第4回同窓会(2005.8.20(土)〜21(日))顛末記
*8月20日(土)…天候は晴れ30度を越す猛暑の中、徳山車と一緒に午後1時ごろ妙高原駅前到着。すでに他の参加者は全員集合待機。(石野さ          ん、スズキのエスクードで参加一山登りが趣味とは初耳でした)。私事ですが、小林(菅原)さんのご主人とは松之山での同僚          で、転勤以来顔を見ていないから是非会いたいということで、29年ぶり?の再会を果たしました。以前と変わりなく元気なマッ         チョ姿でした。
・宮崎・小酒井(寺田)さん・石野さん・徳山車に分乗して血一路「苗名の滝」を目指す。土曜日という事もあって駐車場は満杯状態。ただでさえ遅 い食事なのに、流しそうめんが無事食べられるか心配になる。幸いわずかな時間待ちで、6人ずつ2テーブルにて、そうめん及び野菜・にじ鱒のて んぷらを食す。川風が吹き抜け、汗ばんだ体に心地よい。
・食後はつり橋(この橋は揺れる)を渡り、散策コースをたどりながら滝を目指す。森林浴気分の中滝が見えた。このところの雨のせいか瀑布の見事 さとともに轟音が響きわたる。最後のつり橋の上は滝の絶景ポイントしばし見とれる。滝近くの岩場の上に集合して、徳山のデジカメにて記念撮  影。ここで徳山が少し足をくじいたり、撮影後佐藤(多田)さんが、足元の石でぐらつき尻餅をつくなどのハプニングあり。「苗名滝」のしぶきと マイナスイオンをいっぱい浴びた帰り道では、雨がぽつぽつあたり始め、先行き嫌な予感。
・次の目的地のいもり池では、半分も散策しないうちに先ほどの雨が本降りになってきた。池の周りでは写生大会が開かれていたようで、慌てて作品 をしまう姿が見受けられた。我々も早々に車に逃げ込み、次の目的地妙高高原ビール・タトラ館へ避難する。
・雨に追いかけられるように逃げ込んだ妙高高原ピール・タトラ館は、我々だけの貸切り状態。地ビールのダークやピルスナ}・コーヒー・ジュース などを飲みながら話が弾む。ここで何人かがおかしなことに気がついた。北の窓からは白樺林を見えなくするはどの猛烈な雨降りと滝のように流れ 落ちる水が見えるのに、反対側の南の窓からは青空が見え、雨の一滴も落ちてこないといった状況、不思議の世界に迷い込んだようだ。
 そうこうするうちに雨も上がり、玄関前の駐車場のコンクリートからは湯気が上がっていた。
・薄曇りの中、岡倉天心の六角堂を右に見て一気に関見峠へ、雨上がりの燻煙った中にも越後の山々や野尻湖が望めた。トンネルを抜けると、急峻な 壌とそこにへばりつくように身を寄せ立っている標高1,100メートルの燕温泉が見えてきた。そして4時ごろ樺太館に無事到着。夕食までには間 があるので、何人かで野天風呂の黄金の湯」へ。乳白色の硫黄泉は、石の表面がつるつるしていて滑りやすく要注意。湯温はややぬるめ、湯
 の出口は43度位(石野さん談)はあったのかな。そこからしばらく急な坂を上ると、日本の滝百選の一つ惣滝」が見えるはずだったが霧の中で、 明日に期待を残した。
・夜6時宴会開始。恒例の写真撮影は、私の骨董品の一眼レフのカメラにて撮影。電気が暗い上に老眼のため、2枚ほど撮ったがピンぼけだったらゴメンなさい。乾杯に先立ち清水(笹形)さんの冥福を祈って一分間の黙祷を捧げる。乾杯の音頭は、今年無事定年を迎えた川崎にお願いし、ブルーベリーの食前酒にて乾杯。渋木夫妻の越の寒梅等の披露や徳山手作りのコースター、副田の軍述焼の土産、その他の方々からもお菓子を頂き感謝。宴会が行われた部屋は、大学時代にスキーで泊まった思い出深い部屋だということで、その雰囲気も手伝ってか酒も話も大いに盛り上がり、予定の時間を40分もオーバーした。宴会の途中でまた雨が降り始め、雷なんぞも鳴ったりと外は騒がしかったが、こちらの熱気に気おされてしまったようだ。最後は石野さんによる一本締めにて終了。
・2次会は男性陣の部屋で、宴会で食べるはずだったご飯を握り飯にしてもらったものと、ぶな茸の味噌汁で始まった。途中私は内風呂(黄金の湯よりは熱め)に行き、聞かされていた綺塵な雨上がりの月を見た。雨が降っていたことは知っていたが、いつのまにか止んでこんなにいい月夜になっていたなんて知らなかった。風呂から上がって部屋に入ろうとした時、田尻から清水さんの話が切なくて聞いていられなかったと教えられた。私のいない間にその話が出たようだ。明日は清水さんのお参りを計画していたのだが、池田(石黒)さんや小林さんから交渉してもらったにもかかわらず、亡くなってからまだ2ケ月あまりで、娘さんの気持ちが整理できていない不安定な状況だということで、今回は残念だがあきらめることにしていたのだ。その後は宴会時にも話題として出ていた次回の同窓会の日時や担当者の話になった。結論として、来年は8月19日(土)20日(日)川崎・石野さん・川端(五十嵐)さんら関東勢が幹事になってくれることになった。2次会は12時ごろまで続き、明日の予定の話もいくつか出たが、天候次第ということで、各自深い眠りに落ちた(外からは何の物音もしない、まさに静寂の夜)。
*8月21日(日)…天候晴れ。5時半頃まぶしいほどの朝の光に照らされ寝てもいられず起きてしまった。起こされついでに野天風呂へ、女性軍も同         行。昨日見られなかった「惣滝」も、遠目ながらその雄姿を見せていた。
・石野さん・川崎は、我々より早く斑尾山のトレッキングに出かけるため、樺太館玄関前にて記念撮影(タベの宴会時の写真が撮れてなかった場合のために)。9時前に出発し、抜けるような青空の下、妙高高原スカイケーブルに乗って1,200メートル程の前山付近に登る。ぶな林散策、眼下に広がる大パノラマを満喫し、次の目的地黒姫の童話舘へ向かう。その童話館で11:30頃地震に遭う。柿崎〜長岡間の高速点検、ほくはく線ストップなど情報が錯綜する中、盛りそば(ここの喬麦湯はとろりと濃かった)で腹ごしらえ、妙高高原駅に向かう。地震の影響で、1時間以上遅れて到着の前の電車に乗り込む、佐藤・川端さんを見送る。その後、念願の「かんずり」を手に入れた木部(遠藤)さんら九州勢は、早めに新潟へ向け出発。私は、小林・池ケ谷(水島)さんを乗せ、上越マンテンホ
テルヘ、小酒井さんは津南へと別れた。 皆様ご苦労様でした。今回参加できなかった方々、次回は是非。それでは来年、またお会いしましょう.  以上(文責一宮崎)

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