髪結いの店。
客の頭を結っている昌行。格子窓の外から、バタバタ走る足音と、
「若旦那、若旦那」
という声が聞こえる。客と昌行が外に目をやると、通り過ぎた後らしく、立ち止まって目で追っている通行人が見える。気の毒そうに頷き合う女たちもいる。
昌行「どうしたんでしょうね」
客「なんでも、このあたりに、大店の息子で、気が触れちまったのがいるらしいぜ」
昌行「へえ、そうなんですか。そりゃあ、気の毒ですねえ。何かわけがあるんでしょうかね」
客「よっぽどのことがあったんだろうなあ」
茶店。
一人で団子を食べているお蘭。そこへ博が来て隣に腰を下ろす。
お蘭「仕事、紹介して貰えたのかい」
博「ああ。貰えた」
お蘭「よかったね」
博「うん。それでな、俺、明日ちょっと吉原に行って来る」
驚いてむせ返るお蘭。
お蘭「吉原って、兄貴、そんな……」
博はその背中を軽く叩いてやり、
「勘違いするなよ。吉原で仕事があるんだよ」
お蘭「でも、吉原っていったら……」
博「だから、俺一人で行くよ」
お蘭は思わず立ち上がり、
「駄目っ、絶対駄目っ。おいらも一緒に行く」
「でもなあ。いろいろ変なやつもいるかもしれないし」
「駄目っ」
その時、突然、若い男がお蘭の両肩をつかみ、顔をのぞき込む。
「美穂ーっ」
驚いてすくむお蘭。博は慌てて立ち上がり、引き離そうとする。
男(木村拓哉)はお蘭の顔をじっとみると、
「美穂じゃねえーっ」
と叫んでふらふらと離れていく。だらしなく着ているが、着物は上等なもの。そこへ走って来た手代(赤坂晃)と丁稚(米花剛史)、博とお蘭に頭を下げ、
「どうも相済みません」
と言うと、
「若旦那」
と呼びながら拓哉の後を追っていく。
顔を見合わせる博とお蘭。
大店の勝手口。
快彦が前で立ち止まり、中の様子をうかがってから入って声をかける。
「ごめん。武威六道場から参った」
吉原。大門を抜け、仲ノ町を歩く博とお蘭。昼間なので人通りは少ない。
遊郭の門口から、化粧を落とした女や目つきの悪い男が二人をジロジロ見ている。お蘭はそれを気にして、博にくっついている。
博「なんだよ、そんなにくっつくなよ」
お蘭「だって……」
博「だから俺一人で来ようと思ったのに」
お蘭「だって……」
博「だって何だよ」
お蘭が口をとがらせた時、横から、
「また来やがったか。会いたかったらな、金持ってきな。十両持ってくりゃあ、半時ぐらいなら会わせてやるぜ」
という怒鳴り声が聞こえ、みすぼらしい浪人が戸口から放り出される。地面にうずくまる浪人。
中からは主人(宇梶剛士)が出てきて浪人をにらみつけ、
「いい加減にしやがれ」
と毒づき、中に向かって、
「塩持ってこい」
と声をかける。中から、
「あいよ」
と女の声がして、女将らしい女(鈴木砂羽)が塩を盛った皿を持って出てくる。宇梶はやっと立ち上がった浪人めがけて塩をまくと、女と共に中に入り、ぴしゃりと戸を閉める。じっとその戸をにらむ浪人(内海光司)。博とお蘭が驚いて見つめていると、浪人はそれに気づき、ちらっと二人を見て、唇をかみしめ、立ち去る。
宇梶たちの消えた戸口に目をやった博、
「あ、ここだ」
と言って、裏手へ回る。慌ててその後についていくお蘭。
浪人は立ち止まって博たちをみていたが、首を振って歩き出す。その浪人に歩み寄る人影。
大店の座敷。上座に主人(夏八木勲)、下座に快彦。女中がお茶を置き、座敷から出て行くのを見送ってから、
夏八木「実は、お願いしたい仕事というのは、せがれの用心棒でして」
快彦「用心棒」
「実は……。お恥ずかしい話ですが、せがれは、その、気が触れておりまして……」
「……」
「いつもふらふら歩き回っております。店の者を二人つけておりますので、町中では何事もないかとは思うのですが」
「一緒についてまわれ、と」
「いえいえ、そうではございません。せがれの気が紛れれば、と、五のつく日と十のつく日には吉原に行かせておりまして、その時だけついていっていただけないかと」
「五の日と十の日って、五日に一度は吉原へ……」
「はい」
茶碗を手に、気の毒そうなうらやましそうな表情の快彦。
夏八木「いかがでしょうか」
快彦「確かに吉原は物騒かもしれません。わかりました。引き受けましょう」
「ありがとうございます」
「ただ……」
「ただ?」
「最初は様子が分かりません。初めのうちは助手を一人連れていきたいのですが、かまいませんか。一人で大丈夫ということがはっきりするまで、ですが」
「それはもう、かまいません。せがれの無事が一番大事ですから」
「手当は一人分だけで結構。ただ、飯は食わせてやってください」
遊郭の裏側の座敷。上手に宇梶。下手に博とお蘭。博は手にした書き付けをじっと見ている。お蘭はそれを横からのぞき込んで首を傾げる。
書き付けが映ると、そこにはオランダ語で何か書いてある。
博「これは……」
宇梶「その薬を作ってもらいたい」
博「何の薬ですか」
宇梶「やぼなことを聞くんじゃねえ。郭(くるわ)で病気と言えば分かるだろう。なあ」
と、意味ありげにお蘭を見る。顔をそむけるお蘭。
宇梶「大事な商売道具が病気で使いものにならなくなっちまうと困るんでな。客にうつそうもんなら評判も落ちる」
博「それでオランダの薬を……」
宇梶「それを手に入れるのに随分つかったぜ。とびきり効くらしい」
博「しかし、なぜ私に」
宇梶「お前さんは医者じゃねえからな。医者がその薬を使うようになっちゃ困るんだ。ここだけの話だが、その薬が効くようなら、知り合いの薬屋から売り出すつもりなんだ。ただ、残念ながら、その薬屋はオランダ語は読めねえんだよ。お前さんはただその薬の作り方を俺たちに分かるように書き直して、見本を作ってくれればいい。礼ははずむ。こっそり儲けようなんて、へんな了見起こすんじゃねえぞ」
じっと書き付けを見る博。それの横顔を不安そうに見るお蘭。
大通り。
ふらふらと歩いている拓哉とその後について歩いている手代と丁稚。
拓哉は、若い娘を見ると顔をのぞき込み、そのたびに、
「美穂じゃねえ」
と叫んで突き放す。
手代と丁稚そのたびに頭を下げてわびる。
遊郭。
宇梶に送られ、廊下を歩いている博とお蘭。前の方から、砂羽の声が聞こえる。
「困るんだよ。あんなのに押し掛けられちゃ。あんたから、もう来るなって文(ふみ)でも出しなよ。来るなら二百両、耳をそろえて持ってこいって」
「はい……」
足を止める博とお蘭。宇梶は、声のした方へ、
「客が帰るぜ」
と声をかける。博とお蘭はまた歩き出す。廊下に面した座敷には、きつい表情の砂羽が坐っている。その前にはうなだれて若い女郎(矢部美穂)。
武威六道場。裏庭の井戸端で体を拭いている快彦ら門弟たち。
快彦はゆっくり体を拭いている。もう一人残っていた原が、
「お先に失礼します」
と声をかけて去ろうとすると、
「おい、原、いい話があるんだ」
と声をかける。
原が怪訝な顔をして振り向くと、快彦はにやりと笑い、
「へっへっへ。吉原に連れてってやろうか」
目を丸くする原。
夕方。昌行の長屋。
昌行が帰ってくると、井戸の周りで夫婦の大立ち回り。女は箒を持って男を追い回している。
女「あんた、あたしってものがありながら」
男「しょうがねえだろう、付き合いで」
女「あたしと付き合いと、どっちが大事なんだよ」
男「そう言われても……」
男は何度も叩かれ、頭を抱えて逃げていく。女は、
「ほんとにもう、情けない」
と言って、自分の長屋に引っ込む。
昌行は、部屋からお和歌が頭を出して見物していたのを見て、そこへ行き、男が逃げていった方を見ながら、
「一体何だってんだ」
お和歌「それがさ、あそこの亭主が、吉原に遊びに行ったってんで、おかみさん怒っちゃってさ」
「吉原……」
「仕事先の旦那が連れてってくれたんだとさ」
「品川あたりならまだしも、吉原とはまた豪勢だな」
お和歌、昌行をキッとにらんで、
「まさか、あんた、自分も行ってみたいなんて思ってるんじゃないだろうね」
「そ、そんなわけねえだろう」
慌てて首を振る昌行。
夜。吉原。煌々と明かりがともり、男たちが行き交う。
張見世の格子窓の向こうに遊女たち。それを冷やかして歩く男たち。
人混みの中、手代の晃に先導されて拓哉がふらふら歩いている。拓哉のそばには剛史。その後ろから快彦と原。二人は物珍しそうにキョロキョロしながら歩いている。
昌行の長屋。
向かい合って夕食を取っている昌行とお和歌。
お和歌「しかし何だって男は吉原みたいなところに行きたがるのかねえ」
昌行「さあな」
お和歌「あんたは絶対行ったりしないよね。あたしってもんがあるし」
昌行「あたりめえじゃねえか。そういや、博はこないだ仕事で行ったって言ってたな」
お和歌「へえ、例の人がねえ。ふうん」
昌行の顔をからかうように見るお和歌。昌行、全く意に介さない。
吉原の座敷。
三味線に合わせて踊る幇間や女たち。
上座に拓哉。寄り添うようにして美穂。拓哉は呆けた顔でぼんやりと踊りをながめ、時折杯を口に運ぶ。美穂はその横顔を見ている。
横手に晃と剛史。晃はあたりに気を配り、剛史は無心に料理を食べている。
晃はそっと座をはずし、廊下に出る。
廊下の端に宇梶が立っている。宇梶の所に歩み寄って何か耳打ちする晃。
博の長屋。
蘭書を広げ、書き付けと照らし合わせている博。
吉原。
拓哉たちの座敷とふすまを隔てた隣の狭い座敷。
隣からの三味線の音を聞きながら、快彦と原が向かい合い、つまらなそうな顔で飯を食っている。
快彦「吉原に来て男同士で飯を食うことになるとは思わなかったぜ」
原「ふすまの向こうとこっちじゃ、えらい違いですね」
快彦「全く……」
朝。
博の長屋。
机に向かっている博。お蘭が戸を開けて入ってくる。
「兄貴、今日の仕事はどうなってんだい」
博はお蘭の方を向き、
「今日はでかけねえ。これに書いてある物を買ってきてくれ」
と言って書き付けを渡す。
「あいよ」
頷いて走り去るお蘭。
日本堤のあたり。
人影まばらな道を歩いている拓哉一行。先を行く晃、ぼんやりした顔の拓哉、何も考えていない様子の剛史。その後ろから、眠そうな顔の快彦と原。
その一行を物陰から見ている男の後ろ姿。
晃は立ち止まると、懐を探り、
「あっ、しまった。矢立を忘れてきた。剛史、旦那様と一緒に先に行っててくれ。井ノ原さん、よろしくお願いします」
と言うと、快彦たちに頭を下げ、小走りに戻っていく。快彦、それを見送って、
「どうせ四日たちゃまた来るのに」
博の長屋。
乳鉢で薬を調合している博。
時折、書き付けを見て首を傾げる。
一膳飯屋。
飯をかき込んでいる昌行。隣に、眠そうな顔の快彦が座る。
昌行「よう、どうした。疲れた顔して」
快彦「夕べちょっとな」
昌行「ちょっとどうした」
快彦「吉原で一晩……」
驚いてむせ返る昌行。
「よ、吉原!」
「ああ」
ぼんやりした顔で運ばれてきた飯を口に運ぶ快彦。
昌行「な、なんでまたそんなに金回りがよくなったんだよ。品川あたりならまだしも」
快彦「仕事だよ。大店の若旦那の用心棒だ」
昌行「仕事で吉原かよ」
快彦「ああ、四日したら、また吉原だ」
昌行、快彦に向き直り、
「な、頼む、俺も連れてってくれよ」
快彦は面倒くさそうに昌行を見て、
「たいして面白かねえぜ」
「そう言わねえでさ。な、いいだろ」
大通り。
薬の包みを持って歩いているお蘭。
すれ違いざま男と肩がぶつかる。
「気をつけろ」
罵声に相手の顔を見ると、岡っ引きの柄本。
「なんだ、おめえか。手軽屋はどうした」
そう言いながらじろりとお蘭をにらむ柄本。お蘭も負けずににらみ返す。
そこへ、
「美穂ーっ」
と叫びながら拓哉が割り込み、お蘭の肩をつかんで顔をのぞき込む。
驚いて一歩さがる柄本。
拓哉はすぐにお蘭を離し、走り去る。その後を追いかけていく晃と剛史。
それを見送り、
柄本「気の毒になあ。普通なら心中の生き残りはただじゃ済まねえんだが」
お蘭「心中?」
柄本、はっとお蘭の顔を見て、
「何でもねえ。お前なんぞに言えることじゃねえんだ」
と言って立ち去る。
博の長屋。
お蘭が、
「買ってきたよ」
と言って入ってくる。
博、乳鉢の中身を見つめて黙っている。
お蘭「どうしたの?」
博、はっとしてお蘭の方を向き、
「いや、何でもない。ご苦労だったな。そこに置いてくれ」
お蘭は立ち去りがたく、身を乗り出し、
「ね、ね。こないだの気が触れた若旦那さ、心中の生き残りらしいよ」
博、包みの中を改めながら、
「心中?」
お蘭「そうなんだって。あの岡っ引きが言ってたよ」
博「そうか」
お蘭「何があったんだろうね」
博「何かあったんだろう」
博が全く乗り気でないので、お蘭はふくれて出ていく。
(続く)
![]() |
![]() |