第18回

  堤防沿いの川岸はもう薄い緑がちらほら見える。草を踏む足裏も柔らかい。
 スクーターを乗り捨てて剛が土手を駆け上ると、川岸を眺めていた井ノ原が振り返った。
 「……やあ」
 「……こんにちは」
 井ノ原の笑顔が、すごくなつかしいようにも、昨日別れたばかりのようにも思えた。ふたりは照れたようにうつむくと、すぐに肩を並べてゆっくり歩き出した。
 「きれいなところだね」
 井ノ原の言葉に、剛が頷く。
 「君んちの近くにこんなところがあったのに、俺たち、こういうところに来たことなかったね」
 しばらく黙って歩いてから、今度は剛が言った。
 「……今日、新聞に段田さんの記事が載ってましたね」
 「……ああ」
 釣りにいい淀みがあるらしく、下の川岸に、大人も子供も、釣り竿をたれている。ふたりは立ち止まって、上からそれを眺めた。
 「あの騒ぎのおかげで、俺たちの婚約発表もなんだか自然に中止にできちゃったよね……」
 「……」
 「まあ、もう、今さらだけど」
 「……」
 剛が黙っていると、井ノ原が思い切ったように声を出した。
 「俺さ、ほんとはすごく腹立ててたんだよね。あんな写真を撮ったヤツにも、撮られた君にも。だってさ、たとえどんな事情があったにしても、あれがほんとうなことには変わりはないわけじゃない? すごくやきもち焼いてたくせに、その気持ちはどうしても君に素直に見せられなかったんだ……。ある時は、俺に言っておいてくれればどうにかなったのに、とか思うし、また少し経つと、全部君の嘘なんじゃないか、とか思うし。堂々巡りにそんなことばかり考えてた」
 「……」
 「君を信じてるって言うことだけが正しいって信じてて、無理してそういうポーズをとってたけど……、だめだね、そういうのって、結局ボロが出ちゃって」
 井ノ原はちょっと笑った。伸びた髪を後ろに流し、少し頬のこけた井ノ原は、以前よりぐっと大人らしくなっていた。
 「……それでさ、俺、あれからよく考えるんだけど、君、あの日、葬式みたいな服着てきたろう。それで突然俺に、結婚のことをもっと考えたいって言った。あれ、どういうことだったのかなあって。あんな言い争いにならなかったら、君はほんとはなにが言いたかったのかなあって……、あのときの君の顔を何度も思い出すんだ」
 「……」
 「もうだめ?」
 井ノ原はそう尋ねてみる。
 「今さらもう、聞かせてもらえないことかな?」
 井ノ原は剛を見たが、剛は、釣りのようすを見ているままだった。誘われるように井ノ原も剛と同じ方に視線を移す。
 ちょうど、水面がかすかに緊張したのが見えたと思う間に、一つの竿がぐっとしなった。あっと思う間に竿はさっきまでと逆に、空中に跳ね上げられた。魚の白い腹と銀色の鱗が陽を受けてきらきらと光る。
 釣り上げた男の子は、周囲の無言の声の中、誇らしそうにまだ動く魚をつかみ、針を外して魚籠に入れる。
 ふたり並んでそれに見とれたあと、井ノ原は再び剛に尋ねた。
 「剛くん。聞いてた? ……さっき俺が言ったこと」
 「聞いてましたよ」
 剛は井ノ原を見ないまま答えた。嫌そうではない。
 そしてそのまま、剛は川面を見てまぶしそうに目を細めたまま言った。
 「……あの日井ノ原さん、俺が嘘をついたって言ったでしょう」
 「……」
 「その通りです。俺、嘘をついてました。俺、あの写真の相手の男が誰だか、知ってました」
 「……」
 「けど、恋人でもなんでもないし、その他のことは全部ほんとうです」
 「……」
 「あれね、俺の生き別れになってた、兄ちゃんだったんです」
 剛の意外な言葉に、井ノ原は驚いて剛を見つめた。剛も井ノ原を見て、笑った。
 「ね? あんまりおかしなことだから、俺、誰にも言えなかったんですよ」
 「……」
 「……俺ね、5歳の頃に森田の家にもらわれたらしかったんですけど、俺はそうなった詳しい経緯とかずっと知らなかったし、自分のほんとうの親がどういう人だったのかも知らなかったし……。俺はこの家の子でいいのかなあって、子供の頃から心の奥でいつもそう思ってたんです」
 「……」
 「だって、養子に出されたってことは、もともとは俺、親にいらないと思われた子供だったわけじゃないですか。そんな俺なんか悪い子に決まってるのに、こんなにかわいがってもらってていいのかなあって。なんだかずっと、そう思ってたんですよ」
 「……」
 「だからって言うんじゃないんですけど……、井ノ原さんが、俺が必要、みたいに言ってくれた時、すごくうれしかったです。井ノ原さんも井ノ原社長も俺にとても優しいし、井ノ原さんと結婚することになってお父さんもお母さんもすごく喜んでくれてたし、それでやっと自分が森田の家に引き取られた意味ができたみたいな気がしてたんです。……でも」
 「……でも……?」
 剛が言葉をとぎらせたので、井ノ原が繰り返した。
 「なんか急に、俺はどこかでなにか間違えたかもって思って」
 剛が、井ノ原の顔を見あげて言った。
 「なんていうか、俺、心が狭い? 俺、すげえ甘えてた。誰も俺をいらないなんて思ってなかった。俺、いつもちゃんと愛されていたのに、自分で勝手に親に捨てられたとか思いこんでた。今のお父さんやお母さんだって、俺が幸せになることを考えて井ノ原さんとの結婚を喜んでくれていたのに、俺は、ふたりを喜ばせてあげられたなんて考えてた……」
 「……」
 「そう気がついたとき、そんな結婚じゃだめだって、すごくそう思ったんです。……結婚するんなら、精一杯の気持ちでするんでなくちゃ、嫌だと思った……。それでなきゃ、俺を生んだお母ちゃんは俺の結婚を喜ばないだろうって、そう思った」
 「……」
 剛の言うことがよくはわからないながら、井ノ原も、黙ったまま小さくうなずく。
 「俺、勝手ですね……」
 剛がつぶやいた。
 「すみません。結局、俺が考えてたのって自分のことばっかりですよね。井ノ原さんがなにを考えているか気にする余裕なんて全然なかった。……要するに、結婚なんかするには俺はまだ子供だったんですよ……」
 「……そんなことないさ」
 井ノ原が淋しげな微笑を浮かべて答えた。
 「それは、俺だよ。俺がもっとしっかりして君のこと考えてたら、きっと君との結婚をやめることになんてならなかったんじゃないかな……」
 それきりふたりは黙る。
 「そう言えば、段田さんがあんなことになって、紗英さん、どうしてます?」
 突然、顔をあげて剛が尋ねた。
 「紗英ちゃん? うん、とりあえずうちに住んでるよ」
 「へえ」
 「他に頼るところもないし。あの子、頭が良くて勉強が好きなんだよ。原さんの手伝いもちゃんとするしね」
 「なんだあ。よかったじゃないですか」
 「なにが」
 「紗英さん、きれいだし」
 「……ええ?」
 井ノ原が間の抜けた返事をすると、剛がいつもの笑い声を出した。ひとしきり笑うと、剛は言う。
 「俺、そろそろ行かなきゃ」
 「え、もう?」
 「これから、お父さんとお母さんと出かけるんですよ。じゃあ、井ノ原さん、元気で!」
 「……待ってよ!」
 井ノ原は、土手を駆け下りる剛の背中にあわてて怒鳴った。剛が、立ち止まってこっちを見る。井ノ原は、怒鳴る。
 「俺……、ほんとに悪かったって思ってる。剛くん、俺……!」
 そこで井ノ原が言いよどむと、剛は笑って手を振って、そのままスクーターに向かって走っていく。井ノ原は、その後ろ姿を見送る。

 その日の夜。
 鎌倉からの帰りの車の中。
 助手席に座った良枝が、あきれたように運転席の敬三に言う。
 「ものすごく遅いわね、前の車……」
 工事中の一車線が終わると、敬三の車はすみやかに、のろのろ運転の前の車を追い抜いた。
 リアシートに座って外を眺めていた剛は、追い抜いた車を見て、驚いて身を起こしながらつぶやく。
 「……あれえ?」

 自宅の車庫に入る敬三の車。
 車から降りるとすぐ、剛はスクーターの方へ駆け寄る。
 「俺、ちょっと出かけてきます!」
 「まあ。今から?」
 「すぐ帰りますから!」
 そう言うと、もう走り出している剛。
 敬三と良枝は顔を見合わせる。
 「こんな夜に、どこに行くのかしら」
 ため息混じりに良枝が言う。
 「どこでも平気だよ」
 敬三が言う。
 「我々より剛くんの方がしっかりしてるじゃないか」
 「……ほんとですわね」
 敬三と良枝はくすりと微笑みあうと、寄り添って家に入っていく。

 剛が長野の家の前に着くと、長野はまだ帰っていない。だがすぐに、エンジンの音と共に、さっきののろのろ運転の車が走ってくる。
 「あ、剛〜」
 長野は窓から顔を出して手を振った。剛が、スクーターをどかすと、長野は一生懸命後ろを見ながら、家の前ぎりぎりに車を止める。
 「……すごいね、これ」
 長野が車から降りてくると、あきれたように剛が言う。
 「そう?」
 「……うん……」
 車は、何年前のかわからない型のスカイラインである。うしろのバンパーが取れそうなのをガムテープで止めてあるのが、よく目立つ。
 「友達がもう売れないからってくれたんだ。今乗ってきたんだけど、エンジンさえちょっと直せば平気みたい」
 「ほんと……?」
 「今度、剛のことドライブに連れてってあげようか」
 「……」
 剛は黙って車をあちこち眺め、
 「危なくないの?」
 と尋ねる。
 「なに言ってんの、大丈夫だよお」
 長野は元気に言って、家の鍵を開ける。
 「夜はまだ寒いね。あがってよ」
 「……うん」
       
 小さな仏壇の鐘をたたき、剛が両手を合わせている。
 「長野くんのおじいちゃん、長野くんが事故らないように見守ってあげて下さい」
 うしろで上着をしまいながら笑っている長野。
 「なんだよ、それ〜」
 
 二階の長野の部屋の手すりから夜空を眺めている剛。
 「あー、今日も星がよく見える!」
 「そうだねえ」
 長野も後ろから顔をのぞかせる。剛はそんな長野を見上げて、一瞬なにか言いたそうな顔をするが、長野は気がつかない。
 剛は、クスリと笑い、もう一度夜空に目を移す。そのままふたりはずっと並んで星空を眺めている。

 翌日。ダリア保育園。
 保育園の園庭で、みんなが手つなぎオニをしている中、一人の子があわてて逃げようとして転んでしまう。膝をすりむいて泣き出す子供。
 「あ」
 剛は気がつくが、両手を子供にしっかり握られているのですぐには駆け寄れない。だが、どこからかすぐに健が飛んできて子供を抱き起こす。
 「ほらあ、泣くなよ」
 ポケットから出したハンカチで子供の顔を拭いてやり、健はやさしく土を払う。
 「ほらもう、平気平気。今度から先生と手をつないで逃げようね」
 「うん!」
 やさしい健に、子供はすっかり元気。
 それを見ていた剛が、自分の後ろ辺りで子供と手をつないでいた准一に声をかける。
 「なんか健、このごろはりきってるなー」
 「……まあな」
 「なんかいいことでもあったのかなあ?」
 不思議そうな剛。
 「別にあいつ、そんな話はちっともしねえけど」
 「……あったんちゃう?」
 含みのある准一の返事に、思わず大声の剛。
 「あー、なんか知ってる、おまえ!」
 「剛くんが鈍いだけやん」
 「……そうなの?」
 剛が首を傾げたところで、そろそろ午前中の遊びの時間は終わり。お昼を知らせるかわいい音楽が鳴る。
 「さあ給食だよ。お昼の前に手を洗って〜」
 3人が子供を手洗い場に並ばせていると、そこに顔を出したのはダリア保育園の赤城春江園長。
 「……先生方、ちょっと」
 そう言うと、園長は3人を手招きする。
 「?」
 「なんですか?」
 3人が集まると、園長が困った表情で門の方を見ている。
 「あのね。さっきからガラの悪い男が保育園の中をうかがっているのよ」
 そう言われて3人は窓越しに塀の外をのぞく。サングラスをかけた男が目に入る。
 「ずっといるの。子供を狙っているのかも知れないわ」
 3人はもう一度目をこらすが、男は塀の死角に入って見えなくなってしまった。
 「お願い、先生方で追い払ってくれないかしら。子供たちがこわがる前に」
 園長に頭を下げられ、3人は顔を見合わせる。

 こっそり門に近づく3人。剛と健は後ろから准一を押すようにしている。
 「な、なにすんの、ふたりとも」
 「うるさいな」
 「いざとなったら俺たちが助けに出るから」
 「行けっ」
 ふたりに押し出されて、准一は門の外に飛び出す。向こうで塀に寄りかかっていた男が准一に気がついてこちらを見る。
 「あ……」
 准一は門の影の剛と健を振り返るが、ふたりは、行け行け、と手で合図する。仕方なく、男に近づく准一。
 「あ、あの……」
 男はサングラスをかけたままだが、准一をぎろっと見た感じである。
 「あのですね、うちの保育園になにか用ですか……?」
 男が塀から身を起こす。びくっとする准一。
 「君、ここに勤めてるの?」
 「は、はい……」
 男がゆっくりとサングラスを外す。准一は、なぜかそんな男の顔をまじまじと見る。
 「ちょっと知り合いを呼んでもらいたいんだ。森田って言うんだが……」
 男が全部言い終わらないうちに、准一の後ろから声がする。
 「……兄ちゃん!?」
 そう言ったのはもちろん剛である。
 「ええっ」
 振り向く准一と、立ち上がった剛を驚いて見上げる健。
 「なんだ、そこにいたのか」
 サングラスを外した坂本が言う。
 「どうしたの?」
 驚いた剛に、坂本が言う。
 「ちょっと顔を見てから行こうかと思ってな」

 塀の先で剛と坂本が話している。門の影からは准一と健がそんなふたりの様子を伺っている。
 「元気か?」
 「うん……」
 「井ノ原家の御曹司との結婚、だめになったらしいな」
 「……」
 坂本がちらっと剛を見る。
 「……あの写真のせいか?」
 坂本の言葉に剛はちょっと黙り、それからにやっと笑って顔をあげた。
 「もしかして、そのこと心配して来てくれたの?」
 坂本がむっとして言い返す。
 「バカやろ。大人をからかうな」
  
 剛と坂本が話しているのを門の影からのぞいている健と准一。
 健の肩に准一が手をかけて身を乗り出しているが、准一がどんどん身を乗り出して押してくるので、健は迷惑そうに振り返る。
 「岡田、そんなに押すなよ!」
 准一の方は健の声が聞こえない様子で向こうを眺めている。
 「タイプや……」
 ぼうっとした顔で准一がつぶやく。健はギョッとして准一の顔を見る。

 「……あのさ。俺はなにかのせいで結婚をやめたりしないよ。結婚は俺と井ノ原さんの問題だから、結婚をやめたのも、俺と井ノ原さんのせい」
 「へーえ」
 坂本は感心したようなバカにしたような声を出す。
 「一人前のこと言うんだな」
 「まあね」
 剛の笑顔を見て、坂本は、しかし安心したようだった。誰にともなくつぶやく。
 「俺が心配することもねえようだな。……じゃあ、もう行くか」
 「行くって……?」
 剛の問いに、坂本が目をそらせて言った。
 「これからは、おまえと偶然に会うなんてこともなくなるだろうな」
 「え……」
 「じゃあな。元気でやれよ」
 そう言うと、坂本はもう歩き出している。見ると、坂本の歩いていく先に、車が止まっていた。坂本が近づくのに気がついたのか、車のドアが開き、女が出てくる。坂本と、車から出てきた女は、一言二言話してからこちらを振り返る。
 いつの間にか剛のすぐ後ろには健と准一が立っている。女が、挨拶するようににっこりして3人に頭を軽く下げた。剛と健は、それに誘われるようにぺこりと頭を下げる。准一はひとり、ぼうっとして車の方を見つめている。こちらを振り返った坂本が、そんな3人を見て一瞬おかしそうに笑ったのが見えた。だが、坂本と女はそのまますぐ車に乗り込んだ。3人が見ている中を、車はなめらかに走り出して行く。

 「あ。行っちゃったあ」
 走り出した車を見てそう言ったのは、健。
 「ねえ。あれ、剛のお兄さんなの?」
 健が聞く。
 「うん……」
 剛は車が去った方を眺めたまま、生返事を返す。健はそんな剛を見て、つぶやく。
 「あの人どっかで見たことがある気がしたけど、……気のせいかなあ……」
 「……」
 「でも、ずいぶんきれいな女の人と一緒だったね……」
 剛と健はしばらく車の去った方を眺めてから、保育園の玄関に向かって歩き出した。が、准一はまだ動かない。
 「?」
 「どうしたんだ、岡田」
 准一を振り返って剛が首を傾げる。健が答える。
 「岡田? ……ああいいのいいの、たいしたことじゃないから」
 「?」
 そのとき、保育園の中から子供の騒ぐ声が聞こえる。
 「なんか……、騒いでる」
 剛と健は顔を見合わせて考え、次の瞬間思い出す。
 「あ、そうだ、今日の昼はプリンが出るんだった!」
 「やばい、今頃あいつら大騒ぎだよ!」
 急いで保育園の中に走っていくふたり。准一はまだぼうっとして車の去った方を見ている。しばらくして健が中から走り出てくる。
 「岡田。早く来いよ」
 「健くん」
 ぼうっとしたまま准一が振り返り、そしてうなだれる。
 「俺の運命の恋は、たった10分で終わったんや……」
 「いつまでバカなこと言ってんだよ。鯉のぼりの季節はまだまだ先だろ」
 うなだれた准一の腕をつかんで、健は保育園の中にひっぱっていく。

 クラスでは、すでに、プリンを取り合ってのケンカが始まっている。園長一人では収集がつかない。
 「こら、おまえか!」
 怒鳴る剛に、ケンカしていたふたりが口々に言う。
 「ちがうよお、ユージが」
 「ちがう、マモルが先に」
 「うそつけっ」
 「なんだよっ」
 また始まる大ゲンカ。ケンカを止めようとした剛と健の顔に、次々に飛んできたプリンが当たる。

 怒られて廊下に立たされているマモルとユージ。

 水道でプリンがついた顔を洗っている剛と健。先にタオルで顔をふきながら、健が言う。
 「……剛にお兄さんがいたなんて、俺、ちっとも知らなかった」
 剛はまだ顔を洗っている。健はそんな剛を見て、思い切ったような顔。
 「剛」
 健が名前を呼ぶと、剛が目をつぶったまま手を伸ばす。健はタオルを渡す。受け取って、剛は顔を柔らかなタオルに埋める。健が言う。
 「なんかいろいろあったけど、俺……」
 言いかけて、健は一度ごくんと唾を飲む。
 「俺だったらさ」
 健のまじめな声。
 「……」
 「たとえなにがあっても剛のことを……」
 剛がタオルから顔をあげる。
 剛に見つめられて、健は急に声が小さくなる。
 「あの。守って……」
 剛が、そんな健を見て、不審そうに首を傾げる。そのとき、息せき切った子供の声。
 「せんせい、せんせい!」
 ふたりが振り返ると、子供が何人か後ろに立っている。
 「ケンカしてる!」
 「ユージくんとマモルくん! また!」
 「はやくはやく!」
 「またかよー」
 剛はもう駆け出している。残った健は、がっくりと肩を落とす。
 「……こうなるだろうと思った……」

 音楽、流れる。
( 20th century 「OPEN THE GATE」)

 アイズの会議室。今は会議中で、ボードには「資材の効率化とコストダウンについて」と書かれている。井ノ原も、ペンを片手に、現場からの報告を熱心にメモしている。 

 20世紀マテリアルの工場。
 開発室では、長野が真剣な表情で、エンジニアに機械のプログラミングを説明している。

 国道を走る車。
 いつもの無表情で運転している坂本。だが、助手席に座った女は、なんとなくゆったりして幸せそうな表情である。ふと思いたって、女が車の窓を開ける。

 保育園。
 泣いているユージとマモルの世話を焼いている3人。それを取り巻いて見ている子供たち。
  
 保育園の庭のまだ淡い緑を風が揺する。その風は、剛、健、准一の髪も揺すって行く。顔をあげる3人。 

 会議中の井ノ原も、説明している長野も、運転している坂本も、いっせいにそれぞれが、近くの窓の向こうに視線を向ける。

 全員が今、あたたかな風が春を運んできたのに気がついたのだった。6人はそれぞれに微笑む。

    「剛くんの結婚」おわり

出演



森田剛
長野博
三宅健
岡田准一
井ノ原快彦
坂本昌行    (登場順)

森田良枝……市毛良枝
森田敬三……蟹江敬三
仲人役・加藤夫人……加藤治子
井ノ原雅彦……津川雅彦
長野の祖父……松本清順
ダリア保育園園長……赤木春江
井ノ原家家政婦・原……原知佐子
段田まりこ……加賀まりこ
段田紗英……一色紗英
段田安則……段田安則

(作者注:以上のみなさんを念頭に読んでいただきますと、なんとなくドラマみたいな感じで読めます)
      
 このストーリーはフィクションであり、実在する個人・団体等とはいっさい関係ありません。


あとがき

 と、言うことで(^^)
 「剛くんの結婚」、全巻の終わりでございます……。この結末、いかがだったでしょうか……?
 
 だんだん連載の終わりが近づくにつれ、「結末はこうなるのでは?」というメールをいくつかいただきましたが、どれも、「ああ、そうだよなあ」「この方がおもしろいや」と思えるモノばかり(^^;; 「ワタシの方がこんな展開を読みたいよー」って言いたい感じでした!
  
 たいていの方が「ヒロシと結婚するのでは?」と想像なさっていて、実は以前から、ヒロシファンには「剛くん、長野くんと結婚しちゃうんじゃないでしょうねえ」とかなり警戒されていたんですが(笑) もちろん、わたしも最初はヒロシと結婚させるつもりだったんですよ(笑)

 はじめの案ではものすごく単純に、イノッチは半ば悪役(?)で、強引にヒロシと剛くんの間に入ってくる感じだったんですよ。3、4回で終わるコメディのつもりだったんで。 健くんと准くんもしどころは特になくて、剛くんの話し相手くらいの役のつもりだったんです。それでもなかなか書けなくて、「こりゃダメだ」とがっくりしてたんですけど、カミセン3人は保父さんだということと、剛くんは養子なので両親にどこか遠慮してるってことを考えついたとき、やっと、「これなら書けそう」ってなったんです。
 でも、いくら親に勧められたからって、昔じゃないんだから、すでに恋人がいたら他の人と結婚しようという気にはなれないだろう、と、剛くんとヒロシの間を「友達以上恋人未満」にしたら、これがむずかしいむずかしい。このふたりがものすごくむずかしかった。(って、なんだってむずかしいくせに……>自分)

 それでも途中までは、わたしも「剛くんはヒロシと結婚するんだろうなあ」って思いながら書いていました。で、これは気づいた方もいるでしょうけど、健くんがはじめはブランド婚指向というか、「金持ちと結婚したい」って言ってるんですよね。実は、それを書いたときは、剛くんに振られたイノッチが、すぐに今度は健くんに「君、かわいいねえ」って言い寄るってラストもおもしろいか、と狙っていたんです(笑)(だから、コメディだったんですよ!)
 ところがところが、健くんは途中で剛くんが好きなんだとわかってしまうし、イノッチもいいヤツじゃありませんか。こうなるともう、単純にできなくなってしまって、話はどんどん長くなるし、いつ頃かなあ、剛くんがまーくんにキスされたあたりで、「これはもう、とても剛くんとヒロシが結婚するところまでは書けない!」と悟りました……。
 タイトルにも「結婚」という言葉が使われていますが、誠実な人間が一度結婚を決めて、しかも今度はそれを覆すっていうのは、これは大変なことだと、書いていてしみじみ思いました(^^;;
 第一、イノッチも健くんも、ものすごく捨てがたく剛くんのことを好きなんで、こちらも、「えーい、誰も捨てられない!」と頭がこんがらがってきましてね……。
 健くんは、マモルくんのことで駅で剛くんと語るシーンが(ワタシ的に)とてもよくって、「あららー」だし、イノッチはイノッチで、すっかり結婚する気になっていた剛くんと仲がいいシーンがとてもよかったし……。
 ふたりに比べヒロシは、「静かに剛くんを見守る」って役なんで、なかなか能動的に動かせないんですよ。つらいところです。「気がつけば、人生の大切なときにはいつもお互いがいた」みたいにしたかったんですけど……。
 まーくんはね、だいたい、「女のヒモ」ってどういう暮らししてるのか知らないんで、「こんなもんかな?」と。(すみません……)でも、いい女に惚れられてる役っていうのは、まーくんに向いてませんか? 

 自分で先の展開がわからなくなって、めちゃくちゃ迷走したことも多々ございます。(書き直してからアップしましたが) まーくんが剛くんを陥れるっていうのが、一番無理があるところなんで、ここはどうすれば納得してもらえるのか……、苦労してあれこれ書きましたが、なるべくあっさりした方がかえってアラが見えないか、と、あんなことになりました(^^;;
 そう言えば、イノッチと剛くんは結婚を約束していながら、どこまで進んでいたのか……、なにもねーわけねーだろ! というご意見ごもっともですが、「剛くんの結婚」はホームドラマなんで、40年くらい昔のモラルということで……、(勘弁して下さい!) 
 結局みんなもう一度恋のスタートラインに立ったというような、終わったんだか始まったんだかわからないラストになってしまいました。(あたし、いつもそうか……) でもまあ、お話が始まる前よりは、全員なにか成長してるよね!
 長い連載になりましたが、最後まで読んでくださったみなさま、ありがとうございましたm(_ _)m  みなさまの応援のおかげでどうやら最後までたどりつけた気がします(^^)

 そうだ、最後のテーマソングは、ずっと「always」にしようと思っていたんです。内容も曲調も「剛くんの結婚」にすごく合ってると自分では思って……。でも、「OPEN THE GATE」があまりにもすばらしかったので、ついこちらにしちゃいました。
 「OPEN THE GATE」はかなりスケールの大きな曲で、ホームドラマの「剛くんの結婚」には立派すぎるんですけど、がんばってラストまでこぎつけたご祝儀ということで許されるかと……(^^;;  

 以上、「剛くんの結婚」を終えてのあとがきでした。
 よろしければみなさんの感想など聞かせて下さいね(^^)

(1999.4.4 hirune)


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