髪結いの店。中にいる昌行に、格子窓の外から快彦が声をかける。
「おい、明日また吉原に行けるぜ」
昌行、のそのそと窓際へ行き、
「もうまっぴらだ。一人で行けよ」
「それが駄目なんだ」
と言うと、快彦は声を潜め、
「どうしてもお前を連れて来いってご指名だ。博の所にも迎えが来てる」
昌行、警戒するような表情になり、
「まとめてバッサリ、ってことか」
「かもしれねえ。どうする」
「行かなくても同じことだろう」
博の長屋。
柿色の紙に包まれた薬を手の上に並べている博。全部で五つ。
お蘭が入ってくる。
「兄貴、最近仕事に行かないけど、これじゃおまんまの食い上げになっちまうよ」
博、薬をさっと懐へ入れると、
「いいんだ。薬がけっこうな金になったから。少しのんびりしよう。ほら、分け前だ」
と、懐から紙に包んだ金を出して渡す。お蘭、受け取るとすぐに開ける。中身は小判二枚。
「こ、こんなに!」
「ああ。それだけあれば当分のんびりできる」
お蘭、急に不安そうな顔になり、
「兄貴、なんかやばいことに首つっこんでじゃないだろうね」
博は笑顔を見せ、
「バカなこと言うなよ。俺はそんなことはしないよ」
「それならいいけど……」
「ところで、明日、ちょっと泊まりの用事で、俺は帰らねえから」
「そう……。でも、帰らねえなんて言わないで、明後日帰って来るって言ってくれよ」
「そうだな……」
と言って博は立ち上がり、
「ちょっと出かけてくる」
「おいらも行く」
「駄目だ。その金で何かうまいもんでも食ってろ」
口をとがらせるお蘭。
吉原。
宇梶の遊郭。狭い座敷に美穂が一人で座っている。
三味線の音や女の嬌声などが聞こえる。
朝。昌行の長屋。
昌行、雪駄をつっかけながら、
「じゃ、今日も泊まりだから」
お和歌、不安そうににじり寄り、
「まさかあんた……」
「ん?」
「こんどはあの井ノ原って人と……」
「何だよ」
訳が分からない昌行。お和歌、その昌行の両肩をつかみ、
「あの人と一つ布団で寝てるなんてことはないだろうね」
ギクッとする昌行。無理に笑ってみせ、
「ばかなこと言ってんじゃねえよ。俺が一緒に寝てえのは、お和歌、おめえだけだ。じゃ、行って来るぜ」
と言って立ち上がり、出ていく。
不安そうに見送るお和歌。
通りをふらふら歩いている拓哉。その後ろに晃と剛史。
通りの端に砂羽が立っている。砂羽と目があった晃、
「ちょっと若旦那を頼む」
と剛史に言って砂羽の方へ行く。砂羽は軽く頷くと、人気のない路地の方へ歩いていく。
夜。
吉原。宇梶の遊郭の離れ。
上座に夏八木と拓哉。拓哉に寄り添って美穂。わきに宇梶と晃。下座に昌行と快彦。
それぞれの前に膳が置いてあるが、快彦の隣、誰もいないところにも膳がある。
一同無言。
そこへ、砂羽が、
「お見えになりました」
と言って博を案内してくる。博は座敷の中を見回す。快彦が自分の隣へあごをしゃくってみせたので、黙ってそこに坐る。一緒に来た女中がそれぞれの膳に銚子を二本ずつ置いていく。
砂羽は、
「美穂、ちょっとおいで」
と声をかけ、美穂を連れていく。ぼんやりと見送る拓哉。
砂羽と美穂が消えると、
昌行「さあ、話を聞かせてもらいましょうか。普通の座敷じゃなくて、こんな離れに連れてきた訳を」
宇梶は笑いを浮かべ、
「話? ま、そうきつい顔なさらずに」
と言って昌行の前に坐り、
「ま、一杯どうぞ」
と、昌行の前の膳にあった銚子を手にして差し出す。黙ってそれを受ける昌行。昌行が杯を干すのを見ると、宇梶はすぐに快彦の前へ行き、銚子を差し出す。快彦、博も一杯ずつ飲む。
宇梶は銚子を昌行の膳に戻すと、夏八木の前へ行き、その前の膳にあった銚子で酌をする。拓哉、晃にもそれぞれの膳の銚子で酌をする。宇梶が自分の席に戻ると、晃が、自分の膳の銚子から酒をついでやる。
宇梶「こりゃどうも、恐れ入ります」
宇梶はぐっと飲み干す。
昌行「あいさつはもういいだろう。用件を聞こう」
それを聞いた夏八木、ちらっと晃と宇梶を見てから、
「先日はとんだことに巻き込んでしまいまして」
と頭を下げてから、拓哉を見て、
「せがれもこんな風ですし、店の者が人をあやめたとあっては、商売を続けるのも容易ではございません」
快彦「口止めなら心配いらねえ。こないだそう言ったはずだ」
夏八木は、拓哉の前の膳にあって銚子を手に取り、拓哉に酒をついでやる。無表情で飲み干す拓哉。すると夏八木は自分の膳にあった銚子を手にして手酌で飲む。
博はそれをじっと見ている。
晃が昌行たちを見て、
「いかがなものでしょうか。お助けいただくばかりでお礼を差し上げないというのもなんですし……」
昌行「口止め料ならいらねえ。そんなものを貰っちまうと、次には口止めじゃなくて口封じが来るだろう」
晃「滅相もない……」
博はじっと拓哉の様子を見ている。
宇梶「金で動くやつは信用できませんが、金で動かないやつは油断ができないんですよ」
昌行、手酌で一杯飲み、
「ほう、油断ができねえってか。なら、一晩にぎやかに飲んで仲間になっちまおうじゃねえか」
と言うと、自分の膳にあった銚子を持ち、宇梶の前に行って差し出す。
宇梶は無言で杯を差しだし、つがれるとぐっと飲み干す。昌行はあてがはずれたという顔をし、隣の晃にも差し出す。晃もつがれるままに飲む。
昌行は拓哉にもつぐが、途中で銚子がからになる。
「おっと失礼」
と言って、拓哉の膳にあった銚子でつぎ足す。黙って飲み干す拓哉。
快彦と博はそのようすをじっと見ている。
昌行は、その銚子を持ったまま夏八木の前に坐って酌をしようとするが、夏八木は、
「いや、こっちにしてくれ」
と言うと、自分の膳にあった銚子を昌行の方に差し出す。
昌行「ほう、この銚子の酒は飲めないと」
夏八木は慌てて、
「い、いや、そういうわけじゃないが、こっちはわたし用にぬる燗になってるんだ」
昌行は左手に銚子を持ったまま夏八木の銚子を受け取り、杯を満たす。夏八木はぐっと飲み干し、
「ま、一杯いこう」
と杯を差し出す。昌行はじっと夏八木を見ながら右手でそれを受け取る。夏八木は自分の膳にあった銚子から酒をつぐ。昌行はぐっとそれを飲み干し、杯を返すと、拓哉の膳にあった銚子を持ったまま晃の前に行き、差し出す。
晃は無言で酒を受け、飲み干す。昌行がちらっと快彦と博を見ると、二人とも首を傾げる。
続いて宇梶につぐと、宇梶はにやっと笑ってぐっと飲み干す。その時、快彦の、
「おいっ」
という声が聞こえ、昌行が振り向くと、博が夏八木に駆け寄っている。
夏八木は胸を押さえ、苦しんでいる様子。
快彦と昌行も駆け寄る。宇梶と晃はその後ろに立って夏八木をのぞきこむ。拓哉は座ったままぼんやりと見ている。
博「どうしました」
夏八木は晃と宇梶をにらみつけ、
「な、なぜ……」
と言うとがっくりと首を垂れる。博はその首筋に手を当て、昌行を見て首を振る。
昌行は立ち上がって晃の襟首をつかみ、
「どういうことなんだ」
と怒鳴るが晃は答えないで宇梶に目をやる。
宇梶は自分の席に戻ると手酌で一杯飲み、
「こういう商売やってるとな、人を見る目だけは確かなものになるんだよ。お前さんがた、人に知られちゃ困るような稼業なんじゃねえのか」
宇梶をにらむ昌行。顔を見合わせる快彦と博。
晃「まあ、坐って話しましょう」
と言うと昌行の手を払いのけ、自分の席に戻り、これも手酌で一杯飲む。
昌行「どういうことなんだ」
宇梶「こうなったら俺たちと一蓮托生ってことになるしかねえだろう。それが嫌なら、あの旦那と同じになるしかねえ」
と夏八木の死体のほうへあごをしゃくってみせ、次に昌行を見て、
「もっとも、お前さんは同じになるんだがな」
呆然とする昌行。博は、夏八木の膳にあった銚子を手に取り、
「そうか、この酒だけが……」
宇梶「そういうことだ。お前さんの作ってくれた薬のおかげだ。誰が見ても、急に心の臓が悪くなったようにしか見えねえ」
がっくりと膝をつく昌行。
「じゃあ、さっき俺が飲んだのは……」
宇梶「そういうことだ」
と言うと、博と快彦の方を見て、
「そっちの二人はどうする。無理やりその酒を飲まされるか、俺たちとうまいことやるか」
博と快彦は顔を見合わせ、頷き合うと自分たちの席に戻る。
快彦「まずは話を聞こう」
博「話によっちゃ考えてもいい」
昌行は、二人をにらみつけ、
「お前ら……」
快彦は昌行を見て、
「悪いな、死ぬやつに義理立てする気はねえんだ」
博が続けて、
「金で動くのは嫌だけど、死ぬのはもっと嫌なんだ」
宇梶はそれを聞いてにやりと笑い、
「気に入った。教えてやろう」
と言うとまた手酌で飲み、
「もとはといえば、こちらの旦那の考えだ」
と晃を指さし、次に夏八木の死体を見て、
「あの大旦那にはあの世に行って貰って、若旦那が後を継ぐ、と」
そこへ晃が口を挟み、
「しかし若旦那はあの通りで使いものにならない。そこで、番頭の出番になるわけだが」と言って手酌で一杯。
「番頭にも大旦那と同じ病になってもらって、この俺が店を頂くというわけだ」
快彦はそれを聞いて頷き、宇梶を見て、
「そうなれば、手を貸したお前さんのところにたんまり礼金が入ると」
宇梶「ま、そういうことだ」
博が身を乗り出し、
「しかし、この間若旦那がねらわれたのは何だったんだ。勝手に入れるわけがないし、どこにいるかも知らないはずなのに。誰か手引きしたはずだ」
宇梶「ほう、頭が働くな。先に若旦那でもよかったのさ」
皆が拓哉を見るが、拓哉はぼんやりと夏八木の死体を見ている。
晃「その時は、俺が正体を明かせばそれですんだ。そっちのほうがすんなり行ったんだが、ちゃんとあんたが用心棒の仕事をしちまったんでしくじった」
快彦「正体? どういうことだ」
晃は夏八木を指さし、
「俺はな、この男に捨てられた女の息子なんだよ。一生面倒見ると言っておきながら、おかみさんにばれたらあっさり捨てやがった。俺たちがどんな思いで生きてきたか……」
宇梶「俺がやってるのは、仇討ちの助っ人ってわけだ。悪い仕事じゃねえだろう」
と言って快彦と博を見る。
昌行は座敷の中央に座り込み、胸に手を当てて宇梶をにらんでいる。
晃「あん時、ちゃんと心中してくれりゃあ、こんな手の込んだことをしなくて済んだんだ。最後の最後に姉貴がこいつだけ助けようなんぞとしやがったから……」
そう言って手酌であおる晃。
博「姉貴?」
晃はもう一杯飲み、
「ああ、俺の姉貴をつかって若旦那をたぶらかしたのさ。それが本気で若旦那に惚れやがって。自分のことをばらして死んじまいやがった。ま、俺のことをばらさなかっただけよかったけどな」
快彦「自分の姉を使って……」
晃「悪いかね。それぐらい俺は恨んでたんだよ。姉貴も恨んでたはずだ」
宇梶「それでまあ、若旦那はあの通りになっちまった。ところが、気晴らしにうちに来た時に、名前が同じだってんでうちの美穂を気に入ってくれてね。美穂のやつ、名前を聞かれてついうっかりほんとうの名前を言ったのが幸いしてな」
拓哉はのろのろと夏八木の死体の方へ行き、膳の上に残っていた銚子を手にとってふってみている。
宇梶「さて、どうする。ここまで聞いて仲間にならなかったらどうなるか、わかるだろう」
顔を見合わせる博と快彦。
突然昌行が立ち上がり、夏八木の膳の上にもう一本残っていた銚子を手にすると、
「てめえも飲め」
と宇梶の口に押しつけようとする。晃が慌てて止めようとするが、快彦がさっと飛びついて晃を押さえ、博が宇梶を押さえつける。
昌行は宇梶の口をこじ開けると、銚子を差し込み、傾ける。口から酒があふれ出す。
宇梶は博に羽交い締めにされ、動けない。昌行は銚子を口から離すと手で口を押さえ、上を向かせる。宇梶、こらえきれずごくりと飲んでしまう。昌行はそれを見て宇梶を突き飛ばす。宇梶は口に指をつっこみ吐き出そうとするが博がその手を押さえる。宇梶は昌行を見上げ、
「て、てめえは何で……」
昌行はにやりと笑い、
「俺は不死身なんだよ」
快彦は晃を座敷の奥の方へ投げ飛ばし、昌行の隣に立つ。
宇梶「なんで……」
快彦「俺たちは金で動くのも嫌だけど、おどされて動くのも嫌なんだよ」
晃が立ち上がり、
「裏切るのか」
と快彦につかみかかるが、逆に襟首を締め上げられる。
快彦「裏切る? 仲間になった覚えはねえぜ」
締め上げられる晃の顔。一瞬目を見開き、声にならない悲鳴を上げる。快彦が手を離すと晃は崩れ落ちる。その向こうに、血に濡れた匕首(あいくち)を手にした拓哉が立っている。
快彦「お、おい……」
拓哉「済まないね、とんだことに巻き込んで」
博は驚いて宇梶を押さえていた手を緩める。宇梶は呆然と拓哉を見上げている。
拓哉「やっとからくりが分かったが……。こうなっちゃ、もうどうしようもないよな」
昌行「気が触れてたんじゃ……」
拓哉「美穂が死んだ時、俺はどうにも納得できなかった。きっと何かからくりがあると思っていたんだ。しかし、こんなこととは……」
宇梶は何とかして這って出ようとするが、博に捕まり、連れ戻される。宇梶は何とか立ち上がろうとするが、胸を押さえてうずくまり、動かなくなる。
宇梶の死体を囲んで立つ昌行、博、快彦、拓哉。
昌行「やっかいなことになったな」
快彦「こいつの女房もいるしな」
博「しかし、女をやるわけには……」
拓哉は三人の顔を見回し、
「心配いらねえ」
と言い残し、手に銚子を提げたまま出ていく。
外に出た拓哉、
「女将、女将」
と大声で呼ぶ。すると母屋から、
「あら、若旦那どうしたんです」
と言いながら砂羽が出てくる。拓哉は砂羽に駆け寄ると、体当たりするようにして匕首を突き立てる。
砂羽は拓哉にしがみつこうとするが、拓哉が匕首を抜くと崩れ落ちる。
離れのふすまの陰から見ていた昌行たちは顔を見合わせる。
拓哉は砂羽のしばらく死体を見下ろしていたが、匕首を投げ捨てると、手にしていた銚子を自分の口に当て、酒を流し込む。銚子がからになるとそれも投げ捨て、夜空を見上げ、
「美穂……。今行く」
とつぶやく。
母屋から、
「どうしました」
という女の声。
昌行たちは、急いで離れから飛び出し、闇に消える。
離れの中には夏八木、晃、宇梶の死体。庭には砂羽の死体と、星を見上げている立っている拓哉。
夜道を歩く昌行たち三人。
昌行「どうなることかと思ったぜ」
博「薬がきいてよかったな」
昌行「全くだ。博のおかげだ」
快彦「よく毒だってわかったな」
博「そりゃあ分かるさ。でも、あの毒を消す薬がきくかどうか、本当は自信がなかったんだ」
昌行「それじゃあ」
快彦「へたすると三人とも……」
博「そうだよ。あの薬を飲んでても効き目がなくて、俺たちが毒入りの酒を飲んでたら……」
昌行「勘弁してくれよ。だいたい吉原で仕事があるなんていうから」
快彦「俺が誘ったわけじゃねえだろう」
博「吉原ってのは何があるか分からないね」
お蘭の長屋。
膝を抱え、壁にもたれているお蘭。物音がしたので、土間におり、戸を開けて外を見る。博が帰ってきたところ。
お蘭は飛び出し、
「兄貴、帰ってきたんだね。泊まりじゃなかったんだ」
博、驚いてお蘭を見て、
「起きてたのか。片付いたから泊まらないで帰ってきた。もう遅いから、寝ろ」
「うん、寝る」
嬉しそうに中に戻るお蘭。
昌行の長屋。
真っ暗な部屋の戸をそーっと開ける昌行。中に入ったとたん、ごちんと音がする。
昌行「いてーっ」
「あれっ、お前さん」
薄明かりの中に、火吹き竹を手にしたお和歌が立っている。
昌行「何でいきなり……」
お和歌「だって、変なやつがあたしをねらって来たのかと思って」
頭を抱えて溜息をつく昌行。
夜の吉原。
煌々と灯りがともり、人通りでにぎわっている。張見世から手を出して通りかかる男を誘う遊女たち。
その奥に、一人だけぽつんと離れ、沈んだ顔で坐っている美穂。
(美穂という女・終)
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