alone again

 アクセスカウンター70000突破記念の「思いっきり青春小説」の登場です。
 「FROM rain」「SUPER FLY」の後の話になっていますので、まだ読んでない人はそちらを先に読んでください。


 二人で手を繋ぎ、堤防の階段を上りきると、東の空に満月が出ていた。
「きれい……」
「うん」
 二人は手を繋いだまましばらくの間その満月を見つめていた。


 ステージの上。
 岡田は緊張を隠せなかった。三度目のステージだが、今年は今までとは違う。
 全日制と合同の文化祭。岡田は、一年生との時から井ノ原と組んでライブに出て、毎年二曲ずつ演奏していた。
 井ノ原が自己紹介している間に、客席を見渡すと、窓際の席に担任と加藤あいが並んで座っているのが見えた。目が合うと、あいは岡田に手を振った。岡田はちょっと頷き、後ろの席の方へ目をやった。そして、とうとう、出入り口の所で、背伸びしてこちらを見ているのを見つけることができた。目が合った時、岡田の心臓の鼓動はさらに激しくなった。
 来てくれた。声をかけてみてよかった。
 岡田が、アルバイト先の蕎麦屋に文化祭のポスターを貼らせてもらった時、めずらしく一人で来ていた彼女が興味ありそうに見ていたので、
「よかったら来てください」
と声をかけてみたのだ。
「俺の行ってる高校なんです」
「高校生なんですか」
 相手は驚いて岡田の顔を見た。
「定時制なんです」
「だから昼間は……」
「俺、ライブに出るんですよ。毎年出てるんです」
 彼女はもう一度ポスターに目をやった。
 岡田は、それ以上は声をかけなかったが、来てくれることを心から願っていたのだ。
 一曲目はコード・ストロークだけなので、どうにか無難にこなした。二曲目は、ピックを使ってのアルペジオが中心で、一度だけ失敗した。
 二曲目が終わり、頭を下げてそでに下がると、岡田はギターを壁に立てかけ、廊下を走りだした。しかし、彼女の姿はなかった。体育館の入り口まで行ってみたが、そこにもいなかった。
 肩を落とし、控え室にもどると、井ノ原があきれていた。
「どうしたんだよ。腹でもこわしたのか」
「そんなところや」
「それでとちったのか」
「やっぱ、わかるか」
「そりゃあ、わかるよ。でも、俺たち、毎年うまくなってるよな」
「うん。俺もそう思う」

 次に彼女が店を訪れたのは三日後だった。その時も一人だった。
 岡田は水を出し、注文を取ると、
「こないだ来てくれてましたね」
と声をかけた。彼女は頷いた。
「ありがとうございました」
と礼を言うと、彼女はまた頷いた。岡田は黙って、割り箸の袋をテーブルに置いた。それには、「ケータイです」という言葉と、電話番号が書いてあった。
 相手の反応を見ずに、岡田はそそくさとテーブルから離れた。

 岡田がこの蕎麦屋・更科で働くようになったのは三年生になった時だった。
 それまでは牛丼屋だったが、毎日昼食が牛丼なのがいやになり、三年生になった時、学校の紹介で移ったのだ。
 最初はきつねとたぬきがどっちがどっちなのかまごつくことがあったが、仕事にはすぐ慣れた。最初の小さなしくじりは彼女のことだった。
 ある日、制服を着た女子高生の三人連れが、蕎麦ではなく、クリームあんみつを食べたのだが、レジでちょっと会釈して出ていこうとしたので、
「お客さん、会計お願いします」
と声をかけてしまったのだ。一番小柄な女子高生はなんだかきまずそうに、レジにいたおかみさんを見た。おかみさんはというと、慌てて、
「済みません。慣れてないもので」
と謝っている。女子高生は、笑顔で頷くと、出ていってしまった。
「どうなっとんねん」
 岡田が尋ねると、おかみさんは、困ったような顔で、
「あのお嬢さんはいいんだよ。月末にまとめてお勘定を頂きにあがることになってるんだから」
と言った。
「ほな、つけかいな」
「つけっていったらつけだけど、本物のお嬢様は、お金なんか持ち歩かないんだよ。これからは気をつけておくれ。矢口さんはね、うちの蕎麦を気に入ってくれている大事なお得意さんなんだから」
 岡田はただ目を丸くするしかなかった。
 それから気をつけていると、月に一、二回、一人か二人、友達を誘ってきているようだった。現実に存在する「お嬢様」というのを見るのは初めてだったが、特別に人と違っているところがあるようではなかった。ただ、笑顔は見せても、けっしてはしゃいだりはしないのが上品に思えた。
 ある日のこと、ネギが切れそうになり、岡田が近所の八百屋へ買いに行くことになった。
 その日は午後から曇りだし、夕方にはだいぶ雲が低くなっていた。岡田は店の主人の忠告に従って傘を持って行ったが、帰りには強い雨がふりだした。
 傘をさし、ビニール袋を抱えて歩いていると、洋品店の軒下で雨宿りをしている少女の姿が見えた。不安そうに空を見上げているその顔には見覚えがあった。
 岡田はちょっと躊躇したが、思い切って声をかけた。
「よかったら、この傘、どうぞ」
 相手は眼に警戒の色を浮かべた。
「俺、すぐそこの更科で働いとるんです。そのうち、店に返してくれればいいですから」
 そういうと、迷っている相手に傘を押しつけ、雨の中を駆け出した。
 更科の主人は、濡れて帰ってきた岡田に驚いたが、訳を話すと褒めてくれた。
 岡田はいいことをしたと思ってうれしかったが、風邪を引いて仕事を二日休んだ。
 三日目、仕事に行くと、おかみさんが、笑顔で、
「はい、岡田君。お嬢さんからプレゼント」
と言いながら、小さな包みをくれた。
「はあ?」
 岡田が驚いていると、
「傘のお礼だって」
という言葉が続いた。
「へえ……」
 岡田は受け取ると、すぐに開けてみた。小さな透明の袋に入ったクッキーだった。袋は、青いリボンで口を結んである。小さなカードが添えてあり、そこには、
「傘、ありがとうございました。真里」
と、ペンで書かれた文字があった。
「真里、っちゅうんか」
 カードとクッキーを見比べている岡田に向かって、おかみさんは、
「タクシーが通らなくて困ってたんだって」
と言った。
「タクシー? けど、金持ってへんのやろ」
「家に帰ればいくらでもあるわよ」
「なるほど」
 岡田はクッキーを一つおかみさんにお裾分けすると、残りはすぐに食べてしまったが、カードは胸のポケットに入れておいた。そして、後で定期入れに入れた。
 数日後、真里が友達を連れて店に現れたので、礼を言おうかと思ったが、友達の前でクッキーの礼など言われてはかえって困るのではないかと、眼があった時に頭を下げるだけにした。真里はちょっと笑顔を見せてくれた。
 それから真里は、週に一度は店に来るようになった。それまではかならず誰か友達と一緒だったが、時には一人で来るようになった。
 そして、岡田が文化祭があるのをきっかけに声をかけたのだ。

 岡田は、割り箸の袋を渡した日は気持ちが高ぶってよく眠れなかった。
 そして翌日の夜、真里から電話があった。

 初めて二人で会った日は、何をどうすればいいのか全く分からなかった。
 とにかく映画を見て喫茶店、ということしか考えつかなかった。
 向き合って坐ると、沈黙が怖くてとにかく自分のことをいろいろ話した。
 育った町のこと、母親のこと、学校のこと。
 真里のことを聞いてみると、真里も三年生だった。
「なら、受験とかいろいろたいへんやろ」
「ううん。付属だから。大学は決まってるの。岡田君は?」
「定時制は四年間あるんや。あと一年は高校生や。でも、同じクラスに、二十歳すぎてる人もいるんやで。ほら、こないだ俺と一緒にライブでた人」
「目の細い人?」
「そう、あの人ずっと年上なんや」
「そう言えば、この間歌った歌って、わたし、初めて聞いた」
「相方の好みなんや。昔のフォークソングっちゅう話や」
「誰の歌なの」
「一曲目が高田渡っちゅう人の『生活の柄』で、二曲目は遠藤賢司っちゅう人の『カレーライス』や」
「いつごろの歌なの」
「俺らが生まれるずっと前らしいで」
「今でのその人たち生きてるの」
「生きてるらしいなあ。井ノ原君はテレビで見たことあるっちゅうてたから。なんでも、『カレーライス』っちゅう歌に出てくる猫は名前がネズミっちゅうらしいで」
「本当? 詳しいのね」
「井ノ原君に聞いたんや。でもほんまかどうかわからんで。井ノ原君は口がうまいから、でたらめ言うとるのかもしれん」

 それからも真里は週に一度は更科に顔を出したが、岡田とは互いに素知らぬ顔をしていた。
 電話はいつも真里からだった。自分の電話はないからといって、電話番号は教えてくれなかった。
 岡田はいつも電話を待っていた。しかし、電話も週に一度程度で、二人で会えるのは、月に一、二回だった。
 三度目から、真里は自分の分は自分で払うと言った。
「でも、金持たされてへんのやろ」
 岡田がそう言うと、真里はけげんな顔をした。
「更科のおかみさんが言うとってで」
 本物のお嬢様は金を持ち歩かないと言われた話をすると、真里は笑った。
「そんなわけないじゃない。何かあったら困るから、いつも少しは持ってるわよ。お小遣いだってもらってるし。でも……」
い言って真里はちょっと目を落とした。
「わたしのこと、そんなにお嬢様だと思ってたの」
「お嬢様っちゅうか……何や違う世界の人なんやろと思っとった。でも、普通の人やな」
 真里は少し微笑んだ。

 せめてクリスマスくらい一緒にと思ったが、真里は、家族で過ごすことにしているから、と言っていた。
 大晦日は、蕎麦屋は大忙しで、岡田は店の中で新年を迎えた。
 矢口家は更科をひいきにしているということだったので、もしかして家族で食べに来るのでは、と思っていたが、そういうことはなかった。

 年が明けても、二人の仲は変わらなかった。
 電話はいつも真里から。二人だけで会えるのは月に一、二回。あとは週に一度店で顔を見るだけ。
 初めはそれが物足りなく、いつも不満を感じていたが、岡田は次第に不安を抱くようになっていた。
 二人だけで会っていても会話が続かなくなることが多くなってきたのだ。
 岡田は自分のことを話してしまうと、後はもう話すことがなかった。真里の好きなものの話を聞いても、理解できないことが多かった。
「『嵐が丘』って読んだことある?」
「え? マンガ?」
「ううん。小説。イギリスの女の人が書いたの。すごいわよ」
 そう言われ、翌日、休み時間に図書室へ行って借りてみた。教室に戻って読み始めたが五ページ読んでも何が何だか理解できなかった。
「どうしたんだよ、おい」
 井ノ原が声をかけてきた。
「本なんか読んで。大丈夫か」
 わざとらしく岡田の額に手を当てる。
「それにしてもお前のおでこは広いなあ」
「ほっとけ。俺でも本ぐらい読むわい」
 井ノ原は岡田の前の席に後ろ向きに座った。
「最近変だぞ、岡田。悪い女にでもひっかかったんじゃねえだろうな」
「何や、悪い女て」
「お嬢様ぶって純真な少年をたぶらかそうとするやつとかさ」
 岡田は思わず立ち上がった。
「何やて。もういっぺん言うてみい。何も知らんで勝手なこと言いよって」
 つかみかからんばかりの勢いに、井ノ原は思わず身を引き、細い目を丸くして岡田の顔を見た。岡田は拳を握りしめ、それをブルブル震わせている。
「わ、悪かったよ。俺が悪かった。変なこと言って」
 井ノ原はそう言って自分の席に戻った。クラスの全員が岡田を見つめている。
 岡田は腰を下ろすと、また『嵐が丘』を開いたが、二行も読まずに本を閉じ、机の上に突っ伏すようにして顔を隠し、寝たふりをした。

 四月になり、岡田は四年生に、真里は大学生になった。
 五月の末に二人だけで会った時、真里は喫茶店でこう聞いた。
「准一くんて、どんな大人になりたいの」
「どんなって……。あんまり考えたことないなあ。つまらん大人にはなりたくないっちゅう気はするけど」
「つまらない大人って、どんな大人」
「そう言われると、それもあんま考えたことないなあ。真里ちゃんはどんな大人になりたいねん」
「わたしね、ジェーン・エアみたいになりたいの」
「ジェーン・エア? 歌手かいな」
「ううん。小説の主人公。前に言った『嵐が丘』を書いた人のお姉さんが書いたの」
「兄弟で小説家なんか」
「うん。ブロンテ姉妹って言って、三姉妹で三人とも文学的才能があったの」
「で、そのジェーン・エアってどんな感じやねん」
「みなしごなんだけどね、すごく気持ちがしっかりしてて、男の人に負けないで自分の意志で生きていくの」
「みなしご……。俺のクラスにも、何や親とか家族とかいうもんがおらんらしい人がいるなあ」
 真里は窓の外に顔を向け、道行く人に目をやった。
「百五十年ぐらい前に書かれたんだけど。百五十年たっても、世の中ってあんまり変わらないのね」
 岡田は返事のしようがなく、ただ真里の横顔を見つめた。
 それから、真里は更科に来なくなった。そして、電話も……。

 久しぶりに電話があったのは、七月になってからだった。
 それは日曜日の夕方で、今から会いたいというものだった。
 休業日の更科の前で待ち合わせ、二人でぶらぶらと河原の方へ歩き始めた。
「久しぶりやな」
「そうね……」
 言葉がとぎれたまま、二人はコンクリートの堤防を越え、公園になっているところのベンチに並んで腰を下ろした。
「話があるんやろ」
「うん……」
 岡田は西の空に目をやった。ビルの向こうに夕焼けが見える。あたりはだいぶ薄暗くなってきた。
 真里はベンチに腰掛けたまま、地面をみつめ、
「わたしね……ヨークシャーに行ってみるの」
と言った。
「ヨークシャー?」
「イギリスよ。ブロンテ姉妹が住んでいたところなの。ホーワスっていう小さな村なの。そこにね、ブロンテ博物館があるんだって」
「旅行かいな」
「ううん。留学するの。九月から、ロンドンに……」
「留学? どれくらい」
「一年……長ければ二年」
「そうか……。大学はどうすんねん」
「提携してるところだから、向こうで取った単位も認めてくれるんだって」
 岡田は立ち上がり、真里に背を向けたまま言った。
「やっぱ、住んどる世界が違いすぎるんやな」
 真里は、
「わたし、准一くんにそう思われてるのがつらかった」
と、つぶやくように言った。
 岡田が振り向くと、真里は顔を手でおおっていた。
「ごめん。俺って、結局ガキやったんやな。かんにんな」
 真里は顔をおおったまま頷いた。岡田はしばらくそれを見つめ、それから口を開いた。
「俺、今はまだまだガキやけど、きっと何かになってみせるで。真里ちゃんに引け目感じんような大人になってみせる。未来の俺に期待しとってや」
 真里は顔から手を離し、濡れた目で岡田を見上げた。
「帰ろう。遅くなったらあかんやろ」
 真里は頷いて立ち上がった。

 二人で手を繋ぎ、堤防の階段を上りきると、東の空に満月が出ていた。
「きれい……」
「うん」
 二人は手を繋いだまましばらくの間その満月を見つめていた。
 月の光で、コンクリートの堤防に二人の長い影が伸びている。
「イギリスでも同じお月さんが出とるんやろな」
「そうよね。わたしきっと、満月を見るたびに准一くんのこと思い出す」
「俺も。真里ちゃんのことも今日のことも一生忘れへんで」
 堤防に伸びた二つの影は引き合うように一つになった。しばらくして影はまた二つになり、右と左、それぞれの方向へと歩き始めた。


 いかがでしたでしょうか、思いっきり青春小説。
 矢口真里というのは、モーニング娘。(タンポポでもいいんだけど)の一番小柄な子です。
 なぜ彼女だ、と言われても困りますが、何となく彼女にしてみました。
 強いて言えば、「LOVELOVEあいしてる」に出た時(2回出たけど、特に1回目)、彼女が一番控えめに見えたのが理由でしょうか。

(hongming 1999.9.2)


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