(アクセスカウンター50000突破記念作品)

 これは、以前に作った予告編のものとは全く関係ありません。
 今年の1月に、「MIRACLE STATER」をアップした時、ある方からいただいた感想の中に、「FROM rain」と「JUST FOR YOU」の小説を書いて欲しいという要望がありました。

 その時には、「JUST FOR YOU」の方が書けそうな気がしたのですが、結局どちらも書くことができず、ずっと心に引っかかったままになっていました。
 それが、3月の終わりになってひらめいたことがあり、4月に書き上げました。
 これが書けたのは、感想をくださった方のおかげだと思います。

(1999.6.5 hongming)

FROM rain(前編)

 入学式はあっけなく終わった。担任から一人ずつ名前を呼ばれて起立し、校長から入学許可があり、簡単な話があっただけだった。
 場所も体育館じゃなくて会議室だった。何しろ新入生が全部で4人しかいないんだらか無理もない。校長の話で、年々入学者が減ってきて、今年の新入生を最後に募集停止になるということを初めて知った。
 入学式の後、担任に連れられて教室に戻ると、新入生じゃないのが一人、教室にいた。
「お、来たのか」
 担任が声をかけると、そいつはニヤッと笑って、
「新入生じゃないけど初日から休むのもなんだしね」
と言った。
 担任は笑って、
「その調子で今年こそ進級してくれよ」
と言うと、俺たちに、
「じゃあ、とりあえず、黒板に書いてあるとおりに座って。一学期の間ぐらいはその席に座ってくれ」
と声をかけ、俺たちが席に着くのを見ていた。席は教卓の前に三人と二人の二列に座るように指定されていた。俺は二人の方の後ろの席だった。出席番号は俺が一番最後だからだ。
 教室にいたやつは、出席番号が一番だったようだが、
「俺は窓際がいい」
と言って、指定された席に着かず、窓際に一人だけ離れて座ったままでいた。
 担任は別にいいとも悪いとも言わず、俺たちを見回して、
「さあ、最初はお約束の自己紹介だ。これから四年間一緒にいるんだから仲良くやっていこう。まずは僕から。黒板に書いてある通り、僕の名前は長野博。大学を出て初めて来た学校がここ。初めての担任が、最後の学年になるとは思わなかったよ。担当教科は理科だ。どんな性格かはつきあってみればわかるから。じゃ、次は、出席番号一番、井ノ原だ」
と言って窓際の男を見た。そいつは立ち上がると、
「井ノ原快彦です。もう三年もこの学校にいます。長野先生より古いんだから。来年も一年生になってやろうかと思ったら、もう落第できないって言われちゃって困ってる。みんなは俺みたいになるなよ」
と言って座った。担任は、
「もう後がないんだから、がんばってくれよ」
と言うと、
「次、岡田」
と言って、俺の右側にいる生徒を見た。なんだかほっぺの赤い、あか抜けないやつだった。そいつは立ち上がると、
「岡田准一です。大阪から、東京っちゅうところがどんなところか見に来ました。よろしく」
と言った。その後ろはたった一人の女の子。加藤あいという名前だけ言って腰を下ろした。女の子が一人だけだから緊張しているのだろう。
 俺の前に座っている生徒の番になると、担任はちょっと不安そうな顔をした。
「どう、名前だけでも」
と言って顔をのぞき込んでいる。俺の前の生徒は、立ち上がると、じっと机を見たまま、つぶやくように、
「三宅健です」
と言って腰を下ろした。担任はホッとしたように頷いている。
 次は俺の番だ。俺は、
「森田剛です。よろしく」
とだけ言って腰を下ろした。本当はいろいろ自分のことをしゃべりたかった。自分が知らないうちにみんなが俺の事情を知ってしまうのはいやだ。かといって、わざわざ自分から言うようなことじゃない。
 担任からはその後、教室は全日制と共用だから、机の中に私物を入れっぱなしにしないこと、とにかく休まないで来い、などと話があり、こうして俺の定時制高校生としての第一日目は終わった。

 最初の一週間はあっという間だった。バイト、学校、部屋。この三カ所をぐるぐる回っていただけだった。学校から帰ると、銭湯に行く気力もなく、部屋の流しで頭を洗って済ませていた。
 学校に入って一番よかったと思ったのは、給食があることだった。朝は食べず、昼はバイト先の弁当という俺にとって、夕食となる給食は一日で一番充実した食事だった。
 一時間目の授業の後、みんなで食堂に給食を食べに行く。ご飯、おかず、みそ汁。毎日違うものが食べられる。まずいなんていうやつもいるが、俺にはごちそうだった。
 大きなテーブルに、クラスごとに固まって座って食べることになっているのだが、上級生は好き勝手なところに座って食べていた。教員用の席で食べるのもいれば、ほかのクラスに混じって食べるやつ、同じ部同士で固まって食べているやつもいる。教師も、教師用のテーブルにいるのもいれば、生徒に混じって食べるのもいた。担任は、スーツを着ていたのは入学式の日だけで、あとはいつも白衣を着て俺たちと同じテーブルで給食を食べていた。
 やけに顔の大きい教頭は、あっちこっち生徒の席に入り込んで食べていたが、どの食べ物が体にいいだの、これはどの病気に効くだの、そんなことばかり話していて生徒にあきれられていた。
 井ノ原は、二年生も三年生も元同級生なので、いつも席を変えていた。
 学校全部で六十人ぐらいしか生徒がいないんだから、食堂のどこにいたってすぐわかる。
 そのうち女の子は二十人ぐらいだった。上級生はどのクラスにも五、六人はいるのに、うちのクラスは一人だけだ。加藤あいはいつも、渡辺という丸顔の養護の先生と一緒に食べていた。
 給食の時、俺と三宅は黙って食べているが、岡田はよくしゃべった。担任は気を使って俺たちにも話しかけるが、俺と三宅はあまりそれに乗らないので、どうしても岡田としゃべるしかない。岡田は、ラグビー部だったこと、母親の仕事の話、何でもあっけらかんとしゃべるので、俺は少しうらやましかった。
 ある時、給食時間の終わり間際になって、四年生が一人駆け込んできた。配膳台のところで、
「まだありますか」
と声をかけるのを見ていると、中から、
「あるわよ」
と声がして、調理の女の人が顔を出した。
「あら、坂本君。休みかと思った」
と言うと、その人は、
「まだあるから大盛りサービスね」
と、ピラフを大盛りにした皿を渡した。坂本と呼ばれた四年生は、一番近くにあった俺たちのテーブルに座って食べ始めた。
「ずいぶんサービスいいな」
 担任が驚いていると、珍しく俺たちと同じテーブルにいた井ノ原が、
「先生、負けてるね。酒井さん取られちゃうよ」
とちゃかした。
「おいおい、生徒がライバルかよ」
 担任は大げさに坂本という生徒をにらみつけたが、相手はちょっと笑っただけだった。

 五月の連休が終わると、井ノ原は休みがちになった。給食のたびに、担任は井ノ原がいるかどうか確認して心配していた。俺はとにかく給食がある限り休まなかった。
 授業中は寝ていても怒られることはない。授業の内容も、なんでこんな簡単なことをやるのか、というようなことばかりだった。
 面白い授業はなかったが、中学校を卒業してから三年間のブランクがある俺にも、授業がわからなくて困るということだけはなかった。
 五月の終わり頃、井ノ原は二日続けて学校を休んだ。三日目に、給食の時間になって姿を現したのを見て、担任は自分の前に座らせ、
「二日も連絡なしで休んで、どうしたんだよ」
と尋ねた。井ノ原が笑って、
「ボウリングだよ、ボウリング。最近はまっちゃって」
と答えると、担任はちょっとムッとして、
「そんなことしてる余裕はないだろう」
と言ったが、井ノ原は、
「いいじゃない。遊べるのは今のうちだけなんだから。俺なんか、もう二十歳すぎてるし、だんだん責任ってやつが重くなってくるからね」
と軽く言うと、担任が口を開く前に、三宅に向かって、
「君、いつも黙ってるね。何かあったの」
と話しかけた。三宅はちょっと井ノ原を見たが、返事をしない。
「何だよ、シカトかよ」
 井ノ原が、少し語調を強めると、担任はちょっと井ノ原をきつい目で見て黙って首を振った。井ノ原は首をすくめ、今度は担任に向かって、
「その後、酒井さんとはどうなの」
と言うと、調理場の方をのぞき込んだ。担任は笑って、
「どうもこうもないよ。俺はただのファンだから」
と答え、自分も調理場の方を見た。
「俺のものにしちゃおうかなあ」
「できるもんならしてみろよ。絶対留年させてやる」
「俺、留年したらどうなっちゃうのよ」
「どうしようもないな。ほかの学校に入り直すしかない」
「勘弁してよ。ただでさえ高校にはいるのが人より遅かったのにまた入り直しかよ」
 井ノ原が三度目の一年生だとは知っていたが、二十歳を過ぎているとは思わなかった。いろんなやつがいるもんだ。俺は少し気が楽になった。
 酒井さんというのは調理の女性で、二十台後半らしい。俺はいつも、配膳台が見える席に座っていたから、酒井さんの様子を見ることができた。若くて美人なのでファンだと公言する生徒も教師もいた。いつも、唇を横にきゅっと引く感じの笑顔を見せていた。どうしてあんなに明るくしていられるのか俺には理解できなかった。俺なんかとは違う生活をしてきたんだろう。
 頭もいいらしく、生徒全員の顔と名前を覚えていて、俺にも、「森田君、お代わりあるわよ」と声をかけてくれることがあった。給食時間が残り十分を切ると、残っている時にはお代わりができるのだ。岡田など、いつもお代わりして二人前食べている。
 ほかの調理員はもう孫がいそうな人ばかりで、生徒じゃない若い女といえば、あとは養護の渡辺先生だけで、こちらはいつも女子生徒に囲まれていた。

 俺が気になったのは、女たちよりも、四年生の坂本だった。見ていると、いつも一人でいる。俺よりもずっと背が高くて、目立ちそうなものなのに、いつも物思いにふけっているようで、静かにしている。時折見せる笑顔を見ると親しみやすそうなのに、どこか近寄りがたいものを感じさせた。
 ある時、いつものように配膳台の方を見ながら給食を食べていると、坂本が遅れてやってきた。すると、酒井さんは、皿を出しながら、
「見たわよ。かっこよかった。今度出るときも教えてね」
と声をかけていた。
「何やあの二人。仲良さそうやん」
 すっかり酒井さんファンになった岡田が言うと、担任も、
「そうなんだよな」
と言って面白くなさそうな顔をした。
「出たって、何に出たんやろ」
「あいつね、役者なんだよ」
「役者って、テレビとか出とんの」
「舞台の方なんだって」
「へえ、ギョーカイの人なんか」
 岡田は興味を持って坂本の方をじろじろ見ていたが、坂本は完全に無視していた。
「高校生なのにふけた感じの人やな」
「みんないろいろあるんだよ。そうじろじろ見るなよ。森田も」
 担任に言われて気がついたが、俺も坂本をじっと見ていた。

 六月も終わりになると、完全に生活リズムができて、緊張がほぐれてきた。
 バイト、学校、部屋。この三カ所を時間通りに移動するだけの毎日だったが、楽しみは、二つあった。
 一つは、時々バイト先のガソリンスタンドで、車の移動をさせてもらえること。職場には、ボロボロの中古車があって、初めは暇な時にそれで練習させてもらった。スタンドの中を思うように移動できるようになってから、時々、洗車やオイル交換のお客さんの車の移動もさせてもらえるようになった。もしぶつけたら大変なことになるから緊張はするが、運転できるのは楽しかった。何とかして夏休みには免許を取ろうと心に決めた。
 もう一つの楽しみは、給食だった。口には出さなかったが、俺もすっかり酒井さんファンになり、料理が残ってしまいそうな時に、
「森田君、食べない」
などと声をかけられると、腹一杯になっていてもお代わりをして食べた。
 俺にもこんな家族がいたらよかったのに。そう思うこともあった。
 同級生はつかず離れずの状態が続いていたが、加藤あいは、俺たちと同じテーブルで給食を食べるようになった。相変わらず食べながらしゃべるのは担任と岡田、それと時々一緒に食べる井ノ原だった。
 井ノ原は誰にでも調子よく話しかけ、俺は何か聞かれれば答えたが、三宅は頷くか首を横に振るかするだけだった。加藤あいにも井ノ原はそれなりに気をつかって、いろいろ話しかけ、あいも笑って答えることもあった。ただ、井ノ原は、こっちが疲れていてほうっておいて欲しい時にも話しかけてきて、返事をしなくても一人で話し続けるのには少しまいった。
 ある時、岡田と井ノ原が話していて、岡田が、母親を怒らせて、二階の窓から逆さ吊りにされた話をした時には、黙って聞いていた俺も笑ってしまった。
「お、三宅君も笑っとる。やっと受けたで」
 岡田がそう言うので、三宅の顔を見ると、確かに三宅も笑っていた。岡田が調子に乗って、
「三宅君は、中学校で何か部活やっとったの」
と聞くと、三宅はちょっと困ったような顔をしてテーブルに目を落とした。担任は心配そうに三宅の顔を見ている。みんなちょっと気まずい感じになったが、三宅は顔を上げた。
「僕、中学校行ってないんだ」
「え……」
 岡田が言葉に詰まると、井ノ原が、
「登校なんとかってやつだろ。最近多いらしいよね。でも、この学校には来られるんだからよかったじゃない。中学出たら直ったんだろ」
と、口を挟んだ。三宅はそれには少し首を振り、
「中学終わってから一年間ずっとうちにいた」
と言った。
「ちゅうことは、俺より年上なんか。なんや、俺とあいちゃんだけが普通の一年生の歳か」
「悪かったな、普通の一年生じゃなくて」
 井ノ原がわざと怒ったような顔をした。
「どうせおれは歳食ってるよ。でもまあ、おれみたいなキャラクターがいるから、三宅も学校に来られるんだよな。な、な」
 同意を求められた三宅は、
「ここは人が少ないから」
とだけ言った。
 担任は三人が話している間、心配そうに三宅の様子を見ていた。
「でも、俺はまだ年下だからいいよね、長野先生」
 井ノ原は今度は担任に話しかけ、今度は俺たちの方を向いてこう言った。
「三年前なんか、上級生に七十歳の人がいたんだぜ。体育の先生なんか、すげえびびってたよ。何やらせればいいんだって言って」
「でもそれぐらいはっきり年上ってわかる人は、こっちも対応しやすいからいいよ」
と、担任が口を開いた。
「少しだけ年上だと気づかないこともあるしね。年上として接するか、単なる生徒として接するか、難しいよ」
「あの四年生のことだよね」
「別に誰とは言ってないよ」
「確か、坂本さんは先生より一つ年上だよね」
「そんなことは人前で言うなよ」
 ちょうどそこに、坂本が遅れて入ってきたので、みんな黙った。坂本が配膳台で酒井さんから皿を受け取るのをちらっと見て、井ノ原はまた話し始めた。
「どうせなら先生、もうプロポーズしちゃえば。法子さん、結婚してくださいって」
「ふざけてんじゃないよ。教師をからかうなよ」
「教師ったって、そんなに歳が違う訳じゃないのに」
「それでも教師と生徒は別なんだよ」
 俺は、坂本と酒井さんが何か話しているのをじっと見ていた。

(つづく)

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