平成11年度福井県社会福祉協力校
事業推進会議学習会 講演者山口 透

<今までの30年とこれからの私>
はじめに
中学生まで
高校3年生
アガペ作業所での経験
更生指導所
就職して
仕事以外での生活
ボランティア
私のこれから
福井県社会福祉センター4F研修室・平成11年5月26日

1 はじめに
みなさまこんにちは。 先ほどご紹介をいただきました福井市の山口透と申します。 本日はお招きいただきましておりがとうございます。 私にとって障害とは何かというテーマで話してもらえないか ということで自分すらよくわかっていないのに、母や友人、 会社の迷惑も考えずお役にたてるのならとやってきました。 この場を借りて協力に感謝致します。

当の本人は事の重大性に最近気がつき、その瞬間から 緊張した日々が今も続いています 「緊張してきた」と友人にいって紛らわそうとすると 「なんで、そんな大変なこと受けるの!!!知らんざ」と いわれます。『本当はこれを機会に県内に顔をうったら、 結婚相手が見つかるかもとか、何か別の可能性が 広がるのではと期待している私を感じているのに、 「そうなんやって」とその場は逃げます。 とそんなことはどうでもいいとして、

最初に言っておきますが、人前でお話するのは 初めてなので今とても緊張しています。おもしろい話は できませんのでもし、耐え切れなくなったら特に裁判に しませんから居眠りしてくださいね。

終わりまで話が持つか不安なのですが、 私の人生を振り返ってお話したいと考えています。 みなさん、止まってしまったら助けて下さいね お願いします。

2 中学生まで
さて私は1970年生まれで覚えてはいませんが 大阪万国博覧会をやってたらしいです ただ1日ずつ話していると、日が暮れてしまいますので 適当に飛ばしてゆきます。

まず私の障害ですが先天性脳性小児麻痺よる 両下肢機能障害硬直型と記憶しています。 車椅子歴は20年です。早い話が足が伸びないとか、 開かないとか、立てないとかいう障害です。

保育所で、歩行器をつかってあるくと私だけ横に歩くので 一度病院にいった方がいいといわれたそうです。 当時数箇所の病院をまわったそうですが原因不明で、 7年9ヶ月10日間という長い間お世話になる あかり整肢園に行ったそうです小学校卒業までですから 私という人物の始まりといっても言い過ぎではないと思います その後あかりが取り壊され現在の小児療育センターに移ったので それからは母校福井養護の寮で6年過ごしました。

中学では高校生の先輩に混ざって初めてなのに生徒会の会計を させていただきましたが、大変だったこと意外覚えていないので 先にすすめます。

3  高校3年生
進路がちらつく高校3年に職業適性検査がありました。 その時特に、職業適性がなく、学校の役員をやっのに協調性がない と いわれてしまいがっかりしました。正直何をしたいのかも決まって いませんでしたが、通勤がしたいという気持ちはありました。

しかし施設暮らしの長い私には大変でした。今でもですが、地 理が苦手で道が覚えられない。など問題点がたくさんありました。 そこで春スクールバスに乗って通学することになりました。

私のように障害をもつものは外にでてまず人に振りかえられる 事に慣れないといけません。雨の日は雨具を着てかばんをゴミ袋 にいれて雨でも風でも挑戦は続きました。今思えば一番活動的 だった様です。何事も経験ということで福井で行われた第一回 の車椅子マラソンにも参加しました。 その練習に友人の家へ往復したり、距離が足りないので 休みに福井駅や学校まで来たことがあります この後、模擬体験があるそうですがどんな感じかやってみると すぐわかるのでこの話題はもうやめておきます。

そんなある日、目的がはっきりしていれば、私は話ができる のだから、頼めばいい。迷ったら聞けばいいという事とに気が 付いたのです。私たち障害をもつのは、すみません、お願いします という事が一つの壁なのです。一言が表現できた時、 人として成長するようです。

今は障害がない方に、どう声をかけたらよいかとよく 聞かれますす。私は障害を持つ人のタイプがが5つぐらいに 分かれると思っています

自分でなんでもやりたい人、 手伝ったもらうのがあたりまえと思っている人、 手伝ってほしいけど言えない人、 障害をもったことを認めて暮らしている人、 障害をもったことに後悔してる人

どのタイプか話せばわかりますが、初対面が ほとんどですからそうもいきません。 そんなときは、なにかお手伝いしましょうかと 聞いてみて下さい。必ずきっかけがつかめます

話を戻しますが8月末パソコンの勉強ならできるかも しれないと神奈川アガぺ作業センターの試験を 受けたら学校からはじめて受かってしまいました。 合格した私ですが3ヶ月ほどの通学しか外との接触がないのに 住み慣れた福井を2年間離れられるのか?と迷いました。

ここで考えたのが、作業所にいって好きなコンピュータを 勉強し進路問題から開放されるか? 神奈川までいかずに福井で探したいという希望のため 努力するか?ということでした。

周辺の人たちは続くわけないとおもったのでしょう。 誰もが反対でした。しかし神奈川に行くことに決めたのです。 今その時の気持ちを改めて思えば、ハローワークの 障害者担当部署にいった時、仕事がないと言われたこと。 就職問題から開放されたいという気落ちの方が 自分の気持ちの中で勝ってしまったからだと思います。

4 アガペ作業所での経験
さてアガぺ作業センターに入所していろいろ不安な中で すべて英語で答えなければならないという難題にぶつかったのです 見積もりの勉強もしたのですが、知らないところに電話するなんて 初めての経験で緊張しました。

食事もお盆にのせて自分で運ばないといけなかったのです。 運ぶといっても、味噌汁やご飯などたくさんあって、麺類の時は汁 はこぼれるし、時には食器ごとひっくり返しました。 味噌汁が赤味噌の上、味がくどいし何よりソースカツ丼が ないのです。

学校という世界からほとんど出たことのない私には 山のうえから、突き落とされた気分でした。

人の障害をどうこういうのはいけないと怒る人がいるかもしれ ません。その人にしてみれば何馬鹿なことをいってんだ、 それなりに大変なんだぞといわれるかもしれません。 でも中途障害の方が私にとってはうらやましいです。

たとえば脊髄損傷のかたは、私よりも指先がうまく動くのです。 もともと障害を持っていないのだから障害を持っていない人 持っている人両方の気持ちが分かるみたいでこれが 興味深いです。それに世間が広そうで人との関わり方もうまいし、 作業能力も悲しいけど違いすぎます。

入所当日のオリエンテーションの時、作業所の指導員さんから 「福祉事務所の人から補助してもらってきているんですよ。 一人13万かかるんです。だからちゃんと勉強するように」と いわれ、最初からお金がどうこうって、馬鹿にされているようで 13万の補助といわれたのが、悲しく不愉快に感じました

一度もいったことはなかったですが、銀行だって市役所だって 一人で行かなくてはだめでした。知らない街にきて、でかけるのは すごく不安でした

今まで学校では先生にペースを合わせてもらっていて おいていかれることはまずなく、他の人との競争が辛かったです。 ついてゆこうと自由時間すべて課題の勉強をしました。 そのせいか友人などつくる余裕がなく、一人孤立していたみたい です。他の人が妙に大人に見えて話すのが恐かったです。 この件を話すにあたり考えてみたのですが、これは、心が狭かった のか、経験の機会がなかったのか経験しようとしなかったのか。 追求したくない自分がいました。

もうひとつ。週休2日制に困りました。 学生時代は時間割が決まっていたし、寮でも日課がありました。 宿題があり生徒会活動もあったのでほとんど自分で時間を決め て使わなかったのです。いや使えなかったのです。 そんな人間にいきなり週休2日と祝日の休みが 来てもうまくできるわけがありません。 いきなりいままでやっていたことは必要なくなったのです。 途方にくれました。

いろいろ重なって入所していることが息苦しくなってきた時 ので辞めました。やめる時そんなにやめたかったら一人で かえってくるようにいわれたので、帰ることにしました

人はすごいといいますが小田急線にのって町田まで行き、 町田から新横浜に行き、新横浜から新幹線で米原に行き、 普通電車でゆっくり旅をしてきました。

車椅子マークのついたバス、新幹線の身障者室の存在。 当時トイレは使えましたが電話が駄目でした やっぱり経験しないといけないもので、切符は券売機で 買いづらかったので行き先を言って 旅行センターみたいな所で買いました。 行き先だけ伝えられればなんとかなるものです。

朝のラッシュというものをはじめて経験し圧倒されました。 駅員さんに一本おくらせてくださいといわれて不愉快だったけど 理由がわかりました。

結局4・5に入所してGWは自宅にもどり5・18日までのできご とでした。あれから10年実は今日はじめて詳しく話します。 やっとできごとのひとつにすることができました。 それから一年ぐらいは自宅にいました。仕事などあるわけもなく というかする気が起こらず気がめいったり、足がいたくなったり


5 更生指導所
翌年には半ば逃げるようにここから近い更生指導所に 入所しました。そして情報処理科で事務処理言語のプログラムに ついて勉強をしたのです。『本当ならあと一年でプログラマー だったのかなあ』と頭をよぎったことがありましたが そのうち忘れました。

ずっと自宅にいたので人付き合いが恐くて最初は話しませんでした 今も時々陥りますが人間不信だったと思います。

コンピュータは一度わからなくなると、どうしようもなくなりま す。 そういうとき2日でも3日でもひたすら時間稼ぎしました。 それでもなぜコンピュータの勉強をするのかといえば、 はじめてしまえば、何かしらの結果がでて、終わりが あるからです。うまくいった時は満足感、充実感がえられます。 だめならこれからどうするのかという考えもできます。 こうやって勉強がやめたいと思った窮地を超えてきました。

うらやましかったのは、他の人が就職した時です。 つまらなかったのは、修了生の意見を聞く会です。 私は自分の人生なのだから思ったように生きないと楽しくない。 それぞれ立場が違うのだから、人の意見に左右されたら 選択に失敗した時逃げてしまうような気がすると思っています この点皆様いかがでしょう?

5年ちかくもいると自分の後輩も増え話題がわからなくなりました 年上の方との会話が慣れた時、就職されて話相手が いなくなったしまいました。さらに方針の変更で 泊まっている人のほかに通う人もやってきました。 私は、明らかに施設の変化を感じ、ここでの私はおわったと 思いました。

6 就職して
そんな時今手伝わせていただいている会社が オープンすると聞き、理解ある社長のおかげで働かせて いただけることになったのです。 とても嬉しかったです。なにより、初めて収入が得られるのです。 念願のパソコン通信(インターネット)もできますし。

落成式前日、今日きているダブルの上着で会社に向かいました。 家から一時間近くかかりました。ただでさえ緊張しているのに 度合いが増しました。(正直な話今日程ではないのですが)

平成5年9月25日落成式当日の初めての仕事が電話番でした。 緊張して電話の前で待っているとリーんと電話がなったのです。 当たり前ですね。もしもし・・・。「今日落成式だそうですけど、 お話を伺いたいのですが」ということでした。 「今手が離せないのですが」 「それでは電話番号○○に後程連絡いただけますか。」 とここまで聞いた時問題が発生したのです。 経験がなかったので電話を聞きながら文字がかけないのです。 もちろん相手の言葉を復唱するなんて余裕はありませんでした。

もっと困ったのが予約の時でした。普通、お客様のお名前、 お住まい、連絡先、ご利用日、人数、和室か洋室か、 場所は知っているのかパンフレットがいるか、別に追加料理は どうかなどお聞きします。

ただ、最初は聞き書きがまともにできないものでパニックでした 電話番号や名前や予約日をも聞き忘れた時がありました。 他にも私の主な仕事は請求書を書くことなのですがよく 書き忘れたことがあります。また、水族館や東尋坊もどこなのか、 わからないのです。事情で車の免許が取れないので 乗らないからかも知れませんが地理が苦手なんです。 覚えられないというか、覚える気がないというか。そんな時は 少し辛いです。ただ、私は初めてでも、お客様には同じ社員だよ。 言われた事があり、血の気が引いてすごくプレッシャーを感じた 記憶があります。

10月9日宿泊受け入れ初日。チェックインは当時午後四時 でしたが昼食時間からものすごい緊張でした。いらっしゃいませが ちゃんと言えるか。お客様の部屋割りはきちっとできているか。 請求書や領収書の準備はできたのか? 客室の備品と館内は覚えたかなど不安材料満載でした

翌日てんやわんやの清算作業をなんとか終え売上集計。 お札を数える手が震えていたのを覚えています

お客様とはボート、競馬、アニメの話などその方の得意分野の話を 聞いて私も勉強します。わからない時は、天気が良いとか 悪いとか。ここまでどれだけかかったとか話します。 身障団体の方とは活動内容をお聞きしたり都道府県による 福祉サービスの違いを話すこともあります。

観光地のトイレ事情に困っている方がいれば、市役所や 病院を進めます。また最近は整備が進んでいる道の駅を話題に することもあります。お話の勉強は障害があろうがなかろうが 同じですよね

これはうれしいというのが3つあります。 いながらにしていろいろな土地の言葉や習慣に出会える お聞きした話を別の方に話し、コミュニケーションを広げられる。 もちろん、何回も来てくれる方は大歓迎です。

反対にいやなことは、ついこの間もあったのですが 予約して実際お泊りにならない方がいる時 自分が関わっていたりするとがっかりします。

やはりお金をいただく仕事なので、いかに気分よく お支払いをしていただきおかえり(またきて)いただくか なのですがいままでいちども私がうまくできたと思う お客様がいません。なかなか難しいです。

あと私たち障害を持つものが手を抜くと 周りと仕事していく上ですごく劣って見えてしまう と人から聞いて以来どこかで誰かにみられていると思って 自分なりに一生懸命やれば誰かがきっと評価してくれると思って そう心がけています

さて6年ともなると勝手も分かって毎日無難に過ごしています 今の会社はバリアフリーが旅館のうりの一つなので障害を 持たれた方も泊まられるようになっています。 私個人的には視力障害の方にきてもらえればまだ利用者が 増えるのかなあとふと考えたりもしています ただ私だけでは、どうにもなりませんし、今日は個人的に来ていま すので会社の話はこのあたりにさせて下さい。

7仕事以外での生活
ところで私がインターネットをはじめたのは、2年前札幌の友人 川島さんと会社でメール交換したのが始まりでした。 彼はわがままねっとというグループを主催されていますが 筋ジストロフィーという病気です

両方の手足に起こる脱力などの症状が進行性で、 遺伝子異常に よる病気であることなどがわかりながら、 筋肉の力がなぜ弱くなるかは解ってい ないので、 予防以外に効果的な治療法ががないそうです。

友人ができて毎日楽しかったこのころ 特定疾患治療研究対象疾患(以下難病と呼ぶ時があります)の 筋萎縮性側索硬化症(運動神経の細胞が消失して筋肉が痩せ細り 症状が進行するにつれ自分で生活する事も困難になる病気です。) 以下ALSと呼ぶ時があります)という障害の方とお会いする機会 が ありました。

たまたま障害があるだけと思い活動している私ですが、病気の 関係者とお会いしたとき、あまりの障害に、笑えなかったのです。

何かの役に立てないかと必至に考えたのがパソコンで ホームページを公開しALSを多くの人に知ってほしい。 という結論になりました。実は話のお誘いをいただいた 県ボランティアセンターと知り合ったきっかけもそうでした。

なお厚生省のホームページによると難病はALSを含め44も あります。福井にはこの4月県立病院に難病支援 センターができました。

8ボランティア
私にはもう一人小島さんという友人が高知にいます 彼は簡単にいうとメールによるテーマに沿った円卓会議で 福祉全般のメーリングリストFネットを主催しています。 偶然ボランティアの話題になったのでメンバーに聞いてみました

高校の時公開授業がありました。実際に福井市内の老人ホームへ いって何か活動した後授業で発表しようというものでした。 古着の裁断、シーツたたみ、お年寄りとの会話など、 まあ今考えるとさほど難しいことではありませんでしたが、 私はお年寄りに気を遣われているのに気が付き嫌気が さしてしまい、こんなんだったらしないと思いました。

当然授業でもそういう趣旨の発言をしました。一応まとめ役 だったのですが自分で収集できず、先生に助けていただきました。 もちろん2度と訪問はなかったです。しかし私にはそれ以来 ボランティアは嫌なイメージがあります。

すると ボランティアというのは、あくまでも、自分がしたいからする、 いう気持ちが基本にあるものだと思います。

受け入れる側でどうせ、ボランティアだから・・・ どうせアルバイトだから・・・、という考えを 始めからなんとなく匂わせていると、訪問した方も 「あ、私たちはやっぱり、どうあがいても部外者なんだ・・・ 結局はそんなに必要とされているわけではないのかも」と あきらめの気持ちになってしまうと思うのです。

でも、受け入れる側の人たちが、ボランティアさんの意見を 上手にくみ上げて、大事な話し合いの時にもそういう人達の 意見を十分に聞き入れていく耳をもっていれば、ボランティアを する側にとって、たいへんやりがいも大きいし、生きがいにも つながるのではないかと思います。思いっきりゆだねてみる・ 信頼してみるという姿勢も必要かもしれません。 もちろん、ボランティアする側もきちんと責任をもって 信頼のおかれるような行動に努める、ということが 基本になければいけないと思いますが。 ようは、受け入れ側と担い手側の信頼関係だと思います。

ボランティアしてくれる人がいることによって どれだけ、そこにいる利用者の人が 満足するのか?どれだけうまくボランティアの人たちを 巻き込んで風通しのよい場所を作れるのか? ということにつきるのではないかと思います。 受け入れ側のセンスの見せ所ではないでしょうか? というメールをいただきました

自発的に行う人。これがないですね。 学校ではこれがわからないまま活動したから パニックになった気がします。

ちょっと余談ですが、自発的な活動を第一に考えた時 ボランティアの政府広報は単に告知なのでしょうか 「あれだけ大々的に放送するとボランティアへの 誘導ではないのか」だとしたら本質と違うのかなあと 思ったのでお話してみました(ちゃんと伝わったかなあ。) この点はいかがでしょう。

ボランティアってどういうのがあるかなと考えてみたのですが このセンターの中でも、赤い羽根、盲導犬の募金活動 手話、音訳、朗読、点訳、などの活動をされています。

社会福祉面で自発的な無料奉仕というボランティアの意味が わかっていればできることでいいとおもいます。

しかし私は今 普通パソコンボランティアというと訪問するということが 多いみたいで無理なので移動せずにできるパソコンボランティアは ないかというテーマに当たっています。なにかご存知 ないでしょうか?一応ボランティアグループからきいて コンピュータとネットワークを活用し、 全国の障害当事者がより多くの障害者の 社会参加と 就労参加の"夢"を実現しようと活動している民間非営 利団体 WeCANというのに入れてもらっています こちらは今月はいったばかりなので手探り状態です

後ごく最近パラリンピックの協会が日本にはないみたいなので できたらなと思っています。

そろそろ終わりたいので私にとって障害とはなにか 触れておきます

私は主に足の機能に障害があります。それなのに 仕事をもってインターネットをしてすごいという人がい

でも考えてみて下さい障害を省いてインターネットと仕事 というのなら大多数の人が当たり前の活動ではないで しょうか。人によって様々ですので一概にはいえませんが 私の場合段差にはトタンでスロープをつけ手すりをつけることで 驚くほど生活が改善されます。人にあった最小限の配慮があれば それなりの活動はできると私は思っています。それだけなのですが 今の日本てはちょっと活動すると騒がれてしまうようにおもいま す。

それよりも私は”今は障害のない人”が 普通にどのように思っているのかよくわかりません。 障害者だからと特別扱いされると辛いので必要な配慮だと思えば 手助けしてもらえるとうれしいです。

最近は世の中がそういう方向に進んでいるのでうれしいです。 早くバリアフリーが売り文句ではなく当たり前の日本になって ほしいです。

これからの私
さてこれから先ですが もし宝くじで3億円が当たったら(可能性は低いですけど) 人間関係にもまだ悩まなくてよいので 自営でサービス業がしたいというのが夢です そうしていく中でもう少し福祉関係の活動ができれば良いと 思ってはいるのですが。思い通りにはいかなくて大変です

後は、神奈川に行った時つくづく福井はよいと 気がつき最近メーリングリストをつくったので それを続けることでしょうか。 これから先今日の話以上の大きな出来事がなく普通に 生きられればそれで充分です。

何しろお話なんて初めてでうまく伝わったか不安なの ですが最後までお聞きいただきありがとうございました、

貴重な時間をいただきお話しできたことは、私にとって よい経験になりました。ありがとうございました。 では失礼いたします