夜。風呂屋の出口。先に出た昌行がお和歌を待っている。あたりは霧に包まれている。
 お和歌の声。
「お前さん」
「おう、ここだ」
「すごいね」
「ああ、夜霧ってやつだな」
 並んで歩き出す二人。
お和歌「ね、手つないで歩こうか」
昌行「よせやい」
「いいだろ。どうせ霧で見えやしないし。ほら」
「お、あったけえ手だな」
「なんか長湯したら手がほてちゃってさ。うーん、お前さんの手、冷たくて気持ちいい」
「それが目当てかよ……」
 ぼんやり見える二人の影を、通りに面した家の二階から見下ろしている女の後ろ姿。それに男が中から声をかける(映像は女の後ろ姿だけ)。
「どうした」
「夜霧……」
「そうだな。めずらしいな」
「わたしね、夜霧って好きよ」
「そう」
「あの日もこんなふうだった」
「あの日って?」
「……あなたと初めてあった日」
「そうか、そうだったな」

必殺苦労人
「夜霧」


 武威六流柔術道場の玄関。土間に立っている若者の後ろ姿。
若者「ごめん。先生はいらっしゃいますか」
 中から快彦が出てくる。若者の顔を見てちょっと驚いた様子。
快彦「今日は先生は留守なんだ。入門希望かい」
若者「はい」
快彦「じゃあ、今日はとりあえず見学してってくれ」
若者「はい、上がらせていただきます」
 草履を脱ぎ、快彦のあとから中に入っていく若者(秋山純)。

 中年の商人のあとについて歩いている博とお蘭。
商人「ええと、このあたりなんだが」
お蘭「今日の仕事こそは兄貴でなくっちゃできない仕事だね」
博「そうでもないよ。でも、俺も興味があるし、いい仕事でありがたいよ」
商人「あ、ここだ」
 商人は通りに面した仕舞屋(しもたや)に入っていく。博とお蘭も続いて入る。
商人「ごめんくださいまし。書物の引き取りのことで参りました」
 二階から男の声(冒頭で声だけ聞こえた男の声)。
「二階へどうぞ」
商人「ではあがらせていただきます」
 商人、博、お蘭の順に階段を上り、二階の座敷に入ると、うずたかく積まれた本の中に声の主が背中を向けて座って何か書いている。
商人「うひゃあ。これはすごい。よく床が抜けなかったもんだ」
「私もそれが不安で処分することにしたんです」
といいながら男がこちらを向く(国分太一)。太一は医者のような作務衣姿で総髪。
太一「そちらの方は」
と、博とお蘭に目を向ける。
「こちらは手軽屋の博さんと、その相棒です。蘭書の目利きができるっていうんで助っ人に頼みました」
 頭を下げる博とお蘭。
 太一はきさくな笑顔を見せ、立ち上がりながら、
「そうですか、よろしくお願いします。全部きれいさっぱり売り払いますから、せいぜい高く見積もってください」
博「では拝見いたします」
 お蘭は近くにあった書物にさわり、指についたほこりを見て顔をしかめる。
 博と商人は書名を書き付けて行く。それをニコニコしながら見ている太一。

 武威六道場。井戸端で体を拭いている快彦と門弟達。
快彦「今日見学に来たやつ、なんか異人みてえな顔だったな」
門弟A「ほう、異人はあんな顔なのか」
門弟B「俺は一度オランダ人を見たことがあるが、確かにあんなふうだった」
門弟A「異人はみんな、あんな風に目鼻がはっきりしてるのか」
門弟C「そうらしいな」
快彦「俺とはえらい違いだな」
門弟B「ほんとだなあ」
快彦「しみじみ言うなよ」

 太一の家の玄関。博たちが帰るところ。
商人「では、後ほど見積もりを立てて持って参ります」
太一「よろしくお願いします」
 頭を下げて外へ出る三人。それを見送る太一。三人が出てすぐ、女(鶴田真由)が入ってくる。真由は出ていった三人が気になる様子。
真由「今のは」
太一「お帰り。本を引き取ってくれる人と手軽屋さんだ」
真由「手軽屋?」
太一「ああ、蘭学の本の目利きができるそうだ。さすが江戸の手軽屋ともなると、学があるんだな。ずいぶん詳しい人だった」
真由「名前は。その手軽屋さんの」
太一「博さんというそうだ。どうしたんだ、一体」
 驚いて外へ駆け出す真由。三人の去った方を見るが、すでに姿は見えない。太一も出てきて、
「どうした」
真由「……何だか、知ってる人に似てたから……」

 翌日。
 昌行の髪結いの店。
 昌行と太一が向かい合って座っている。昌行は手にした紙を見ながら首をひねっている。
太一「どうでしょう。できませんか」
昌行「そうだねえ」
 昌行が持っている紙には、西洋人の男女が描いてある。
昌行「まげを結ってるわけじゃねえし、そってるわけじゃねえし。わざとこうしたっていうよりは、ただ伸ばすとこうなるんじゃねえのかなあ」
太一「そうですか。すぐに髪を伸ばす方法はありませんか」
昌行「伸ばさなくても、お客さんの頭なら、そのままほどけばこうなるんじゃねえかい」
太一「それがうまくいかないんです」
昌行「そうだねえ……。ハサミで切るんだろうなあ」
と言いながら太一の顔を見て、
「で、なんでこんな異人風にしなくちゃならないんですかい」
太一「そ、それは。ちょっと事情があって。女の方はどうでしょう」
昌行「うーん、これもちょっとうちじゃできないね」
太一「そうですか……」

 武威六流柔術道場の井戸端。
 今日は秋山も一緒になって体を拭いている。門弟達が興味を持って純に話しかけている。
門弟「おお、いい体してるな」
秋山「とんでもない。ひょろひょろですよ」
快彦「最初見た時は異人かと思ったぜ」
秋山「そうですか……」
快彦「何でやわらを習おうと思ったんだ」
秋山「それはもう、強くなりたいからです。それに、日本のものですから」
門弟「日本のもの?」
秋山「え……ま、まあ、日本に生まれたからには日本のものを身につけたい、ということです」
門弟「偉い! 蘭学かぶれのやつらに聞かせてやりたいね」

 太一の家。
 商人が中に入っていく。博とお蘭は、外に置いた大八車のところで待っている。
 中から真由の声がする。
「手軽屋さんも一緒ですか」
商人「はい、外におります」
 パタパタと真由が走り出てくる。博とお蘭がそちらへ目を向ける。真由の姿を見て息を飲む博。真由も博を見つめ、何か言おうとするが声が出ない。その二人を怪訝そうに見ているお蘭と商人。
 そこに太一の声。
「真由。どうした」
 ハッとして振り向く真由。
「あら、お帰りなさい」
 商人が進み出て、書き付けを渡す。
「見積もりを持って参りました」
太一「ああ、どうも」
と言いながら書き付けを受け取るが、大八車に気づき、
「今日持っていきますか」
商人「いえいえ。これは別口の用がありまして」
太一「そうですか。どれどれ」
と言いながら書き付けに目をやる。商人は太一の顔色を窺い、お蘭は太一の後ろに回って書き付けの数字を盗み見しようとする。その三人をよそに見つめ合う博と真由。

 夕方。
 昌行の長屋。井戸端でおしゃべりしているお和歌らおかみさん連中。そこへ昌行が帰ってくる。
お和歌「あら、お前さん、お帰り」
昌行「ああ」
 昌行はおかみさん連中の頭をじろじろ見る。
お和歌「どうしたんだい。じろじろ見て」
昌行「異人の女の頭ってのは、どんなふうに結ってるんだろうな」
お和歌「何突拍子もないこと言ってんだい」
 顔を見合わせるおかみさんたち。

 博の長屋。
 畳の上に寝ころんでぼんやり天井を見ている博。

 (博の回想)
 夕闇の迫る地蔵堂。腰をおろしている博。かたわらには大きな風呂敷包み。博は人を待っている様子。霧が出てくる。

「ごめんください」
 博は女の声にハッとしてガバッと体を起こす。
博「はい」
 真由が障子を開けて入ってくる。黙ってそれを見つめる博。真由は障子を閉めると、上がりがまちに腰を下ろし、うつむいたまま小さな声で言う。
「本屋さんに聞きました。ここを……」
 博はそばへ行きたい気持ちを抑えながら、
「どうして……」
真由「ごめんなさい。わたし……」
博「あの人と、めおとなんだよね」
 黙って頷く真由。
博「そう。……先生は」
真由「亡くなりました。去年……」
博「そうか……」
 真由は黙って涙をぬぐう。
博「幸せ……かい」
 真由は一度頷くが、パッと顔を上げ、涙に濡れた目で博を見つめる。
真由「博さん、わたし……」
博「いいんだ。幸せなら」
真由「あの日……」
博「もう今更どうにもならない」
 黙って頷く真由。また涙をぬぐう。

 博の部屋の外。井戸端ではおかみさん連中がおしゃべりしている。
 博の部屋から出てくる真由。真由が去ってから博が戸口に出てきて見送る。そこへ駆け寄るお蘭。
「今の人」
博「ああ、お客さんだ」
お蘭「本を売るっていう人の奥方だよね」
博「そうだ」
お蘭「兄貴の知ってる人なの?」
 お蘭は不安でならない様子。博はお蘭を見て笑顔を見せる。
博「昔使ってもらったことがあるんだ。偶然会ったんで驚いた。今度引っ越すんで、その時は俺をまた使ってくれるかもしれないそうだ」
お蘭「そうなんだ」
博「この江戸に、手軽屋なんて星の数ほどいるのに……」
 真由が去った方を気にするお蘭。

 回船問屋・大竹屋の座敷。
 上座に大竹屋の主人(大竹まこと)、下座に太一。秋山純がお茶を持って入ってくる。
太一「例の件は」
大竹「心配いりません。手配しました」
太一「何分よろしくお願いいたします」
大竹「それはもう。しかし、夫婦二人でとなると、いろいろやっかいですからな。こちらのお願いの方もよろしくお願いしますよ」
太一「はい。きっと、きっと用意します」
大竹「あなたのように、世の中のために命をかける人のお手伝いができて、私もうれしいと思っているんですよ」
 秋山はわきに控え、黙って聞いている。

 太一の家。二階の部屋で一人座っている真由。そばにあった蘭書を手にとって開いてみる。

(真由の回想)
 怪我人の手当をしている神山繁。それを取り巻く若者達。その中に博もいる。神山は手当をしながら若者達に説明している。少し離れたところからそれを見ている真由。

 本を閉じ、涙を拭く真由。

 翌日。
 本屋の店先。商人が博に相談している。お蘭は店先にあった絵双紙をぱらぱらめくっている。
商人「あと一両だしてくれないかと言うんだが、どうかね」
博「そうですね……」
 博は、太一の部屋にあった本の書名一覧を見ている。
博「これはありふれた本ですが、こちらはめずらしい。医学書が多いから、金持ちの蘭方の医者に高く売りつけることもできるでしょう。何なら、これとこれは私が買ってもかまいません。正直な商売をするつもりなら、一両といわず、あと二両出してやりなさい。よそに持って行かれたら元も子もないでしょうし」
商人「あと二両! そんなに値打ちがあるのかね」
 一覧を手にして首をひねる商人。どこか沈んだ表情の博。その横顔をみつめるお蘭。

 武威六流柔術道場。
 肩で息をしている秋山。汗をぬぐうと、
「もう一度お願いします」
快彦「秋山、少し休めよ」
秋山「いや、お願いします」
快彦「やけに熱心だな」
秋山「時間がないんです。お願いします」
 快彦も汗をぬぐい、
「よし、来い」
と言いながら、秋山と組み合う。

 回船問屋大竹屋。
 帳簿を調べている大竹。わきに秋山純が控えている。
大竹「純、いろいろご苦労だったな」
秋山「はい」
大竹「船は今度の一日に出る。今度はお前も乗れるぞ」
秋山「ありがとうございます」
大竹「どうだ。今度は自分で段取りをつけてみな。もう一人でできるだろう」
秋山「はい。やってみます。三人分用意すればよろしいのですね」
大竹「そうだな……。表向きは三人分にしておこう」
秋山「表向き?」
大竹「大丈夫だ、お前は乗れる」
秋山「……」

 太一の家。
 本を運び出している博とお蘭。太一も運ぶ。
太一「高く買ってもらって助かりました」
博「いえいえ。あれでも充分もうけは出るはずです。いい本をお持ちだ」
太一「しかし、蘭学の素養がおありのようなのに、なぜ……」
博「手軽屋じゃおかしいですか」
太一「そういうわけではありません。もったいないと思って」
博「昔、中途半端にかじってみただけなんで、役には立たないんですよ」
 真由は博の動きをじっと目で追っている。博はそれを意識しているが、あえて、真由の方には目を向けない。太一は気付かない様子。お蘭は時々真由に目をやる。

 昌行の店。
 客の頭をいじっている昌行。まげをほどいて、前へ垂らしてみたりする。
客「おいおい、何やってんだよ」
昌行「いやね、異人の頭ってのはどうなってるのかと思いまして」
客「何だよ。異人の頭と俺の頭と何か関係あるのかよ」
 客の苦情を気にせず、首をひねる昌行。

 太一の家。
 太一と真由が並んで座り、向かい合って大竹と秋山。
大竹「だいぶ片づいたようですな」
太一「はい。書物が思いの外高く売れて助かりました」
大竹「手順はこれに書いてあります。ご覧下さい」
と言いながら、大竹は懐から書き付けを出して太一に渡す。
大竹「証拠になると困ります。御覧になったら返して下さい」
太一「はい」
 書き付けを受け取り、食い入るように見つめる太一。その間、大竹は、なめるような目で真由を見る。それに気づき、不快な表情になる真由。秋山も大竹をちらっと見る。

(続く)


 神山繁は「お仕事です」で大沢たかおの父親を演じた人です。

(1999.4.24)