俺らを戻せ。ここがどこなのかさっぱりわからんけど、あんたが俺らをここに連れて来たんなら戻せるやろ」
 准一は少年の両肩をつかんだ。少年の体は、准一の手の動きに合わせて揺れた。
 博は、准一と少年をぼんやり見ていた。ほんとうにこれは現実なのか。夢じゃないのか。
「やってみます」
 少年は、うつむいたまま言った。
「すぐ戻せ。今すぐ戻せ」
 准一はいきり立っている。博は立ち上がり、倒れている二人の顔をのぞき込んだ。一人はやや色が白く、一人は日焼けしている。体の線がそのままわかる服を着ているので、手脚の細いのが目立つ。
 二人とも、眠っているかのように、穏やかな呼吸を繰り返していた。
 それから博は、外に出るドアを開けた。暗い。見上げると、さっきと同じように満天の星がまたたいている。
 博は一歩踏み出した。
「どこ行くねん」
 准一が声をかけた。
「わからない」
 博はドアから放射される光の中をまっすぐ歩いてみた。ビルの廃墟らしいものが見える。さっきいたのは、建築中の建物ではなく、建物の跡だったのだ。
「待ってえな」
 准一が後を追ってきた。
 振り返ると、少年がこちらを見ている。
「少し出歩いてもいいだろう」
 博がそう言うと、少年は頷いた。
「でも、戦争しとるんやろ」
 准一が不安そうに言うと、
「大丈夫です」
と、少年は言った。
「この二人のほかには、このあたりには敵はいません」
 博は、ドアを開けたままにして、用心深く足で地面を探りながら進んでみた。暗い。少年のいる建物からの光だけが頼りだった。もう一度振り向くと、少年は、車椅子の車輪を回し、奥へと続くドアを抜けていくところだった。
 博は廃墟の陰に回ってみた。何も見えない。その向こうには光が届かず、闇が広がっているばかりだった。
 手探りで手頃な場所を見つけ、博は腰を下ろした。准一もすぐそばに座った。
「お、お兄さん……」
「俺はお前なんかの兄貴じゃない」
「なら、博さん」
「気安く名前を呼ぶな」
「長野さん……」
「何だ」
「どうなっとんのやろ」
「知るか」
「あいつ、頭がおかしいんやないやろか。きっとそうや」
「それならほかの人間はどうなんだ。マーサっていうやつと、気絶してる二人」
「……。なら、長野さんはどう思うとんのや」
「全く訳が分からない」
 博は星空を見上げた。
「どうしてこんなに星が見えるんだろう」
「ほんまやなあ」
 准一も夜空を見上げた。
 これは夢じゃないんだ。現実なんだ。博はそう自分に言い聞かせた。しかし、未来にタイムスリップした、ということだけは信じられなかった。
「そうか」
 博は立ち上がり、笑い出した。
「どないしたん。大丈夫かいな」
 准一が心細そうな声で言った。
「しっかりしてえな」
「わかったよ」
 博の声は明るかった。
「ドッキリだ」
「ドッキリ?」
「ああ。テレビでよくやってるだろ。俺たち、ひっかけられたんだよ」
「何で俺らが」
「誰でもよかったんだろ。たまたまあの公園にいた人間なら」
 放送されたら、幸も有紀も見ることだろう。二人の笑い顔が容易に想像できた。
「けど」
 准一は納得していなかった。
「ほんまに素人をはめるんやろうか。それに、ドッキリにしちゃ無理な設定や。未来に来た、なんて」
 博はポケットから携帯電話を出した。バックライトをつけ、ディスプレイ部をのぞき込んだ。圏外になっている。
「ここは電波が届いてない。きっとスタジオかなんかの中なんだ。ぜんぜん風もないし」
 まったく風がないのも、密室の中にいることを想像させた。
「でも、どうやってここに連れて来られたんや」
「さあな。もしかすると、幸も一枚かんでるかもしれないな」
「幸ちゃんが、俺のこと、だましたりするとは思えんけど」
 その言葉で、博の心に怒りがよみがえった。
「そう言えば、お前、公園で幸と何してたんだよ」
「何って……ただ、話しとっただけや」
「それだけか」
「それだやけ」
「何の話をしてたんだ」
「そらあ、今度どっか行こか、とか……」
「お前、浪人中だろ」
「そらそうやけど」
「どこで幸と知り合った」
「美容院で。頭染めに行ったとき」
「そこに幸がいたのか」
「頭洗ってくれて……」
 博は闇の中で准一をにらみつけた。しかし、どこかで撮影されているのかと思うと、それ以上幸のことを聞くことはできなかった。ましてや、ここで殴るわけにはいかない。
 その時、二人の方へ向かって走ってくる足音が聞こえた。廃墟の陰から顔を出してみると、黒い服の男が二人、こちらへ向かってくる。
 二人は博に気づいたらしく、博と准一のいる、廃墟の陰へ飛び込んだ。
「一緒に来い。逃がしてやる」
 一人が行った。
 もう一人の、小柄な方が言った。
「ここにいちゃ危ない」
 いよいよ最後の仕掛けか、と博は思った。どうやって逃げてきたんだ、などと野暮なことを聞いてはいけない。ここは一緒に行ってやるしかないだろう。ひっかかれば、幸も喜ぶはずだ。
「わかった、行こう」
 博は同意した。准一も立ち上がる。
 黒服の二人は先に立って歩き始めた。
「この先に、シールドが薄くなっているところがある」
 背の高い方が言った。
「そこから脱出する」
 少し進むと、先に立って歩いていた二人は足を止めた。
「ここだ」
 博が手を伸ばしてみると、闇の中に壁があった。壁とはいっても、密度の濃い液体のようだった。その向こうがぼんやりと明るい。ずいぶん手の込んだ仕掛けだ。
「もう少し右だ」
 体を右にずらすと、たしかに、そこは、ほかの場所より明るいような気がした。
「勢いよく飛び抜けるんだ。ちょっとしびれるけど、この中にいるよりはましだ」
 小柄な方がそう言うと、少し下がり、助走して頭から飛び込み、壁を突き抜けていった。
「わかった」
 博はそう言うと、自分も少し下がり、助走した。向こうにあるのは泥水か、あるいは粉か。
 思い切り踏み切って両手から飛び込んだ。一瞬、体に電流が流れたような気がして、目の前が明るくなった。博は、前方に転がって受け身を取った。


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