夜。
昌行の長屋。夕食を取っている昌行とお和歌。
昌行「明日な、ちょっと用事があって泊まりになるから」
お和歌「泊まり? なんでさ」
昌行「なんでって、人に頼まれて一緒に行かなくちゃならねえんだよ」
お和歌「誰に頼まれたのさ。まさか、またあの博って人じゃ……」
昌行「そうじゃねえ。快彦だ。浪人の。何でも縁談があるんだが、自分の目に自信がねえから、俺にも見てもらいてえってんだ」
お和歌「なんでそれで泊まるのさ」
昌行「ちょ、ちょっと遠いんだ。相手の家ってのが」
お和歌「どこさ」
昌行「浅草の向こう……千住のもっと先だとか言ってたな」
ちょっと腑に落ちない様子のお和歌。
博の部屋。
薬の包みを作っている博。
机の上には、柿色の包みと白い包みの二種類がある。
夕方。
吉原の大門をくぐる快彦と昌行。前に拓哉と剛史。その前に晃。
昌行は機嫌よくきょろきょろあたりを見ながら歩いている。
快彦「おい、みっともねえよ。きょろきょろするな」
昌行「だってお前、吉原だぜ」
張見世の遊女に声をかけられ、にやつく昌行。
博の長屋。
お蘭が入ってくる。
「兄貴、明日はどうすんだい」
博「明日は頼まれた薬を届けに行く。お前は行かない方がいいだろう」
お蘭「薬ってあそこの」
博「ああ、吉原だ。お前は留守番してろ。早く出て早く帰ってくる」
お蘭「うん……」
吉原。宇梶の遊郭。
先日のように、上座にぼんやり座っている拓哉。その隣に美穂。
無心に料理を食べている剛史。晃の姿はない。
ふすまを隔てて隣の座敷。
憮然とした表情で飯を口に運んでいる昌行。
「話が違うじゃねえかよ」
済ました表情の快彦。
「何が」
「吉原っていうから」
「いうから何だよ。仕事だって言ったじゃねえか」
溜息をつく昌行。
遊郭の廊下。
薄暗いところで何か相談している晃と宇梶。
昌行と快彦の座敷。
愕然としている昌行。
「お、おい。この布団で寝るのか」
快彦「ああ。ここにはこういう布団しかねえんだとさ」
敷いてあるのは、二枚分の幅のある布団一組。枕が二つ並んでいる。
博の長屋。
机の上の二種類の薬を前に、考え込んでいる博。
吉原の朝の風景。
ひっそりとした通り。
座敷。枕を並べて寝ている拓哉と美穂。
足音を忍ばせ、廊下を歩く男の足。
座敷で、一つの布団に並んで寝ている快彦と昌行。快彦は廊下を人が通る気配に目を開ける。
拓哉の寝ている座敷。
音を立てないようにふすまを開け、中に踏み込む男の足。足下から上へ映していき、刀の柄に手をかけているのが映る。さっと刀を抜くと全身が映り、刀を振りかぶる浪人の内海の全身が映る。その背後に音もなく快彦が現れ、無言のまま刀を奪い取る。驚いて振り向く内海。そこへ手代の晃が現れ、快彦の前に割り込むと、
「何だお前!」
と叫んで内海につかみかかる。
その騒ぎで美穂が体を起こす。
「内海様!……」
内海は一瞬美穂を見るが、その隣でぼんやりと体を起こした拓哉に目をやり、晃を突き飛ばすと、突き飛ばされた晃は快彦にぶつかる。そこに昌行が現れ、快彦から刀を渡され受け取る。
内海は脇差しを構えて拓哉に向かって行くが、美穂が拓哉の前に立ちはだかり、進ませない。
「美穂、なぜ……」
美穂をどかせようとする内海。美穂は内海にしがみつき、
「若旦那は、私には指一本……」
と言いかけるが、内海は聞く耳を持たない。拓哉と美穂を見比べ、
「おのれっ」
と怒鳴ると、脇差しを左手に持ち替え、美穂に当て身を食らわせる。崩れ落ちる美穂。
拓哉はそれをぼんやりと見ている。
快彦はすっと内海の後ろに回り、脇差しを持った左手をひねる。内海はたまらず脇差しを落とす。
それを見た晃、さっとそれを拾い上げ、
「この野郎!」
と叫んで内海に斬りつける。内海、
「お前は……」
と言いかけたところで袈裟切りに斬られ、傷口を手で押さえる。晃はさらに突きかかるが、内海が一歩下がったので左足のももに軽く刺さる。倒れる内海。
快彦は慌てて晃に組み付いて脇差しを奪い取り、
「殺すな」
と怒鳴り、晃をわきへ突き飛ばす。
内海は右肩の傷口に手を当て、目を閉じたまま動かない。
そこへ、宇梶、砂羽、女将、丁稚の剛史がバタバタと走ってくる。
砂羽は血に染まった内海を見て顔をそむける。宇梶は美穂を抱き起こし、
「傷はついてねえな」
と言うと、
「大事な商売道具だ」
と、ぐったりしている美穂を肩に担いで立ち去る。
晃は、拓哉の手を引いて廊下へ連れ出し、そこに残っていた砂羽のわきへ行き、
「とんでもないことになりました」
と言うと、剛史に、
「お前は先に店に戻って、ご主人様にお伝えしろ。若旦那は無事だ。誰か迎えに来させてくれ」
と声をかける。
「は、はい」
剛史は廊下を駆けていく。
砂羽「一体何が……」
晃「ちょっとここでは……。井ノ原さんはここにいてください。ちょっと相談して参ります」
快彦が頷くと、晃は砂羽をうながして、拓哉の手を引いて立ち去る。
皆がいなくなったのを見届け、快彦と昌行はふすまを閉めると、内海のわきに膝をつく。
快彦「聞こえるか。深手じゃねえだろう」
声をかけると内海が目を開け、頷く。
快彦「わけを聞かせてくれねえか」
内海は快彦の顔を見上げ、周りを見回す。
内海「美穂は?」
昌行「ここの主人が連れてった」
内海「そうですか……」
快彦「いったいどういうことなんだ」
内海は目を閉じ、考えている様子。
美穂を運んできた宇梶、美穂の体を布団におろす。美穂は目を閉じたまま。
そこへ店の者が、
「手軽屋が来ました」
と声をかける。
快彦たちのいる座敷。
「美穂はわたしの許嫁でした」
快彦「それが金のために身を売ったと……」
内海は頷き、
「れっきとした武家の娘がこのようなところに……」
昌行「武家の娘でなくたって喜んで来るやつはいねえだろう」
内海「名前が美穂だというだけで、あの男に気に入られて……。もし身請けでもされたらと……」
快彦「取り戻しに来たのか」
内海は頷き、
「あの男を殺せば身請けできるだけの金をくれると言われて……」
廊下から足音がし、快彦はふすまを開けて顔を出す。歩いてきたのは博。互いの顔を見て驚く。昌行も顔を出し、博は二度ビックリ。
昌行「なんでお前が」
博「それはこっちのせりふだよ。怪我人は中か」
快彦は博を入れ、廊下に人がいないのを確かめてふすまを閉める。
快彦「どうしたんだよ」
博「薬を届けに来たら、怪我人を見てくれと言われたんだよ」
昌行「ほう、手当に来たのか」
博「逆だ。できるだけ死ぬようにしろと言われたよ」
内海はじっと博を見ている。快彦は内海に、
「心配するな。こいつは俺の仲間だ。といっても、よけい安心できねえだろうけど」
博は、傷口を押さえた手を離させ、傷口を見て顔をしかめる。
快彦「どうだ」
博「血がだいぶ出てる」
内海は、博の手を払いのける。
ふすまを閉め切った座敷。
宇梶、砂羽、晃が膝を寄せ合って何か相談している。
快彦は、内海に向かい、
「さっきの続きだ。誰に殺しを頼まれた」
内海は目を閉じ、肩で大きく息をすると、
「あの手代……」
顔を見合わせる快彦と昌行。
快彦「さっきいた、あの手代か」
頷く内海。
快彦「どういうことだ」
内海「店の手代とは知らなかった。ただ、わたしが美穂を取り戻したがっているのを知って、近づいてきた。手付けに十両くれて……」
そう言いながら、懐から、銭入れを出す。指の間からバラバラと小判が落ちる。
目を閉じる内海。博はその首筋に触れ、首を振る。
遊郭の座敷。
ぼんやり上座に座っている拓哉。前には料理の載った膳。
砂羽が銚子を手に取り、
「さ、飲んで忘れて」
と言って差し出す。ぼんやりそれを受ける拓哉。
ふすまを隔てて、隣の座敷。
上座に宇梶。横に晃。宇梶と向かい合って昌行、快彦、博。
晃「何分にも、今日のことは聞かなかったことに」
宇梶「うちの信用にもかかわりますので……」
そう言いながら、紙の包みを三人の前に出す。
快彦「口止め料ってわけか」
晃「うちは、若旦那もあんな風ですし……」
昌行「金はいらねえ。今回のことは何も見なかったことにする」
顔を見合わせる宇梶と晃。
昌行「へたに金なんて出すもんじゃねえ。これに味をしめて俺たちがしょっちゅう小遣いせびりに来るようになったら困るだろう。下手するとこっちの命がやばいことになりそうだしな」
頷く快彦と博。
宇梶「そうですか……」
快彦「あとの始末はそっちで適当にやってくれ。俺は若旦那を送ってって、仕事はこれまでにしてもらう」
そう言って快彦が立ち上がり、昌行も立ち上がる。晃は宇梶と顔を見合わせ、頷き合うと、
「わかりました。よろしくお願いします」
と言って立ち上がり、拓哉のいる座敷へ向かう。昌行と快彦が続く。
残った宇梶と博。
宇梶は先ほど出した金の包みをしまう。
博「では、こちらの仕事の話にかかりましょう」
宇梶「薬、できたのかい」
博「はい」
そう言って、懐から白い紙に包んだ薬を出す。
「これで五回分です」
「そうかい。ま、試してみるよ。これを取っておきな」
そう言いながら、宇梶は懐から紙包みを出す。さっき口止め料に出そうとした金よりも厚みがある。
博「ほう、ずいぶん……」
宇梶「いいかい。このことは誰にも言うんじゃねえぜ。うまくいけば、この礼の何十倍もの儲けになるんだ」
博、金を懐に入れながら、
「何十倍、ですか」
「いや、何万倍、かな」
布団に横になっている美穂。
目は閉じているが、まぶたの間から涙が流れ落ちる。
快彦の長屋。部屋の隅には作りかけの傘。
快彦「どう思う」
昌行「あの話だけじゃな」
博「どうして若旦那を始末したいんだろう。それらしい雰囲気はあったのか」
快彦「いや、全くねえ」
昌行「丁稚の方はどうだろう」
快彦「あの丁稚は、なりはでかいが頭の方は大したことはねえようだ。手代と若旦那の間に何かあったとしても何も知らねえだろう」
博「あの若旦那のことなんだけど、少し事情が分かるかもしれない」
昌行「あてがあるのか」
博「なくはない」
大通り。
ふらふらと歩く拓哉。
その後ろをついていく晃と剛史。
道行く人が拓哉を振り返る。
茶店。
並んで坐っている博と柄本。
柄本「今日はいつものうるさいのはどうしたい」
博「置いて参りました。なんでも、気の触れた男が、美穂とか何とかわめきながら歩き回っていて気味が悪いと言いまして」
柄本「ああ、あの男か」
博「何でも、大店の若旦那だとか」
柄本「ああ、そうなんだ。ちょっとわけありでな」
博「生まれつきじゃないんですか」
柄本は左右を見回すと、博ににじりより、
「大きな声じゃいえねえんだがよ」
と耳元でささやく。博は顔を引きつらせながら、
「教えてくださいよ」
柄本「もとはちゃんとした若旦那だったんだがな、ある女と一緒になろうとして……」
と言いながら博の手を握る。博、そっとその手をはずそうとしながら、
「親が許してくれなかったんですか」
「それもあるんだが……。どうも、どうやっても一緒になれっこねえ相手だったらしいぜ」
「一緒になれっこない相手?」
「まあな。それで、心中しようとしたんだが、女だけが死んじまって、自分が生き残ったのはいいものの、それ以来あんなふうになっちまったらしい」
「心中……」
「普通ならよ」
と言いながら柄本は博の肩に手を回す。
「相対死(あいたいじに)の生き残りはただじゃすまねえんだが、親父がだいぶ金を使ったのと、気が触れちまったのとでお構いなし、ってことになったのよ」
博、何とか柄本の手から逃れようとしながら、
「一緒になれっこないって、どういうことだったんでしょうか」
「さあなあ。そこまでは知らねえな。例えば俺とお前だって一緒になりたくたってなれねえよな」
博、ぎょっとして柄本の顔を見る。柄本、意味ありげに博の顔を見てニヤリ。
拓哉が、大店の中へ入っていく。そこは夏八木の店で、番頭が、
「お帰りなさいませ」
と声をかける。その声を聞いて、奥の暖簾の間から夏八木が顔を出す。
拓哉はじろっと夏八木をにらむが、そのまま土間を通って裏の方へいく。晃と剛史もついていく。裏へ行くとき、晃はちらっと、夏八木のいるあたりを見る。
宇梶の遊郭。
向かい合って坐っている砂羽と美穂。
砂羽「いいかい、あの内海って男はもう二度とここに来られないようにして追い返してやったからね。最初っからあんな男はこの世にいなかったと思うんだよ」
美穂「はい……」
(続く)
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