河 内 木 綿

 八尾を中心とする河内地方では、江戸時代から明治にかけて広く綿作が行なわれていましたが、現在では残念ながら姿を消してしまいました。

島帳とかかれた縞帳 

江戸時代の初めにはすでに久宝寺木綿、三宅木綿、山の根木綿など、昔の村や地域の名で呼ばれ、それぞれの地域で特色のある製品がつくられていました。農家では副業として自家産の綿を紡ぎ、織物に仕上げました。これを河内木綿といいます。

綿 の 花

 特に江戸時代半ば以降は、大和川の付け替え(宝永元年1704年)によってできた新田の地質が綿づくりに適していたこともあって、ますます綿づくりが盛んになり、河内の産業として全国的に知られるようになりました。

 コットンボール

 当時の綿は繊維が短く糸が太いため、布地も厚く耐久性にすぐれ、庶民のふだん着の他、のれん・のぼり・蒲団地・酒袋などに利用され、その名は全国に響いていました。

 しかし、数々の優れた特徴を持つ河内木綿も、近代的な紡績機械の出現や外国綿の輸入により、明治以降徐々に衰退し、現在では残念ながら姿を消してしまいました。

 現在では、市内在住の西川悠子さんが八尾西武百貨店に「河内木綿工房」を開き作品の販売をされ、他にも村西徳子さん・寺尾和一郎さんをはじめ、河内木綿を愛する多くの人々の手によってその技術が復元・継承されています。

八尾の踏み絵

 何と、恐ろしい事にこの河内木綿の踏み絵があった。

 これは八尾西武デパート前の歩道の下水道の蓋なのだが、これを人々は何の感慨もなく踏みしめている。

 

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