センターと盲腸とビデオテープ
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僕はそのとき手術室にいた。
天井の電球のアルミの笠から、すっぱだかの下半身の様子が見える。
こりゃひどいねぇ。
執刀医たちの声が遠ざかる意識の中で聞こえる。
ひどい吐き気と麻酔のしびれによって、何ともいえないもどかしさの中で僕は目を閉じた。
数日前。
僕は2度目のセンター試験を香川大学で受けていた。
本番に弱い僕がどれだけ1年間で成長したのだろう・・・・。
成長したのは、
『リッジレーサー2』(ゲーセンにあるやつ)のドリフトテクニックと
日本史・生物のオタクのような「図鑑ノート」をしこしこと作っただけのような気がする。
センター試験。
言わずもがなしれた「大学へのパスポート」である。
国公立大学を目指す者にとってさけて通れない第一関門である。
試験はマークシート。塗りつぶすだけ。
きわどい答えの選択肢を的確に選びながら、得点を確実にとっていかなくてはならない。
運が良ければすべてあっていたり、悪けりゃ全滅が当たり前のテストだ。
自信はあった。
かなり勉強した。つもり・・・。
古典なんか古語で会話できるくらいだ。
だが、昔から女と本番にめっぽう弱い。とにかく弱い。
やってしまった・・・。
僕は翌日の朝刊で確信を持ってつぶやいた。
「マークシートの欄、一カ所ずれていた・・・・」
マジで。しかもただでさえ苦手な数学。
てっ、点数5点じゃん・・・・。
この時点で、すでに補欠のようなものだ。
うーん。もう1年浪人はいやだ。
っていうか、これでは、親父に殺される・・・・。
殺される前に・・・・。
僕は、ドリフト仲間とともにビデオ屋にいくと
「激安!!お買得商品」の棚から大人のためのビデオを買い
意気揚々と自宅へ戻った。
その夜、家族が寝静まるのを待っている間に事件は起きた。
わき腹が痛くなってしまった。
違う、中国で味わったあの腹痛とは違う。(エピソード\「水餃子」にて発表予定)
きりきりする。きりきりするーぅ。
あーん。
神様許して。
このままでは、腸がねじれてしまいそうだ。
洒落にならん。
ほーんまにやばい。
ここで死んだら、めちゃ化けてでてやる。
いかん。
ついに僕は、家族に白タオルを投げた。
おかーさーん。
おなかーいたーい。
救急車よぼか。
いや、それは恥ずかしい・・・・・。
冷静になっとる場合ではない。
親父は納車したてのシビックをぶっ飛ばして
救急病院へと運んでくれた。
医者がでてきて、
僕を見るなり、こういった。
「虫垂炎ですね。」
おーい。診察せんかい!!
翌朝。
結局、やはり虫垂炎(盲腸)ということらしかった。
しかも、
炎症起こしてビッグバン寸前らしく
明日、即手術と言うことだった。
あっ、そういえばビデオ、ベッドの上におきっぱなしだ。
おかんに見つかったら・・・・。やっやばい。
僕は盲腸よりも、昨日買った大人のビデオの方が心配であった。
買ったばかりなのに捨てられるかもしれん。
俺の伊藤真紀が・・・。
結局その晩は、鎮痛剤を打ち、座薬を5回ほど放り込まれた。
「要 安静」でベットに寝かされていた。
明け方 5時。
ひどい揺れで僕は、目が覚めた。
こんなのは、初めてだ。
無理もない、たぶんほとんどの人が初めてだったであろう。
俗に言う「阪神・淡路大震災」であった。
試験はできないわ、盲腸になるわ、地震に遭うわ、散々である。
朝。
婦長さんが、かみそりを持って現れた。
「はーい、解ってるでしょ」
「えっ、やっぱり噂はまじだったのか?」
僕は婦長さんに身を任せたまま、じょりじょりとやられた。
いやーん、すーすーする。
そんなこといっとる暇はない、午後からはすぐに手術であった。
もしかして、盲腸とかいってるけど、違う病気だったらどうしよう・・・・。
そんな不安を抱きつつ、手術室へゴロゴロと運ばれていった。
下半身は、麻酔で動かない。
しかも、なんかかゆい感覚でいっぱいだ。
そして素っ裸。
その上意識がはっきりしているのだから、たちが悪い。
「気持ち悪いですか?」
「うーん、すこし」(頼むから話しかけないでくれ・・・・)
「そう、がまんしてねぇー。」
「はい゛」(我慢させるんだったら、いちいち聞くなよ!!)
「おぇっ、」
「そうそう、ちょっと吐き気がでてくるけど、我慢してねぇ」
「おえっ、(はい)」
「もうすこしだからねぇ」
メスを金属板におく、ガシャンという音が聞こえる。
「こりゃひどい・・・」
「おえっ?」
ひそひそひそひそ・・・
「おえーーっ!!(何や???)」
そして手術は終わった。何を話していたかは、未だ不明である。
母の話では、見せられた盲腸は、普通の4倍の大きさにふくれあがっていたそうである。
再び、ベットに半ば死体のように担架から放られると、僕は眠りについた。
次の朝
友達が見舞いにきた。 というか、遊びに来た。
「毛、そった?」と、おきまりのせりふを言った後、
「早く回復しないと受験できなくなるで」
「そ、そうだな」
そういえば、受験生だった・・・。すっかり忘れてた。
僕は急に焦ってきた。このままでは、やばい。
「早く回復せんとな。」
「欧米じゃ、手術後、妊婦はすぐ歩かせるんだ、その方が回復が早いんだってさ」
「まじ?でも、私は妊婦じゃありません」
「いーから、俺に任せとけって、」
友人は、ベッドから僕を無理矢理立たせると歩かせ始めた。
「ホンマ痛いんだよ、点滴はずれたらどうすんだよ」
「大丈夫だよ」「とにかく早く家に帰りたいだろ?」
「そうだ、ビデオが・・・」
僕は、点滴の柱を支えに、がらがらと歩き始めた。
やはり痛い・・。
「なあ、やっぱり痛いぞ」
「大丈夫、アメリカじゃ、みんなこうなんだよ」
連れは、「アメリカ妊婦説」をしきり唱えて、病院内をうろうろと歩き回らせた。
ひとしきり歩き終わると、暇つぶしができたのか、「じゃあ」と帰ってしまった。
うーん、やっぱり痛すぎる。
ちょうど、点滴を変えにきた、注射がへたっぴな看護婦さんに聞くと、
やっぱり、もう少し安静してからとのことだった。
やっぱり、だましやがった・・・。
こうして、ちょっぴり退院がおくれることとなった私は、
結局、回復までに私立の試験を3つほどドブに捨て、さらにピンチになったのはいうまでもない。
おまけに、盲腸は、後にベトナムの病院で、半分ほど残っていることが判明し、
いったい執刀医は、何を取り除いたのか、疑問となっている。(エピソードZ参照)