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昔 話
平家伝説
川上村平家伝説
■川上に伝わる平家の落人の村伝説→
■川上に残る平家にまつわる地名の言い伝え
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平家山
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一ノ谷
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会合の鞍
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弓張の峠
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矢櫃と弓屋形
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小郷
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夕櫃
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平家井戸
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足山の弓矢形
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兜の浴
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烏丸様と姥神様
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■平家山
源平合戦の1つである壇の浦の戦いで敗れた平家の落武者たちが、難を逃れるため、要害の地として選んで潜伏したこの山は、後に平家山と呼ばれるようになった。嶮岨な山中に数多くある岩窟・洞穴は座所の跡である。
平家の落人たちは、たくさん平家山へ逃げこんだ。空しいことかも知れないがとの疑心暗鬼はあったが、時世時節を待っていた。ところが、字岡に住んでいた某が、平家落武者の行方を血眼になって探している源氏方に密告したので、1度にドット攻入られ鏖殺しにされた。
平家の落武者の1人が、山から馬に乗って水汲みに出たのを、密告されて、待ちかまえていた源氏方に殺された。
ここを釣瓶滝という。
北風の強い冬の日のことだった。数10羽の鴎の大群が阿武川上流へと飛んで来た。源氏の追討軍と感ちがいした落武者たちは、あわてふためいて、めわれ勝ちに平家山の奥深く逃げこんだ。急峻な崖から転落して、あえなくなった者も続出した。その怨みをかったか、それ以来、鴎はここ一ノ瀬の上空まで飛来すると羽がたたなくなり、川へ逆蛉蜻を打って死ぬる。
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■一ノ谷
一ノ谷は、佐々並川にのぞんだ要害の地である。平家一門の落人たちは、今日も明日もと、この谷深く落ちのびた。この地形が兵庫の一ノ谷に余りにもよく似ているので、一ノ谷と名付け、再起を夢見ながら暮していた。
一ノ谷に、鐘掛松という老松(今は枯死してない)があった。平家の落人が、鐘を掛けた松で、悲運な平家の怨霊がこもっていて、この木へ鐘をかけると、木肌から血が泌む。
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■会合の鞍
一ノ谷に「会合の鞍」といって古くから伝来の鞍の前輪があった。またその片方は藤蔵の某方に伝わっていた。落人狩りが終息した後に割符(後に合わせてみて証拠とすること)の心があって互に分け合って所持したものだった。
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■弓張の峠
雁瀬のもとの御立山の麓にある弓張の峠は源氏の兵に攻め入られたとき平家侍が弓を張ったところである。
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■矢櫃と弓屋形
豊前の国(大分県のうち)の領主に戸板太郎元義(音訳)という人がおった。大友の合戦(一説に島原陣ともいう)にうち負けて、ここ矢櫃に落ちのび、杜松ヶ嶽(後に古城山という)に仮屋を構えて隠れおったが、討手が異て一自を交え、遂に討死した。そのとき矢櫃が落ちた土地柄ゆえ、矢櫃と地名につけ、元義の霊を河内大明神として祀った、また、そのとき弓を捨てたところを、弓屋形と名付けた。
また一説に―
平氏落人退治の厳命をうけた源氏の荒武者たちは、一ノ谷から川伝いに大藤へ遡り、そこから崖を越え、茨をくぐり矢櫃の谷まで探策の手をさしのべた。しばし安住の地としていた落人たちは、寝耳に水、吃驚して矢櫃を置いて山中深く逃げこんだ。それで後に矢櫃という地名になった。このとき、落人たちが目印しとして旗を立てたところを「はたお」といい、戦ったところを「たたこ」といって、いまに地名として残っている。弓舘、勝負ヶ原の地名も、当時の名残りである。
矢櫃という地名は平家の落武者たちが、箭箱を背負って落ちのびたから名付けられた。
矢櫃に「塔の岩」という高く聳えた巌がある。大岩の上にはお寺があり、ここの岩の下の穴に平家の落武者が隠れていた。(話者…伊藤孫一・伊藤吉治郎・伊藤スエ) ほかの説に―この上の上には、天狗の休みどころであった。岩の下にある大きな穴は、萩の玉江浦まで続いており、大蛇が棲んでいた。
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■小郷
平家の落武者たちが、遥かに東の都の栄の華をしのびながら西の都として住居したので小郷と名付けた。
また小督の局(こごうのつぼね)が住んでいたので最初小督と書いたが、後に小郷の字をあてるようになった。
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■夕櫃
平家の夕櫃姫の佗住居していたところだから、この名がある。
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■平家井戸
阿武川発電所下の清らかな泉を平家の井戸という。平家侍が井戸としてひらいたのでこの名が残っている。
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■足山の弓矢形
足山に弓館(弓矢形とも)という地名が残っている。ここは、足山に棲みついた平家の落人たちが、再び天下をわが手にとり戻すために、秘かに弓矢の射場をつくったところで、そこには館の跡もある。
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■兜の浴
惣の瀬に兜を浴という浴がある。ここは壇ノ浦の一戦に敗れた平家の一群の落武者が、源家追討軍に追いつめられ、この浴に入りこんだが、進退遂に谷まり、兜をここの老木にかけて屠腹して果てた。いま30基あまりの五輪塔があるのが、それである。その後、誰れ云うとなく、ここを兜の浴というようになった。
この外、付近に館の迫・はまば(破魔射場)という地所もある。ともに平家哀史につながる一連のところである。
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■烏丸様と姥神様
横坂に「烏丸さま」の宮址がある。寿水の昔、源平合戦で敗れた平家方の烏丸朝臣を祀ったところで、朝臣に由縁のある一族では、今も古式に則った祭礼を行なっている。落人狩りの詮索が厳しかったので、系図は焼き棄て、所持の宝物は埋めた。その埋めたところを神田といい、五輪塔婆や、御室が建っておる。烏丸様の弓というのが、最近まで烏田博顕の家に残っていたが、今はない。
付近の姥神山には「姥神様」がある。これは烏丸家の姥を祀ったものである。(一説には朝臣の乳母ともいう)
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■その他
今は阿武川ダムに水没している福栄村清宗(平清宗の死没地)、仮館、佐々連(連姫が潜んだ鍾乳洞)等があります。
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Last updated on 1998.10.10