へパタイテストA
******************************************
僕はそのとき返還まもない香港にいた。
啓徳空港にむけて頭上をかすめていく飛行機とのツーショットを無邪気にカメラにおさめていた。

こんな感じ
しかし、まさか一月後にはあんな姿になろうとは・・・。
香港 重慶飯店(チョンキンマンション、とよむ)
ここは香港特有の雑居ビルの代表で、我々のような貧乏旅行者、インドからの移民
アラブ人・難民・ホモ・ゲイと、住人は実にインターナショナルなのである。
ビル内には、A・B・C・Dと複雑怪奇なエレベーター群があり、アルファベットを間違ってしまったら最後、
全く違うフロアに到着するため、再び1階まで降りてきて、乗り直さなくてはならない。
また、アルファベットがあっていても、左右2機のエレベーターは、止まる階が極端にちがうため、
これまた間違えると、半ば半泣き状態で、非常階段とも、石段とも言い難い
ゴミだらけの悪臭漂う通路をふらふらと、上り下りしなくてはならないのだ。

チョンキンマンション入口
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
7月28日。早朝5時 京都千本三条下宿
僕は、あまりののどの渇きで目が覚めた。
昨日のコンパでピッチャーイッキを2回もかましたせいだ・・・。
大した飲み会でもないのに、バカ騒ぎしてしまった・・・。
「STEADY」(SPEED)を熱唱してから後からの記憶がない・・・・。
あ゛ー、いったいなにやってるんだろ?俺。
まあ、ともかく今日は、いよいよアジア集大成、
陸路でシンガポールまで行く旅の始まりだ。
僕は、蛇口で水をがぶりがぶりと飲むと、ザックに荷物を詰め始めた。
整腸剤か。・・こいつは絶対必要だ。
あれ、しまった。抗生物質をもらうのを忘れていた。
しかし、朝5時過ぎに看護大学の連れに電話するわけにもいかんしなぁ。
まあいい。なんとかなるさ。
僕は、ポーチに旅の資金と上海への船舶券を入れると、下宿を後にした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
神戸発上海行 (鑑真号乗船。)

上海の沿岸
ここで、高松の予備校以来の悪友と落ち合った。
つれは、海外初体験で、やつにとって、私は尊敬のまなざしの対象である。
「忘れ物してないだろうな」という私に、
「大丈夫」と、たまごっちなるものを私に見せた。
いや、あんた・・・・カードとかは?
あれ?俺もカード忘れてるぅー。
今更、取りに帰れんしなぁ。しくった!!!!現金しかないじゃん!
こうして、ちょっきし11万円だけ握りしめた我々は、ぎりぎりの予算で
船でのビールも我慢し、3日後に人生2回目の上海へついた。
上海。

上海・外灘付近
租界の情緒あふれる外灘(わいたんとよむ)。
いつ見ても飽きることがない。
確か前回、景徳鎮のパーティ食器セット(48種類 10s相当)買って、
「一人暮らしで、いつこんなもん使うんや!!」って友達にしばかれたっけ。
などと、思ひでぽろぽろしている暇はない。
早速駅に行くと、香港まで行く列車の切符を購入した。
2日後、25時間かけて特急列車は一気に
香港、九龍駅へとたどり着いた。(展開はや!!)

なぜ香港?
沢木耕太郎が「深夜特急」で絶賛した香港が、僕を呼んでいた。ような気がした。
っちゅうか、単に次の目的地ベトナムのビザを取るためである。
中国と僕の腹との相性は残念ながらよろしくない。(参【エピソードX「ロスト・イン・ペキン」】)
僕はあのトイレ悪夢をさけるべく、中国本土では中華はなにも食わず、ほとんどパンばかり食っていた。
しかし、香港。つい1ヶ月前までイギリス領だったこの場所は、
きっと、たぶん、いや絶対、僕のおなかにも優しいにちがいない。
「お米すきすき すきすきーぃ」の僕は、香港の街を彷徨しながら、
こともあろうに「吉野屋」で「みーとぼーるせっと」なるいわゆる「牛丼並」を
「こめーうめー」とむさぼり食いながら、ベトナムビザができる日を待った。
日本出発してから10日後 広州駅。(いやー、今回展開早いなぁー)
香港から再び中国本土に入った我々は、バスを乗り継ぎ
「ベスト オブ 治安の悪さ」で有名な広州駅の前にいた。

「ベスト・オブ・デンジャラス」
我々旅行者は
まさに「こんなに荷物もってまんねん、あんさんいりまっか?」
といったカモ具合で、公然と盲流によって荷物が消え去る場所なのである。
へたれの我々は、そくささと切符をダフ屋から買うと
中国とベトナム国境の町、南寧まで向かう汽車に乗り込んだ。
国境の町南寧。(ナンニンと読む)

国境・南寧
ここから、友宜関という国境までは目と鼻の先である。
しかし、ここがこの旅一番の難所なのだ。
まず、国境の中国側出国審査官に金銭(ワイロ)をたかられることが多く、
その額は、1万円に近いこともあると噂されるやっかいな国境なのだ。
しかも、
仮にうまく出国できても、今度はがめついベトナム入国審査官が、モノをせびるのである。
これに拒否すると入国できず、しかも中国は、ビザがいるので、再入国できず、
共同境界線で、どっちにも入れないと言うにっちもさっちもいかない状況になると
いわれている恐ろしい場所なのである。
最低限の現金しか持っていない我々にとって、正に文句なしの難関といえる。
もっとも恐ろしい場所・国境駅
しかし、我々は猿岩石よりも、運が良く
次の日にベトナム ハノイまで行く国際列車切符なる、
ドラえもんのアイテムのような夢の切符がとれた我々は、
「世の中べんりぃ」と一気にベトナムへと乗り込んだ。
ベトナム首都・ハノイ。

ハノイ駅
かつての北ベトナムの中心地。
かの有名な指導者、ホーチミンの冷凍死体もある。(みちゃった)
冷凍死体を見るのは、中国の毛沢東に続き2人目。
後はレーニンだな・・・・。ふふふふふ。
そんなおばかなことを思いながら、僕らはさらに南下を続けることにした。
もう、残金は7万近くまで減っている。
これでは、シンガポールまでとても行けるかどうか心配である。
っちゅーか、帰りの飛行機代買えるのか?
いかん・・・・。今は1銭でも、安く切りつめなきゃいかん!!
そこで我々は、一番安いバス会社のチケットを購入して、南下することにした。
ついに、ライバル車よりも、2ドルも安い!!!という店を見つけおっちゃんに聞いた。
「おっちゃーん、ほんまにエアコン付きのバスなんだろうねぇ」
「イエス。とてもかんふぁたぶるね。バスもビッグね。」
「しかも、速度も速いんだろうね。」
「オフコース。最新車なのね。大丈夫。のーぷろぶれむね。」

宿兼ツアーのおっちゃん
よし、決定。これでいこう。
だか、それがあんなことになろうは・・・・・・。
![]()
僕はそのときライトバンに乗っていた。

とてもボロい韓国製ハイエースだった。
ろくに舗装されていない道路を砂埃をあげながら、猛スピードで突っ走っていた。
こりゃ、死ぬな・・・・。たぶん。
エアコンの利かない6人乗りのハイエースは、足下のエンジンからの熱も加わって、
サウナ状態であった。
僕はもうろうとしてくる意識の中で、次の目的地「ニャチャン」までの石標の距離が、
縮まっていくのをぼーっと見ていた。
なーにが、大型バスだ。
なーにが、エアコン完備だ。
なーにが、カンファタブル(快適)だ。
僕のライトバンの横を2ドル高かったライバル車のバスが、
凍えるようなエアコンをばっちし利かせながら、
抜き去っていく・・。
3人しか乗ってないじゃん!
あのときたった2ドルケチらなければ・・・・。
ニャチャン・・・
猫のような名前のこの街は、ベトナム、いやアジアでも秘境といわれるリゾート地で、
誰もいない海!心地よい風。そしてうまい魚介類。
まさに、「猪鹿蝶」三拍子そろったリゾート地である。
あと、250qか・・・。
今日の移動は、570qである。一本道をただひたすら、弾丸のようにぶっ飛ばすのである。

連れは、そんな僕を見ながら、たまごっちのふんを片づけたり、ピロピロならしたりして、
日本人として、バカ丸出しであった。
夕方6時前、ニャチャンに到着。朝5時半に乗った僕の尻は、4つに割れそうであった。
朝からなにも食べていなかった僕らは、フランスパンのサンドイッチにかぶりつくと、
ものもいわずに眠ってしまった。
明け方4時。
猛烈な腹痛と、強烈な発熱で僕は目が覚めた。
ヤツがきたのだ。
ついにやって来たのだ。

僕は、疲労で疲れ切った体にむち打って、便座に座り込むこと連続7回。
既に、固形は、液体に変化している。(飯食っている人すまん!!)
もう、トイレで寝ようかな・・・。
いくら日本の紙を持っていっているとはいえ、お尻が火を噴くようにいたい・・。
ぬぉっ!ちょっとした『痔』の状態のまま、僕は再びベッドへ横たわった。
なんてこった。
こんなところで、やつがくるとは・・・。
やっぱり午前5時に看護学校の連れをたたき起こして、抗生物質もらっとくのだった・・。
さらに火照っていく身体。
目の前は、ビーチだというのに僕の体は動かない。
あつい!!わしゃ死ぬ前の平清盛か。
このままでは、子供を産ませられない身体になってしまうー。
だんだんもうろうとする意識の中で、宿のおじさんが、
「ユニセフ」とプリントされた粉薬をもってきた。
「マサカス、解熱剤ね。」
「ほんま?」「シリカゲルとかちゃうん?」
「ドリンク、ドリンク」
もう思考能力がない。
一気に水で流し込むと、また眠りについた・・・・・・・・・・。
熱、さがらんやんけ!!!
結局、トイレとベッドをよたよたと徘徊しながら、症状はさらに悪化していった。
やむをえん。病院へ行こう。
しかもちゃんとした。
急遽「リゾートで楽しむ夏97」を断念して、一路南ベトナムの中心地「ホーチミン」へと、
列車で向かった。
病院。
「いんぐりっしゅ、おーけぃ?」
「あー、りとる」
「症状は?」
「げり?(「げり」ってなんていうんや?)」
私は、お尻に手を当てて、身振りで説明した。
「あと、発熱ね。とてもホットね。湯が沸くね。」
「おーけぃ。ダイアリーアね。(下痢)」
そういうと、医者はドラマの手術の時によく見る手袋をつけ、
結構太いちくわのような注射器を持ってくると
「採血ね」といって、血をちゅうちゅう抜き始めた。
「おぅ!!」貧血で倒れる寸前で、どうにか採血終了。
つづいて、超音波でお腹をはかり始めた。
「おーう、盲腸の手術してるのに、盲腸すこし残ってるね。」
そんなことどうでもいいから、はよ調べろや!!
「では、これに検便してきてくださーい」
そういうと、あの見慣れた容器を僕に渡した。
「りありー」
「いえす。くいっくりーね。」
「けっ、検便。」・・・もう、水みたいやで。
僕は、「もう死んじゃおっかなぁ。」と思いながら、
便器に手と容器をつっこむと、スポイトのようにそれらを吸い込ませた。
「こんな姿、絶対彼女に見せられんなぁ」(誰にも見せられんわ!!)
そうつぶやきながら、
石鹸で手を「これでもかー、これでもかー」とごしごし洗うと、
医者の元に帰っていった。
次の日。
またふらふらしながら、僕は病院に行った。
連れは、昨夜、「地球の歩き方」の病気の項目で、
「赤痢」の症状のところを読んで以来、まったく姿が見えない。
僕は、相変わらずの下痢っぷりである。
「マサカス、悪い知らせね。」
「なに!!やっぱし、『赤痢か?』」
「のぅ。マサカス、ヘパタイテストかもしれないね。」
「ヘパタイテスト?」 なんじゃ、そりゃ?
「めーびー、AかEね。」
僕は「地球の歩き方」の病気のページをめくった。
「ヘパタイテスト・・・肝炎」とある。
つまり、A型肝炎かE型肝炎っちゅうことですかい?
肝炎。
実におそろしい病気で、症状が悪化すると、常に薬を飲用しなくてはならない。
しかも一生。
「マサカス、大丈夫ね。1ヶ月、禁酒。3ヶ月油もののフードだめね。」
「大丈夫ね。」「治るね」
あのとき、フランスパンのサンドイッチを2つ欲張らなければ・・・・。
あのとき、2ドルケチらなければ。
あのとき、抗生物質をもらっていたら・・・。
様々な『あのとき』がアタマの中で巡る中、連れが診療室に入ってきた。
「肝炎だってさ。」
「えっ、まじ」
そういうと、また姿を消してしまった。
「マサカス、明日正式結果がでるね。」
「あっそう。」もうどうでもいいや。
僕は、この旅を振り返りながら、「今回は、ここまででいいかな」と思い始めていた。
ちゅうか、
はよ帰ってちゃんとした日本の病院へいかな!!
とあせっていた。
その足で、日本までの片道航空券を買うと、財布の中は、1万円をきっていた。
次の日。
半ばもう、末期ガン告知を受けた患者のような表情で僕は病院へ向かった。
さすがに外国の強烈な抗生物質によって、下痢はおさまっていた。
「よー、マサカス。そーり、そーりー。ヘパタイテストじゃなかったねぇ。」
「ただの食中毒ね。菌が、肝臓をいたずらしてただけね。」
「えっ?」
ぶっころすぞ。
もう帰りのチケット買っちゃったじゃねえか!!
昨日書いた遺書、はよ捨てな。はずかしい。
こうして、医者の気まぐれと、食中毒の気まぐれと、はたまたバスツアーの親父の気まぐれに
翻弄されたベトナム縦断は、体重58sという「げき痩せダイエット」というみやげとともに、
日本帰国を余儀なくされたのであった。