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悠 悠   −NO.117−   97.11.21(金)

昨日のメッセージとコメント,じっくり読みまし た。いろいろ考えさせられました。今後の糧(かて)にします。

言わせて,聞いよ!私の思い!

「悠悠は,自分かってすぎだ」

▲昨日の“言わせて,聞いてよ!わたしの思い!”のメッセージの中に,僕(悠悠)に対する思いを,見出しの言葉「悠悠はかってすぎだ」というように指摘していただけた人が一人いました。厳粛に受け止めたいと思います。

▲僕(悠悠)に対する指摘は,実名でも構わないとお願いしたので,このように書いていただくとすぐわかりますが,たとえそうでなくても,いろいろなメッセージを読んでいる中で,「ああ,これは自分にも当てはまるだろうな」というものも少なくありませんでした。教師にとって,生徒の本音の声(?)に耳を傾けるのは正直言って「怖い」思いと「勇気」がいります。「ああ,耳の痛い話だなあ……」と思いつつ読ませてもらいました。ありがとうございました。

▲さて,この「悠悠はかってすぎだ」という指摘を書いてもらった人は,僕自身の言葉遣いや叱り方,授業内容やその運営方法,おそらく僕自身の人間性すら否定しているようにも思えました。その痛烈な指摘に,正直いっていたたまれない気持ちになりましたが,でも,その種を播いたのはまぎれもなく僕自身なのだから,明確にそう指摘してくれたその人には,本当に感謝しなくてはならないと思っています。

学校とは,教師とは,生徒にとっていったい何なのか?

▲多くのメッセージを読んでいるうちに,僕たち教師の意識と学校の体制は,実は僕が高校時代だったときとそれほど変っていないように思いました。教師と生徒との関係を「支配する者と支配される者」といった感覚でとらえる構造は,僕が高校時代に抱いていた思いとほとんど変っていません。変ったことは何かというと,僕が,支配される側(=生徒…常に意識している)から,支配する側(=教師…無意識になりがち)に立場が変ったことです。

▲生徒に向かって,つい「おまえ」と呼びかける教師は今も少なくありません。残念ながら実は僕もその一人です。これは親しみの表現なんだと言い訳しても,それならば僕が同僚の先生にそう呼びかけることができるか,あるいは生徒が逆にそう呼びかけてきたら自分がどんな反応をするかを考えてみれば,「おまえ」という呼び方の裏に,教師の権力意識があることは否定できないと思いました。

▲メッセージにこんな指摘がありました「……先生には二種類あることがわかった。サボりたくて教師になった先生と,いばりたくて教師になった先生がいる……」。この人のメッセージには二種類の教師しかいないのですから,当然僕もそのどちらかに分類されているのでしょう。読んでいて僕はやりきれない気持ちになりました。自分は絶対にそのどちらでもない,そう叫びたかったのです。しかし,生徒を「おまえ」と呼ぶことに何の違和感も感じないような支配者意識が,心の中に横たわっていることを否定できない以上,僕の言動が「威張りたくて先生になった」と生徒の目にうつっても,それはしかたのないことなのかもしれません。生徒との信頼関係を築く基本の一つは,教師の意識改革にあることをあらためて痛感しました。 

 

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