腹 養 丸


 近鉄八尾駅で下車して旧駅前商店街「ファミリーロード」に入ると「こんな商店街のなかに」と思われる、昔ながらの格子づくりの店がある。

 これが、明治の頃から伝えられている”腹養丸”の本舗である。古い屋根瓦の上に古めかしい写真の様な”腹養丸”の看板が掲げられ、格子戸を開けて家の中に入ると、また縦書きの看板がある。

 明治二十二年二月廿六日発行の「河内国商工便覧」に、大阪府下河内国若江郡八尾西郷町七十七番地 売薬業腹養丸製造所 佐野 辨七 とあり当時は肝臓の薬として売られ相当繁盛だったらしい。

 当主の佐野 辨七氏(代々襲名している)によると「今は有る薬を言づてに聞いてたまに買いに来られるだけです。肝臓ガンには駄目ですが、肝障害とか貧血には効きます、」と語っているが、実はこの腹養丸は、旧家である。

 

 同家の祖は戦国時代に阿波から堺を経て藤井寺の小山の城(城山古墳)の城主「三好山城守康長入道笑岩」の家老「河州佐之野修理助入道宗徳であり、一族の中には戦に敗れたため、鹿児島まで落ち延びて行き島津に仕え江戸時代には島津の琉球(今の沖縄)征伐に従軍したようである(未確認)
小山から西郷に分家して河内木綿の木綿商を営むが、明治のアメリカから安い木綿が入り現在の製薬業に転職。