業平(なりひら)の河内通い

 平安時代のプレイボーイとして名高い「在原業平」(ありわらのなりひら)の恋物語は近畿の各地に残っている。

 この話は在原業平の河内通いで知られる十三街道にあった茶屋の娘との物語。この話は「井筒」という題名で能の演目として今に伝わる。

 十三街道は大阪玉造から八尾の北部幸町を通って、神立から十三峠を越え奈良へ向う道で、昔は大阪と大和を結ぷ重要な街道の一つであった。

 今では水呑地蔵さんへの参詣道として親しまれている。

 水呑地蔵には大阪からも講をつくって、参詣しておられる人達もあり、日曜祝目には冬でも参詣して、水をもらって帰る人が多い。

 この街道が神立を出て山腹にかゝるところ、玉祖神社への分れ道の交点を茶屋辻といい、昔は山道にかゝる前に茶屋で休憩をしたところで、その名が残っている。今は街道の右側に市の上水道の高区配水地がある。



 業平は、大和から玉祖神社参詣のときに見染めた茶屋筋の福屋の娘、梅野のもとへ訪れたが、訪れるときは必ず松の木から笛を吹いて合図をした。この松を笛吹松と言うが今はない。

 あるとき、いつもの合図の笛を吹かずに娘の家を訪ね東窓が開いていたので娘の存在を確かめてみると、娘が自分でおひつからご飯をもって食べていた。

 この姿を見た業平は、百年の恋も一度にさめ、笛を玉祖神社に置いて帰った。

 娘はこれを知って後を追ったが、遂に業平に追いつけず悲しみのあまり、池に身を投じて死んだと言う。

 この話しは、身分の違いをあらわす恋物語で現代では理解されにくいかもしれない。

 これ以来、高安の里では東窓を作らないことになったと伝える。

 いまも玉祖神社には、業平の残していったと伝える笛が保存されているが、高安の里で東窓を作らないのは、地形と間係があるようで、高安山系の急斜面からの吹き下しを避けたり、高所から下方の家のなかをを見れないようにする生活の知恵ではなかろうかと考えらる。

 

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