悪 名「八尾の朝吉」


 昭和30年代後半〜、大映映画「悪名」シリーズが、勝 新太郎、田宮二郎のコンビで大ヒット!一躍、河内八尾は河内弁のガラの悪さで有名になってしまった。

 原作今東光による小説は朝吉の青年時代から徴兵にとられるまでの武勇伝。映画では死んでしまったモートルの貞こと田宮二郎が弟の清次として復活。

 戦争から帰った後の朝吉と大活躍。勝新太郎の初めてのシリーズ作。出世作となった記念すべき作品である。

 勝 新太郎 

 

 父・実は杵屋勝東治を名乗る長唄師匠、母・八重。二人兄弟で3歳上の兄・勝は俳優の若山富三郎。

48年、17歳で二世杵屋勝丸を襲名。 54年、大映に入社し、勝新太郎の芸名で映画「花の白虎隊」でデビュー。

 60年の「不知火検校」で新境地を開き、61年、田中徳三監督の現代劇「悪名」で、任侠精神に生き抜く一匹狼のやくざの親分・朝吉を演じ、勝の最初のヒット作となり、以後シリーズ化される。

 以後押しも押されぬ大映のドル箱スターの仲間入りし、62年3月5日、関西歌舞伎の名優・中村鴈治郎の長女でやはり大映京都の女優・中村玉緒(本名・林玉緒)と結婚。

 同年、「座頭市物語」が公開される。主人公は、子母沢寛の歴史随筆集『ふところ手帖』に、文庫本でわずか10数ページの掌編に登場する按摩の座頭・市。これを「不知火検校」の脚色者・犬塚稔が、盲目でやくざ・居合抜きの名人で博奕も好きなら女も好きという型破りのヒーローに仕立て上げた。

 汚れたむさ苦しい風ていの按摩の市で「市川雷蔵」、「田宮二郎」亡き後の大映の屋台骨を71年の大映倒産まで支え続けた。
 大映が倒産後は、テレビの時代劇を数多く制作、あるいは、自ら監督して作品も数多くある。
 そんな勝新は数々のスキャンダルにもめげずに、愛妻中村玉緒とともに芸の道を突き進んだ。そして去る1997年6月21日、遂に帰らぬ人となった。享年65歳であった。

映画「悪名」の全作品

 今東光の原作を当時白塗りの時代劇スタートして伸び悩んでいた勝新太郎と、売り出し中の新人・田宮二郎の異色コンビで映画化した大映の任侠アクションシリーズで、'61年〜'74年の間に全16本が製作された。河内出身で古い任侠精神の持ち主・朝吉と、腕も度胸も人一倍だがドライな感覚の持ち主・モートルの貞がコンビを組み、時には仲たがいしながらも、弱い者いじめをする悪徳ヤクザを叩きのめす。

 当初シリーズの予定は無くモートルの貞も朝吉の身代わりに刺されて死んでしまうが、意外なヒットにシリーズ化の運びに。

 第3作から貞の実弟・清次が登場し朝吉と『悪名』コンビを結成する。田中徳三と森一生が交代で監督をし、依田義賢が第9作と第15作を除く全シリーズの脚本を手掛けた。田中徳三監督による第1作と第2作は感状のこもったシリーズ屈指の力作であったが、本格的なシリーズかに伴ってマンネリ化して行く。ただし、勝プロ製作・増村保造監督による第16作は旧大映スタッフの熱意が結集した力作であった。

1961.09.30     悪名  大映京都

1961.12.17    続悪名  大映京都

1962.06.03    新悪名  大映京都

1962.11.03  続・新悪名  大映京都

1963.01.03  第三の悪名  大映京都

1963.04.28   悪名市場  大映京都

1963.09.07  悪名波止場  大映京都

1963.12.28   悪名一番  大映京都

1964.08.08   悪名太鼓  大映京都

1965.05.01    悪名幟  大映京都

1965.10.27   悪名無敵  大映京都

1966.03.12    悪名桜  大映京都

1967.06.17   悪名一代  大映京都

1968.01.13  悪名十八番   大映京都

1969.12.27 悪名一番勝負 大映京都

1974    悪名 縄張り荒らし 東宝

2001.7    悪 名 (イップ・エンターテイメント)

もっと詳しく作品を知りたい。

 今でも、八尾ではどこのレンタルビデオ店にも「悪名」シリーズがある。真面目一徹の朝吉に対してハイカラでイカす田宮二郎のコンビがとても楽しい。

 悪名シリーズは全部で16作。最初の2作と最後の16作以外は「マンネリ」といわれることが多いが、どの作品もなかなか「水戸黄門」的な味わいがあってそれなりに楽しめるのでどれを見ても大ハズレはないから安心して見よう。

河内八尾が舞台になった映画作品
 他にも今東光原作で八尾を舞台に映画化された作品を紹介しよう。今東光が八尾で暮らしながら見聞きした事をベースにかなり面白おかしく河内の人間は、ケチでスケベエでガラが悪いと表現している作品が多い。
1960.11.06  こつまなんきん           松竹京都

1961.02.01  河内風土記  おいろけ説法   宝塚映画

1961.03.19  続こつまなんきん お香の巻   松竹京都

1961.08.29  河内風土記  続おいろけ説法  宝塚映画

1963.04.21  河内風土記 おいろけ繁盛記   宝塚映画

1964.05.13  河内ぞろ どけち虫       日活映画

1964.12.06  河内ぞろ 喧嘩軍鶏       日活映画

1965.04.18  河内ぞろ あばれ凧       日活映画

1966.02.05  河内カルメン          日活映画

1968.05.25  河内フーテン族      東宝=宝塚映画


今東光の小説の一部

  原作者、今 東光は横浜に生まれ画家をめざしたが、文学に転向し谷崎潤一郎のもとで川端康成等と活動を続けた。しかし突如仏門に入り昭和26年天台院住職として八尾市西山本に来る事になった。以後昭和50年迄、八尾に住む。

 檀家が36件しかない貧乏寺に暮らし風土にもなれ時間的余裕のなかでふたたび文学活動を再開したのか茶道の会誌に千利休の娘を描いた小説「お吟さま」を発表。

 この作品が直木賞授賞。

 これ以後一連の河内モノと呼ばれる小説を書き続け、その多くが映画化されている。

 八尾を舞台にしたこれら作品は「河内カルメン」「こつまなんきん」「河内ぞろ」「河内風土記」など。

 しかし当時、八尾の人々の多くは八尾をがらの悪いところと紹介したと今 東光を嫌いました。

 没後も行政や民間団体の一部では今東光記念碑や文学賞を唱える声もあるがいまだ実現していないところを見るとやはり八尾では人気がないのかも知れませんね。

・今東光略年譜

八尾WEBサーチ
八尾物語 HOME
OFF 八尾物語