古銅器
     店主は趣味収集の世界にのめり込んだ動機は、昭和三十九年の東京オリンピックの記念コインの
     発行に興味を持って集めたことに始まった 。それを契機に銅銭(方孔円銭)を収集し、銅製品をも
     集めるようになった。銅製品は、脆い陶器や腐る木製品・鉄物と違って古くなれば綺麗な「緑青
     に包まれ、刻まれた絵や文字は、歴史の記録として後世に引き継がれて行くのである。

     NO1 青銅製 浄水鉢                                       #625
     この青銅製の鉢はタガの掛かった木製の樽の形をし、蓋の取っ手の紐は唐獅子に成っている。
     鉢の底の近くに蛇口が付けられている。鉢を支える台の裏には鉛が嵌め込まれ、転倒防止の工夫が
     されている。胴の周囲にはこの銅器の来歴が二十九文字で書かれているが、どのような意味かは知る
     良しもないが、天地が逆さまに陰刻されている。
     その陰刻されている文字によれば江戸寛永寺に関係した物で、この容器にお湯や水等を入れて仏事に
     使用したのであろう。此れと同じ様な形で用途も同じな「サモアール」と言うロシアの銅器がある。

  陰刻 逆さ文字
 寛永七年  庚午  六月吉日  奉建立  釈迦堂  東叡山 
 開基

 
 大僧正  天海         鋳  渡辺 

    胴回りに陰刻された文字によれば、この銅器は寛永七年(1632年)の釈迦堂の建立に奉納された事が
    分かる。
    寛永寺  
    東京都の上野公園にある天台宗の寺院。寛永二年(1625年)徳川三代将軍家光の時、江戸城の鬼門
    にあたると忍ぶ岡の地に、徳川氏の菩提寺を建立したいと言う天海僧正の請願によって、東叡山寛永寺
    円頓寺が建立した。
    第二次世界大戦以後、荒廃著しく中堂・輪王寺正門などの堂舎が残るだけで、広大な寺域も大部分が
    上野公園となっている。
    天海大僧正(1536−1643年)
    江戸初期の天台宗の僧、東叡山の創設者、関ヶ原の役後徳川家康の知遇を受け内外の政務に参画し、
    江戸幕府成立の枢機に預かる。
    日光輪王寺建立に尽くし、東叡山寛永寺が建立されると、第一世となる。日本最初の大蔵経の開版
    (天海版)の功績がある。


     NO2 荒木 貞夫  青銅像                                #2016
     馬に跨り威風堂々の人物は、将校マントの襟に三っ星の大将徽章を付け、軍刀を下げている人物は
     荒木貞夫陸軍大将である。旧日本軍の青銅の肖像に明治天皇・東郷海軍元帥・乃木陸軍大将など
     は数が多いが、荒木貞夫陸軍大将は少ない。

 この銅像の台座にSEYBO」と刻み込ませている。
 人間国宝・北村 西望の若い時の作品であるが、人間
 国宝に指定されてからの作品は、鋳型が残されていて
 今も造られている。

     北村西望 人間国宝 長崎平和公園の「長崎の平和祈念像」の作者で、将軍の孫・笑う少女等の
     製作者として有名である。
     荒木貞夫 (1877−1966年)
     陸軍大将・男爵・東京出身・日露戦争・シベリヤ出兵・日華事変など似参加、犬養・斎藤内閣の陸相。
     平沼・近衛内閣の文相、第二次世界大戦後、極東国際軍事裁判で終身刑となるも、病気の為仮出
     所、六十六年病死。


    NO3 犬養 恵比寿 青銅飾版                                   #1784

 この馬蹄形の飾り版は、犬養毅の文官の大礼服姿で恵比寿の姿をしている。
 右脇に鯛を抱え左手に竹竿を持つている。

     犬養毅  (1855−1932年) 明治・大正・昭和の三代にわたって活躍にた政党政治家、木堂と
     号した。
     昭和四年(1929年)政友会の総裁に就任、昭和六年(1931年)総理大臣に任命され、満州事変後の
     困難な政局を処理に当たったが、翌年五月「5・15事件」の際、海軍中尉山岸宏・三上卓ら数名の将校
     に首相官邸を襲撃され、「話せばわかる」といって制止したが、「問答無用」と拳銃で射殺された。


     NO4 蟹捕る漁夫  青銅像                                   #2709 

 この青銅像は江戸時代の漁夫をモデルにしたのであろう。ももしきを着て頭に
 は、今で言うバンダチ様なのを被り腰蓑を付けている。背中の竹篭には捕り
 たての蟹が一杯詰まって右の手の平に一匹の蟹がいる。
 作者不明であるで蝋型鋳造の作風良い

     NO5 鞠と唐獅子                                           #2452 

 左前足を鞠に置いているこの格好は良く陶製に見られる。この唐獅子は
 時代が古く江戸時代は有ると思わせる。在銘なし

     NO6 唐獅子 牡丹                                   #1947 

 この唐獅子は口に牡丹の枝付きをくわえ、牡丹の花を背中に背負っている姿をして
 いる。古さは特になく現代の作、「照雲作」の銘がある。
 

     NO7 熊と金太郎  
     足柄山の金太郎と熊との「ハッケ・ヨイヨイ」の歌にも歌われた相撲を取っ手いる。

 このブロンズ像は、他の銅像と違い蝋型で造られ
 ているが、鋳型に中子が使われて無いので空洞
 がなく、重量感あり。製作最良。在銘 「常信

     坂田 公時
     酒田、或いは金時とも書き、平安後期の武士、源頼光の四天王の一人で、『今昔物語』などにも、
     その名が見え、実在の人物らしいが生没年は不詳。後世の物語や伝承では、山姥の子とされ、
     幼名金太郎とし、伝説上の神怪な人物になつている。


     ※次回の更新
     次の「古銅器」の続きはブロンズの仏像、日本・朝鮮・中国・チベット・南方物等を、
    十数体掲載します。

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