【地名のいわれ】 昔この地に八ツ尾のウグイスが住んでいたという伝説から、八尾になったとも、矢作連の支配により矢を背負うから矢負い、これが転じて八尾となったともいわれている。

【市のシンボル】 花(菊)、木(イチョウ)、鳥(なし)

 尾市は東経135度36分、北緯34度37分に位置します。

 阪府の中央部の東、西は大阪市に、北は東大阪市に、南は大和川を境として松原、藤井寺市と東南部の柏原市に、東は高安山、信貴山を境にして奈良県に接しています。

 は、東に生駒山脈、西に大阪湾を控える大阪平野の中央東部に位置する地形的条件に作用され、一般に温暖です。

 は昭和23年の市制施行当時、18.99平方キロメートルでしたが、市域の拡張等によって、現在は41.71平方キロメートルあります。

 人口は、277,282人(1998/5/1)世帯数104,064世帯です。

尾の発展の歴史は古い。縄文式土器を出土し、大小様々な古墳や各地に残る条理制のあとは集落発展の景観を知る上に高い価値有る資料を提供している。

安時代、高野山信仰がたかまると京都との間に東高野街道がひらかれた。また室町時代に蓮如上人の一向宗布教とともに久宝寺寺内町が形成され、八尾寺内町の発展とともに八尾の町の基盤が出来た。

戸時代に入って、大和川の付け替えによる長瀬川、玉串川の河川敷を利用した河内木綿の栽培は、この地を多いに潤わせた。

治22年、大阪湊町(難波)・柏原間に鉄道が通じ、大正12年には近鉄が通じ交通の便が良くなり大阪市の近郊都市として綿作の衰退に伴い紡績、ブラシ等の工業化が進んだ。

和23年市政が敷かれ、農村から衛星都市として住宅や企業誘致に努め人口増加は続いたが、昭和50年を境に鈍化している。

昭和53年、市政30周年を記念し市民まつり「八尾まつり」が開催され現在も「八尾河内音頭まつり」として続いている。昭和63年、市政40周年にともない文化会館プリズムホールが会館、以後、市庁舎、体育館施設、新図書館と箱ものと言われる建設で都市基盤整備は充実して来た。しかし下水道や道路の整備はまだ遅れている。

成10年、市政50周年を記念してコミュニティFM局「FMちゃお」が開局された。

 

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